episode.54 孤城のライオン



「うっ……」


 トオルは砦の中に入った途端、鼻のもげそうな匂いに顔を歪めた。肉の腐ったような匂いと排泄物の刺激臭だった。

 ケンシンも珍しく口で息をしている。


「おや……トオル様これは」


 一方で冷静なギニはロビーに並んだ死体に目を向けていた。2人1匹はライオンの住まうこの砦の中は血みどろ、凄惨な光景が広がっているかと思ったがそうではなかったのだ。死体から匂いは出ているものの、綺麗に並んで上には布がかけられていたのだ。まるで、その様は死者を弔っているかのようだった。


『トオルくん、その死体にもう少し近づける?』


 イヤホンから結衣の声がして、トオルは言う通りに近づいてみた。


「何者だ」


 ぐっと心臓に響くような低い声にトオルは立ち止まる。ロビーの奥、王座の方から感じる視線は強く、そして物悲しいものだった。

 かちゃり、かちゃりと爪が石にあたる足音、暗闇から姿を現したのは大きなくたびれたライオンだった。


「トオル様、さがってください」


 ギニが落ちていた槍を握ってトオルの方へ駆け寄る。しかし、ライオンは戦う姿勢を取らずにトオルの前に腰を下ろし、頭を垂れた。


「あぁ、不可思議な格好に白く大きな乗り物を連れた。貴方様が我が呼んだ救世主様。どうか、どうかこの国をお救い下さい」


「貴様……何を!」


 ギニは槍を向けて威嚇するが、ライオンはトオルに服従のポーズをとったまま動かなかった。槍の鋒がライオンに触れてもなお、彼は攻撃の姿勢を取らなかった。


「ギニ、話を聞いてみよう」


「トオル様、何を……?」


「おかしいと思わないか? さっきの死体、みんな布が被せられててそれに血が飛び散ってない。もしも、このライオンが彼らを降ろしたなら爪や牙でつけられた傷があるはずだろ? それに、こいつは何も食ってないみたいにガリガリだし……」


 ギニはトオルの話を聞くと槍を床に置いて、トオルを守るように彼の前に立った。


「あぁ、ありがとう。ギニ」


 ライオンの言葉にギニは「名前を呼ぶな」と唸った。するとライオンは悲しそうに尻尾で床を叩く。


「あの日、聖者の魂がこの国に来た日。全てが変わってしまったのです。あの幇助区は美しいだけではない、人々を変えてしまうのです」


「そんなことを言って、同情を誘ってあれを手にするつもりだろう?」


「ギニ、信じてほしい。あれは宝玉なんかじゃない。呪物なんだ。あんなものを献上させた俺が……間違っていたんだよ」


『トオルくん、スピーカーにできる?』


 結衣の声にトオルはイヤホンを外してスマホを取り出した。結衣が挨拶をするとギニとライオンは音のなるスマホを見て目を丸くした。


「救世主様、その四角いものは話ができるのですか? 結衣様……見えておられますか。ギニと申します……?」


 ギニは混乱しつつもなんとか受け入れ、ライオンの方はそれをじっと見守っていた。


『もしかして、あなたはオブリーニさんでは?』


 結衣の質問にライオンは涙をぽろぽろと流した。そして


「あぁ、救世主様。結衣様。そうでございます。俺こそがこの国の国王、オブリーニです」


「お言葉ですが、結衣様。なぜそのようなことを。我々の王がこのような肉食獣の姿をしているはずがない!」


「ギニ、聖者の魂は持つものを狂わせる。戦争の火種となり、その美しさに魅了されたものたちはおかしくなる。君も知っているだろう? この城にライオンがやってきた……いや、俺がライオンの姿に変えられた時、村長たちは仲間達のことよりも宝玉を奪い返すことを1番の目標にした」


 ギニが何かに気がついたように息を呑む。


「トオルくんたちのことをずっと見ていたんですけど、ここの国の人たちは何か、そうね……純粋な悪意みたいなものに満ちているように感じました。ケンシンちゃんのことを閉じ込めた時だってそう」


 結衣の言葉にトオルはミーシャが話してくれたことを思い出した。


——えぇ、トオル様も先ほどの彼らをみて感じたでしょう? 彼らはあまりにも見た目や種族にこだわりすぎるのです。この数ヶ月、そうですね……あの砦が占拠されたくらいから——


「じゃあ、あの人たちが見た目とか種族とかにこだわるようになったのも宝玉の影響?」


「トオルくん、私の仮説はそう。それと……オブリーニ様がライオンになってしまった経緯についてお話ししてほしいわ。そうしたら、もっとわかるかもしれない」


「待ってください、救世主様、結衣様。自分には彼がオブリーニ様であると確証がもてません」


 ライオンは立ち上がるとギニにそっと近づいて彼の左手にほおづりをした。


「ギニ、君は幼い頃……雨季の川で逃げ遅れたミーシャを濁流の中から救った事があったね。その時、君は濁流の大岩にぶつかって今も左手が動きにくいことを教えてくれたね。ミーシャが聞くと気にするから、俺とギニだけの秘密だと言って」


「あぁ……オブリーニ様」


 ギニは緊張の糸が切れたように腰を抜かすと涙を拭った。目の前にいる旧友おん変わり果てた姿に涙したのか、それとも彼が生きていたことに涙したのかはわからない。


「にゃにゃっ!」


 突然、ケンシンが砦の入口の方に向かって走り出すと短い悲鳴が聞こえ一同に緊張が走る。しかし、程なくしてプレーリードッグの獣人・ミーシャを背に乗せたケンシンがみなの前に姿を現した。


「ごめんなさいっ、私どうしても皆んなが心配になって……全部聞いていました。本当に、あなたはオブリーニ様なの? ギニ、その左手のことは後で話しましょう。黙っていたことも含めてよ」


 男泣きをしていたギニだが、突然のミーシャの登場に顔を真っ赤にして挙動不審になる。


「ミーシャ……あぁ」


「ってことで、このライオンさんが元々はウサギの王様ってことがみんな分かったんであれば話を聞きますかね。意義はないっすね?」


 トオルはギニ、ミーシャ、オブリーニの顔を交互に確認する。3人は小さく頷いた。




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