第1話 witch and doll and human㉙
「ごめん通るなぁ!」
そんな明るい声とともに、目の前で次々と同僚が蹴散らされていく様を眺めながら、リリィは複雑そうな表情を浮かべている。
「リリィさん、どう? こっち側に着いた気分は」
「正直あんまり清々しくはないわね……」
「だよね。あたしも正直ちょっと複雑だもん」
にへらと笑うフィーに、リリィが引き攣った笑みを浮かべる。
「あんまり複雑そうには見えないんだど……?」
「えっそうかな?」
「気持ちはわからないでもないけど、ねっ!」
ひょいと、道を塞ぐように倒れている人々を、二人して飛び越える。目指す講堂まではもうすぐだ。
「やっぱり知ってる人がいると違うわね。この二人だけだったら延々とここを彷徨ってるところだったわ」
フィーの腕の中で、ガクガクと揺れる視界を眺めながらイニが言う。
「まあまあ。そのおかげでリリィさんも助かったんだし」
「フィーはそうかもしれないけど……いや、それもそうね。それはそれとして、この状況見てるとちょっとやり過ぎな気がしちゃうけど」
「確かにイニちゃんの言うとおりかもね。天下の警察機構の職員たちが、子ども一人にこれじゃあ、自分も含めて鍛え直しが必要かもしれないわね」
リリィはアハハッと楽しげに笑うと、ひょいとまた一人飛び越える。どうやら一周回って楽しくなってきたのかもしれない。
「なあ、楽しそうに話してんのはいいんだけど、うわっと! 後どれくらい?」
前を走るライアンが、振り下ろされた警棒を軽快に避けながら訊ねる姿に、本当に器用な人だなと、フィーは思わず感心してしまう。
「えーっと、目の前の廊下を右に曲がって、裏口を抜けたとこ!」
「あーいよ!」
ライアンは曲がり角で固まっていた数人を勢いよく蹴飛ばしたところで、ピタリと足を止めた。ライアンが突然止まってしまったせいで、フィーは顔から思いっきり彼の背中にぶつかってしまう。
「痛ったぁ……ねぇ、急に止まると危な――ヒッ」
そんな悲鳴とともに、フィーが一歩後ずさる。ライアンの視線の先にはショットガンを構えた男性が一人、鋭い眼光でライアンの目を見つめながら立っていた。その男性が、フィーの横にいる人物に気がつくと、キッと目を吊り上げて叫ぶ。
「ボップルウェル巡査! 見損なったぞ!」
「見損なったのはこっちだクソ野郎!」
ライアンが握った拳からは、ギチギチと音が漏れている。彼は怒りを必死に抑えるように、でも、どこか憐れむような視線で正面を睨む。
「なぁジムさん。この前リリィさんから聞いたぜ。この町のことが好きだって。この町に恩返ししたいんだって。ジムさん。あの言葉は嘘だったのか?」
「う、嘘なんかじゃない!」
「じゃあ今アンタがしてることは何なんだよ! 真逆のことじゃねえのかよ!?」
「それは……」
グッと押し黙るジムに向かって、誰かが一歩前に出る気配がした。ライアンが後ろを振り向くと、覚悟を決めた強い瞳をたたえたリリィがいて、ライアンに向けてこくりと頷いた。
「そこから先は私に言わせて」
「そうだな。俺が何か言うよりも、きっとそっちの方が届くだろうし」
リリィはしっかりとした足取りでジムの前に立つと、そのまま呆けたままのジムの頬を勢いよく打った。
「えぇ!?」
ジムが驚くよりも先に、フィーが驚きのあまりそんな悲鳴を上げる。ライアンがジロリと睨むと、フィーは視線を逸らしながら、アハハと気まずそうな笑い声を上げた。
ジムは今し方打たれた頬を押さえながら、フィー同様信じられないとでも言いたげな表情でリリィを見る。
「ロドニー巡査部長は私がここに配属された日、言ってくれましたよね? この町が好きだと。この町をよくするために自分は働いているんだと……。その姿勢と言葉に嘘はなかった。だから私は今日まであなたに着いて来ました。私は、ずっとあなたを尊敬してました。あの日の貴方の姿は、あの言葉は、全部嘘だったんですかッ!?」
「ち、違う! 嘘なんかじゃない! でも、でもな。長いことこの仕事をしてると考えるんだ。自分がどれだけ頑張ったってこの町は変わらない。そんな理想と現実の間で毎日仕事をしていると、だんだん分からなくなって来るんだ……。警察になったあの日の理想だけがずっと胸にある。でも、今、目の前にある現実はどうだ? どれだけ頑張っても一向によくならない町に、腐った上層部。楯突けば俺の立場が、いや、俺の人生そのものが壊れてしまう。上に楯突いてここからいなくなっていった先輩たちを俺は何人も見てきた。俺は、怖かったんだ。俺も同じになるんじゃないかって。ただ、怖かったんだよ……だから、俺がしてきたことは、ここで生きていくためにはしょうがなかったんだッ!!」
ショットガンが、ジムの手から零れ落ちた。ガチャンと音を立てて落ちたそれには、弾は込められてはいない。
「なあジムさん。あんた、自分の言葉に責任持てよ。あんたの部下はあんたの背中見て育ってんだろ? じゃあ、自分の信じた正しいことをしろよ。周りのせいにしててめぇの正義を蔑ろにすんじゃねえよ。そんなもん、正義でもなんでもねぇよ!!」
「――ッ俺は……俺は……!」
ジムは顔を真っ赤にさせながらグッと唇を強く噛み、睨むように四人を見る。その肩を、ライアンが分かっているとでも言うように優しく叩く。
「ジムさん、俺はジムさんのことを詳しくは知らない。でもさ、町の人とか、ここで働く人とかはさ。みんなジムさんのこと信頼してると思うぜ。じゃないとあんな風に笑ってジムさんの名前を呼ばねえと思うんだ」
ズッとジムから鼻を啜る音がした。それから、すっかり浅黒くなった手で、涙で濡れた自身の目尻を拭う。
それから、ポケットからもう数が少なくなった煙草を一本取り出して咥えると、慣れた手つきで火を着けた。
「まさか部下とこんなガキどもに正論を言われちまうなんてな。大人失格だ」
「ガキ? 誰が?」
「ハハッ。カーライルくんしかいないだろ。そうだった、まだ君が食べた昼食代も払ってもらってなかったからな」
「えっ? それ今言う?」
ライアンがそう言って笑うと、ジムもニヤッと笑い返しながらライアンの頭をガシガシと撫でた。
「ちょ、やめろよ!」
「うるせい」
ジムはそう言って気持ちよさそうに煙を口から吐き出すと、次の瞬間にはいつもの柔らかな雰囲気はすっかり鳴りを潜めてしまう。
「この先にも数人控えているが、君たちなら大丈夫だろう。ただ、ポップルウェル巡査。君は俺と来い。内部から引っ掻き回すぞ」
「え? あ、ハッ!」
リリィは瞬時に姿勢を正して敬礼するけれど、その表情はどこか嬉しそうに緩んでいる。風を切るように歩き始めたジムの後ろ姿を追いかけようとして、「あっ!」と声を上げた。
「そうだ。私はここから先一緒に行けないから、今のうちに伝えておくわね。実は講堂を囲む柵には、最近工事が終わったばかりの場所があるの。でも、そこの工事に欠陥があって、何度も再修理を依頼してたんだけど、ムアヘッドが後回しにしてるせいで壊れたままの場所があるの。そこからならバレずに入れると思うわ」
それじゃあと早口で言った彼女は、最後にチラリと不安そうな表情でフィーを見る。
「リリィさん。そんな心配しなくて大丈夫だって。あたしだってやればできるんだから」
「……そうね。あなたたちならきっと大丈夫よね。それじゃあ、ムアヘッドのことは君たちに任せました。私の分までしっかり懲らしめてきてね」
「あぁ。任せてくれ」
ライアンの言葉にリリィははっきりと頷くと、最後に再び敬礼してジムの元へと走っていく。
その姿を見送ってから、ふぅとライアンが小さく息を吐いた。そんな様子に、イニがやれやれと言いたげに笑う。
「じゃあ、そろそろ行きましょっか。時間もないし」
「そうだな。よーし! んじゃ、乗り込みますかぁ」
その言葉は羽のような軽さがあったけれど、どこまでも信頼できる強さがあったから。
「うん!」
フィーは思わず笑ってしまうのだった。
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