第1話 witch and doll and human㉑
「……アイツ!」
イニの口から漏れた声に、フィーもこくりと頷く。
「アイツってフィーに失礼なこと言ったやつよね?」
「うん、アイツに間違いないよ」
思い返されるのは、先程かけられた侮蔑の言葉。人のことを人だとも思っていないようなあの視線。ギリっと奥歯を噛み締めると、心配するようにイニがそっとフィーの頬に触れる。
「ほら、呼吸が浅くなってるわよ。今はゆっくり深呼吸」
「……ごめんね、情けないところ見せちゃった」
「情けなくなんかないわ。あんなこと言われて平気な方がどうかしてるわよ」
「ふふっありがと、イニ」
「どうってことないわよ。なんならあれ見てみなさいよ」
「あれ?」
呆れたように言うイニの視線を追っていくと、ライアンが門扉を挟んで今にも取っ組み合いの喧嘩をしそうな見幕で男を睨んでいる。
「だからぁ! さっきから言ってんだろ!? 俺迷子なの! 腹減ったの! こんなにデカい家住んでんだから飯ぐらい食わしてくれてもいいだろケチ!!」
「ここは家じゃねぇの! ここには誰も住んでねぇんだって言ってんだろうが! お前話通じねぇのか!?」
ギャーギャーと叫んでいる二人の姿に、フィーの気持ちが不思議と冷静になってくる。自分が精一杯虚勢を張ることしかできなかった相手に、全く怯えずに立ち向かう彼に、僅かばかりの尊敬の念を抱いてしまいそうになる。
「凄いねライアンって」
「凄いんじゃないの。ただの怖いモノなしのバカってだけよ。だから尊敬なんてしないことね」
「えっ、なんで……」
「しっかりと顔に書いてあるわよ」
そんなことあるだろうかと、フィーが顔を触るのを見ながら、イニは彼女の腕の中でやれやれとでも言いたげに笑う。
「あっ、そろそろ終わりそうじゃない?」
「え?」
顔を上げると、確かに彼女の言う通り、ライアンが思いっきり門扉を蹴っ飛ばしたところだった。本当に何をしているんだろう。
「二度と来んじゃねぇぞ!」
「誰が来るかこんなとこ!」
そんな悪態を最後に、ライアンが苛立たしげに歩きながらこちらに近付いてくる。立ちあがろうとしたフィーを、イニが頬っぺたをつまむことで遮る。
「いっ――!」
「こらっ! まだダメ! アイツがこっち見てるでしょ?」
「ふぇ?」
視線をそちらへ向けると、確かにイニの言う通り、強面の男が門扉越しにライアンを睨んでいる。どうやらライアンもそのことには気がついているようで、苛立たしげに道端の石を蹴っ飛ばしながら二人の前を通過する。
「危なかったぁ……」
「全くよ。今はちゃんと隠れなきゃ。まっ、腹立つやつに身近な人があれだけ盛大に喧嘩吹っ掛けてたら、ちょっと気が緩んじゃうのも分かるけどね」
「ご、ごめん」
「バレてないからオッケーってことにしときましょ」
イニの言葉に、フィーはこくりと頷くことで同意する。強面の男は苛立たしげにまだライアンの背中を睨んでいたが、やがてキョロキョロと辺りを見渡すとそのまま門扉の奥へ消えてしまう。
それから扉を苛立たしげに閉める音に、ようやく安堵の息を吐き出す。
「あーなんか今のだけで疲れた」
どさっと倒れると、木々の間から、先程までは青かった空が少しだけ黄色く染まっているのが見えた。そろそろ夕暮れが近いのかもしれない。
「疲れたのは俺だっつーの」
「うわぁ!」
突然頭上から聞こえた声に、そんな悲鳴を上げてしまう。
「しーっ! しーっ!」
フィーは口が塞がれたことに一瞬パニックになるも、口元にある手がライアンのモノであることに気がつき、ようやく呼吸を整える。
「ねぇびっくりしたんだけど!?」
できるだけ声を抑えながら抗議するも、ライアンは肩をすくめるだけだ。
「悪かったよ。でもまっ、これであいつらがいるのは間違いないって分かったろ?」
「それはぁそうだけどさあ……。でもここからどうするの? リリィさんが来るのを待つ?」
「いや、待たねぇよ」
「で、でもあたしたち三人しかいないのにどうするのよ? 中に何人いるかは分かんないんだよ?」
「大丈夫だよ。中にいるのは数人だろうし」
「なんで分かんの? ってか数人だとしても誰も戦えないよ!?」
「ん? 俺がいるだろ?」
「ライアンがぁ?」
露骨に信じられないと言いたげな顔をするフィーに、ライアンがふぅとため息を吐く。
「めちゃくちゃ疑ってるな……」
「そりゃそうでしょ。そんな細い身体で何ができるのよ」
「少なくともフィーよりかは戦えるさ。とりあえず移動しよう。ここにいても始まんねえしさ」
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