第6話

 一週間ほど涼二と出会った時間に本部のロビーを張っていたけれど、状況は芳しくない。そろそろ杜和に相談してみようか……。訓練後、帰路につきながら、そんなことを考えていたときだった。

 ロビーにて杜和の姿を見つけた誉はぱあっと顔を明るくして駆け寄った。「杜和さん!」と声をかけたところで、彼の隣に人影がいるのに気づき立ち止まる。あれ、あの人は。


(この間の人だ)


 思いがけない邂逅に目を丸くする誉に、杜和が「よ」と快活に片手を上げた。次いで不審そうな表情を浮かべる。


「おーい、誉、どうした? 石化してんぞ」

「あっ、こ、こんにちは」


 はっとして彼らのそばに寄る。間違いない、一ノ瀬さんだ。誉はどきどきしながら杜和から涼二へと視線を移した。がばっと頭を下げる。


「あ、あの、あの日助けてくれてありがとうございました。その、一ノ瀬さん、ですよね?」

「ああ。……つうか、おまえが誉か」


 まじまじと眺められ困惑してしまう。


「え、と、俺のことご存知なんですか?」

「こいつに聞いてる」


 そう言って杜和を指した涼二は淡々と続ける。


「あとオレのことも名前でいいぞ。堅苦しいのは苦手だ」

「は、はい。よろしくお願いします」


 軽くお辞儀をしたところで杜和がなにやら不満げに「なんだよ」と言った。まるで企みに失敗した子供のような表情だ。


「二人とも知り合いだったのかよ。せっかく俺が紹介しようと思ってたのに」

「この間偶然な」

「熱中症の俺を医務室まで運んでくれたんです」

「えっ、熱中症って大丈夫だったのか!?」


 ぎょっとした杜和が肩を掴んでくる。誉はこくんと大げさなくらいしっかりとうなずいた。杜和はしばし誉のことを眺めたあと、「ったく、気をつけろよ」と深く息をついた。


「はい、ありがとうございます。……それで、その、お二人はどういう関係なんですか?」


 仲がいいのはもちろん見ていればわかるけれども。目配せし合ったかと思えば、杜和が晴れやかな笑みを浮かべて涼二の肩へ腕を回した。


「こいつは幼馴染みなんだよ。親友ってやつ?」

「まあ、腐れ縁だな」

「そうとも言う」

「へえ、そうなんですね……」


 そのとき「誉くん」とうしろから声をかけられた。振り向いた先にいたのは訓練担当の職員の、ノン・ホルダーのほう。彼は誉の目前までやってくると、杜和たちに軽く会釈をしたあと切り出した。


「誉くん、まだいてくれてよかった」

「なにかありましたか?」

「はい、申し訳ないんですが、今週の訓練の予定はキャンセルになりましたので、そのつもりでお願いします」

「あ、はい……わかりました」


 それだけを告げるともう用はないとばかりに職員は戻っていった。


(なにか急な予定でも入ったのかな)


 じつのところこういうキャンセルはよくある。まあ大した成果を挙げられない誉の優先順位は低いので、仕方のないことなのだろう。もう諦めていた。


(あ……)


 じ、と杜和に見られていることに気づき思わずたじろいでしまう。慌てて誤魔化すように「予定がなくなっちゃいました」と笑った。傷ついていると思われたくなかった。

 杜和は怒っているとも悲しんでいるともつかない複雑な、なんとも言えない難しい顔をする。


「予定ってなんのことだ」


 そう聞いてきたのは涼二だ。「あの職員は訓練って言ってたが……」と疑問に思っている。

 誉は十五歳。本来ならとっくに制御ができていないとおかしい年齢だ。だから思い至らないのだろう、能力の制御ができないだなんて。マスクでわかるかなとも思うが、もしかしたらオシャレだと思っているのかもしれない。

 うしろめたかった。恥ずかしくて、とてもじゃないけれど真正面から言うことなんてできない。誉は顔を伏せると決して涼二のほうには視線をやらないようにしながら口を開いた。


「その……、俺まだ能力がうまく使えなくて。それで週に何度か訓練があるんです。……まあ今週はなくなっちゃいましたけど」

「そうなのか」


 涼二はそれだけを言うと黙ってしまった。「涼二? どうした」という杜和の困惑混じりの声に誘われるようにして、誉は恐る恐る顔を上げた。涼二を見やると、彼はなにやら考え込んでいる様子で首を捻ってしまう。いったいどうしたというのだろう。誉は思わず杜和と顔を見合わせた。

 ややあって涼二が「ひとつ提案なんだが」と言った。


「提案、ですか?」

「ああ。その訓練の相手、杜和じゃだめなのか」

「え……」


 思ってもみない提案に誉は目を丸くし、石化した。杜和はぱちぱちと目を瞬かせている。


「俺?」

「ああ。……まあ杜和はいいとして、誉のほうは無理か?」

「俺はいいってなんだよ、勝手に決めんじゃねえっての。もしかしたらだめかもしんねえだろ」

「ああ? だめなのかよ」

「いやいいけど」

「じゃあ黙ってろ」


 冷たく跳ねのけた涼二が真剣な眼差しを向けてくる。どうやら嘘や冗談で言っているのではないらしい。でも、本気だとしたらどうしていいのかわからない。判断がつかない。


「誉」

「っ、は、はい」

「おまえはどうなんだ」


 涼二にそう問われる。おまえは、どうなんだ。どうなんだろう、自分はどうしたいのだろう。誉は一生懸命に思考を巡らせる。

 いつもの訓練を、杜和とする。ほかでもない優しくて、大好きな杜和と。きっといつも以上に頑張れる。それはとても素晴らしい提案に思えた。

 けれど同時に思い出す。あの、なんの成果もない訓練を。職員の呆れたような、路傍の石でも見るような、なんの期待もしていない冷たい視線を。

 職員たちだってはじめからそんな態度だったわけではない。根気強く接してくれた者だっていた。けれど誉が度を越した落ちこぼれだったから、つき合いきれなくなったのだ。

 杜和と訓練することになったとしたら、誉は彼の貴重な時間を無為に消費してしまうことになる。きっと杜和は変わらず接してくれるだろうけれど、そんなのは自分が許せなかった。


(……だめだ)


 優しい杜和を自分なんかにつき合わせてはいけない。誉は肩を落とした。


「その、すごくありがたいです。でも、俺の一存で決められることでもないし、それに……」

「ああ」


 たどたどしくも本心を、精一杯の言葉で紡ぐのを涼二も杜和も静かに聞いてくれた。類は友を呼ぶ。優しい人の友だちは優しいのだろう。

 誉は彼らの優しさに勇気づけられるようにして話を続ける。


「俺、ほんとに、その……落ちこぼれなんです。いくら訓練してもらってもできなくて、どうしていいのかもわかんなくて……、すごく、迷惑かけちゃいます。だから……」

「――あのなあ、誉」


 断ろうとしたのを遮った杜和は、仕方ないなあとでも言いたげに目尻を下げた。


「できねえからやるんだろ。どうしていいのいかわかんねえなら一緒に考えりゃいい。いまできなくても、もしかしたら明日はできるようになってるかもしれねえ。そんなのうだうだ考えることじゃねえぞ」


 くしゃり、くしゃりと柔らかく頭を撫でられる。


「おまえがいま考えなきゃいけないのは、俺が相手じゃいやかどうかってことだけだ。自分で言うのもなんだけど、俺結構強いギフターだからさ、優良物件だぜ。……まあ、ヒーリング受けられねえっていう不良物件でもあるけどよ」


 笑いながらそうつけ加える杜和。「それは言わなくていいだろ」と涼二に肩を叩かれている。


(俺がいま考えること……)


 もちろん杜和が相手でいやなわけがない。むしろ、これ以上ないくらい嬉しい。しかし誉に利点があっても杜和に利点などない。ただ無為に時間を浪費するだけだ。


「その、杜和さんはいいんですか」

「ん? 俺?」

「はい。その……迷惑じゃないかな、って、わぁっ!」


 突然杜和に髪の毛をかき混ぜられた。びっくりした誉にくくっと笑うと、鳥の巣にしたまま彼の手は離れていく。


「迷惑だったら最初から無理って言うって。ここのところ時間ができたからな、俺にとってもちょうどいいんだ」

「そう、なんですか?」

「おう。だから俺のことは気にすんな」


 からりと、杜和はいつものように晴天のような笑みを浮かべた。ひとつの懸念が消え、ほっとする。

 静観していた涼二が、あとひと押しというふうに口を開く。


「もしかしたら訓練してるうちに、こいつもヒーリングに対して忌避感がなくなるかもしれねえしな」


 あれ? 誉はその言葉でふと思った。

 そもそもヒーリングを拒絶してしまう杜和に制御訓練をお願いしてもいいのだろうか。彼にストレスを与えてしまうのではないだろうか。


(それは、だめ。絶対)


 現状はいいかもしれない。なにせ誉はヒーリングどころか満足に能力を使用することすらできない。だけれど、だからといって後回しにはできない問題だと思う。


「あの」

「ん? 決めたか?」

「はい。……その、お願いしたい、です。でも、ひとつだけ約束してほしいことがあります。その、訓練を頼む俺が言うのも烏滸がましいかもですが」

「ん、いいよ。なんだ? 約束って」


 言ってみ、と杜和に優しく促される。話を聞く前に了承するのはやめたほうがいいと思ったが、いまはいいだろう。誉はごくりとツバを飲み込んだ。絶対にこれだけは引かないと、強い視線を杜和へと向ける。


「あの、もし訓練でいやな気持になったりしたらすぐに中止してくださいね。杜和さん、具合悪くなるって言ってたし……我慢は絶対にしないでほしいです」


 杜和が弱音を吐くタイプではないのは少ないつき合いの誉でもわかっている。だから念を押すように言った。杜和は目を瞬かせるとうんうんとうなずいた。


「おう。そのときはちゃんと言う。……でも具合の悪さもいいパロメーターになると思うんだけどなあ」

「絶対にやめてくださいね」

「絶対やめろ」


 はあとため息をついた涼二は、誉に「もしこいつが無茶してそうなら俺に言え。本人がなんて言おうとな」と拳を握ってみせた。いざというときは殴ってでも止めるということだろうか。

 いやそうな顔をする杜和を尻目に、誉は何度もうなずいた。

 その後は三人で財団の上層部に話を持っていった。ただの内輪だけの話にしないために。

 そしてあっさりと許可が下り、めでたく誉は杜和と訓練することになったのだった。本来なら訓練にはノン・ホルダーが同席しなければならないのだが、今回の件に限っては免除された。誉の現状から考えて必要ないと判断されたのだ。


「これからよろしくお願いします、杜和さん」

「おう、こちらこそよろしく。気楽にやろうな」

「はい! 頑張ります!」

「ふは、んな気負わなくていいって」


 わしゃわしゃと頭を撫でる手が、優しい夜空の瞳が、やっぱり好きだと思った。

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