半魂 〜鎌倉、八百年の呪〜
雨 杜和(あめ とわ)
序章
呪 九暁家の離れ屋ーその1
平成二十六(2014)年四月初旬、午後五時。神奈川県鎌倉市。
相模湾から吹き立った風が鶴岡八幡宮に向かい、
古都の深奥。
竹林に隠された屋敷に一陣の風が吹く。竹が
「
『産湯の儀』に参じた古老は、目を細めて背後を振り返った。
「なにか問題かな」
「いや、よい眺めに興をそぐと思うたまでよ」
そこは仮の分娩室。といっても洋館の離れ屋にある古い和室にすぎない。
母屋はレンガ造りの洋館だが、『離れ家』は年月を経た和風造りだった。
簡易的に設えた分娩室は、四方を紫色の神符で結界をはっている。内部に入れるものは
出産の場に男しかいない。
彼らはみな紫色の
「ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ」
女が苦痛に耐えきれず甲高い声で叫ぶ。
『
天切り、地切り。
禰宜は、ひときわ濃い紫色の斎服に身をつつみ、空を切り裂き、
薄紫の布が宙を舞うにあわせて、風が鳴り、竹が吠え、妊婦のうめき声に重なる。
離れに造営された『分娩の間』では、汗だくになった若い女が、今まさに、見える子を産みだそうと苦痛に悶えていた。
天井から吊り下げた布紐を両手で握りしめ、すわった姿勢のまま、両モモは背中を支える男の手によって大きく開かれ、女陰をさらけ出している。
女の顔は苦痛に歪み、男の胸に背中をあずけたまま、苦悶に泣き叫ぶ。にもかかわらず、男女一対の姿は、どこか美しく幻想的だった。
女のひときわ白い肌をおおう着物の前がはだけ、はち切れんばかりに膨らんだ乳房には青い血管が浮きでている。あらわになった乳房は女が痛みに震えるたびに、大きく揺れた。
男たちしかいない産室で、女は恥辱よりも痛みに耐えかねた。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ……、目、目が、目が、見えません。目が……」
苦痛の声に禰宜の声が重なる。
『
「宿主の目が見えなくなったようだ」
ごくりと唾をのみ、掠れ声を漏らしたのは、女の正面にすわる古老。名を
「見えない者が、来臨された……、かしこみ、かしこみなされませ」
「されば、生まれようぞよ」
女は天井からつるした白い布紐をつかみ、引き絞ぼり、最後の力をつくす。
ふいに、産場のある離れに静寂が訪れた。
先ほどまで呻いていた若い女の、そのまばゆいばかりに白い下半身から血の塊があふれる。その凄絶な姿を見物する男たちは、ごくりと同時に唾を飲んだ。
白い布を握りしめた腕に青筋がたち、下半身からどろりとした血液とともに、赤児の頭部が見える。
女の声が止まった。
静寂。
禰宜は一心に唱える。
『
赤児の頭部が見えてから、女はうめき声は小さくなった。身体が持たないのだろう、苦痛に声を出す力もない。
「いつ、生まれる。あれからまた一時が過ぎたが」
「神子は生を嫌がっておられるようですな」
「不吉なことを申すな」
女は意識を失い、ぐったりとして背を預ける男に身をゆだねた。
「禰宜よ、腹を押せ」
禰宜に扮した白装束の男は、ぎろりとした視線で老人を盗み見た。
意識を失った女は背中を支えて抱く男に、だらりと寄りかかったままビクとも動かない。
禰宜は左右に足を拘束する男に命じた。
「手首の紐を外せ」
命に従って男が白い布紐を握る女の拳を開くと、どたりと床に転げそうになる。それを男は支え、そっと壊れ物を扱うように下ろす。
禰宜は懐から細い刃物を取り出し女の白装束を開いた。女の陰部にあてると、左右に切り裂く。
女は痛みにあげる悲鳴さえも忘れたようだ。
すぐ白足袋を脱ぎ、はだしになった足を、女のへそ辺りに置いた。
足で感触をはかるようにしてまさぐり、次に深く静かに力を入れて腹を押す。じっくりと足が腹にのめり込んでいく。
腹を押された女は、苦痛に目を剥く。
「ぅぐっ!」
断末魔のような叫び声に重なり、するりと血に塗れた赤児があらわれた。
「生まれたか」
「祝なるかな、御子さま、御子さま」
風が鳴った。
雨が激しさを増す。
地に生まれたばかりの赤児を、老爺がうやうやしく抱き上げる。臍帯をつないだまま、途中で動きを止める。産声はない。
「禰宜よ」
「しばし、待たれよ」
腹に置いたままの禰宜の足が再び女の腹を押すと、胎盤が排出された。
古老は胎盤をひきづったまま、雨に赤児を晒す。
血に汚れた皮膚を雨が洗う。赤児は自らの運命を呪うように泣き声を小さくあげた。
古老は赤児の背にある赤紫色の鮮やかな
「神代より待たれし御子がお生まれになった。お印を確認できた」
「確かに薄紫の御印が右背あたりに」
「おお、おお」
その瞬間、絶え絶えになった息の下から、女は掠れ声をあげた。
「……、呪われし煉獄の御子よ……、呪殺せよ!」
おどろおどろしい呪詛の声に、ひときわ高く赤児が泣いた。雨はさらに激しさをまし、稲光が光る。
雷が吠えるように地に轟き、屋敷が土台から揺れた。
(つづく)
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