趣味:人間観察と情報収集 特技:隠密、読唇術、会話誘導、時々王子の婚約者

こふる/すずきこふる

第1話


 貴族の子女が通う名門校、リゼル学園。ここに通う学生は、社交界デビューに向けて、卒業までに貴族の名に恥じない教育を施される。

 紳士と淑女を教育することを目的にしているとはいえ、多感な年頃の少年少女が集まるのだ。六年制の学生生活で、何も問題なく終わることはない。教師陣は大事な生徒を預かっている以上、キリキリする胃を抑えて教鞭をとっていた。

 そんな教師達最大の胃痛の種は、中庭の四阿にいた。

「ディアナ、愛している……」

「ジャミル様ぁ~、私もですぅ~」

 昼休みの最中、まだ学生が多く行き交う中庭で、抱きしめ合うのは、この国の第三王子のジャミルと男爵令嬢のディアナ・オーシーだ。

 中庭は実習棟と本校舎を繋ぐ渡り廊下があるため、誰もが気まずそうに脇を通り過ぎる。

 そんな中、ジャミルがディアナに唇を近づけようとして、彼女がやんわりと制した。

「ジャミル様ぁ~、皆さまが見ています。恥ずかしいですわ~!」

「何を言っている。私はお前との仲を見せつけたいんだ」

「ジャミル様ぁ~」

 頬を赤らめたディアナへジャミルが再び顔を近づけた。


「はぁ~~~~~~~~~~~っ! すんばらしいです~!」


 それを遠目で見ていたステイシー・グロウズは歓喜の声を上げた。

「王族と男爵令嬢の身分差恋愛! まるで恋物語のよう~!」

 お手製のオペラグラスを片手に必死に手帳に書き込みながら、ステイシーは頬を染めた。

「越えられない壁に苦悩する男女が育む愛! まさかリゼル学園で直接浴びることができるなんて思いもしなかったです~! 学園、最高~~~~~~~~~!」

 ステイシー・グロウズは、代々王家の影を務める伯爵家の生まれである。どこにでもいるブロンドの髪、緑色の瞳、平凡な顔立ちは一族誰もが称賛する凡庸な容姿だった。

 そんなステイシーの趣味は、人間観察と情報収集である。そんな彼女にとって、多感な少年少女が集まるリゼル学園は、まさに楽園であった。

 幼い頃から叩き込まれた気配遮断、会話誘導、読唇術、手練手管、速筆、変装術、全てを用いて野次馬し、人の話に聞き耳を立てて、ネタをかき集めていた。

「はぁ~、素晴らしい。私の価値観が養われますわ~」

 ステイシーは一族の中でも変わり者だった。

 グロウズ家は生まれた子の性質に合った影に育成する。しかし、彼女はあまり物事に関心がなかった。何かに興味関心があった方が熟達するものだが、彼女はそれなりに卒なくこなす。しかし、彼女にもできないことがあった。それは演技だ。

 ステイシーは人に興味がない。それ故に姿形は似せられるが、その人物の行動を似せることができなかった。

 そんな彼女に転機が訪れたのは、変装や演技の勉強の為に観劇に連れて行ってもらった時の事。

 貴族の恋模様を描いた脚本、演出、役者の演技に感銘を受け、初めて人間というものに興味が出た。

 彼女は演技や人の行動にも興味が出た故に、今まで培った技術を用いて人間観察するのが趣味となったのだった。

「はぁ~、満たされる……」

 恍惚とした表情で野次馬を続けていると、横からオペラグラスをかすめ取られる。

「またやってるの、ステイシー?」

 そこにいたのは、銀髪碧眼の美少年。この国の第四王子アレンだ。彼は第三王子ジャミルの双子の弟である。

 二卵性双生児の為、野性味あふれる精悍な顔立ちのジャミルとは違い、儚げな美少年の風貌をしていた。

 アレンとは、ステイシーが彼の護衛の任を付いてからの仲だ。

「あら、アレン殿下。ごきげんよう~。また護衛を撒いてきたんですか?」

「ごきげんよう。堅苦しいのは嫌いでね。君にも会いたかったし……」

 喜色満面の笑みを浮かべるステイシーに、アレンは呆れながらもオペラグラスを覗き込んだ。

「まぁ~たジャミルの逢引きを盗み見してるの?」

「滅多に浴びられない身分差恋愛ですよ! 楽しまないと!」

 これにはアレンも苦笑いだ。身内の恋愛事情など見たくないのかもしれない。

「楽しむって……何を?」

「それはもう、二人の内に秘めた想いや周囲の気まずさ、口さがない令嬢達の噂話、王族の奔放さに胃を痛める教師の気持ちを考えるだけで、私はバケット二本食べられます!」

「お腹壊すよ、ステイシー」

 和やかな言葉を返すが、アレンの表情は良くない。ため息を漏らして、ステイシーの隣に腰を下ろすと、持っていた手の平サイズのノートを差し出した。

「はい。これ約束のヤツ」

「きゃあ~~~~~~~~~~っ! 待ってました! アレン先生の新作!」

 アレンに手渡されたノートをステイシーは歓喜して受け取る。

「ずっと続編を楽しみにしていたんです!」

 アレンが渡したノートは彼が書いた小説だった。観劇を見てから、彼女は人間観察や情報収集の他に小説や観劇も趣味になっていた。

 幼い頃のアレンは病弱だったため、室内で読書をして過ごしていた。そのうち、自分で小説を書くようになり、ステイシーに読ませてくれるようになったのである。

 今ではステイシーはすっかり彼のファンだ。

「それで、代わりにそれをくれる?」

 アレンが指さしたのは、ステイシーの手帳だった。

 学園に流れている噂や、実際にステイシーが見聞きしたあれこれが書かれているステイシーの宝物だ。

「今はダメです。あとで清書してお渡ししますので、それまでお待ちください」

「ダメだよ、ステイシー。ボクの小説を読ませる代わりに、できる限り創作のネタを提供してくれるっていう約束だろ? 変に厳選されたら困る」

「む~、仕方ないですね~」

 ステイシーは渋々手帳を渡す。

 手帳の中身はグロウズ家式速筆を応用したもの使っている為、二人以外の者には分からない。彼はその場で手帳をめくっていくと、小さく頷いた。

「これは見事に愚兄の話ばかりだね」

「そりゃ、もう。人前であんなにいちゃついてたら、嫌でも話の的にされますよ」

 ここの所、ジャミルの恋愛事情が取り立てられている。それもそのはず、彼には生まれる前から決められた婚約者がおり、彼女を放置して別の女性に手を出しているのだ。

 好き放題する兄のおかげで、アレンは、学園で肩身の狭い思いをしている。

 ──なぜ、アレン殿下は兄を咎めないのか。

 ──アレン殿下は気弱で自己主張の少ない。双子なのにこうも違うのか。

 口さがない生徒達は不敬にもそう口にしていた。

 しかし、アレンはその情報を得たとしても、誰も咎めない。そもそも咎めるのが無駄だと思っているようだ。

(アレン殿下は五人兄弟で第四王子だけど、王位継承権から最も離れているお方。ジャミル殿下を咎めないアレン殿下の評判も落ちがちですが、本人は王位には興味がないご様子。ジャミル殿下にいたっては、自由奔放過ぎて兄殿下達からはライバルとも思われていないみたいですし)

 王位を争っている第一王子も第二王子は、アレンが土俵に上がってこない限り、手を出すつもりはないようだ。おかげでステイシーは護衛よりも情報収集に精を出していた。

「ねぇ、ステイシー? 君はジャミル達の恋を応援しているようだけど、ジャミルの婚約者であるリリーナのことはどう思ってるの?」

 リリーナ・フレベル公爵令嬢は、アレンだけでなくステイシーとも付き合いが長い。全く情がないといえば嘘になるが、アレンに比肩するほどの仲でもない。

「お言葉ですが、アレン殿下。私は別にジャミル殿下とディアナ・オーシーを応援しているわけではありませんよ」

「おや、そうなの?」

 意外だったのか、彼は少し驚いたように目を見開く。

「あんなに熱心に見ていた上に、彼らの恋愛事情に興奮していたようだから、てっきり応援しているものかと」

「そんなまさか」

 確かに人の恋愛事情を見聞きするのは好きだ。相手の心情や周囲のことを考えると心が躍る。しかし、ステイシーの根底にあるのは違うのだ。

「私はジャミル殿下のクズな行いの末に訪れる末路に興味があるのであって、ジャミル殿下やディアナ・オーシーがどうなろうと構いません」

「ステイシー、それは君の悪いところだよ……」

 そうステイシーはその人個人には興味がない。彼らが巻き起こす出来事や人の反応などはステイシーの感性や価値観、仕事に必要なコミュニケーション力を養う為に必要なのだ。

「じゃあ、リリーナは?」

「う~ん。知らない仲ではありませんけど、友好さではアレン殿下と比べられないし……あ、でもジャミル殿下に対する赤裸々な感情を一度でもいいからお聞きしたいです」

「本当に、ステイシーは……」

 彼は困ったように眉を下げると、ステイシーに手帳を返した。

「まあ、ジャミルと彼女が破談になっても別にいいけどね」

「いいんですか? ジャミル殿下の代わりにリリーナ様との婚約を押し付けられるかもしれませんよ?」

「無理だよ。ボクにはジェーンっていう愛しい婚約者がいるからね」

 彼はステイシーの髪をすくい取り自分の指に絡めると、いたずらっ子のような笑みを向ける。

 まるでステイシーを挑発するような言動に、ステイシーは敢えてアレンの手を取って自分の頬に触れさせる。

「そんな女、いないくせに」

 彼は一瞬だけ目を見開いた後、愛おし気にステイシーを見つめた。

「そんな悲しいことを言わないで。今日も頼むよ、ボクの愛しいジェーン」

 アレンにそんな表情を向けられると、胸の奥がざわついた。それは人間観察をしている時の感覚と似ているが、この胸の騒がしさにはなぜか慣れない。

「仕方ないですね~」

「やった」

 ステイシーが渋々頷くと、アレンはこつんとステイシーの額に自分の額を合わせた。

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