第3話 懐柔
「絶対に駄目よ!」
母の声が病室に響く。しまった、と雄馬は思った
「ちょ、母さん。声、声」
父は慌てて母をなだめる
現在午後2時。一旦ホテルに戻っていた雄馬の家族達が、2度目の面会に来ていた。雑談の話題も尽きた頃、雄馬が何の気なしにアンラベルへ復帰する旨を家族に伝えると母の態度が急変。今まさに猛反対されているという訳だ
軽い気持ちで伝えたつもりが、まさかこんなにも反感を買うとは思っていなかった。そう言えば朝の面会でも仕事の話を持ち出すのを嫌がっていたが、こういう事だったのか。だがこれから説得する以上は、母の言い分を聞いておかなければならない
「えっと…理由を聞いてもいい?」
「そんなの、危ないからに決まっているじゃない」
まあ、そんな事だろうと思った。やはりこの母は雄馬に対し、とことん過保護なのだ。しかし雄馬にはアンラベルに戻らなければならない明確な理由がある。だがそれを馬鹿正直に伝えるわけにもいくまい。「自分を襲った犯人を突き止める為」などと告げてしまえば、余計に反対されるのが目に見えている
「いや…そうは言ってもさ、俺が戻らないとなんか、色々大変みたいだし…」
「だからって…退院して即復帰なんてあんまりじゃない!」
「母さん…雄馬ならきっと大丈夫だよ」
父は雄馬の復帰に反対する様子はなく、むしろ応援すらしてくれている。だがその声援は弱々しく
「どこがよ!」
この通り母に一蹴され縮こまってしまった
「何も大丈夫なんかじゃないわ!現に雄馬はアンラベルでの活動のせいで怪我をして、記憶喪失になってるじゃない!」
そうは言っても、能力者特有の再生力とやらで負傷は殆ど完治しているし、何より雄馬自身に復帰の意思がある。そこを無視して話を勧められるのは困ると思い、口を挟む事にした
「でも俺は…」
「雄馬は『俺』なんて言わない!」
病室が静まり返る
数秒後、我に帰った母親は口元を抑え「言ってしまった」と後悔するような表情をしている
記憶喪失以前と今の自分の性格の相違については、実から聞かされていた為理解はしていたが、そうか。一人称すら変わってしまったのか
コンコン
気まずい沈黙の中、病室のドアがノックされる
「あー…どうぞ」
一瞬考えたのち、今の地獄のような空気を変えられるなら誰でも良いと思い、縋るような思いで返事をした
「失礼します」
最悪だ。入ってきたのは祇園。雄馬の上司だ。今一番母と合わせてはいけない相手を招き入れてしまった。そもそも、何でまた病院に来ているんだ
「大変失礼ながら、先程の会話、廊下で少々耳に入ってきたもので。どうやら無関係な話題というわけでもなさそうだったので、私も少しお話に参加させて頂いてよろしいですか?」
どういうつもりだ。まさか雄馬の母を祇園が懐柔しようというのか
「…分かりました」
さっきよりもさらに重苦しい空気が部屋に充満する
「まず息子さん、雄馬さんのこの度の任務終了時における負傷と、多大なる後遺症。これらは全て彼の直属の上司である私、祇園万彦の責任です。大変申し訳ございません」
しっかりとした謝罪だ。どうやら本当に母を説得する為に割り込んできたらしい
「…」
「つきましては、この度雄馬さんご本人及びご家族の方々へ生じた物的、心的問わずあらゆる損害の金銭面での負担はアンラベルで最大限支援させて頂きます。当然、今後の雄馬さんの復帰の有無とは関係なくです」
あれ。聞いていた話と違うな。午前中に来た時には、雄馬の復帰は命令だから絶対だ、という風な事を言っていた気がしたのだが。説得しやすくするためのリップサービスだろうか
「それに関しては心より感謝します…ですが、成人しているとはいえ息子を命の危険すらある場所へ、一度ならず二度も送るというのは、親としてどうしても承諾しかねます」
やはり母の意思は固い。極端な話、成人して意思決定の能力がある雄馬自身が復帰の決意を曲げず、強引に話を進めれば、アンラベルへの復帰自体は叶うだろう。だがそれでは家族の、母との間に少なからず遺恨が残る
記憶喪失の雄馬にとって、損得関係なく味方で居てくれる家族の存在は大きく、心強い。復帰を急ぎ、家族を無碍にするのは望むところではない。だからやはり、母をどうにかして納得させたいものだ
「…お母様もご存知かと思いますが、雄馬さんはこれまでアンラベル内において『英雄』と称されるほどの貢献をしてくれました」
「…はい。存じ上げています」
「その功績は非常に大きく、現在の日本の平和があるのは、雄馬さんのお陰と言って差し支えないでしょう。私としましても、このような事態が起こった以上、今後はアンラベルでの活動から離れ、ご家族や友人とゆっくり過ごしても良いのではないかと思っております」
「でしたら…なぜ」
「このような話は、記憶を失う以前の、雄馬さんご本人にもさせて頂いた事があります」
「…!それで、雄馬は何と?」
「『僕は大切な人達がこの国で安心して過ごせるよう、自分にできる事をしていたいです』と」
「…うっ…うぅ…」
その言葉を聞いた途端、母は泣き崩れてしまった。茅場雄馬。今までは常人の理解を超えた超人か何かのように思っていたが、その根底にあるのは家族や友人を守りたいと願うだけの、普通の青年だったのかも知れない。ただ、本当に守る力を持っていた故に、そうしていたというだけで
雄馬は「今だ」と思い母に声をかけた
「母さん」
「…雄馬」
「俺は、前とは性格とか考え方とか色々違うんだと思う。そこまでお人好しじゃないし、赤の他人の為に自分を危険に晒してまで戦ってた気持ちも、よく分からない」
「…」
「でも、母さん達を守りたいと思う気持ちは、今も昔も同じだよ」
「…!」
「だから俺は、茅場雄馬の意思を尊重したい。茅場雄馬が大切にしていた物を、俺も大切にしたいんだ」
数秒の沈黙が流れる。雄馬は俯く母をじっと見つめる
「…知らない」
「えっ?」
「もう勝手にして!馬鹿!」
母はそう言って椅子から立ち上がると、勢いよく部屋から出て行ってしまった
「えぇ…」
まさか母がここまでヒステリックだとは。まるで取り付く島がない。もう家族との良好な関係を築くのは不可能なのだろうか
「ふう…なんとか丸くおさまったな」
父がようやく口を開いたかと思えば、呑気な事を言っている。何もおさまっていないのだが。そんな事を思っていると、雄馬の不安げな表情に気付いた父が笑って説明する
「ああ、母さんな、折れる時はいつもああなんだ。きっと雄馬の言葉が嬉しかったんだろうな」
「あ、あれってOKって事なの?」
「頑固な人だからな。まあ、それは雄馬も同じか。あはは」
「てかお父さん。お母さん追いかけなくて良いの?」
「あ、そうだった。こういう時母さんを慰めるのは俺たちの役割だからな。行こう、美咲」
「はーい。お兄ちゃんまたね」
「あ、うん。また」
「祇園さん、お見苦しい所をお見せしました。ありがとうございます。これからも雄馬を、息子をどうかよろしくお願いします。それでは」
「こちらこそ。出過ぎた真似を致しました。雄馬さんの事はお任せください」
そうして、父と妹は部屋を出て母を追いかけて行った
「ふぅ…」
とため息をつく。何とかひと段落といったところか。まさか祇園が来るとは思っていなかったが、結果うまく話がまとまったから一安心だ
「…良いご家族だな」
「はは。ですね」
部屋には祇園と2人。良い機会だ。この男になら、あの事を話してもいいだろう。仮にもアンラベルの支部長だしな
「あの、祇園さん」
「何だ」
「少し、お話があります」
雄馬は、フラッシュバックした記憶の中で見た光景の事を全て祇園に話した
「…それは、本当か?」
「はい。今祇園さんが着ている軍服と、間違いなく同じ物でした」
「なるほど…加えて刀身の青く光るナイフと言ってたな。確かにそれは間違いないなく、パトリオットにのみ与えられる装具だ」
「じゃあやっぱり…」
「うむ。アンラベル内部に君を襲った裏切り者がいる可能性は高い」
やはりそうか。祇園がその裏切り者と通じている線も可能性としてはゼロではなかったが、この反応を見るにシロと断定して良いだろう
「なるほど。因みに裏切りそうな奴に心当たりは?」
「犯行時のアリバイ等をさらって見ないと何とも言えんが…少なくとも君への襲撃を成功させられるような者はかなり限られてくるな」
言われてみればそうだ。記憶の中では滅多刺しにされていたが、英雄と呼ばれる実力者の雄馬をあれほど一方的に攻撃出来る者なんて、そうそう多くはいないのだろう
「…というか茅場」
「はい」
「お前は、自分を襲った奴がアンラベルに潜んでいるかも知れないと考えていたんだよな?」
「はい。ほとんど確信していましたが」
「ならなぜ、そんな危険な奴がいるであろうアンラベルに復帰する事を、二つ返事で了承したんだ?」
「そんなの、殺すために決まってるじゃないですか。自分を襲った奴を生かしておいたら、いつまた襲われるか分かったもんじゃないですからね」
しばしの沈黙が流れる。祇園は何か考え込んだような顔をして
「…お前、変わったな」
と言って笑った。この男が笑う顔を初めて見た気がする
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます