第1話 witch and doll and human㊱

「ここからどうするの? もしかして何か当てとかあったりする?」

「いや、ない。とりあえずひたすら警察署から離れてるってだけ」

「だよね……まあ、あたしも何か案があるわけではないんだけどさ」


 先程のことは想定外だったとはいえ、ゆっくりできたおかげか足は軽い。とは言え、さすがのジムでも長い時間足止めし続けるのも難しいだろうし、今のように逃げられるのも時間の問題だろう。


「ねぇ」


 ライアンの服の間からひょっこりと顔を出したイニが、目の前を指差す。


「どうしたの?」

「うーん、視界が揺れてるからハッキリと見えてるわけではないんだけど、あそこに警察がいない?」

「えっ?」


 どこだろうと目を凝らすと、確かにイニの言うとおり銃を携えた警察が数人、あたりをキョロキョロと見渡しているのが見えた。


「まずいな。もうこんな所まで来てんのか」

「どうする? 戻る?」

「それは無理だろうな。ここに警察がいるってことは、戻ったところで目の前以上にいるだろうし、多分他の通りもリスクは変わらないだろうな……となると、正面突破しかないか」

「正面突破って……まあ、キミならそう言うと思ったけどさぁ」

「だろ? まっ、なんとかな――」

「いたぞ!」


 そんな声とともに、銃声が高らかに響いた。放たれた弾丸の風を切る音が、ライアンとフィーの間を駆け抜けていく。


「よし、前言撤回。死ぬ気で逃げよう」

「そうね。あたしも同じこと考えてた」


 瞬間、一目散に踵を返して、二人して元来た道を走り始める。後ろからは警察たちの怒声と、時折発砲音が聞こえてくる。


「やっぱりあいつら本気で追いかけてなかったじゃねぇか!」

「何の話!?」

「何でもない! こっちの話!」


 また一発銃声の音がしたかと思うと、すぐ近くの階段の一部が弾け飛んだ。それに合わせたかのように、道行く人々から悲鳴があがる。


「ねぇ! このままだと追いつかれちゃう!」

「そうだな……仕方ねぇ」


 瞬間、ライアンが足を止めてくるりと後ろを振り返る。


「ちょっと嘘でしょ? 相手は銃持ってるんだよ!?」

「しょうがねぇだろ!? とりあえずフィーだけでもここから逃げろ!」

「そんなことできるわけないでしょ!?」


 そんな口喧嘩を繰り広げている間にも、警察との距離はどんどん近付いていく。


 一瞬、このまま捕まってしまったらどうなるんだろうと考える。そしたら、またあの独房に入れられるのだろうか。いや、そこは先程ライアンが破壊してしまったし、もっと酷いところに閉じ込められてしまうのかもしれない。

 それは、せっかく自由になったのに、嫌だな。

 例え、自分一人逃げたところで、ライアンもイニもいないのは、きっと寂しくて耐えられない。


 フィーがそう思った時、遠くから何か重量のあるものが近付いてくるような低い音が聞こえてくるような気がした。最初は気のせいかと思ったけれど、徐々にハッキリと、なんなら凄まじいスピードでその音がこちらに近付いてくる。


「避けろフィー!」


 その言葉とともに、ぐっと強い力で引き寄せられる。それがライアンの腕による物だと気が付いたのは、音の正体がまるで守るかのように、三人の前に立ちはだかった時だった。


「車!?」


 ライアンたちの前に現れたそれは、赤色のやけに目立つ車だった。

 銃声が何発か響いたかと思うと、「ぐあっ!」と車の反対側から悲鳴が上がる。


「乗って!」

「へっ?」

「いいから!」


 フィーが声のした方へ顔を向けると、運転席に座っている目出し帽を被った人物が叫ぶ。目しか見えないはずなのに、その優しい瞳には見覚えがあった。


「これに乗ればいいんだな!?」

「そう! みんな早く!!」


 再び銃声が響き、車の窓にいくつもの穴が空くも、ライアンたちはなんとか車の後部座席に乗り込むことに成功する。


「全員乗った!」

「捕まっててね!」


 その声を合図に、車のエンジンが唸りを上げた。それからタイヤが地面を擦る激しい音がしたかと思うと、それは凄まじい速度で走り始める。

 後ろでは警察が何かを叫んでいるが、そんな声はすぐに遠くへと消えてしまう。


「……えーっと」


 あっという間に後ろへ流れていく景色をぼんやりと眺めながら、フィーが口を開く。そのことに気が付いたのか、運転手が微かに笑うって目出し帽を脱いでみせた。

 流れ落ちる金色の髪の毛と、ルームミラーに映る見知ったその顔に、フィーは小さく悲鳴を上げた。


「リ、リリィさん!?」

「なんだ、気が付いてなかったのか?」


 どこかくたびれた表情でライアンは言うけれど、こんなに短時間で気が付ける方がどうかしてると思う。


「気が付くわけないでしょ!? でもそっか……リリィさんだったんだ。そっかぁ」

「ふふっごめんね。二人を助けるにはこうするしかなかったの」


 ルームミラー越しにちらっと目が合うも、リリィの目はすぐに正面を見据える。


「それにしても、リリィさんって運転できたんだ」

「これでも護衛任務の時とかは、私が運転したりするのよ」

「へーすげぇな。俺もできるかなあ?」

「練習すればきっとね。それで、カーライルくんのジャケットとフィーちゃんのその紙袋はどうしたの? まさか買い物でもしてた?」

「買い物じゃないよ。ラッシュバレー巡査が持ってけってくれたんだ」

「えっ」


 瞬間、ライアンの言葉に動揺したのか、リリィの運転する車が大きく横に振れた。


「リリィさん、前! 前!」


 危うく民家に突っ込みそうになるのを、既のところで避けると、車はなんとか元の道を走り始める。


「ご、ごめんなさい。まさかあの人の名前が出てくるなんて思わなかったから……。あの人、一応警察機構の人間なんだけど、何してるのよ……」

「それはリリィさんもだろ?」


 ライアンの言葉に、リリィは思わずぷっと吹き出してしまう。


「間違いないわね。それで、その紙袋に変なモノは入ってない?」


 フィーが紙袋に入っているモノを取り出すと、中から白いシャツと黒のロングスカートがそれぞれ一着と、何故かシンプルなデザインの下着がいくつか詰め込まれていた。


「あいつなんてモノを渡してんのよ……」

「で、でもねリリィさん。彼、とっても親切だったよ? あたしの服が破れてるのを見て、すぐに持って来てくれたの」

「…………まあ、なかったらなかったでイラついてたことには変わりないか」


 フィーの言葉にリリィは少し複雑そうな表情を浮かべると、ポツリと独りごちるように言ったが、エンジンの音に掻き消されてしまう。


「リリィさん? 今、何か言った?」

「何でもないわ。さっ、フィーちゃんは車の中で着替えちゃいなさい。それからカーライルくん。無理矢理にでも助手席に来なさい。イニちゃんはどっちでもいいわ」

「え? 俺?」

「いいから!」


 そのあまりにも強い口調に、ライアンは腕の中のイニを見る。


「じゃあ、イニはこっちにいてくれるか?」

「あそ? 私も前に行った方がいいかと思ってたけど」

「……イニの好きな方でいいよ」


 ライアンは一度だけフィーを見ると、そのまま後部座席から助手席へと移動する。それを見届けてから、とりあえずフィーは今着ているものを脱ぎ始める。


「カーライルくん」

「何?」

「見ないの」

「見てねぇよ!?」


 上着を脱いでいる途中だから分からないけれど、何となくライアンがどんな顔をしているか想像できた。思わず笑ってしまいそうになるのを堪えながらも、何とか着替えを済ませていく。


「下着はどう? あいつのことだから変なの混ざってないわよね?」

「うーん……多分大丈夫だと思う……」

「そっ、ならいいんだけど」


 相変わらずどこか腹立たしげな口調のリリィに、フィーはイニと顔を見合わせる。


「何かあったのかな?」

「さあね? 何か大人の事情ってやつじゃない?」

「大人の、事情……」


 フィーがしみじみと呟くと、前の席でリリィがはぁと大きなため息を吐くのが分かった。


「残念ながらそんな期待されるような関係じゃないわよ。ただの同期ってだけ。後は単純にソリが合わないの」

「確かに、リリィさんとあの人じゃ、ソリは合わなさそうだな」


 けけけっとどこか楽しそうに助手席のライアンが笑うと、つられるようにリリィもふふっと笑った。


「でしょ? まっ、そんな話はどうでもいいのよ。そろそろ目的地よ。降りる準備を」

「そう言えば俺たちってどこに向かってんの?」

「ごめんなさい、言ってなかったわね」


 リリィさんはそう言いながら、目の前に見える大きなガラス張りの建物を指差した。


「駅よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る