第3話

 「どういうことか伺っても?」

「ああ、もちろんだ。ところで君は、最近イノアック公爵子息がイミモケンの女性と婚約したのを知っているかい?」

「…はい、存じ上げております」


知っているも何も、親友ディアナの元婚約者というのがイノアック公爵子息だった。


「実は、この私にもイミモケンの王女との婚姻の打診があるのだ」

「…もしや殿下はその婚姻に乗り気ではなく、その隠れみのとして私を使いたい、そう言うことでしょうか」

「話が早くて助かるよ。君にとっても悪い話ではないだろう?」

「…おそれながら、私は一度破談となった身です。これ以上、経歴に傷が付けば私の未来は暗いものとなりましょう」


二度も破談になったら、修道院に行くか、職業婦人になるかどちらかしかない…。


(あら?それも悪くないんじゃない?何かできる仕事を探して、ガーディと二人で暮らすとか!)

「いや、破談にする必要はないよ。何も問題なければ、そのまま妃になったらいい」


名案を思い付いたリリアナだったが、王太子の口から出てきた言葉にさらなる衝撃を受けた。


「は、はいぃ?!」

「ハノーバー伯爵家は家柄もいいし、財政状況も芳しいだろ?充分王妃の後ろ盾となり得るよ。何ならこのケアンの家も支持するし」


なるほど、ハノーバー家は伯爵位といえど、建国以来の名家であるし、領地経営も上手くいっている。当主の素行も問題がない。


 加えてケアン卿のラーク家は王妃や重役を輩出するほどの名門だ。


 リリアナが考えあぐねていると、大人しくしていたガーディが身じろいで「クーン」と小さく鳴いた。少しれて来た合図だ。


「あの、殿下。申し訳ないのですが、少し考えるお時間を頂けませんでしょうか…急には決められることではございませんし、そろそろこの子にも水や休息を与えませんと…」


リリアナが控えめにそう言うと、王太子はハッとしてガーディを見た。


「そうだな、考えが及ばなかった。では数日中に改めて連絡をするよ。今日は邸まで送らせよう」


思っていたよりもあっさりとお許しが出たのでほっとする。


「はい、本日は失礼いたします」


 その日、王家の馬車で帰宅したリリアナは、両親から矢のような質問を受けた。


 まさか王太子殿下に偽装婚約を持ちかけられている、などという不確定なことを話すわけにもいかず、王立公園でちょっと体調を悪くしたところを、たまたま王家の関係者が送ってくれたのだ、という苦し言い訳をしてごまかしたのだが、それはそれで二人を心配させてしまったようだ。


 どうしたものか、と出ない答をグルグルと考えて過ごして三日目、そろそろ登城の要請があるだろうかと思っていた朝、王太子殿下直々にハノーバー邸をおとなうという知らせが来た。


 その日、父は仕事で家を空け、母は弟と共に出かけており、リリアナが一人でもてなしの采配をすることとなった。


 するべきことは多かったが、伯爵家の使用人は優秀で抜かりなく準備をこなしてくれた。


 まもなく王太子がケアンをともなってやって来た。


「ようこそお出で下さいました、殿下、ケアン卿」


リリアナは使用人一同と共に二人を出迎える。


「やあ、突然の訪問で申し訳ないね」

「今日はお天気もよろしいですし、お庭でおもてなしさせていただきますが、構わないでしょうか」

「ああ、もちろんだ。ハノーバー家の庭の評判は聞き及んでいるよ」


おそらく内密の話だろうと提案してみたが、正解だったようだ。


 家令とメイド長に目配せをして、庭の方に茶の用意をしてもらう。


 当家の庭が評判、というのはお世辞ではなく、代々仕えてくれている庭師の手によるバラ園は今が盛りとばかりに咲き誇っていた。


「…今日は君の犬はいないのだね」


席に着くと王太子は庭を見回して言った。


「はい。本日は弟ヘンドリックのお茶会へ連れ出されております。子供たちのよい遊び相手となりますので」


ガーディは気立てお行儀もいいので、子供たちに大人気だった。ガーディの方も小さい子が好きなようだ。


「……そうか」


ため息とともにそう言った王太子を見て、リリアナはもしかして彼は犬が苦手なのか

もしれない、と思った。


(この前もガーディをじっと睨んでいらしたし…)

「それで、リリアナ嬢。この間の話、考えてくれたかい?」


気を取り直したらしい王太子が訊ねた。


 実はリリアナはまだ決心していなかった。色々と疑問があるのだ。


「お聞きしてもよろしいですか?」

「ああ」

「仮に殿下がイミモケン王女をお迎えになったら、あちらの技術などを優先的に提供していただけましょう?そんなに悪いお話ではないと思うのですが…」


イミモケンはマナデュースより、いや、こちらのどの国より科学や医療などが進んでいる。この世界の水準は、リリアナがいた世界で言えば中世の終わりから産業革命前夜、といったところだろうか。


「ああ、まあね。あの国と境界を接しているわが国は、他国よりも圧倒的優位に立てるチャンスがあるからね。だがイノアック公爵家が姻戚を結ぶ手はずだし、ドートレル侯爵家もすでにあちらから妻を娶っている。私としてはもう十分だと判断する…ああ、それとテイラー侯爵もだったか」

(ガイアス…)


リリアナは一連の出来事を思い出して苦々しい気持ちを飲み込んだ。


 あれからエイミン嬢がガイアスの子を妊娠したという噂を聞いた。異を唱える親族も彼にはもういないし、これで二人の結婚は確実となったはずだ。


 とはいえ、今やフリーとなった令嬢ならいくらでもいそうだ。実際、リリアナの知り合いにもディアナをはじめ数人はいる。それこそもっと高位貴族の令嬢もだ。


「…どうして私だったんですか?」

「それは私が以前から君を恋い慕っていたからだよ」

「…」

「ふはっ、それだよ。私にそんなことを言われて、そんな目が出来る女性を私は他に知らない」

(どんな目をしていたっていうのよ!だいたい、今まで接点などなかったのだからこの方が私を好きになるなんて、普通に考えたらあるわけないじゃない…なーんかこの方、胡散臭いのよねぇ)


リリアナはまたしても疑惑の視線を投げかけてしまう。


「ふ、ごめんよ。でも君を好ましく思っているのは本当だ。とりあえずお試しでどうかな。君のように冷静かつ聡明な女性がパートナーとして横にいてくれるととても助かるんだけど。

 君も身の振り方には困らないし、何より元婚約者殿に一泡吹かせてやりたくないかい?それにご両親も安心されるだろう?」


両親を持ち出してくるとは卑怯な…そうは思ったが、婚約解消以来リリアナを心配してくれる家族を見るのは心苦しくもあった。それから、ガイアスに一泡…という話もとても魅力的だ。


「…わかりました。『とりあえずお試し』ということなら」

「良かった!ありがとう」


 邸の方から賑やかな声が聞こえて来た。王太子殿下が我が家に来ていることを、できる家人が知らせたのだろう、母と弟が早めに帰って来たのだ。慌ただしくこちらへ向かってくる気配がする。


「ようこそいらっしゃいました、王太子殿下。留守にしており申し訳ございません」


母が弟ヘンドリックと共に急いで挨拶をする。


「何、急に来たのはこちらだ。気にしないでくれ、それにリリアナ嬢が十分もてなしてくれたから」

「さようでございますか…あの、それで…」


何も知らない母は、王太子が我が家なんぞに何の用事があったのかと訝しんでいるのだろう。


「今日は令嬢にプロポーズをしに来たんだ」

「ええっ!そ、それで…」

「うん、色よい返事はもらえたのだが…すまない、まずはご両親に話を通すべきだったね。だがつい、気が焦ってしまってね。彼女を他の男に取られてしまうのではないかと…」

「まあ!とんでもございませんわ。この子は先日とても傷付くことがございまして…殿下のような素敵な方にそんな風に思っていただけるなんて、娘は幸せ者ですわ!」

(えー…そうでもないけど)


目を潤ませる母を前に、引き攣りそうになる笑顔をなんとか保つ。


「ではご当主を交えて改めて話をさせてもらいたいのだ…がっ?」


弟ヘンドリックの後ろから、ガーディがひょこりと顔を出した。王太子がガーディを見つめて動かなくなった。ガーディも彼を見上げて緩く尻尾を振っている。


「申し訳ございません、殿下。今すぐ下がらせますので…ヘンディ、ガーディを室内に連れて行ってくれる?」

「うん、わかった。それでは御前失礼します、殿下」


十一才の弟は精一杯の挨拶をして邸の中に入っていった。


「殿下…」


固まる王太子の背後から、ケアン卿が声をかける。


「ああ、うん、では後日、正式に申し入れをしよう」


 母や使用人たちと彼を送り出し、帰宅した父と母に質問攻めにあったリリアナは、ようやく自室でくつろいでいた。


「やっぱり殿下は犬がお嫌いなのかしら?」


ソファの足元でガーディがクーン、と鳴きながら首を傾げる。


「ちょっと残念ね…」


他の動物はどうかしら、猫やウサギとか。人生に動物がいないのはさみしいもの…リリアナは自分の考えを振り払う。


「いやいや、あの方と人生を共にするって、王妃になるってことじゃない!無理無理!そうよ、これはとりあえず、なんだから。私はきっと一番都合がよかったのよ。お父様も政界には野心を持っていらっしゃらないし…私は職業婦人になってあなたとの生活を勝ち取るわ!」

「ワン!」



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