第1話 witch and doll and human㉜

「……なんか眠くなってきたな」


 暗く、細い通路を進みながら、ライアンがポツリとそんなことを呟いた。


「あんなに食べるからでしょ?」


 イニのそんな呆れた声に、フィーはうんうんと頷いてみせる。と言っても、この暗さだから見えてはいないだろうけれど。


「しょうがねぇだろ。腹減ってたんだし」


 くあっと、前から呑気な欠伸の音が聞こえる。確かに、これから何もないですよと言われれば、今すぐにでも眠ってしまいそうだ。どうやら自分でも気が付いていないだけで、結構疲労が蓄積しているらしい。


「そろそろか?」


 ライアンの言葉につられるように顔を上げると、確かに彼の言うとおり、通路の先が明るくなっている。見たところ少し先に扉があるらしく、そこから光が漏れ出ているらしかった。

 ライアンが扉に手を掛けた時、こちらを向いたのが分かった。表情は、よく見えない。


「緊張してるのか?」

「え?」

「あー……いや、何でもねぇ。じゃあ、開けるぞ」


 その言葉に、こくりと頷く。この先に、本当にムアヘッドがいるかは分からない。だと言うのに、フィーは緊張で自身の身体が小さく震えるのが分かった。そんな不安を案じてか、イニがフィーの腕をきゅっと握ってくれる。


「ありがとね」

「……別に。あんまり視界が揺られても困るだけよ」


 そうぶっきらぼうに言うが、それが彼女なりの優しさなのだと、この短い間で理解できてしまったから。フィーはふふっと小さく笑った。

 ライアンが扉を開くと、差し込んで来た強い光に思わず目が眩む。


「あれがステージか?」


 どうやらフィーよりも先に光に目が慣れたらしいライアンが言った。遅れてゆっくりと目を開くと、確かに彼の言うとおり、視界の先にはスポットライトに照らされたステージと、真ん中には講演台がポツンと置かれていた。


「うわぁ……趣味悪っ」


 講演台の後ろにデカデカと吊るされているそれを見上げながら、思わずそんな声がフィーの口から漏れてしまう。そこには自信に満ち溢れたムアヘッドの顔が大きく描かれた絵画が飾られてあって、心なしか実際よりも髪の毛が増えているように見える。


「あたし、あんなやつに買われようとしてたって思うだけで鳥肌が立つんだけど」

「なんつーか、まさに自己顕示欲の塊って感じだな」


 ライアンが肩をすくめて言うと、フィーは「ねっ」と楽しそうに笑った。


「そうだ。ここからは念のためイニは俺と一緒にいてくれ。後、ついでに俺の上着も返してもらってもいいか?」

「それはもちろんだけど……なんで?」

「もしものためにな」

「もしも?」


 意味が分かっていないフィーが、上着とイニを優しい手付きで手渡してくれる。


「ありがとな、フィー。さて、イニ」

「どうしたの?」


 炎を思わせるようなイニのオレンジ色の瞳が、ライアンをじっと見つめ返す。


「ここなら思いっきりやっても怒られないかな?」

「そうね……派手なことしなければ大丈夫じゃない? でも、それがあるからって、あんまり頼りすぎないようにしなさいよ?」

「分かってるって。バレねえようにやるさ」

「バレないようにって……具体的にどうするつもり?」

「んーここを破壊しないぐらい?」

「……なんでライってそう言うとこバカなのかしらね」

「うるせぇなあ」

「うるさくないでーす。ほら、フィーも何か言ってやっ……あれ? フィー?」


 イニの言葉に、ライアンは視線を先程までフィーが立っていた場所に向けるが、そこに人影はない。


「――嫌ッ!」


 二人がしまったと思うよりも早く、そんな叫びが後ろから聞こえてくる。


「フィー!」


 ライアンが立っている場所よりも数段後ろ。座席と座席の間にある少し広くなっている通路で、ムアヘッドのニヤリと腹立たしげに笑った瞳と目が合った。ヤツの腕の中ではナイフを首元に当てられたフィーが、恐怖で今にも泣きそうな顔で震えている。


「フィーを離せ。今すぐに、だ」

「どうだよく描けているだろう!」


 ムアヘッドはライアンの言葉を無視して叫ぶ。ライアンは苛立たしげに舌打ちをしながらも、それでもへらっと笑ってやる。


「あぁ。てめぇの腹黒さがよく伝わるいい絵だと思うぜ」

「いい褒め言葉だ」

「褒めてねえよ!」


「ふんっ。虫ケラごときになんと言われようが知ったこっちゃないわ。何故なら貴様は今、ここで死ぬんだからな」

「そうかよ。まっそんな余裕ぶっこいてるから、アンタ一人でノコノコやって来てくれたわけか」


「虫は殺し方さえ知っていれば、捻り潰すなど容易いからな」

「へー。んじゃあ、捻り潰してみろよって言いたいところだけど、その前にアンタが人質に取ってるそいつ、返してくれたりしませんかねぇ?」

「ハッ! コイツを返して欲しいだとぉ? コイツは元々ワシの所有物になる予定だったのだ。なのに、何故貴様なんぞにワシの所有物を渡さなければならないんだ? この町も、ここの人間も全てワシのものなのだからなぁ!」


 そう言って呵々大笑するムアヘッドに、ライアンはどうしたもんかなあとでも言いたげに頭をボリボリと掻いている。


「なるほどな……ただ、残念ながら俺は元々ここの人間じゃねえし、てめぇの言うことを聞くつもりはねぇんだわ。それに、人と約束があるからさ。フィーは返してもらうぜ署長さんよ」

「威勢だけは立派なようだな。しかし虫ケラ。虫ケラが本当に欲しいのは、この小娘ではなくこっちじゃないのか?」


 まるで見せつけるかのように、ムアヘッドが耳に付けているイアリングに触れる。

 白く細長い宝石のようなそれが、ライトの灯りにキラリと光って見えた。


「そうやってご丁寧に見せびらかしてくれたってことは、やっぱり本物か、それ?」


 その一言に、ムアヘッドがニヤリと笑う。


「ご明察だ虫ケラ。これこそ世界に散ったと言われる白の魔女のラクリマ! ……まあ、これはあくまでもそのカケラに過ぎんがね。しかし、このカケラ一つでさえ、常人には扱いきれない力を授けるとされる究極の秘宝。虫ケラもこれを求めてわざわざこんな辺鄙な田舎までやって来たと言うわけか」

「セーカイ。さすが切れ者ってところか?」


 思わず、ライアンの口元が不敵に歪む。

 しかし、それは目の前の違和感にすぐに消えてしまう。


 ムアヘッドはフィーから手を離したにもかかわらず、彼女は浅い呼吸のままカタカタと震えて、ただでさえ白い顔を更に白くさせて助けを求めるようにライアンを見ている。ただ、彼女の目の前にはナイフが一本ゆらゆらと揺れているだけ。逃げようと思えばフィーのポテンシャルなら問題なく逃げられるはずだ。


 それなのに、どうしてフィーは逃げようとしないんだ?


「……てめぇ、フィーに何をした?」

「所詮虫ケラには分からんさ。貴様では手に入れられんよ。このラクリマのカケラも、そしてこの女も」

「はっ! そんなのやってみなきゃ分かんねぇだろうが」


 ライアンが一歩前に踏み出すと、ムアヘッドはゆっくりと再びナイフをフィーに近付ける。そして、それはゆっくりとした動きで首筋をなぞり、肩に触れる。

 血が流れている気配はない。しかし、フィーは歯をガチガチと震わせ、ただでさえ真っ白なその肌を更に白くさせている。彼女の額から流れ落ちる、汗が酷い。


「ッ! おいフィー! 今だこっちに来い!」


 ライアンが手を伸ばしてそう叫ぶも、フィーはただ首を左右に振るだけで、その場から動こうとしない。


「フィー……?」

「なんだァ小僧。威勢はよくとも、こいつのことは何も知らんようだな」

「……あぁ?」

「クククッ。本当にコイツのことを知らんのだな。それでいて娘を返せだと? 片腹痛い。いいか、この娘はな。ナイフが怖いのさ」

「ナイフが?」

「そう、こんなちっぽけなナイフが、だ。まあ、これを見たらそのグズな頭でも理解できるだろうよ!」

「い、嫌ッ! やめて! やだ、見せないで!!」


 金切り声に近い悲鳴で、フィーが叫ぶ。しかし、ムアヘッドはそんな叫びなど気にも止めず、なんなら楽しそうに、手に持ったナイフでフィーの服を切り裂いた。

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