第20話

 杜和は脇目も振らず走っていた。手の中では通話を終えたスマホが死んだように沈黙している。チッと舌を打つと上着のポケットに突っ込んだ。

 歩道はひとが邪魔だ。となれば通る道は限られてくる。ビルの屋上や民家の屋根を構わず踏みつけ、飛び越し、財団の敷地へと直線で進んだ。

 口から漏れる息が夜闇にぽかりと白く漂う。たかだか数分全力疾走したところで尽きる体力はしていない。それは先頭を走る杜和だけでなく、うしろに続く季央や涼二も同様に。

 三人は無言だった。一心不乱に、ただただひたすらに前だけを見据えた。焦燥が胸の中を支配する中、脳裏はまるで雪の日の朝のように妙にクリアだった。

 ちらちらと降り出した粉雪が頬を濡らす。目に入った。それでも拭うことも立ち止まることもしない。一刻も早く誉の元へ駆けつけたかった。


(誉……!)


 いったいなにが起こったのかわからない。なにかの破壊音と誉の悲鳴が聞こえたと思えば、すぐに通話が切れてしまったのだ。もしかしたら誉の指先が画面に触れてしまったのかもしれない。

 なにもわからないが、しかし緊急事態であることは疑いようもなかった。通話が切れたと同時に、杜和は考える間もなく店を飛び出していた。

 心配で、胸が張り裂けそうだ。どくり、どくりと心臓がざわついている。どうか無事でいてほしいと奥歯を噛んだ。

 徒歩で三十分はかかる距離もギフト・ホルダーにかかればものの数分で到着する。財団へとやってきた杜和たちは本部に入ることなく、外から誉の住む寮へと向かった。

 異変が起きたとは思えないほど静かだった。おそらく事態に気づいていないだろう。しかし寮の周辺にギフト・ホルダーがひとりもいないなどありえるのだろうか。そんな疑問は寮に到着してすぐに解決した。

 寮の周辺には数人のギフト・ホルダーが倒れていた。声も上げられず、本部の連中に知らせる時間を与えられることなくやられたようだ。


「ひでぇな」

「相当強いのが来たみたいっすね。このひと、たしか結構強いギフターっすよ。俺より少し弱いくらいの」


 思わずつぶやいた杜和に季央が反応する。「複数犯か?」と涼二が眉間にしわを寄せた。かもな、と答えつつ警戒心を強める。そうして誉の部屋へと向かった。

 誉の部屋には何度かお邪魔したことがある。広くはないが、清潔な印象を与える部屋。それが見るも無残な状態になっていた。ひしゃげたドアの横にはガラスが散乱していて、血の蛇が這ったような跡があった。蛇はドアから出て、少ししたところで途切れている。ここで担がれたかしたのだろう。

 誉は間違いなく負傷している。その事実に腹の奥が煮えたぎって、けれど自身の手が届かないところにいるのが心臓を刻まれたように苦しかった。


「とりあえず三手にわかれて探すぞ」


 涼二がそう仕切る。季央は「わかりました! 俺向こうのほう探します」と返事をするとすぐ駆けていく。壊れた蛍光灯がちか、ちかと明滅する中、涼二が鋭く見つめてくる。


「杜和、心配なのはわかるが少し落ち着け。……絶対に見つけ出して助けるぞ」

「……、ああ」


 涼二が先んじたのを見送ると、深く呼吸をして心を整える。いま一番大変なのは誉なのだ、自分が焦ったところでどうにもならない。むしろ視野狭窄になりよからぬ事態を引き起こすだけだ。


(深呼吸しろ。落ち着け)


 自分に言い聞かせるようにぎゅっと目を閉じて、ふう、ふう、ふうと深く呼吸をする。そうして焦燥感を無理やり押さえつけ、いざ探しに行こうと動き出したところでぶるるとスマホが振動する。

 はっとして確認すると久我からの電話だった。


「はい、もしもし」

『杜和くん、誉くんはどうだった?』

「だめです、連れてかれたあとでした。いま探すところです」

『そうか。……財団のほうへは僕が伝えておくから、きみたちは誉くんに専念しなさい。手伝いが必要ならいろいろ声をかけるから言うんだよ』

「そのときは頼みます」


 誘拐されたのは誉だ。いくら久我から言ったところで財団の動きは遅いだろう、と杜和は確信していた。へたしたら見殺しにする可能性すらある。

 だって財団の連中は知らないのだ、あの日のことを。流風に無理やりヒーリングをされそうになった、いま思い出しても背筋が凍るあの日に起きた出来事を。

 あの日たしかに誉は力を使っていた。それも、マスク越しに。杜和がいままで感じたことのないくらい強力な、アンチ・ホルダーとして力を。


(あれを誰かに見られてた……? だから誉を狙ったのか?)


 わからない。わからないが、そんなのはいまはどうだっていい。大事なのは、杜和の大事な大事な弟分が攫われ危険な目にあっているということだ。そして絶対に見つけ出し、助けるということだ。

 ふんわりと滲む、夕暮れと夜が混ざったような紫色の瞳を思い出す。


(誉……無事でいろよ!)


 杜和は月も出ていない夜の道を、目に光を灯しながら走った。

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