第14話
翌日の昼、一時過ぎ。誉は図書館で本を読んでいた。杜和と訓練をするようになってから少しだけ心に余裕ができたからか、最近はホルダー関係以外にも手を伸ばしている。いま読んでいるのはなにかの賞を取ったというファンタジー小説だ。
ぶるる、とテーブルに伏せて置いていたスマホが数回震える。誰かからメッセージが来たようだ。
【杜和】いまどこにいる?
杜和から送られてきた一文に、ぱっと顔を明るくしながら図書館にいるという旨を返す。杜和が図書館に姿を現したのはそれからすぐだ。
「よっ、勉強中か?」
「いえ、本読んでました」
読んでいた本の表紙を見せる。杜和は完全回復しているようで、嬉しくてついにこにこしてしまう。「なんかご機嫌だな」と頭を撫でられた。
「それで、杜和さんはどうしてここに?」
「ああ、それはな……これだ」
「これ?」
杜和が差し出したのは紙袋に入れられた、丁寧に梱包された箱だった。渡されるままに受け取る。いったいこれはなんだろうと首をかしげた。
「それ、昨日の礼。お菓子が入ってる。おまえも甘いの好きだろ?」
「えっ、そ、そんなの受け取れませんよ!」
思わず大きな声を出してしまい、口元を覆う。小声で「俺のほうこそいつもお世話になってるのに」と言った。返そうとするが杜和は頑として受け取ってくれない。
何度か攻防を繰り返したあと、それなら……と誉はひとつ提案した。
「じゃ、じゃあ一緒に食べませんか? その、杜和さんが忙しくないなら」
上目で伺う誉に、杜和は「忙しくはねえなあ」と言った。
「でもいいのか? それはおまえにやったやつだぞ」
「もちろんいいです。というか、一緒に食べれたほうが嬉しいです」
「そっか。んじゃあ一緒にお茶するか。どっかいい場所あるか? あ、外はさすがに寒くて無理だ」
「ふふ、わかってます」
なにせ誉も杜和も寒がりなので。暖房が効いていて、なおかつ落ち着く場所……と思考を巡らせた誉は、すぐにとある場所に思い至ったけれど、でも、と迷ってしまう。杜和がいやがるかもしれないと思ったからだ。
「なんかいい場所思いついたか?」
「あ、はい、その……」
言いあぐねる誉を杜和が「どこでもいいから言ってみ」と優しく促す。誉は意を決して答えた。
「杜和さんさえよかったら、俺の部屋とかどうでしょう。あんまり広くはないんですが……」
「全然オッケー。むしろいいのか? 俺のこと部屋に入れても」
「もちろん、その……全然オッケー、です」
「ん。じゃあ行くか。案内してくれ」
本を戻し二人で並んで図書館を出る。紙袋は杜和が自然な動作で奪っていった。
自動ドアが開くと鋭い寒気が全身を貫き、自然と身体を守るように背が丸くなり腕をさすっていた。それは杜和も同じようで、彼は大げさなほど身体を震わせている。
「さみぃなあ」
「ですね。早く戻って温まりましょう。部屋にココアがあるので入れますね」
「お、いいな。砂糖たっぷりで頼む」
「ふふ、はい」
ときおり、お互いに肘や腕をぶつけ合いながら本部へと向かった。からり、からりと落ち葉が道路の上を転がって、定期バスに轢かれる。粉々になった落ち葉のくずが、アスファルトのところどころに散乱していた。
「あっ」
本部前で妊婦が小石に足を取られ、転びそうになっていた。まだだいぶ距離があったが、ギフト・ホルダーの身体能力があれば大したことはない。すぐさま杜和が飛び出し、妊婦を支えた。放られた紙袋がアスファルトの上でぐしゃりと潰れる。
「だいじょ――」
「いやああぁぁ。バケモノ……!」
杜和に助けられたはずの妊婦が、悲鳴を上げながら杜和を思いっきり突き飛ばす。そうして自身を守るように抱きしめる姿を見て、誉は「え」と目を見開いた。彼女がなにを言っているのか理解を拒んでいた。
「……」
杜和の表情は見えなかったが、けれどその大きな背中はどこか頼りなく小さく思えた。彼女に触れていた手が力なく横に下げられる。たまらなくなって誉は駆け出した。杜和のもとへと向かうと、彼の背に手を添える。そうっと伺うように見上げた誉に彼は一瞬だけ目を丸くしたあと、ふっと大丈夫だとでも言いたげに微笑んだ。けれどその瞳は悲しげに揺らいでいた。
(杜和さん……)
杜和が傷ついている。化け物と蔑んだ女性の心ない言葉の刃が、彼をどうしようもなく切り裂いたのだ。
この場で自分になにができるのだろうと思った。なにもできない自分が、それでもできること――。誉はするりと背中から手を滑らせると、無言で彼の厚くて固い手を握った。きっといまのようにたくさんの人を守ってきた、ヒーローの手を。
ぴくりと杜和の指が反応した。構わず握ったままでいると、杜和のほうからも力が込められる。
「この子もバケモノになったらどうしてくれるのよ! いや、いや! いやああぁぁ! 気持ち悪い……!」
女性はまるで触れられただけで害だとでも言うように、ヒステリックな声を上げながら自身の腹をさすっていた。
「ママ!」
ふいに幼い声が響いた。声とともに本部から飛び出してきたのは小さな男の子だ。五、六歳だろうか、男の子は必死な顔で「ママ!」と声を上げながら妊婦のもとへと駆けつけた。幼子とは思えない速さだ。おそらくギフト・ホルダーなのだろう。
彼女の息子か、と思ったところで息を呑む驚愕の光景を目撃する。
彼女が幼子を思いっきり突き飛ばしたのだ。まるで暴漢にでも襲われたように、容赦なく。
「近づかないで! あんたみたいなバケモノ、私の子じゃない!」
「マ、ママ……」
「うるさい! 私の子はこの子だけよ!」
悪鬼のようにかっと目を見開いた女性は、やまんばの形相で来客用の駐車スペースに停めてあった車に乗り込む。こんな場所になど一分一秒でも居たくないと、全身で叫んでいた。
ブゥンとエンジンがかかる。子どもが「ママ!」と何度も叫んでいる。けれど無情にも彼女は自身の子どもに一瞥だってくれてやることなく、そのまま去っていった。
呆然としていた子どもは、置いていかれたことがわかったのかしばらくすると泣き出した。ママァ、と彼の泣く彼の声を聞いていると誉まで悲しくなってしまう。
誉は杜和と繋いでいた手を離すと、子どものそばに寄った。涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにする彼の手を引いて本部の中へと連れて行く。ちらりとうしろを見ると、杜和が紙袋を回収しているところだった。
本部内の入り口付近には職員が二人、立ったままこちらを見守っていた。どちらも怒りのような、悲しみのような、それでいて安堵のような、複雑な表情を浮かべている。
女性職員のほうに子どもを渡した。彼女は子どもと手をつなぐと、優しく声をかけながら奥へと向かっていった。けれど悲しげにぐずった声はいつまでもやまなかった。
子どもの泣き声が遠ざかっていく中、もうひとりの男性職員のほうにことの顛末を伺う。職員は愚痴りたいのを無理やり抑え込んだような声音で言った。
「ギフターなんていらないそうです。恐ろしいバケモノだから、自分の子どもに悪影響になりかねないと。あの子も彼女のじつの子どものはずなんですけどねえ……」
職員が無理やり上向きにしたような声で続ける。
「まあ、裏社会に売り払われなかっただけ、彼女は良心的かもしれませんね。……あの子にとっては、財団に預けられようが裏に売られようが大差ないかもしれませんが」
どちらにせよ、親に捨てられたことに変わりはない。家族に存在を否定されたことに違いはない。誉は自身の心臓がずきりと痛むのを感じた。
職員と別れて、当初の目的通り誉の部屋へと向かう。その間、杜和は無言だった。優しい杜和のことだ、あの子の行く先を憂いているのかもしれない。
誉は言葉を選ぶようにして唇を開く。
「……きっと大丈夫ですよ。ここには仲間も多くいますし、もしかしたら、いつか誰よりも大事に思える人ができるかもしれません。悲しくてもつらくても、時間が経てば薄れていきます」
「それは……経験談か?」
「まあ、そんなところです」
杜和の心を少しでも軽くしたくて、晴れ晴れとした微笑みを向ける。難しい顔をしていた杜和は、ややあって「そっか」と同じように笑みを返してくれた。次いで、へしゃげた紙袋を持ち上げながら「ぜってー中で粉々だわ」と重苦しい空気を霧散させるように明るく振る舞う。
「ふふ、食べたら一緒ですよ」
「……おまえ、意外と大雑把だな」
杜和が呆れたように言う。「そうですか?」ときょとんとすると頭を混ぜっ返された。これじゃあまるで鳥の巣だ。クスクス笑った杜和が丁寧に整えてくれる。
途中、自動販売機でいつかとは逆に誉が飲み物を二本買った。不満そうな杜和とは対象的に、誉の心は満足していた。
(あの子にも、できたらいいな)
こうして楽しく過ごせる相手が、いつかあの子の隣にも現れますように。楽しく会話をしながらも、誉は願わずにはいられなかった。
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