プロローグ④

 長田先生は、元々顧問をしていたバスケ部の子達と連絡を取り合っている中で結婚の報告をしたらしい。送られてきた写真も、そのやりとりの中で先生本人が流したもののようだ。

 その話を聞いてやりきれない気持ちになって、そして最近やっと、なんとなく諦めがついた。

 いや、そもそも、28歳なんて数字を相手に16歳ができることなんかなくて、諦めたとか諦めないとか気持ちの問題ではないのは重々承知なのです。


 長田先生の連絡先は私も持っているし、誰よりも頻繁に連絡をとっている。中学の友達と会ったとか、学校のイベントがあったとか、そういうちょっとした出来事を写真付きで報告すると、いつもすごく喜んでくれたから。

 だから、逆に、結婚報告をする相手が私ではなかった時点でお察しなのである。




 色々バレてたんだろうなあ……。




 いたたまれない気持ちになりながら、本当に幸せそうな笑顔の写真を見て、同じくらい破顔した奥さんの顔を見て、何も言えなくなるのだ。届かないなんてこと、在学中からとっくに知っていた。


 知っていたけど、真の意味で理解したのが結婚報告だった。それだけのこと。



 それはそうなんだけど、でも、彼女いないってあれだけ自虐ネタに走っていた分はどう落とし前つけてくれるんですか。恨み言の一つくらい言ってやらないと気が済まない。






 ——好きです、長田先生。好きでした。






 どうせこうなるなら、言えばよかったんですか?

 卒業してすぐに長田先生が大阪に帰って、もう一年以上が経つ。その間、連絡を取り合っているだけで、一度も顔も見ていないのに。ああ、やっぱり馬鹿だ。


 わかってたよ(n回目)。

 わかってることと、諦めがつくかどうかは、全然別物なんだよ。








「もう終わりにします!」


「おー、お疲れ様だね〜」


 ばんっ、と机を叩く私をチラッと見てそんなのんびりした声をあげたのは、文芸部の先輩、山瀬やませさん。去年からずっと廃部危機に瀕しているのに、新入部員が獲得できないままで二ヶ月が経った。山瀬さんのもう一個上の羽鳥はとりさんが卒業してしまったので、今や山瀬さんの代の数人と、そして二年生は私一人だ。

 その中でも今日は山瀬さんしか来ていないので、ここには二人しかいない。


 こんな少人数の部活で、運動部みたいな華々しい成績もなく、年々狭い部室に追いやられているが、私は結構この秘密基地みたいな、文庫本のごったがえした空間が好きだった。

 羽鳥さんが文豪が大好きだったので、色んな文豪の全集を置き土産にしていってくれた。山瀬さんは読み専で、毎日この部室にこもって読書に耽っているが、羽鳥さんや私は自分でも小説を執筆することがあった。月一回くらい、短編小説を持ち寄ってコメントし合う機会があって、それを楽しみにしていた。


「ご機嫌ななめだね〜。実梨ちゃんはいっつも何か書いてて偉いね〜。私なんて完成したものを読んでるだけだよ〜」

「いやー、それが普通ですよ。書こうなんて思う人の方が珍しいですって」




 別に執筆活動を「終わりにする」という意味で言ったわけじゃないんだけどね。




「実梨ちゃんに相談があってね〜。もうすぐ文化祭だけど〜、今年は『種火』どうするつもりなの〜?」

「あー……」


 毎年夏休み前に文化祭が開催され、文芸部は例年、部員の作品を集めた雑誌、通称『種火』を発行している。去年は羽鳥さんと毎月見せ合っていた短編をまとめたことで、それなりの厚みのある部誌が生まれたが、今年は一個上の先輩たちは読書好きの集まりなので、コンスタントに創作をしている部員が私一人になってしまった。


「発行しないと、本当に人に見てもらえる場がなくなっちゃうので、よかったら出したいんですけどー、ただそんなに作品が溜まってなくて……」

「そうだよね〜。書き手でもないのに申し訳ないんだけど〜、でも部活としての存在をみんなに知ってもらうにはこれしかなくて〜、私としても出して欲しい気持ちはあるんだよね〜」


 おっとりした話し方から想像される、お手本のようなふっくらした顔で、山瀬さんは眉根を寄せた。


「今月中に遠藤先生に報告することになってるから〜、ちょっと考えておいてもらえたら嬉しいな〜」

「わかりました」


 書きかけていた小説のページを閉じて、代わりにカレンダーのアプリを立ち上げる。七月頭の文化祭まで、もう既に一ヶ月を切っていた。


 



 カーテンがふわふわとなびく。もうすぐ最終下校時刻。適当に文豪の短編集をあさって帰ろうと決めて適当に手に取れば、中島敦だった。

 隴西の李徴は博学才穎、天保の末年、若くして虎榜に名を連ね……。口の中で『山月記』を転がす。漢文調だから読みづらくて敬遠されがちだけど、そこがカッコいいのに、とずっと思っている。


 その容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として……。


 一ページほど読み進めたぐらいから、授業中に言及した記憶のあるフレーズは、ことごとく瑞木先生の声で脳内に再生されるようになり、どうしても集中できない。



「やっぱり終わりにします!!」


 ぱたんと本を閉じたら、山瀬さんがふっと息を漏らして笑った。


「お疲れ様だよ〜」


 山瀬さんの声を背中に受けながら、駆け足で帰路に着く。







 相変わらず泣き出しそうな空の下。

 それでも、梅雨を抜ければ夏が来る。

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