鬼の子供

伽藍 朱

鬼の子供 

 

 志々間しじまの里の金五郎といえば、「鬼の子」という渾名で有名だった。


 まず、生まれた時から体がでかかった。

 他の子を二人合わせたくらいの体格で、取り上げた産婆がその重みに耐えきれず、抱き上げたひょうしに後ろにひっくり返ったほどである。

 生まれて六月むつきほどで、ひょいと立ち上がって歩くようになったが、まともに言葉を話せるようになるまでは五年かかった。


 手習いに通い始めてからは、毎日のように叱られていた。

 じっと座っていることができぬ。

 蝶やトンボを追いかけて外に飛び出してしまう。

 聞いた話は耳を素通りし、十ぺんも二十ぺんも教えられて、ようやくひとつ理解するような有様。

 同年の子どもが日常の漢字を一通り書けるようになる頃にも、年下の子に混じって仮名文字の練習をさせられていた。


 極めつけに、鉄砲が撃てなかった。

 彼の一族は代々マタギの統領シカリを務める由緒正しい家柄で、父は百発百中の鉄砲の上手で知られた男だった。

 体の成長が早かった金五郎は、普通より早くコマタギとして狩猟隊レッチュウに迎えられた。

 そして、十一の時に初めて鉄砲の試し撃ちをしたが、正面に向かって撃ったはずの弾は、なぜか横手にいた老マタギのちょんまげを吹っ飛ばし、大騒ぎになった。

 爺さんは卒倒したが幸いけがはなく、何かの間違いだろうと続けて何度か撃たせてみたが、弾は一度も的に当たることはなく、てんでバラバラな方に飛んで行った。まるで、弾の一つ一つが、彼の意に添うのを拒んでいるかのようだった。

 辛抱強く指導をしても一向に改善の兆しはなく、何より危ないので、一年も経たない内に鉄砲を取り上げられてしまった。レッチュウの面々は、流石に失望を隠せなかった。


 あれが誠にシカリの子か。

 大きいばかりの木偶の坊。

 鬼の子じゃ。


 豪放磊落な金五郎も、この中傷はこたえた。

 勉学は苦手でも、悪意ある言葉くらいはわかる。

 何より、マタギの子でありながら、鉄砲が撃てない事実―――マタギとして認められないという事実は、彼をひどく苦しめた。


 怒りに任せて喧嘩に明け暮れた時期もあった。

 せせら笑う若者たちを拳で黙らせるのは簡単だったが、そうしても人は離れて行くだけ。

 虚しさばかりが胸に募った。


 俺は一体、誰なんだ。

 何のために生まれてきたんだ。

 

 やり場のない思いを抱えながら、鬱々と過ごしていたある日のこと。

 母のナギが、金五郎を囲炉裏端へと呼んだ。


「おが生まれる前の話さ、しでやる」


 いわく、お産の時、彼女はひどく苦しんだそうだ。

 寄せては引くを繰り返しながら徐々に大きくなる痛みの最中、霞む視界の向こうに、彼女は奇妙な幻を見た。


 闇の中に、手足の生えた雲があった。

 雲は毛むくじゃらの腕に、丸々と太った赤子を抱いていた。

 美しく、愛らしい赤子であった。

 小さな体に不釣り合いな、立派な鎧兜を身につけていた。

 両腕にはぴかぴかと光る長大な火縄銃。

 そして、筆と、金の瓢箪とを抱えていた。


 雲が赤子を抱えたまま、ひょこひょこと闇の中を駆けて行くので、ナギは血相変えてその後を追った。


「待で!そん赤んぼ、おらが子だべ!返せ!返せ!」


 雲は赤子を抱いたまま叫び返した。


「この赤子は、生まれながらに、いろんなものを持ちすぎた。こんなに沢山抱えていては、体が耐え切れず、生まれてすぐに死んでしまうだろう。むやみに苦しめるのも可哀そうだ。生まれる前に、俺が引き取ってやる」

「勝手なごど言うんでね!」


 ナギは夢中で雲を追いかけた。

 走って、走って、走って、遂に追いつくと、まず、赤子が抱えている鉄砲をむんずと掴み、ポーンと遠くへ投げ捨てた。

 続いて、筆も、瓢箪も、鎧兜も、おまけに『美貌』も、むんずと掴んで、ぽーんぽーんと投げ捨てた。

 なんせ夢の中なのだ。形のないものにだって触れることができる。


 とうとうナギは、裸の赤ん坊を、毛むくじゃらの両腕から奪い返した。


「鉄砲も、筆も、欲しけりゃくれてやる!だども、この子だけは渡さね!」


 雲はナギの血走った眼と、凄まじい剣幕に恐れおののき、散らばった宝物を拾い集めると、こそこそと逃げて行った。


 そうして生まれたのが金五郎だった。


「お前は落ちこぼれなんかではね。まして、鬼の子などでもね」


 そこまで話した母は、一度目を伏せ、一つ深呼吸をした後で、再び息子をまっすぐに見つめて口を開いた。


「お前に全で捨でさせても、生ぎで欲しがった。そう思ったのは、まぎれもね、この母だ。恨むだば、この母さ恨め」


 金五郎はあっけに取られてこの話を聞いていた。

 やがて、彼の中でゆっくりと話を咀嚼し、呑み込むと、すっと顔を引き締めて、大きく頷いた。


「わがった。もう、何も言わね。……今までごめんな、母っちゃ」


 実際の所、金五郎は母の話を頭から信じたわけではなかった。

 ただ、彼は自分に向けられていた中傷が―――あるいは、それよりももっとひどい、謂れのない中傷が、この母に向けられてこなかったはずがないということに、この時初めて気がついたのだった。


 彼は己の浅慮を恥じた。


 日頃、何があっても気丈に振る舞っている母は、この時ばかりはぐっと声を詰まらせ、瞳を潤ませてうなずいた。


 その日から、彼は己のための喧嘩をやめた。

 心無い陰口は無くならなかったが、そういう輩は相手にせず、一人になれる岬へ行って静かに過ごすことが増えた。


 空を見ながらぼんやりと考えた。 

 母っちゃは俺にすべてを捨てさせたと言った。

 だが、本当にそうだろうか?

 俺には人より大きな体がある。

 生まれてこのかた、風邪ひとつひいたことのない、健康で丈夫な体がある。

 喧嘩なら誰にも負けない力がある。

 そうだ。この体が、この命こそが、母っちゃが死にもの狂いで魔物から取り返してくれた、最後の大きな「宝物」なのだ。


 彼は立ち上がり、家へ取ってかえすと、先祖伝来の大タテを手に取った。  

 それから毎日槍の稽古に励んだ。


 十五の春。

 冬眠明けの熊を狙う春熊狩りで、彼は七尺を越える大熊の胸を一突きにして仕留めた。

 決してひるまず、勇猛果敢に立ち向かうその姿と力を、仲間たちは称賛し、彼は晴れて正式なマタギとして認められたのだった。


 熊をも凌ぐ膂力を持ち、

 鬼より強い又鬼マタギの金五郎。


「鬼の金熊」と呼ばれるマタギは、こうして生まれた。



―終―



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鬼の子供 伽藍 朱 @akinokonasu

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