第7話


 王家の中庭にある温室に、マクシミリアンはリリーナを連れて訪れていた。

「今回の件は大変だったね。リリーナ嬢」

 温室内にあるベンチに腰を下ろすと、マクシミリアンはそう口を開いた。

「マクシミリアン殿下こそ、この度は大変ご迷惑をおかけいたしました」

「気にしないで。オレ、リリーナ嬢が傷ついている姿を見るのがとても歯がゆかったんだ」

「え……?」

 マクシミリアンの言葉にリリーナは目を見開いて驚いていた。

「実はその……小さい頃からリリーナ嬢に憧れていたんだ。当時勉強嫌いだったオレと違って、王子妃教育でダンスや礼儀作法を一生懸命に学ぶ姿勢が、とても格好良くって、オレも頑張ろうと思えた。それにどんどん綺麗になっていくリリーナ嬢の隣にいるジャミル兄上がとても羨ましかった」

 一番目と二番目の兄は殊更優秀だったが、四番目の兄、アレンも勉強ができる方だった。そんな兄達に囲まれていたマクシミリアンに周囲は期待して教育を施したが、マクシミリアンはやる気を失ってしまったのだ。

 そんな時、マクシミリアンは王子妃教育に励むリリーナの姿を見かけた。

 ダンスも、礼儀作法も綺麗で、教師への受け答えもはっきりとしている。それに加え、彼女は王族ではない。そんな彼女の厳しい教育に向かう姿が格好良く見えたのだ。

 彼女に憧れを抱くようになってマクシミリアンは王宮での勉強を頑張った。それこそ、リゼル学園の教育内容を予習し、のんびり過ごすことができるくらいには。

 しかし、自分がいくら努力しても、自分の隣には彼女はいない。いつかリリーナと結婚する兄が羨ましかったし、正直妬ましかった。

 リゼル学園に入学してから兄がリリーナを蔑ろにしていると聞いて、憤りを感じたのを今でも覚えている。

 手助けしたくても、下手に首を突っ込めば、王位継承争いだの痴情のもつれだのと騒ぎ立てる輩が現れてしまう。それは国王である父だけでなく、彼女にも迷惑をかけることになる。

「兄の身勝手な行動で傷つくリリーナ嬢を手助けできず、学園の温室でもお菓子を食べながら世間話しかできない自分がとても情けなかった。でも、こうして婚約者として貴方を守る立場が得られて、オレはその……」

 長い間、片思いをこじらせていたせいか、なかなか次の言葉が出てこない。だんだん、頬が熱くなっていくのを感じていると、不意に手を取られた。

 驚くまま彼女の方を見ると、リリーナはマクシミリアンに優しく微笑んでいた。

「マクシミリアン殿下は、お菓子を食べながら世間話しかできないご自分が情けないと仰っていましたが、それだけでもわたくしはとても救われました。それにジャミル殿下を諫めきれず、後悔ばかりするわたくしに、思いを振り切るきっかけを下さったことに感謝しています」

 何度か温室で逢瀬を重ね、マクシミリアンはリリーナに思い切って『兄上を捨てて自分と婚約して欲しい』と伝えた。

 自分なら彼女をこんなに悲しませない。彼女が人よりも努力したように、自分も彼女の為に努力する。なんなら兄も蹴落とすと覚悟を決めた。

「……リリーナ嬢。あの時、オレの告白に頷いてくれてありがとう。オレは一生かけて貴方を幸せにする努力をする」

「はい。わたくしも……末永く貴方にお仕えいたします」



「いいぞ~~~~~~~~~っ! もっと私に二人の幸せを浴びさせろ~~~~っ!」

「ステイシー……」



 オペラグラスを片手に歓喜の雄叫びを上げるステイシーの横で、アレンが呆れた声を漏らしていた。

 しかし、そんなアレンのことなど気にせず、不敬にも彼の肩をバシバシと叩いた。

「見てください! アレン殿下! 最高のハッピーエンドじゃないですか! 小説のネタに使えますよね! これ! アレン先生の次回作に決定ですよね!」

「こーら、ステイシー。落ち着きなさい」

 今、ステイシーはジェーンの姿を解いて、王宮の中庭にあるツリーハウスの中にて、リリーナとマクシミリアンの様子を見守っていた。手汗握る初々しい二人のやり取りにステイシーはわくわくうきうきが止まらない。

 アレンに協力を頼まれてから、ステイシーはアレンの脚本を元にマクシミリアンとリリーナをくっつけるべく行動を起こした。

 グロウズ家への協力依頼し影を総動員させ、自身も駆けずり回り、噂や会話誘導などを用いてマクシミリアンをせっついたり、リリーナと二人きりになる機会を作ったりした。それに加えて証拠集めや指紋採取なども行っていたので自分の身体が後三つほど欲しかったほどである。

 ジャミルは、リゼル学園から監視の目が行き届いた他国の学校へ留学が決まっている。卒業後は手ごろな家へ婿入りさせることになるだろう。ディアナはすでに彼女の父親と話がついており、自主退学という形でリゼル学園を離れ、修道院へ入る手続きを行った。

 これにて、一件落着である。

「はあ、幸せです。良かったですね、リリーナ様……」

「もう、ステイシー。あまりジロジロ見るのははしたないよ」

 オペラグラスを取り上げられ、ステイシーは「あ」と声を上げる。

「殿下~! 返してください~! これは私のご褒美なんですから~!」

「だーめ。いくらなんでもこれ以上は、ボクの良心が痛むよ。マクシミリアンだって頑張ったんだから、二人だけの思い出にしてあげよう?」

「でもでも! マクシミリアン殿下やリリーナ様だけでなく、アレン様のお願いの為に私はもーっと頑張りました! 労いの意味も込めて、二人の幸せをもっと浴びてもいいはずですー!」

 オペラグラスを取り返そうと、必死に手を伸ばす。互いに座っているとはいえ、アレンは自分よりも手足が長く、ステイシーがただ手を伸ばすだけでは届かない。

 かくなる上は、アレンの肩に手を置き、彼の身体を跨ぐようにして膝立ちをする。もう少しで手が届くと思った時、ステイシーの身体がぐらりと大きく傾いた。

「だーめ」

「きゃっ」

 そのままアレンに覆いかぶさるようにして倒れ込み、アレンはステイシーの背中に腕を回した。

「労いならボクがしてあげるからさ。ほら、ステイシー。頑張ったねー」

 彼はオペラグラスを手が届かないところに放り、その空いた手で頭を撫でる。

(この労いはちょっと違うといいますか、なんと言いますか……)

 そう思いながらも抵抗する気も起きず、ステイシーはアレンに身体を預けて彼の労いを享受した。

 耳元で聞こえるアレンの心音に心地よさを覚え始めた頃、アレンは頭を撫でるのを止めて、ステイシーの髪を弄び始める。

「ねぇ、ステイシー? どうして君は人間観察が好きなの? なんというか、まるで小説を読んで楽しむみたいに」

「前にも言ったじゃないですか。個人への興味関心が薄い私が自分の価値観や感性を養うためです」

「きっかけはなんだったの?」

「アレン殿下ですよ」

「え?」

 ステイシーは何事にも淡々と、粛々と影として教育を受けてきた。そして、それなりに上手くいっていたのだ。正直、兄よりも覚えが早かったと父親から聞いている。

 ただ、あまりの興味関心の薄さに、周囲から浮いてしまわないか父は心配だったようだ。そんな時、ステイシーに病弱な第四王子の話し相手兼護衛の任を与えられた。

「アレン殿下と初めて顔を合わせた時、なんかこう落ち着かなかったんですよね。一緒にお茶をして、話ししたり、遊んだりする度に胸がざわつくような感覚がしたんです」

 今でもよく覚えている。あの頃のアレンは病弱で、ステイシーはよく彼の話し相手になった。ステイシーがアレンの為に何かする度に彼は喜んでくれた。それが嬉しいという感情だと今のステイシーは分かるが、あの頃は何も分からなかったのだ。

「ずっとその答えがでなくて悩んでいた時、お父様が観劇に連れていってくれました。現実の大人達と違って、役者は表情豊かなに感情を表現するじゃないですか。それで私はようやく自分の感情を知れたんです。アレン殿下と一緒にいた時の感情は嬉しいっていうことなんだって。だから私は、今も自分の感情を知るために人を観察しているんですよ」

 しばらくして、彼の仮初めの婚約者として役目を与えられ、自分が知らない感情がたくさん現れるようになった。

 自分ではなく父や兄を頼ったのではないかという不満や、こうして抱きしめられている時の安心感も、なぜ自分がそう感じているのか分からない。

「殿下と一緒にいると、分からない感情がいっぱい出てきますが、少しずつ分かるようになって私はとても嬉しいんです」

「……今、ボクがこうしているのは嫌?」

「いいえ」

「そう……」

 彼はゆっくり体を起こし、ステイシーは彼の膝に乗るような形で落ち着く、そのうち、彼が顔を近づけてきた。

(ああ、また額をくっつけるのかな?)

 そう思って少しだけ顔をあげると、アレンの唇と自分の唇が重なる。

「……………………?」

 触れるだけの口付けだったが、ステイシーの頭の中は一瞬で真っ白になった。

 一体、どのくらい唇を重ねていただろうか。彼の顔が離れた時もステイシーは身動きもできなかった。

(一体、今私の身に何が起きたの? え? ええ?)

「ステイシー?」

 彼は嬉しそうにして、自分の指にステイシーの髪を絡めた。

「今、どう思った?」

「え? え? ええっと……わかりません。頭の中が真っ白です」

「そう。じゃあ、ステイシーが大好きな人間観察だよ? どうしてボクは君にそんなことをしたと思う?」

「え、わかりません……セクハラですか?」

「違うよ」

 アレンはそう苦笑すると、ステイシーを再び抱き寄せた。

「あのね、ステイシー。君はいつかボクとの婚約を解消させられて、ボクが他のお嫁さんをもらうと思っているみたいだけど、君はボクと結婚するんだからね?」

「で、でも、サイアンローズ家は実在しない公爵家で……」

「そろそろ本物の主を用意しておかないと怪しまれるから、ボクが婿入りって形で継ぐと助かるんだって。ステイシーはグロウズ家の子だし、当時のボクは病弱だったからね。人柱にはちょうどよかったんだって」

 そんな話は聞いていないぞ。

 アレンに抱きしめられながら、一人むくれていると、ぽんぽんとあやすように背中を撫でられる。

「だからね。今度は婚約者のフリじゃなくて、本当の婚約者として末永くよろしく頼むよ。ボクの可愛いジェーン」

「……はーい」

 不満げに返事をしつつも、アレンの背中に自分の腕を回したのだった。

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趣味:人間観察と情報収集 特技:隠密、読唇術、会話誘導、時々王子の婚約者 こふる/すずきこふる @kofuru-01

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