第5話


 ジャミルとディアナのロマンス劇は人目も憚らず繰り返され、新たな波乱を呼ぶことになった。

 ディアナが一人きりになったのを見計らい、令嬢達が嫌がらせをするようになったのである。

 ぱしゃりと水を浴びせかける音が裏庭に響いたと同時にディアナの悲鳴が上がった。

「何をするの!」

 水は上から降って来た。ディアナが顔を上げると、その犯人の姿は見えず、笑い声だけが聞こえてくる。

「最悪。こんな姿じゃジャミル様とお会いできない……」

(とか言いながら、ジャミル殿下にお会いするんですよね? 知ってます!)

 その光景を盗み見していたステイシーは、彼女の奇怪な言動を大喜びして手帳に書き記す。

 ここのところ、勃発しているディアナへの嫌がらせは、一見リリーナが関わっていると思われたが、彼女の派閥とはまったく関係のないところで起きていた。そもそもの原因は、ディアナへの嫉妬が一割、ディアナの言動にイラつくのが一割、ディアナの自作自演が八割である。ディアナに嫌がらせする二割の生徒はリリーナとディアナの仲が悪いことにかこつけて行っているのだ。

 それを受けてリリーナ派閥の令嬢は、ディアナに関わることなくリリーナを守ることに徹している。どうやら、リリーナに付いている影達が率先して動いているようだ。

 先日、フレベル公爵が動いたと連絡が来たので、王家の影達も胃をキリキリさせて働いていることだろう。

 なんたって、このディアナ・オーシーは想定よりも面の皮が厚く、大胆で、強かな女だった。

 彼女は濡れた制服を見るなり、低く唸った。

「思ったより濡れてない……」

 おそらく、彼女達は小さな花瓶程度の水を上から落としたのだろう。肩口からスカートの裾に向かって細い線のように濡れている。

「どうせなら、バケツで水を掛けてくれたらよかったのに……追加しよ」

 そう言って彼女は裏庭にあった池の水を自分にかけると、嬉々としてその場を離れて行った。

「はぁ~、ディアナ・オーシーは本当に観察し甲斐がありますね~」

「ステイシー?」

 オペラグラスを取り上げられ、ステイシーが顔をあげると、不機嫌な顔のアレンが隣に座っていた。

「ボクが隣にいるのに、なんでディアナ・オーシーばかり見てるの?」

「殿下こそ、今日の私は婚約者じゃないので、わざわざ一緒に過ごさなくていいんですよ?」

 今日はジェーンではなく、ステイシーとして過ごしている。そして、非番なので護衛は他の影に任せてステイシーはのびのびとしていた。

 アレンは不機嫌そうに目を細めると、小さくため息をついた。

「ジェーンじゃない君とも一緒に過ごしたいに決まってるだろ? 君はボクの護衛で婚約者なんだから、ボクのことを見ててくれないと。ね?」

 アレンはあざとく小首を傾げるが、ステイシーはにこやかに返した。

「護衛の私も婚約者の私も、今日は非番です!」

「ずるい。王子のボクにも非番が欲しい。そうだ、今日がその非番にする」

 アレンは勝手なことを言って、ぴったりステイシーにくっつく。なんというか、大型犬に寄り添われている気分だった。

(なんか、今日はやけに甘えん坊ですね……)

 軽く寄りかかられ、押し返すように態勢を整える。

「殿下~、護衛はどうしたんですか~?」

「殿下のボクは非番だから、護衛はいないよ」

(また撒いてきましたね)

 仕方ない王子様だと呆れつつも、彼が疲れているようにも見えた。

 王位継承争いから外れているとはいえ、王子である彼は常に誰かに見られている立場だ。王子にも非番があってもいいだろう。ステイシーが彼の頭をそっと撫でると、不意に身体が軽くなったかと思えば、アレンが体重をかけ始めた。

(重っ!)

 一応鍛えているとはいえ、完全に油断していた。そのまま押し倒されて、アレンがステイシーに覆いかぶさる。しかも、ステイシーの両手首を掴み、スカートを膝で抑え、完全に押さえ込まれた状態だ。

 アレンは上機嫌でステイシーを見下ろす。

「ステイシー、捕まえちゃった」

「なんでそんなニコニコなんですか?」

「なんでだろうね? そうだな、当ててごらん? ステイシーが大好きな人間観察だよ」

「人間観察って言われても……うーん」

 恋愛小説で男性が女性を押し倒す時は、ヒロインを庇ったり、キスシーンだったりする。

 しかし、アレンとステイシーはそんな甘い関係ではないので除外する。

 ずっと答えが出ないステイシーに、なんのイタズラか、アレンはぐっと身体を近づけてくる。

「?」

 徐々に徐々に二人の距離が縮まっていき、互いの額が合わさった。

「はい、時間切れ~」

「え~」

 アレンは身を起こしてステイシーを解放すると、不貞腐れたように唇を尖らせた。

「もう、ステイシーは少し無防備だよ? 本当に影なの?」

「アレン殿下が相手じゃなければ、油断はしませんよ」

「え?」

 アレンが豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして固まる。

「どうかしましたか?」

「あ、ああ。なんでもない……ところで、なんで非番なのにディアナ・オーシーを観察してるのさ?」

「アレン殿下の婚約者をお守りするためですよ?」

「ジェーンを?」

「はい。どうやら、ディアナ・オーシーは一連のいじめをリリーナ様とジェーン様に押し付けようとしているらしいです。リリーナ様は守ってくれるご友人がいますが、ジェーン様は違いますからね」

 本当に肝の太い女である。上流貴族に濡れ衣を着させようとするなんて。

 しかし、王家の守りは固い。そして、ジェーンが無実である証拠も自分できちんと押さえていた。

「最近では自作自演でいじめられたと主張しています。本当によくやりますよ」

「恐れ知らずだね……」

「ところで、リリーナ様のことでお父様とお兄様に何をお願いしたんですか?」

 先日、リリーナがアレンに礼を述べていたことに対して、ステイシーは彼に言及できていなかった。

(私を通さず二人に頼るなんて~)

 恨みがましく睨んでやれば、彼はきょとんとした顔をする。

「え? 何のこと?」

「リリーナ様にお礼を言われていたじゃないですか。リリーナ様を守るためにお父様とお兄様に頼ったんじゃないですか?」

「ステイシー、もしかしてリリーナに妬いちゃった? それとも父兄にお仕事を取られたと思った?」

「ちーがーいーまーす~。殿下の担当は私です。私を介さずに担当外に頼んだら、私の信用問題になるんですよ」

「ああ……そういうこと?」

 どうやら、そこまで考えが至らなかったらしい。彼は手をぽんと叩くと、ステイシーの頭を撫でた。

「大丈夫だよ。ボクの可愛いステイシー。ボクはキミを手放すつもりはない。それにリリーナについてのことだけど、僕が渡した情報を基に、君の父兄が彼女の守りを強化しただけだよ」

「なぜ殿下が?」

「この間、陛下を通じて君の父兄に情報提供を求められたんだ。『うちの子が独自に持っている情報を私達に教えて欲しい』って。ステイシー、情報提供を拒否したんだって? ダメじゃないか」

「……提供した情報ってもしかして、小説のネタ用のアレ⁉」

 アレンは静かに頷いた。

(な、なんてことを!)

 そもそもあれはアレンの新作を読みたいがために、恋愛から政治的なあれこれまで一通りかき集めたものだ。

「きょ、拒否したんじゃありません! 情報を精査して必要なものをお渡ししたんです!」

 根も葉もない噂も入っているというのに、それを仕事として提出するのは憚られた。アレンにそのまま渡せることができたのは、小説のネタに使えるという理由だけだ。

(殿下が私の情報を横流しするなんて~)

 内心でむくれていると、アレンがつんとステイシーの頬を突いた。

「ねぇ、ステイシー? ボク、ちょっと困っていることがあるんだけど、助けてくれない?」

「命令でなければ応じかねます。今日は非番ですし」

 ぷいっと顔を逸らすと、彼はクスクス笑いながら、ステイシーの頬に手を伸ばす。

「意地悪なこと言わないで。ステイシーにも悪くない話だと思うよ?」

「悪くない話……ですか?」

 アレンはステイシーの髪を耳に欠けると、そのまま耳元で甘く囁いた。

「ねぇ、ステイシー? 特等席で人が不幸になる瞬間を見たくない?」

「……!」

「絶望で顔を歪める男女の姿を見たくない?」

「ううっ……!」

「自らの手で自分の子どもに罰を与える親の苦悩を浴びたくない?」

「んぐぅ……」

 すぐに「はい」とは返事ができなかった。

 自分の趣味と喜びが道徳的に反していることは分かっている。分かっているからこそ、簡単に返事をしてはいけなかった。

 もう一声! そんな意味を込めて、一本指を立てるとアレンの笑みが深まった。

「有力な後ろ盾が見つからず、その上優秀な兄達が目立つおかげで王位継承争いの土俵にも上がれず、おまけに好きな女性が苦しむ姿を見ることしかできなかった男が、好きな女性も後ろ盾も手に入れて、ようやく日の目を浴びる瞬間を見たくない?」

「見たいです!」

 人の不幸を浴びるのも好きだが、人の幸せを浴びるのはもーっと大好きなステイシーは、すぐさま答えるのだった。

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