第2話


 ステイシー・グロウズには、もう一つの顔がある。

 それはジェーン・サイアンローズという実在しないアレン第四王子の婚約者だ。

 幼い頃のアレンは身体が弱い上に、第四王子という中途半端な立場だった。すでに強い後ろ盾になりそうな貴族はすでに兄達と手を繋いでおり、新しく見繕うには難儀した。

 そこでグロウズ家に依頼し、実在しない令嬢を作り上げた。それが、ステイシーが演じるジェーン・サイアンローズ。グロウズ家が彼女に演技を叩き込むことになった理由だった。

 元々凡庸な顔立ちのため、化粧をすれば別人のようになれるし、体系も変えられる。染粉で髪の色を変え、口調や仕草を上流貴族らしくすれば、出来上がりだ。

 サイアンローズ家は、大昔、グロウズ家が作り上げた王家の遠縁の貴族だ。サイアンローズ家の実情を知っているのは、王宮でも限られた者のみである。

 時折、訳アリの王族なんかが与えられる家名でもあった。

 ステイシーはリゼル学園で二重生活をしており、実はステイシーでいるよりジェーンとして過ごしている方が多かったりする。

「今日も素敵だね。ジェーン」

 授業が終わり、ジェーンとなって王宮に足を運んだステイシーは、アレンに迎えられる。

「お褒めの言葉授かり光栄ですわ、アレン様」

 上流貴族らしく上品に微笑むとアレンは満足気に腕を差し出した。

「では、行こうか」

「はい」

 今日は、ジャミルとリリーナを交えてお茶会を行う予定だった。

 これはジェーンとなった時から続いている月に一度の恒例行事となっている。

「ん?」

 いつもの庭園にたどり着くと、そこにはジャミルの他にリリーナの席に座るディアナの姿があった。

 まさかの事態に動揺したのか、アレンがステイシーへ視線を送る。

『どういうこと?』

『知りません』

 ステイシーの仕事は情報収集と護衛だが、ジェーンとして二重生活をする上で補佐が付いている。その補佐からは何も連絡を受けていないので、ディアナがいることに大した問題はないということだけは分かった。

 アレンがジャミルに声をかけようとすると、こちらの気配に気付いたディアナが振り向いた。

 そして、大きな桃色の瞳を輝かせて立ち上がる。

「こんにちは、アレン様ぁ~! ディアナ、とてもお会いしたかったですぅ~!」

 甘ったるく間延びした口調でアレンに声をかけた彼女は、どうやらステイシーを視界にも入れてないようだった。

(わ~~、気持ちいいほどのあからさまな無視は久しぶり~~)

 一体、彼女は何を考え、どんな気持ちでそんなことをしているのか、ステイシーはとても興味がある。しかし、今のステイシーは公爵令嬢。相手にしないのが正解だろう。

 アレンも彼女を華麗に流してジャミルに目を向ける。

「ジャミル、リリーナは?」

「アレン様ぁ~、無視しないでください~」

 そう言って、アレンに触れようとしたディアナの手をステイシーは持っていた扇子で叩いた。骨組みが柔らかいので痛くないだろうが、とてもいい音がした。

「いったーいっ! 何するの!」

 叩かれた手を大袈裟に庇うと、彼女は目に涙を浮かべてステイシーを睨む。

(ようやく目を向けましたか……)

 個人に関心があまりないステイシーだが、今の自分はアレンの婚約者、ジェーン・サイアンローズ。上流貴族として許せないディアナの振る舞いに、ステイシーは自分の婚約者を守っただけだ。

「見てください、ジャミル様ぁ! そこの子に叩かれたんです!」

 彼女はジャミルに泣きつくと、彼はステイシーを睨みつけた。

「おい、ジェーン。ディアナに何をするんだ。彼女の手に跡が残ったらどうする?」

「むしろ、何をしたのか見ていなかったのですか?」

「何?」

 ステイシーは扇子を開き、口元を隠すとにっこりと微笑んだ。

「彼女はアレン殿下の許可も得ずに話しかけ、名前を呼び、あまつさえ触れようとした。幼子でも分かる不敬を犯したと言うのに、ジャミル殿下は咎めないどころか、理解出来ていなかったのですか?」

「なっ⁉」

 みるみると怒りで顔を赤く染めるジャミルを無視して、ステイシーはディアナに目を向ける。すると、彼女は小さく震えていた。

「ご、ごめんなさい! ジャミル様の弟だって聞いて、親近感湧いて、私……」

 しかし、その上目遣いはステイシーではなく、何故かアレンに向けられている。

(怒っているのは私なのに、なんでアレン殿下に媚び売ってるのかな~~? その媚びは婚約者のいない男に大安売りしてくださ~~い!)

 ステイシーは興味がないと言わんばかりに視線を逸らし、無視を決め込む。

 徹底した公爵令嬢演技にアレンは苦笑し、改めてジャミルに訊ねた。

「ジャミル。リリーナは?」

「おい、お前もディアナを無視する……」

「リリーナは?」

 ジャミルの言葉にかぶせて訊ねると、彼は舌打ちをした。

「どいつもこいつもリリーナ、リリーナって……あいつは来ない。その代わりにディアナを呼んだんだ」

「そう……じゃあ、今日のお茶会は中止だね。ジェーン、悪いね。せっかく来てもらったのに」

「リリーナ様に会えなくて残念ですが、仕方がありません」

「お、おい! 何勝手に話を進めてるんだ!」

 突然、ステイシー達が解散の空気を作ったことに、ジャミルが慌てる。

(何を慌ててるのかしら……?)

 いつもはさっさと終わらせて欲しいという態度をとっていたのに、なぜか今日はお茶会をする気満々らしい。一体、何の心変わりだろうか。

 アレンに視線を送ると、彼はため息を漏らした。

「この月一のお茶会は婚約者を交えて交流を図るためのものだろ? リリーナがいないなら中止するしかないじゃないか」

「だから、リリーナの代わりにディアナを連れてきただろ!」

「ジャミル、彼女は君の婚約者じゃない。彼女はリリーナの代わりにはならないよ。ボクやジェーンが同席を認めることで、対外的に知らせたいのだろうけど。彼女を婚約者にしたいなら、こんな姑息な手を使わずに父上に進言しなよ」

 分かっていないステイシーとは違い、アレンはジャミルの考えを察していたらしい。

 このお茶会にリリーナの代わりにディアナを出席させ、アレンとステイシーがジャミルの婚約者としてディアナを認めたことにさせたかったようだ。

(うわぁ~、姑息~)

 彼女が国王に認められないと分かっていて、外堀を埋めようとしたのだろう。危うく巻き込まれるところだった。

「君が学園でどう過ごそうが勝手だけど、ボク達を巻き込まないで。それじゃあ、ボク達は別の場所でお茶をするから。行こう、ジェーン」

「はい、アレン様」

 アレンの腕を取った時、ディアナと目が合う。

 結局、アレンもステイシーも彼女の名前を一度も呼ぶことはなかった。これが上流階級の人間が作る身分の壁というやつだ。ステイシーがふっと鼻で笑ってやると、彼女が分かりやすく苛立ったのがよく分かった。

(あら、顔に出やすいところも同じで案外お似合いなのかも……)

 彼女の新たな一面を発見し、ステイシーは内心でにんまりするのだった。

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