第1話 witch and doll and human⑱

「イニちゃん凄いわね」

「なんか一気に疲れちゃった」


 フィーから逃げ出し、今度はリリィの腕の中に移動したイニが、やれやれと言いたげな口調で言う。

 ライアンとフィーは二人揃って母親に怒られた子どものように、しょんぼりと席に座っている。


「まあ……こればっかりはしょうがないわね。それより、無事でよかったわ」

「心配かけてごめんなさいね、ホップルウェル巡査」

「ふふっリリィでいいわよ。さっきカーライルくんにもそう言ったところだから」

「あっそうなの?」

「えぇ。まあ、イニちゃんがホップルウェルの方が呼びやすいならそっちでも」

「うーん、リリィの方が私は呼びやすいかなー」


 そんな朗らかな会話の横で、しょぼくれている二人が再び目を合わせる。


「その、盗んじゃったのはごめんなさい」

「いや、俺の方こそ怒鳴って悪かったよ」

「ううん。ライ? カーライル? から盗んだのはあたしだから、怒られて当然だと思う」

「それはそうなんだが……まっ、それは後で訊くとして、俺はライアン・カーライル。ライアンでいいよ。よろしくな」


 そう言って差し出された手を、フィーは驚きのこもった目で見る。


「え?」

「え? じゃねぇよ。自己紹介。これから話をすんのに、名前を知らないのも変だろ?」

「それはそうだけど……」


 フィーは怪訝そうに眉間に皺を寄せていたが、やがておずおずとその手を握る。


「あたしはフィー。よろしくね、ライアン」

「あぁ、よろしく」


 ぎゅっと、手のひらを握る力が見た目よりも強いことに驚いてしま――いや、結構力強くないか?

 それに気付いた瞬間、ライアンも手に力を込める。


「痛ッ! 痛たたたたたたたた痛い! 本当に痛いんだけど!?」

「ハンッ! 握力勝負を仕掛けて来たフィーが悪いね」

「だとしてもこっちはか弱い女の子なんだよ!? ちょっとは手加減ってもんをさぁ!」

「なーにがか弱いだ。それが人のモン盗んだヤツの態――」

「ライ? フィー?」


 ピタリと二人の動きが止まる。それから揃ってまるで錆びたネジのように、カクカクとした動きで声の出所へ視線を向ける。イニのオレンジ色の瞳が、次同じことしたら本気で怒るからなと言っているような気がして、その気迫に二人は思わず押し黙ってしまう。


「よろしい」


 二人は再度視線をぶつけると、今度は反発するように勢いよくそっぽを向いてしまう。


「……なんて言うか、ちゃんと子どもね」


 リリィが呆れながら言うと、イニは「本当にね」と疲れ切ったように呟いた。


「「子どもじゃない」」


 二人声を揃えて言う様子に、イニとリリィは顔を見合わせる。


「リリィ、多分私と同じこと考えてない?」

「そうね。でも、仲がいいことは悪いことじゃないわよ」


「「仲よくない!」」


 また揃った声に、イニはやれやれと首を振った。


「これ以上茶番に付き合ってるのも飽きたわ。ねぇリリィ。ちょっと訊いてもいいかしら?」

「もちろん。おおよそ予想はついてるけど、私がどうしてフィーちゃんと知り合いかってことでしょ?」

「えぇその通りよ。リリィ、あなたは警察じゃないの? もしかして……」

「ち、違う違う! 私はグルなんかじゃないから!」


 ブンブンと首を振って否定する姿に、イニとライアンは顔を見合わせる。


「嘘は吐いてなさそうね」

「あぁ。リリィさんは少なくとも嘘は吐いてないよ」


 ライアンのその一言に、リリィはホッと胸を撫で下ろす。


「もう隠しても仕方ないから、正直に言うわね。フィーちゃんは私が警察になってすぐの頃に出会ってから、こうして時々ご飯をご馳走しているの」


 視線だけでライアンがフィーに問いかけると、彼女は気まずそうにこくりと頷いた。


「なるほどね。でも、リリィさんは警察だろ? 立場的にこう言うことはまずいんじゃないの?」

「それはもちろん分かってるわ。でも、ほっとけなかったのよ。もちろん人から物を盗むことはよくないことよ。それは百も承知なんだけど……」

「何か、理由がありそうね」


 イニの言葉に、リリィがこくりと頷く。リリィが口を開こうとした時、遮ったのはフィーだった。


「あのね、ここからはあたしに話をさせてくれないかな?」

「フィーちゃん?」


 リリィの呼びかけに、フィーは大丈夫だとでも言うように小さく微笑む。


「あたしがリリィさんと初めて会ったのは、だいたい……そうね、五年ぐらい前かな? その時はまだ、人から物を盗むのが悪いことだって知らなかった。だから、当然のようにあたしはリリィさんから、彼女が大切にしていたブレスレットを盗んだの」

「ブレスレットって、リリィさんが今着けてるやつ?」


 ライアンの問いかけに、こくりとフィーが頷く。


「そっ。自慢じゃないけど、その時にはもう大体の物ならなんでも盗めたから、あたしは自分のことを多分過信しちゃってたんだと思う。だから、その日は高そうなものを盗めたなあぐらいに思ってたんだけど……」

「私にすぐに捕まっちゃったのよね」


 リリィが懐かしそうに言うと、フィーは少しだけ気恥ずかしそうに身を捩る。


「そこで物凄く怒られちゃって。人からモノを盗むんじゃない。盗みは悪いことだって」

「ふーん。でも、悪いことだった分かってるのに、盗みってかスリはやめてなくないか?」

「う、うるさいわね! あたしだってできることならこんなことやりたくないわよ。でも、やらなきゃあたしは売り飛ばされるの!」


 ぷぅと頬を膨らませてそう可愛らしく言うけれど、彼女の口から出てきた言葉は重く、暗い。事前に話を聞いていたのであろうリリィとイニも、どこか複雑そうな表情を浮かべている。


「売り飛ばされる?」

「そっ。あたし、ノルマを達成しないと売り飛ばされるの。そしたらあたしは変なおじさんの愛人以下の何かになって、やがて時期が来たら捨てられて……捨てられたら今度はもっと酷い場所に連れて行かれて、後は心を殺して、死を待つだけ」


 フィーはぎゅっと拳を強く握ると、床をじっと睨み付けながら口を開いた。


「あたしはそんな人生だけは嫌。絶対に嫌! だから、悪いことだって分かってたけど、こうするしかなかった。でも、もうダメみたい。あたしは近いうちに今言った未来を辿るしかないの」


 強がるようにフィーは笑うけれど、その笑みには諦めと疲れが色濃く現れていた。

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