第7話

 まだ夏の名残のある十月半ばの午後四時過ぎ。クーラーの効いた部屋で、誉は杜和と向い合せになるようにしてソファに座っていた。

 杜和と訓練するという許可が取れた二日後のことだった。さっそく訓練することになり、本部のロビーで待ち合わせて訓練場まで並んでやってきたのだ。

 いくつかある部屋の内の、一番奥の部屋。そこは誉が訓練で使っている、ソファとテーブル、壁に掛けられた銀縁の安っぽい時計以外なにもない小部屋だ。

 いつもは部屋に入るたびに憂鬱な気持ちになる訓練が、今日ばかりはどこか楽しみに感じられて。そんな浮ついたままじゃだめだと、何度も顔を左右に振ることになった。杜和には「なにしてんだ」と笑われてしまって、浮かれた自分が少し恥ずかしい。


「そういえば、今日は涼二さんはお仕事なんですか?」

「ん? おう、あいつも強いギフターだからなあ。忙しいみたいだ」

「へえ、そうなんですね」


 そんな雑談を交えつつ、お互いに落ち着いたところで「じゃあさっそくマスク外してみてくれ」と切り出された。


「は、はい……」


 この瞬間はいつだって緊張する。呼吸が早くなり、鼓動も弾む。いやな汗が、流れる。杜和は誉がどんなにもたついたって急かしたりせず、じっと見守ってくれた。

 恐る恐るマスクを外し、ローテーブルの上へと置いた。


「なんか話してみ。能力使ってな」


 なんて言えばいいのだろう。

 なにも思い浮かばず、とりあえずなにか言わなければと思った誉は、目の前にいる人物――つまり「とわさん」とその名を呼んだ。もちろん自分ではアンチ・ホルダーとして意識して力を込めたつもりだ。

 カチッカチッと時計の秒針が動く音だけが響く。

 ややして杜和は困ったようにぽりぽりと頬をかいた。


「いま使ってみた?」

「つもり、ではあります」

「んー……なんも変化ねえなあ」


 杜和は自身の耳に触れ、「よく聞こえる」と言った。やっぱりだめだったのだ。

 誉はしゅんとして肩を落とした。その肩にテーブル越しに伸ばされた杜和の温かい手が触れる。ぽんぽんと慰めるように叩かれた。


「まあまだ始めたばっかりだし、そう落ち込むなよ。どんだけ時間かかっても最後までつき合うからさ」

「は、はい。よろしくお願いします」


 そう言って笑みを見せたときには、誉の心の中にはまだどこか余裕があったのだ。

 けれどそれから毎日訓練をし、十日ほど経ってもなんの成果もなく。毎日訓練につき合ってもらっているのにどうしてなのだろう。どうして自分はこんなところで足踏みをしているのだろう。なんで、どうして。自分のだめさ加減にほとほと嫌気が差す。もともと地を這っていた誉の自身への期待は、粉々にくだけてしまった。


(やっぱり俺は落ちこぼれなんだ)


 だからこんなにもだめなのだ。ひたすらに不甲斐なかった。杜和の貴重な時間を無駄にしていることがただただ心苦しい。胸が張り裂けそうで、泣いてしまいたかった。

 十月二十七日。今日もまた訓練は不発に終わった。焦燥感と諦念とでしょげかえる誉に杜和が声をかける。


「なあ誉」

「は、い……」

「とりあえず一回訓練のことは忘れるか」

「え?」


 もしかして杜和もいい加減呆れ果てたのだろうか。ショックを受けるのと同時に、それも仕方ないかとも思う。だって杜和だってきっと誉がこんなにも出来損ないだとは思わなかったのだろう。攻める気などないし、そんな資格もなかった。

 けれどそれはどうやら違っていたらしい。

 杜和はテーブル越しに誉の手を取った。熱を伝えるように、その大きな手のひらで包んでくる。大丈夫だ、と言われているみたいだった。


「どっか出かけたり、話したりしてさ、まずはお互いのことを知る期間を設けようぜ。こういうのは信頼が大事だったりするし。なにより、こうやって閉じこもってばっかじゃつまんねえだろ?」


 気分転換しようと彼は笑う。


「それに、せっかく知り合ってダチになったんだ、俺はもっと誉と仲よくなりてえって思うよ。誉は違うのか?」


 そんなの、違うわけがない。誉はぶんぶんと首を横に振った。ぱさぱさと頬を髪の毛が打つ。


「違わない。違わない、です。杜和さんと、もっと仲よくなりたい」

「ん。なら決まりだな。未制御者でも監督者がいれば敷地からも出られるし。ちょっと上にかけあってくるわ」

「えっ、いまからですか?」


 あまりに早い展開に目を丸くする。いくらなんでも急展開過ぎる。けれど杜和はそうは思わないようで。


「おう、こういうのは早いほうがいいだろ? んじゃあちょっと行ってくる」

「あっ」


 まるで風のようだった。言うやいなや出ていってしまった杜和を見送ることしかできず、誉はひとり、そわそわしながら待つこととなった。

 それからしばらくして戻ってきた杜和は開口一番「とりあえず三十一日は空けとくように。ハロウィンな」と言った。つまりは許可が取れたのだ。


「ハロウィン、ですか」

「そ。おまえに紹介したい人がいるんだ。喫茶店経営してんだけど、ちょうどその日はイベントやってるから。涼二も来るらしいし楽しみにしとけ」

「きっさてん」


 ハロウィンも喫茶店も知識としては知っている。けれどどちらも馴染みのない言葉で、ふわふわとどことなく浮ついている単語だと思った。

 いや、違う。

 わくわく、そわそわ。不安と期待で雲のようにふわふわと掴みどころのないのは、ほかでもない自分自身だった。

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