第10話 点火

泥竜雅なずみりゅうが。紫藤とボス人狼からそう呼ばれた男は、ボリボリと背中をかきながら棒アイスをかじっている。ここが現在進行形で戦場だとは思えないほど、気の抜けた表情で


「ん?おー。雄馬じゃねーか!お前も何してんだそんなとこで。壁ぶっ壊しちゃダメだろー」


こいつは一体何を言っているんだ。どこをどう見れば雄馬が自ら壁を破壊したという発想になるんだ。明らかに襲われているだろ、お前の目の前にいる人狼に


「紫藤!こいつ誰だ!?」


「はっ!茅場さん!ご無事でしたか!良かった…流石は茅場さ——」


「こいつ誰!?」


「あ、すみません。こいつは泥竜雅っていうリバティーズに所属する能力者で、味方です。一応」


泥竜雅…味方が増えたのはありがたいが、果たしてこの男が一体どれほどの実力を持っているのか。リバティーズ所属…つまり雄馬たちパトリオットとは異なり、干渉士ではない能力者という事だ。となると戦力的には干渉士…少なくとも紫藤より上というのは期待できない。リバティーズはパトリオットの補助という立ち位置だからだ


あのボス人狼を相手に、泥を加えた3人で戦って果たして勝てるのかどうか…いや、必ずしも勝利する必要はない。あくまで他のパトリオットが到着するまでの時間が稼げればそれでこの場は収まる。…それにしても、確かに応援要請を出したはずなのに一向に他の味方が来る気配がない


「ん?そこのデカい毛むくじゃらの奴、どっかで見たことあるなー?」


雄馬がそんな事を考えていると、泥が呑気な口ぶりでボス人狼の方へと近づいて行った。バカ。やめろ。せめて3人で…


「泥…てめぇまさか…俺を覚えていないのか?」


ボス人狼は泥を見下ろしながら、何やら因縁のありそうな口ぶりで呟いた


「会った記憶はあるんだよなー。でもどこの誰だったかまではちょっとなー…うーん…」


泥はそのまま十数秒固まってしまう


「根墨だ…」


痺れを切らしたのか、ついにボス人狼の方から名乗ってしまった。狼なのに鼠…確かに覚えにくいかもしれない


「あぁ!そうだそうだ!それで確かお前は…」


泥はスッキリした顔でパンと手を叩くと、右の拳をキュッと握った


「悪者!」


そう言うのと同時に、根墨の胴体目掛けて全体重を乗せた強烈な右ストレートを放った


「ごぶぁっ!」


直撃を受けた根墨はもの凄い勢いで吹っ飛び、先ほどまで雄馬が埋もれていた瓦礫の山へと突っ込んでいった


「…あれ?もう終わりか?」


泥はそう言って拳をブンブンと振る。見れば拳の残像からは所々火炎が散っており、泥の拳本体からもゆらゆらとした陽炎が漂っている


「終わりなわけねぇだろ!このクソボケがぁ!」


耳が千切れるほどの怒号と共に瓦礫の山が吹き飛ぶ。怒りで毛並みが逆立ち、先ほどより更に巨大に見える根墨が現れた


「おー。流石根墨だな。強い強い」


「〜〜ッッ!殺す!!」


向かってくる根墨を眺め、楽しそうな笑顔で手を叩く泥。そんな泥への怒りのまま、声にならない声をあげて勢いよく距離を詰める根墨


「ウラァッ!」


根墨は間合いに入った瞬間泥の胴体めがけ、鋭く尖った爪を振りかざす。泥は避ける素振りも見せず


「ほっ!」


自分の身体にその爪が食い込むよりも素早く、根墨の胴体にアッパーを捩じ込んだ


「ぐぼぁっ」


根墨は1メートル近く浮き上がったかと思うと、なんとか膝を付けて着地。唾液を垂らしながら、恨めしそうな顔でヨロヨロと後退りをした


「はぁ…はぁ…てめぇこの程度で……あ?」


根墨の身体が妙に明るいな、と思った次の瞬間だった。根墨の腹部でメラメラと真っ赤な炎が燃え上がっていた


「ぎゃあああああ!」


腹部の炎は全身の毛を伝って瞬く間に燃え広がり、根墨はあっという間に火だるまとなってしまう


「ボ、ボーースッ!」


拘束されている2人が根墨に向けて叫ぶ。火だるま状態の根墨はゴロゴロと地面をのたうち回っていたかと思えば、ゴキブリのように這いずり、もの凄いスピードで路地の方へと逃げ去って行った


「ふうっ、一件落着っと!」


そう言って泥はパンパンと手を叩いた。雄馬は2人の戦いを見ていた間終始、空いた口が塞がらなかった


「お前…何者だよ」


圧倒的な強さだった。全く苦戦する様子なく、ボス人狼こと根墨を撃退してしまった。なんだったらこのまま追って、身柄を抑えた方が良かったのではないかと思うほどの圧勝っぷりだ


「ん?何者って…泥だけど?」


泥は不思議そうな顔で雄馬の質問に答える。いや、全くもって雄馬の欲しかった答えではないのだが


「茅場さん。こいつは…認めたくないですけど、リバティーズ最強の能力者です…その実力は正直言って、一般の干渉士を遥かに凌ぎます。隊長クラスでようやく互角か…それ以下ってレベルです」


なんということだ。まさかそんな凄い奴が偶々通りがかって助けてくれたとは。運が良かったという他にない


「あー、そういえば雄馬、記憶喪失なんだっけか?難儀だよなー」


泥は紫藤が説明しているのを見て、ようやく雄馬の状況を思い出したらしい


「まあな…いや、それにしても助かった。要請を聞いて来てくれたんだよな?」


「ん?俺はただコンビニから家まで帰ってただけだぞ」


「えっ?じゃあ応援要請は…」


雄馬がポカンとしていると、向こう側から隊服を着た細身の青年がこちらへ走って来た


「応援ただいま駆けつけましたーッ!…ってあれ?もう拘束済みでしたか!」


「…だいぶ間に合ってなかったですね。しかも彼、見た感じただの巡回なんで、あの場で戦力としてはちょっと…」


「…いやほんとありがとな。泥」


「?よく分かんねえけど、いいって事よ!」


雄馬たちは泥との遭遇によってなんとか一命を取り留め、二体の人狼はその後ゾロゾロとやってきたパトリオットによって無事に確保された




その後雄馬達3人はアンラベルに連れ戻され、襲われた際の状況や敵の能力など、職員らから徹底的に質問攻めにあった。せっかくの仕事終わりだったのにこんな目に遭うとは


結局元いた家の近くの路地まで帰って来れたのは夜の11時過ぎだった


「長い一日だった…」


「ほんとですね…」


「所でさっきの根墨って奴、泥と面識があったみたいだけど、前にも戦った事あるのか?」


「ああ。高校が同じだった」


「同級生かよ…じゃああいつの身元も割とすぐ割れそうだな…」


「いや、今のあいつが何してるかは知らないぞ。随分前に一度戦った事があるだけで、あんな部下がいる事も知らなかったし」


なら尚更あそこで逃したのは痛いんじゃないか、と雄馬は思わずにいられなかった。しかし助けられた手前、泥にその事を指摘するのは気が引けるので黙っておく事にした


「体系者になっていたという事ですかね…人狼の能力者…聞いた事もありませんが。他に大勢仲間がいるのだとしたら厄介ですね」


「そういや、そもそもお前らなんで襲われてたんだ?」


「そういえば茅場さん人狼に聞いてましたよね。雇い主がどうとか」


「あー…咄嗟に聞いただけで特に深い意味はないよ。俺もなんで襲われたのかは分からん」


———雄馬は、以前襲撃されたのが任務終了後、1人での帰宅途中だと聞いていたので、同じ状況に陥る事を警戒し、任務後もダラダラと紫藤を連れ回していた。それが今日紫藤を食事に誘った2つ目の理由だったのだが…まさか本当に襲撃されるとは


あの人狼達の狼狽え方を見るに、どうやら人狼を送りつけたのは雄馬を襲った犯人…もしくはそいつに関連する人物、という事で間違いなさそうだ。少なくとも干渉士である事は確定しているのだから、アンラベルの人間であるという目算は間違っていないだろう


あの場に居た紫藤と泥は容疑者から外しても良いが…記憶の件を伝えるのはよしておこう。祇園も別途調査を進めてくれている筈だし、時期に犯人は判明するだろう


そして犯人が分かり次第、この手で必ず殺してやる


「…茅場さん、茅場さん?」


「ん?どうした紫藤」


ふと見ると、紫藤が心配そうな顔で雄馬の顔を覗き込んでいた


「なんか…見た事もない怖い顔してましたよ。何かに乗っ取られてるみたいな…」


「疲れてんじゃねーの?」


「…あぁ、そうかもな。あー…紫藤、今日はこんなだったし、また今度飲もうぜ。お疲れ様」


「そうですね…じゃあまた後日、是非誘って下さい。あ、俺、来月には20歳になるんで!」


「おう!じゃあ誕生会もしなきゃな。じゃあまたな!」


「はい!お疲れ様です!」


そう言って雄馬は紫藤と別れた。自分でボディーガード代わりに連れ回したとはいえ、あんな目に遭遇させてしまったのは想定外だった。お詫びも兼ねて誕生日には盛大に祝ってやろう、と雄馬は思った


「…で、お前はなんで俺について来てるんだ」


一方泥はいつの間にか、雄馬のマンションの目の前までついて来ていた


「え?いや、俺の家ここだからな」


「は?お前俺と同じマンションなの?」


「そうだぞ?なんで知らない…あぁ、記憶喪失か」


「…お前の記憶も結構危ういな」


「興味ない事はすぐ忘れちまうからなー」


キッパリと言いやがった。興味がないと。この男にはデリカシーというものがないのか


「…前の俺ってお前から見てどんな人間だったんだ?」


言いながら、聞く相手を間違えたなと後悔した。他人に全く興味のないこの男から、ろくな答えが返ってくる気がしない


「目標だ」


「え?」


「茅場雄馬は俺の夢でもある『英雄』の名を冠した最初の人間だからな。だから俺はずっとお前から、英雄の座を奪いたかった。その名で呼ばれる事が俺の夢だからだ。だけどお前は俺より多く人を助けるし、俺よりずっと強かった。とてもじゃないけど俺がお前の代わりに英雄と呼ばれる日は、来そうになかった」


泥は真っ直ぐ雄馬の目を見て話す。どこまでも、どこまでも真っ直ぐに


「…だけどな、よく聞け雄馬。記憶喪失になって根墨なんかにぶっ飛ばされてる今のお前なんか、既に俺の眼中にないぜ!」


「戦え。鍛えろ。そして強くなれ。前の自分に負けないぐらいにな」


一切偽りのない泥の言葉が、雄馬の心臓の鼓動を早める。なんだ、この感覚は


「そうでないと、この俺があっという間に駆け上がって、英雄の座を奪い取っちゃうぜ!あはははは!」


——くだらない。幼稚な挑発だ。そもそも以前の雄馬自身、英雄と呼ばれる事それ自体にこだわりがあったとは思えない。そういうレッテルやラベルを気にするような性格でない事は、色々な話を聞いてきた今の雄馬にはよく分かる。こんな馬鹿げた、小学生レベルの挑発に乗る事などありえない


——そう、分かっているのに


「…泥」


今この瞬間を生きている茅場雄馬は、どうしようもないほど、自分の魂に火が灯っているのを理解してしまった。こんな単細胞に煽られ、まんまと熱くなっている自分自身に呆れる。病室で目覚めてから、こんな感覚に陥ったのは初めてだ——


「上等だよこの野郎!てめぇなんかに英雄の座を渡してやるか!!」


気付けば、考えるより先にそんな事を口走っていた


——そうだ。誰にだって渡してなるものか。茅場雄馬が戦い続け、守り続けた果ての単なる副産物でしかない『英雄』という称号を


この時青年は、明確に泥竜雅を。そして茅場雄馬を超える事を、自身の目標として掲げたのだった

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