半魂 〜鎌倉、八百年の呪〜

雨 杜和(あめ とわ)

序章

呪 九暁家の離れ屋ーその1



 平成二十六(2014)年三月末、午後五時。神奈川県鎌倉市。




 相模湾から吹き立った風が、鶴岡八幡宮に向かう段葛だんかずら(参道)を抜け、谷戸やとに流れ、追い立てるように通り過ぎていく。

 古都の深奥。

 竹林に隠された屋敷に一陣の風が届いた。竹がごうと鳴り、幹をしならせる。


公暁こうぎょうどのが……、荒ぶっておるようだ」


『産湯の儀』に参じた古老は、目を細めて背後を振り返った。


「なにか問題かな」

「いや、よい眺めに興をそぐと思うたまでよ」


 そこは仮の分娩室。といっても古い和室にすぎない。


 母屋はレンガ造りの洋館だが、『離れ家』は和風の木造り。

 その設えたばかりの分娩室は、四方を紫色の神符で結界をはっていた。内部に入れるものはみそぎを終えた禰宜ねぎと老人。ほかに大柄な若い男がいた。

 出産の場に男しかいない。

 彼らはみな紫色の斎服さいふくに身を包んでいた。


「ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ」


 女が苦痛に耐えきれず甲高い声で叫ぶ。

 紙垂しでをつけた御幣おんべを左右に振る禰宜ねぎは、おごそかに詔を唱える。


唵阿毘羅吽欠おんあびらうんけん娑婆呵そわか唵阿毘羅吽欠おんあびらうんけん娑婆呵そわか


 天切り、地切り。


 禰宜は、ひときわ濃い紫色の斎服に身をつつみ、空を切り裂き、御幣おんべで穢れを祓う。

 薄紫の布が宙を舞うにあわせて、風が鳴り、竹が吠え、妊婦のうめき声に重なる。


 離れに造営された『分娩の間』では、汗だくになった若い女が、今まさに、を産みだそうと苦痛に悶えていた。

 天井から吊り下げた布紐を両手で握りしめ、すわった姿勢のまま、両モモは背中を支える男の手によって大きく開かれ、女陰をさらけ出している。


 女の顔は苦痛に歪み、男の胸に背中をあずけたまま、苦悶に泣き叫ぶ。にもかかわらず、男女一対の姿は、どこか美しく幻想的だった。


 女のひときわ白い肌をおおう着物の前がはだけ、はち切れんばかりに膨らんだ乳房には青い血管が浮きでている。あらわになった乳房は女が痛みに震えるたびに、大きく揺れた。


 男たちしかいない産室で、女は恥辱よりも痛みに耐えかねた。


「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ……、目、目が、目が、見えません。目が……」


 苦痛の声に禰宜の声が重なる。


唵阿毘羅吽欠おんあびらうんけん娑婆呵そわか唵阿毘羅吽欠おんあびらうんけん娑婆呵そわか


「宿主の目が見えなくなったようだ」


 ごくりと唾をのみ、掠れ声を漏らしたのは、女の正面にすわる古老。名を九暁くぎょう宗十郎そうじゅうろうという。


「見えない者が、来臨された……、かしこみ、かしこみなされませ」

「されば、生まれようぞよ」


 女は天井からつるした白い布紐をつかみ、引き絞ぼり、最後の力をつくす。

 ふいに、産場のある離れに静寂が訪れた。

 先ほどまで呻いていた若い女の、そのまばゆいばかりに白い下半身から血の塊があふれる。その凄絶な姿を見物する男たちは、ごくりと同時に唾を飲んだ。


 白い布を握りしめた腕に青筋がたち、下半身からどろりとした血液とともに、赤児の頭部が見える。

 女の声が止まった。


 静寂。


 禰宜は一心に唱える。

 

唵阿毘羅吽欠おんあびらうんけん娑婆呵そわか唵阿毘羅吽欠おんあびらうんけん娑婆呵そわか


 赤児の頭部が見えてから、女はうめき声は小さくなった。身体が持たないのだろう、苦痛に声を出す力もない。


「いつ、生まれる。あれからまた一時が過ぎたが」

「神子は生を嫌がっておられるようですな」

「不吉なことを申すな」


 女は意識を失い、ぐったりとして背を預ける男に身をゆだねた。


「禰宜よ、腹を押せ」


 禰宜に扮した白装束の男は、ぎろりとした視線で老人を盗み見た。御幣おんべで祓うように足袋をはいた足を叩く。


 意識を失った女は背中を支えて抱く男に、だらりと寄りかかったままビクとも動かない。

 禰宜は左右に足を拘束する男に命じた。


「手首の紐を外せ」


 命に従って男が白い布紐を握る女の拳を開くと、どたりと床に転げそうになる。それを男は支え、そっと壊れ物を扱うように下ろす。

 禰宜は懐から細い刃物を取り出し女の白装束を開いた。女の陰部にあてると、左右に切り裂く。

 女は痛みにあげる悲鳴さえも忘れたようだ。

 すぐ白足袋を脱ぎ、はだしになった足を、女のへそ辺りに置いた。

 足で感触をはかるようにしてまさぐり、次に深く静かに力を入れて腹を押す。じっくりと足が腹にのめり込んでいく。

 腹を押された女は、苦痛に目を剥く。


「ぅぐっ!」


 断末魔のような叫び声に重なり、するりと血に塗れた赤児があらわれた。


「生まれたか」

「聖なる御子さま、御子さま」


 風が鳴った。

 雨が激しさを増す。

 地に生まれたばかりの赤児を、老爺がうやうやしく抱き上げる。臍帯をつないだまま、途中で動きを止める。産声はない。


「禰宜よ」

「しばし、待たれよ」


 腹に置いたままの禰宜の足が再び女の腹を押すと、胎盤が排出された。

 古老は胎盤をひきづったまま、雨に赤児を晒す。

 血に汚れた皮膚を雨が洗う。赤児は自らの運命を呪うように泣き声を小さくあげた。

 古老は赤児の背にある赤紫色の鮮やかなあざを確認して、薄紫の清潔な布に包む。


「神代の代より待たれし神子がお生まれになった。お印を確認できた」

「確かに薄紫の御印が片肺あたりに」

「おお、おお」


 その瞬間、絶え絶えになった息の下から、女は掠れ声をあげた。


「……、呪われし煉獄の御子よ……、呪殺せよ!」


 しずかな呪詛の声に、ひときわ高く赤児が泣いた。雨はさらに激しさをまし、稲光が光る。

 雷が吠えるように地に轟き、屋敷が土台から揺れた。





(つづく)

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