第12話

 とりあえず無為に時間を過ごすのも憚られ、なにより部屋にいてはまた何度もスマホを確認してしまうため、誉は図書館へ向かうことにした。天気がいいので、道中は気分転換にもなるだろう。

 マスクをしっかりとつけたのを鏡で確認し、ノートや筆箱が入ったカバンを背負うと家をあとにした。

 昼休憩中だからか本部内はそこそこひとの気配があった。誉は縮こまるようにして廊下の隅っこを歩く。流風と会いませんように、なんて思いながら。

 あ、と自然と立ち止まった。流風の取り巻きのひとりが、向かい側から歩いてきていた。しばらく立ち止まったのち、誉は再び歩を進め始める。どうやら流風はいないようだ。

 取り巻きが横を通り過ぎる。彼に見つられたのがわかって、誉は目を伏せたまま軽く会釈をした。彼は終始なにも言わなかった。もちろん誉のことを罵倒したりはしない。

 これは彼だけでなく、もうひとりの取り巻きもそうだ。裏ではどうであれ、彼らは流風の目があるところ以外で進んで誉のことを悪しざまに言ったりはしなかった。

 だから誉は彼らに対してとくに苦手だとも思っていなかった。呆れられてはいても、敵意がないとわかっているからだ。それはギフト・ホルダーの職員に対しても同様だった。

 それでもやっぱり呆れられ、見限られているのはつらいので、積極的に話しかけようとは思わないのだけれど。


「誉」


 本部を出たところで声をかけられた。低く、淡々とした声音。見上げるほどの大きな背丈。「涼二さん!」と誉は彼の元へ駆けていった。


「どっか行くのか」

「はい。図書館に」


 そうか、と静かに口にした涼二に、そうだと思いつく。杜和が忙しい原因を彼ならば知っているのではないだろうか。なにせ彼らは幼馴染みなのだから、誉には知らされないことだって知っているかもしれない。


(……それは、少し、いやかも)


 そんなことを考えたとたんにはっとして首を左右にぶんぶんと振った。「どうした、突然」と涼二がぎょっとする。誉は「い、いえ、なんでもないです」と慌てて笑ってごまかした。

 彼らの関係に一瞬でもいやだと思ってしまった自分が許せなかった。

 誉はいまだにもやもやしている胸の内を無視して、「あの……涼二さん」と問いかける。


「なんだ?」

「その、杜和さんって今日なにかあったんですか?」


 意を決した問いに対する答えは、しごくあっさりしていた。


「ああ、ちょっと寝込んでる」

「えっ、寝込んでる、って、もしかして風邪ですか?」


 思いもよらない答えにもやもやなど一気に吹き飛んでしまった。誉の心情より杜和のほうがよっぽど大事なのだ。


「あー、いや……」


 涼二は言おうか言うまいか迷っている様子で口ごもった。ややあって、ため息交じりに言う。


「昨日ギフターに襲撃されてな。負傷したんだよ」

「そ、そんな……」


 愕然とした。まさかそんなことになっているなんて思うはずがない。同時に先程までのもやもやがぶり返し、さらには悲しくもあった。そんな状況を誉は「忙しい」の一言で済まされてしまったのだ。

 きっと杜和のことだから、誉に迷惑をかけまいとしたのだろう。けれど、それでも頼られたかった、教えてもらいたかったと思うのは誉のわがままなのだろうか。

 顔を青くして、しゅんと肩を落とす誉に涼二が「おまえがよかったら」と切り出す。


「看病しに行ってやってくれねえか、図書館に行ったあとでもいいから。もちろんあいつの家までは俺が連れて行く」


 誉は顔を上げた。願ってもないことだった。けれど、どうしてそれを誉に言うのだろう。もしかして涼二は忙しいのだろうか。

 それに杜和は迷惑ではないのだろうか。ぐつぐつと不安が湧き上がった。杜和は心配だが、迷惑ならば行くべきじゃない。

 誉はちろりと彼の目を見ると、正直に尋ねた。どうして、と。迷惑じゃないですか、と。

 それに対して涼二はふっと口端を上げた。優しく、穏やかな、人を安心させる笑みだった。


「迷惑なわけあるか。……あいつ、おまえと知り合ってから妙に調子がいいんだ。本気でおまえのこと気に入ってんだな」


 ぱっと頬が熱くなる。嬉しかったからだ。ほかでもない涼二にそう評されたことが。


「俺は忙しくて行けねえ。送り迎えはするから、ただあいつのそばにいてやってほしい」


 無理か、と問われぶんぶんと首を横に振った。


「俺でよければいくらでも」


 すると涼二は破顔した。


「おまえがいいんだ。……じゃあ図書館から出るときに連絡くれ。迎えに行く」

「あ、いえ。図書館に行くのはいつでもいいので、その……涼二さんさえよかったら、いまからでもお願いします」

「そうか。じゃあ行くか」

「はい」


 杜和の家はとまり木の向こう側にあるらしい。いつも逆方向なのに、外で遊ぶときは送り迎えをしてくれていたのかと、申し訳なさとともにそこまでしてくれたことが嬉しくて、むずむずとした感情が湧き上がった。

 途中でとまり木に寄って、開店前の久我に会った。そこで杜和への見舞いの品を預かり、涼二とぽつりぽつりと会話をしながら目的地へと向かう。

 涼二とふたりきりで話すことはなかなかない。始めはどこかお互いに気を這っていたが、杜和や季央という共通の話題で盛り上がり、杜和の家まであっという間に到着した。

 涼二が季央のことを「意外と狂犬気質」と言っていたことは最後まで理解できなかった。

 杜和の家はとあるマンションの五階の角部屋だった。火事などの際に、飛び降りれる高さだから選んだと涼二に聞いた。さすがギフト・ホルダーだと感心しきりだった。

 誉たちを出迎えた杜和はすこぶる体調が悪そうだった。涼二は部屋に入ることなく「じゃあ頼むな、また迎えに来る」と言い残し帰ってしまった。

 部屋に入るなり、杜和は青い顔を申し訳なさそうにする。


「涼二に言われてきたんだろ? 悪い」

「いえ、その……大丈夫、じゃないですよね」


 青白い顔にはガーゼなどの治療のあとが見える。手にも包帯が巻かれていてなんとも痛々しかった。息が荒いとも思ったので、もしかしたら熱が出ているかもしれない。


(とりあえず、休んでもらわないと)


 お邪魔します、と小さな声でつぶやくと、杜和の傷に障らないよう心がけながら彼を支えて奥へと進んだ。

 青と白を基調とした家具が置いてある広いリビングの真ん中には、大きなダークブルーのソファがあった。その上にはくしゃくしゃの毛布があり、ここでいままで寝ていたのだろうと思う。

 杜和をソファに座らせると、誉は彼のすぐ横の床に膝をついた。いつになく朧気な彼の闇夜の目を見上げる。


「ご飯とか食べましたか?」


 そういえば自身も食べていないことを思い出した。とはいえたいして腹が減ってはいないのだけれど。


「や、作るのめんどくて」


 杜和の声にも覇気がなかった。そのあまりの弱々しさが心配で誉は眉を下げながら提案する。


「その、よかったら作ってもいいですか?」

「……気遣わなくていいぜ?」

「俺がやりたいんです。いつも、お世話になってばっかりだから……」

「んん、そんなん気にしなくていいのに」


 ふう、とだるそうに熱い息をはいてから、杜和が空元気を絵に描いたように笑う。


「まあ、じゃあ頼むわ。うまいの期待してる」

「ええっ、あんまり過度な期待は……」

「はは、ウソウソ。……誉が作ってくれるやつならなんでもいいよ」


 誉は杜和の空元気に乗ることにした。あまり過度に心配されるのはいやだろうと思ってのことだ。

 杜和に眠っているように言うと、キッチンに立った。冷蔵庫の中身を確認して、消化にいいものがいいだろうと、薄味の卵雑炊を作ることにした。

 できあがると鍋と器をリビングへと運ぶ。「一緒に食おう」と杜和に誘われ、彼と向かい合って食事をとった。そのころには杜和の顔色は多少よくなっていた。


「うま。誉は料理できるんだな」

「えと、その……少しだけ」

「謙遜すんなって。ほんとうまいし、なんつうか誉が作った料理って感じ。優しい味がする」


 直球で褒められて赤面してしまう。なにも言えなくなった誉が無言で雑炊を頬張る中、杜和は何度も「うまい」と褒めてくれた。

 そうして食事が終わると、いつものようにマスクをつけようと思ったのだけれど――。


「それ、そのまま外しとけよ」


 そう杜和にマスクを取り上げられた。


「家の中までそれじゃあ疲れんだろ。ま、訓練の一貫ってやつだ」


 でも、と小声で抵抗するが、もし少しでも体調が悪化したらそこで終了ということを条件に押し切られてしまった。

 始めは必要以上に小声で話してしまい、「ノン・ホルダーだったら聞こえねえぞ」と笑われてしまった。杜和の体調を見ながらではあるが、少しずつ会話を続ける。そのうちにいつもの訓練のようにぽんぽんと弾むように話していた。


「無理してないですか」


 体調は悪くなさそうだが、というよりこの部屋に訪れたときよりもだいぶよさそうだが、それでも心配でたびたび聞いてしまう。


「大丈夫だ。むしろ話してるうちに元気になってきた」

「ふふ、ならいいですけど」


 お世辞でも嬉しいし、気晴らしになれたのならよかったと誉は微笑んだ。

 そうこうしているうちに室内が茜色に染まり、あっという間に窓の外には闇夜が広がる。時計を確認すると六時が回ったころだった。

 杜和がテレビをつける。音量はとても低かった。とてもじゃないがギフト・ホルダー以外には聞き取れない。


「聞こえねえだろ、上げてもいいぜ」


 誉は小さく首を左右に振った。


「いえ、テロップがあるので平気です」


 杜和は時間が合うときは、いつもニュースだけは確認するという。ギフト・ホルダーにはそういう人が多いらしい。


『次のニュースです』


 アナウンサーが言った。


『天ノ咲市内にて狂信者による傷害事件が発生し、その後駆けつけた警察官に現行犯逮捕されたとのことです』


 テレビ画面にギフト・ホルダーを称える男の映像が流れる。


『ギフターはすばらしい存在だ! それを貶めるあのゴミどもに制裁を加えてなにが悪い! アンダー! 神を堕落させる悪魔に死を!』


 男は引っ立てられながらも笑顔だった。狂気じみた顔をこちらに、カメラに向けていた。

 狂信者――ギフト・ホルダーを神と崇める者たち。たびたび彼らはこうして事件を起こす。そして彼らはアンチ・ホルダーを、悪魔と、――ローレライと呼んだ。


(悪魔、か……)


 場面が移る。現場を目撃していた人に対するインタビューのようだ。全員、足元だけが写っている。


『本当に怖かったです。アンダーの人を助けようとしたノーマルにも攻撃し始めて』

『ああいうのがいるの、ほんとにいやですよね。ギフターもなんだか怖いし』

『ギフターが神って……バケモノの間違いじゃ』


 ブツッとテレビを切った。ギフト・ホルダーを蔑むような、貶めるような言葉なんて聞きたくなかった。ましてや杜和の前で。

 突然電源を落とした誉に、やがて杜和が声をかける。


「おまえは優しいな。……ありがとう」


 優しいのは杜和だと思う。誉は優しくなんてない。だってただ自分がいやだったからああしたのだ。自分本位でしかない。


(ああ、ほんと、散々だ)


 杜和とこうして一緒にいられるのは、とても嬉しい。しかし杜和は体調不良だし、あんないやな事件は起きる。

 十二月四日。誉の誕生日。

 あまりいい誕生日ではなかったなあ、まあそれはいつも通りか。なんて思いながら、誉は目を伏せた。

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