第13話

 六時半を回ったころ、涼二から連絡がきた。あと三十分ほどで迎えに来るという。


「あと三十分? そのあとはまた仕事なのか?」

「いえ、それは……わかりません」

「んー、じゃあ俺が聞いてみるわ。もしもう仕事がないならおまえも一緒にうちで飯食ってけよ、っと」


 そう言うや杜和は涼二にメッセージを送った。すぐに電話がかかってくる。


「もしもし、で? どうなんだよ」

『もう今日は終わりだ。社畜じゃねえからな』

『俺も! 俺もいるっす、杜和くーん!』


 電話越しに季央の声が大きく響いた。『うるせえ』『ぎゃんっ』という声がしたあと、『なに食いたい』と涼二が尋ねる。杜和がこちらを振り返った。


「誉はなにか食いたいもんあるか?」

「え、いえ、とくに」

「好き嫌いは?」

「ないです」


 杜和はしばし考え込んでから電話口に「焼き肉にするか」と言った。


(やきにく)


 もちろんテレビで見たことはあるが、実際に食べたことはない。焼き肉といえば牛だろうが、普段は鳥か豚ばかりを食べているのでその点だけでも新鮮だった。


『おまえ、そんなん食えるほど回復したのか』

「まあな。じゃあ頼むわ」

『了解。荷物持ちに季央も連れてくから、そっちも準備しとけよ』

「はいよ」


 やったー、というおそらく季央だろう声を最後に通話が切れた。スマホをテーブルに置いた杜和が「焼き肉にしたけどよかったか」と問いかけてくる。「食べたことないです」と正直に打ち明けるとぎょっとされた。


「まじか。牛肉嫌いだったりする?」

「いえ、それは大丈夫です。その、牛肉は高いので……あまり食べなくて」

「あー、それは、まあ。じゃあ今日は遠慮せずに好きなだけ食べろよ。あいつらどうせめちゃくちゃ買ってくるし」

「あはは、季央くんいますしね」


 彼は何人前を平らげるのだろうと思うと、いまから気が遠くなりそうだった。杜和も同様だったようで、少し遠くを見るような仕草をしたあと、「準備するか」と立ち上がった。

 焼き肉プレートや皿などの準備を終え、マスクもきちんと装着する。しばらくすると二人がやってきた。彼らも誉が焼き肉を食べたことがないと知ると驚いたようだった。

 じゅうじゅうと肉の焼ける音がする。香ばしく、かすかに甘いにおいがふわりと漂った。すんすんと鼻を鳴らしてしまう。焼けた一枚目を「食べてみ」と杜和が誉の皿に乗せた。

 食べてから慌ててマスクを口元に持ってくる。


「! はふ、おいしいです……!」


 肉の甘味と、若干のミルクの香りが鼻孔をくすぐる。いい肉なのか、柔らかくて、口の中にあったものは溶けるようになくなってしまった。


「奮発していいの買った甲斐があったっす。めちゃくちゃうまい!」

「おまえは食べ過ぎ。少しは遠慮しろっつうの」


 杜和が呆れたように言った。予想した通り季央はすごい勢いで食べ進めている。肉も、野菜も、みんなの何倍もの量がその細い身体に収まっていった。

 ある程度肉を食べたあとは、誉はひたすら野菜を食べた。とくに玉ねぎがおいしくて、そればかり食べていると、見かねた杜和が人参やかぼちゃを皿の上に乗せてきた。


「あ、ありがとうございます」

「ん、食べたかったら肉も食えよ」

「いえ、それはもう大丈夫です」


 正直なところ満腹に近かった。もうこれ以上食べられないことがわかったのだろう、杜和は「そっか、ならいい」と言った。


「ええっ、誉くんもういらないの!? 少食過ぎじゃない!?」


 大騒ぎする季央。大食漢の彼からすれば全員が少食になるのではと、誉は少しおかしかった。

 夕飯が終わると、片づけをしてから杜和の家をあとにした。涼二だけでなく季央も一緒だ。


「杜和くんの体調よさそうでよかったっすね」


 季央が膨らんだ腹を抑えながら安堵の息を漏らす。涼二がああとうなずいた。


「誉をあいつのとこにやったのは正解だったな。あいつの家でなにしてたんだ?」

「ええと、お昼ごはん食べたり、話したりしました」


 あとテレビを見たり、と言ったところで、涼二が眉をひそめた。


「もしかしてあのニュース、見たか」

「あのニュースって……」

「狂信者が起こしたやつだ」


 ああ、と思い出す。狂信者の声と、民衆の好き勝手な暴言。いやな気持になりながらも「はい」と答えた。「そうか」となにやら考え込む素振りを見せた涼二は、顔を上げて口端を上げる。鋭くも、優しさの滲む瞳で誉を見やった。


「……杜和だけで見てたら絶対体調崩してた。あいつはああ見えて繊細でな、うだうだ悩みやすいんだ。だから、おまえがいてくれて助かった」


 ありがとうなと言われて、頬が赤くなる。自身の存在が杜和のためになるなら、こんなに嬉しいことはない。

 ぽやぽやする誉をよそに、季央は憤慨したような声を上げる。


「あのニュース! ほんっとむかつくっす。なにがバケモノだよ、俺らだって頑張ってるのに!」

「まあノーマルから見た俺らなんてあんなもんだろ。俺らギフターが表立って行動することなんてほとんどねえんだからな」


 吐き捨てるような涼二のその言葉にはてと思う。誉は首をかしげた。


「そうなんですか? 消防とか警察とかにも協力要請されるって聞きますけど」

「まあな。でもそれだってギフターが絡んでるときの一部だけだ。つねに協力してるわけじゃねえ。そもそも消防にも警察にも財団に所属してないギフターがいるから、俺ら財団所属のギフターは基本的には不要なんだよ」

「へえ、そうなんですね」

「ああ。それで俺ら財団のギフターがなにしてるかっていえば、裏社会関係が多いか」

「裏社会……」

「そうだ。調査したり……いろいろな。まあどのみち完全な裏方で、表にはでねえ仕事だ」


 へえとうなずきつつ、ふと気になって涼二を見上げる。


「杜和さんも、そういう仕事を?」

「ああ。あいつは強いギフターだし、頼りにされてた。本人も責任感の塊だからな。……たしか何年か前にもでかい案件に関わってたぞ」


 詳細は知らないし、そもそも知っていたとしても話せないという。それはもちろん、と話を終えたところで、季央が苛立ちを抑えられないふうに口を開いた。


「なんかむしゃくしゃしたらお腹減ってきたっす! 誉くん、途中でコンビニ寄っていい?」

「え、あ、はい……もちろん」

「こうなったらやけ食いだ! 誉くんも一緒に食べよ」

「えっ」


 さっき食べたばかりなので腹などまるで減っていないのだが。たとえ家についたところで腹に空きができるとは思えないほど満腹であるし。

 はあ、と涼二がため息交じりに言う。


「おまえひとりで食ってろ」

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