第12話 要請
「ぶふっ!」
肺の空気が外部からの衝撃で、一瞬にして抜け切る感覚。今日で…いや、今週で何度目だろうか。何度味わっても慣れる気がしない
「カハッ…ハッ…」
これを食らうと数十秒はまともに身動きが取れなくなる。いくら拡張意識で防御を固めているとはいえ、相手も拡張意識で攻撃を強化してくる以上その衝撃は重く、内臓までずっしりと響いてくる
「早く立て、モタモタするな。敵の前ならブッ殺されてるぞ」
「この…鬼教官…」
そう呟き雄馬が睨む先には、サングラスに長髪の男。雄馬にとっては記憶喪失前後共に師匠に当たる存在。百瀬修哉だ
「オラァ!」
「おっと」
隙を見てローキックを繰り出すも、呆気なく躱された上に足首を掴まれてしまう。そして雄馬が放った蹴りの勢いそのまま——
「———痛ったぁ!」
放り投げられ、ろくに受け身を取る間もなく床に衝突する。ちょっと手数を増やせばこれだ
「ちょ、ちょっと休憩!マジで一回!」
「あー?ったく…根性ねぇなあ」
床でのたうち回っている雄馬に間髪入れず、追撃をしようと近づいてきた百瀬を全力で制止する。このままじゃ命がいくつあってももたない
百瀬との訓練を開始して一週間。雄馬はひたすら拡張意識を用いた近接戦、つまり組み手をやらされている。百瀬は干渉士の戦いにおける全ての基礎だと熱弁していたが、まさかこんなに泥臭い特訓をするとは予想していなかった
「なあ、そろそろ戒式の特訓させてくれよ。俺あっちは得意だからさ」
「駄目だ」
「何でだよ!延々と苦手な組み手してるより、得意な戒式の特訓した方が絶対良いだろ!長所を伸ばさせろ長所を!」
「確かにお前は戒式の飲み込みが早い。でも、だからこそ戒式の特訓は今じゃなくて良い。体術は今みたいに時間がある時しかガッツリ練習出来ないからな。付け焼き刃で戒式詰め込むよりもその方が堅実だ。それに——」
「それに…?」
「英雄と呼ばれていた頃のお前の基本戦術は体術を軸とした物だ。どんな強敵相手でもガンガン距離を詰め、相手のペースを乱し続ける。一般的な干渉士に多い戒式頼りの戦法じゃ到底あの戦い方は再現できない」
「うっ…分かったよ。大人しく組み手やりゃあ良いんだろ」
そう言ってしぶしぶ立ち上がると、勢いよく修練場の扉を開く音が後方から聞こえた
「茅場さーん!買って来ましたよ!」
「お、来たか紫藤」
見れば紫藤が片手にコンビニの袋を持ち、こちらへ走って来ている。そう言えば数十分前にメールでお使いを頼んでいたのを忘れていた。非番だというのによく来てくれた
「はい。これ頼まれてたお弁当です」
「おう、サンキューな」
「でも茅場さん、お昼だったら食堂に行けば良いんじゃ…」
「…あの鬼教官、飯の時間もロクにくれねぇんだよ。満腹状態だとパフォーマンスが落ちるからとか言って、まずいカンパンと水しかよこさねえんだ」
「えぇ…」
「聞こえてるぞバカ。というか丁度いい所に来たなメガネ君。俺の代わりに組み手の相手をしてやってくれ」
「へ?俺が茅場さんとですか?」
「そうだ。この一週間でこいつがどの程度育ったか確かめたい。メガネ君に負けちまうようじゃ才能ないから、その時点で特訓を打ち切る」
「えっ!そんな…」
正直この地獄の特訓を終えられるのは願ってもない事だ。もちろん、強くなりたいと思う気持ちはあるが、百瀬のしごきはあまりにもキツい。せめて他の干渉士に訓練をつけて欲しい。雄馬は紫藤に、手を抜くから勝ってくれ、と視線でアピールする。しかし、そんな魂胆は見透かされていたようで、百瀬から追加で忠告が入る
「それと、メガネ君が手を抜くような事があっても特訓は打ち切り。逆に雄馬がわざと負けたら特訓継続だ。言っとくが、すぐ分かるからな」
雄馬に迷惑をかけたくない紫藤と、特訓から逃げ出したい雄馬。双方の思惑を認知した上での条件というわけか
「逃げ場ねえじゃねえかよ…」
「逃げようとする方が悪い」
「え…茅場さん、俺はどうしたら…」
紫藤は混乱している。まさか雄馬が進んで特訓から逃げようとしていたとは思っていなかったのだろう
「はぁ…いいよ紫藤。本気で来てくれ。俺も本気でやるから」
「り、了解しました!」
2人は組み手の定位置に着き、一礼する
「はじめっ!」
百瀬の掛け声と共に、紫藤が雄馬目掛けて走る。小柄な体躯が一瞬にしてダンプカーのような威圧感を放つ。拡張意識で全身の体幹を強化しているのだ
「ほっ」
雄馬は突進してくる紫藤をギリギリまで引き付け、紙一重の所で左に避けた。ぶつかればひとたまりもないが、速度自体はそれほどではない。ビビらずカウンターを決めれば——
「ぐっ!」
雄馬が繰り出した肘鉄が紫藤の脇腹を抉る。一瞬苦しそうな声を上げるも、ギッと歯を食いしばり
「だぁっ!」
上半身を捻り、雄馬の顔面に向けて思いっきり右ストレートを繰り出した
「づっ!」
雄馬は咄嗟に紫藤の拳を額で受け止めた。脳が揺れる感覚がする。まずったか。いや、鼻頭で受けて視界を鈍らせるよりはマシだ
紫藤は自身の拳が予想と反して硬い頭蓋に当たった痛みと驚きから、正拳を引く動作に一瞬の遅れが生じる。雄馬はその隙を見逃さず
「おらぁ!」
紫藤の右腕が引き切る前に掴んで引き寄せ、腰を落とし、自身の背中を紫藤の腹にピッタリとつける
「やべっ!」
と紫藤が呟く。しかしその足は既に地面から離れており——
ダァァン
「痛ったぁ!」
見事な背負い投げが決まった。仮に柔道であれば一本といった所だが、これは実践を想定した組み手だ。その勝敗の着き方はたった一つ。雄馬は間髪入れずに紫藤に馬乗りになり、その首元に手刀を突きつけた
「うっ…参りました」
相手にいつでもトドメをさせる状態。つまりチェックとなってようやく組み手は決着する。雄馬はふぅと息をつき、立ち上がった
「どうだ師匠。なかなか動けてるだろ?」
「バカ。自分の部下に勝てたくらいで嬉しそうにするな」
こいつは褒めて伸ばすという事を知らないのか。紫藤は仮にも人狼と一対一で渡り合える実力者なのだから、決して弱いわけではないと思うのだが
「百瀬、調子はどうだ」
ふと声のする方を見ると、いつのまにか祇園が修練場へ訪れていた
「ああ。これくらい動ければ問題ないだろ」
「よし。茅場、お前に出張任務の依頼が入っている」
「出張任務?」
「異能都市外での任務だ。場所は長崎県。今週末からお前と紫藤の2人で出張へ向かってもらう。当然その間の特訓は一時中断する」
「いきなりっすね。てかなんで俺と紫藤だけ?」
「長崎県で人狼と思わしき能力者達の活動が確認された。そこで九州全域を担当するアンラベル
「人狼が…」
「滞在予定期間は二週間。向こうの都合で伸びる可能性も考慮しておけ。逆に予定より早く済めば残りの日数は休暇として好きに消費して貰って構わない」
「…泥も連れて行けないですか?あいつも人狼と戦った経験があるし、来てくれたら戦力的にも安心できます」
泥がいれば雄馬達の負担はかなり少なくなるだろう。特に戦闘に関しては殆ど彼に任せておけば問題ないはずだ。そうすればゆっくりと長崎でバカンスを送ることができる
「無理だ。泥も一応推薦していたが、先方に断られた」
「えっ、何でですか?」
「以前北九州市への出張で問題を起こして以降、貢ヶ丘支部での評判がすこぶる悪くてな。私も泥がいれば助けになると思ったのだが、あちらの支部長に断られてしまってはどうしようもない」
どうやら雄馬の思惑通りにはいかないらしい。それにしてもまさか泥がそんな扱いを受けていたとは
「何やってんだよあいつ…」
「茅場さん、泥がいなくても俺達だけで十分ですよ!」
「そうかなぁ…なんかあいつ全体的に評価低くない?強いのに」
「…まあ、命令聞かないわ、単独行動するわ、勢い余って味方ごと攻撃するわで、同行した隊からの評判はよくないな」
「あー…なんか想像つくな。悪い奴じゃないんだけどな」
「…実は俺もこの前助けられるまではちょっと苦手でした。前に泥が任務に同行した時『お前弱いから下がっとけ』って言われたのが正直効いてて…」
「不器用だなーあいつ」
「まあ、今回は貢ヶ丘支部への応援という形だから、当然あちらのパトリオット部隊もいる。戦力的に不足するという事はそうそう無いはずだ。そういう訳で、悪いが長崎にはお前達2人で行ってもらう。任務の詳細は後ほど連絡するから、荷造りだけ早めに済ませておけ」
「了解です」
「では、邪魔したな。失礼する」
そう告げると祇園は修練場から立ち去って行った。良かった。これで地獄の特訓からようやく解放される
「ずいぶんと嬉しそうだな、少年」
百瀬は見透かしたようにそう言う
「え、別に?」
「ちなみにお前が出発する金曜まではしっかり特訓を続けるし、東京に戻って来たら即再開するからな」
「げ…まじかよ」
こうなったらとにかく、長崎での任務を早々に終わらせよう。目撃情報は既に上がっているのだから、そこまで時間はかからないはずだ
「じゃあこれで休憩終わり。特訓再開だ。メガネ君はもう帰っても良いぞ。私服って事は今日非番だろ」
「げっ…飯食いそびれた…まぁいいや。お疲れ、紫藤」
「いえ、俺もここで茅場さんの特訓を見ています!」
紫藤はキラキラした目でそう答える。百瀬にボコボコにされる所をあまり見られたくないのだが。まあいいかと諦め、特訓を再開すべく雄馬は渋々立ち上がり、百瀬と向かい合った。出張までに、人狼と余裕を持って戦えるようにはなっておきたい
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