種火①

 都立千種ちぐさ高等学校の文化祭は学校名の「千種」にちなみ、この高校に通うたくさんの種子たちが発芽するように、との意味を込めて「萌芽ほうが祭」と名付けられた。


 文化祭実行委員が会議室の前でそんなことを叫んでいるが、この説明は新一年生に向けられたもので、もう何度目かになる二、三年生は頬杖をついてぼんやりしている。私もそのひとり。


 萌芽祭まで一ヶ月を切ると、一週間で各団体の代表者には企画書の提出が義務付けられる。そのための説明会が開かれているのだ。

 私はクラス企画の中枢には関わっていないものの、文芸部の部長を務めているので出席しなければならなかった。


 もちろん、文芸部誌『種火』も千種高校の「種」にちなんでいる。




 あー、部誌、どうしようかなあ……。




 問題の『種火』刊行について、私はまだ決断できていなかった。出したいか出したくないかだけで考えれば、もちろん出したい。ただそうなると、もはやそれは『種火』ではなくて「新倉実梨の作品集」になってしまう。


 多くの個性を集めた作品集としての面白さが失われてしまえば、わざわざ欲しいと思ってくれる人も減るもんなんじゃないか……?




 「基本的な要項はこのプリントの通りになります。全ての企画はクラス企画団体、部活動委員会団体、その他有志団体の三つに区分されます。ここまでで何か質問はありますか?」




 今のところ例年からの大きな変更は見られない。前で声を張り上げている真面目そうな眼鏡と目が合って、慌てて頬杖を正した。


 と、すっと手が上がる。



 「はい」

 「どうぞ。団体名と名前を申告してから質問をお願いします」




 きゅっと結えられたポニーテールの子が立ち上がった。凛としてよく通る声で、姿勢が良く、その印象の通り、いわゆる大和撫子のような綺麗な顔立ちをしていた。




 「吹奏楽部の部長で、二年七組のたに若菜わかなです。団体区分について質問です。部活動委員会の各団体が合同で企画を立ち上げた場合、有志団体として扱われますか?」

 「はい? ええっと……」




 それまで機械的な口調で喋っていた眼鏡くんの表情が崩れる。




 「つまり、その、例えばですね、去年の萌芽祭では美術部と漫画研究部が合同で作品集を発行していましたよね? あれは、部活動委員会団体に属していましたか? それとも有志団体ですか?」

 「なるほど。少々お待ちください、昨年のデータを検索しますので……あ、えーと、有志団体になってますね」

 「了解です。ありがとうございます」




 吹奏楽部は今年はどこかと合同でやるのかなぁ、なんて呑気に考えていた時代が、私にもありました。




 「『種火』、今年も出すよね!?」




 このまま黙っていたら胸ぐらを掴み上げられそうなほどの勢いでそう問い詰められたのは、説明会が終わった直後。席を立つ暇もなく、目の前にばんっと両手を置かれて、そこに立っていたのはさっきの谷若菜さんだった。




 「ええっと……?」

 「あれっ、もしかして私、声かける相手間違えたかな?! 文芸部の方を探していたんだけど……ほんとにごめんなさい!」




 戸惑いの声を上げると、谷さんは急に両手を顔の前でわたわた振りながら顔を真っ赤にした。さっきの大和撫子は何処へ……?


 あれ、ちょっと待って、文芸部って言わなかった?




 「文芸部なら、私が部長であってますけど……」

 「えっ! なんだ、やっぱりそうじゃん! いやーよかった、取り逃したかと思っちゃった」

 「取り逃すって……」




 私の目線よりも少し低い位置にあるポニーテールが、谷さんの動きに合わせてぶんぶんと揺れる。




 「あっ、私、吹奏楽部の谷若菜です。同い年だし若菜でいいよ」

 「あっ、そっか、えーと、文芸部の新倉実梨です」

 「よし! 実梨ちゃんかあ、じゃあみのりんって呼ぶね! それで私、『種火』の話がしたいの! 部誌! 毎年出してるよね?」

 「ああ、うん、部員の作品集ね」

 「それ! それ、今年も出すよね?!」




 ぴょこんという効果音が付きそうなジャンプをして、思いついた!とでも言いたげに私を指さして念を押す。

 初対面の人と話すのは結構苦手な方なんだけど、ここまでグイグイ来られるといつの間にか巻き込まれてしまっている気がする。

 ていうか、みのりんって……。私今まであだ名で呼ばれたことないよ。




 「えーーっと、今年はまだ迷ってて……」

 「どうして?!」




 切れ長の目が見開かれて、真っ黒な瞳に射られたような心地がする。




 「創作活動してる部員が今年は私しかいなくて、今までみたいに分厚くならないし、私の作品集出しても面白くないだろうし……」

 「いやいやいやいやダメダメダメ!! 絶っっっ対出そう、『種火』!」

 「えぇ……。どうしてそんなに、というかそもそも若菜……ちゃん? は、『種火』のこと知ってるの……?」




 若菜はついさっき見開いた目をもう一度これでもかと見開いて、何を今更!! みたいな表情になった後、どんっ! と胸を叩いて言った。




 「そりゃあもちろん、私が文芸部のファンだからよ!」

 「ふぁ、ふぁん……」

 「そう、ファン。わたくし若菜は、あなたたちが書く物語が大好きなのです!」

 「あ、ありがとう……?」

 「なんでそんなに反応が薄いの?! 今年も貰うのを楽しみにしてるの!」

 「いや、そんな、突然言われても……って言うのもあるし、その、あの中身をちゃんと楽しんでくれてる人がいるなんて思ってなくて……衝撃と感動で言葉が出ないというか」

 「そうかそうか、苦しゅうない」




 両手を腰に当ててはっはっはと高笑いする若菜。この子、見てて飽きないな……。

 と、急に思い出したように物凄く真剣な顔になる。




 「みのりんにお願いしたいことがあるの」

 「な、何かな……」




 『種火』を発行しろ! というのとはまた別なんだろうか。

 ばばーん! という口での効果音付きで謎のポーズを取る若菜。

 しかし。




 「あのー、すいません……。この後、もうすぐ教職員会議でここを使うのでそろそろ退室していただけると……」




 さっきの眼鏡くんがおずおずと声をかけてきた。はっと気が付くと、もう会議室では片付けが始まっていて、文化祭実行委員でない人の中で残っているのは私と若菜の二人だけだった。

 若菜はずっと「もう! 今めちゃくちゃ大事なところ! いいところだったのに!!」とぷりぷりしていたが、とにかく引きずってそそくさと退出した。


 階段を降りてくる途中、職員会議に向かってるっぽい先生たち数人とすれ違った。駄々っ子のように手足を振り回す若菜を必死でなだめているところを、瑞木先生にばっちり見られた気がするが、うん、気にしない、気にしない。何年も教師をやっていればよくあることだ。多分。




 「で、お願いってなんでしょうか、若菜さん」




 とりあえずどれだけ喋ってても大丈夫そうな中庭まで誘導した。

 若菜はしばらく両肩で息をしていたが、落ち着くと、私に向かって片手を差し出し、告白みたいな格好で叫んだ。





 「一緒に、でっかい芸術祭をやろう!」

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