第1話 witch and doll and human⑯

 夕暮れ時の風に乗って、鐘の音が伸びやかに響いている。


 エリック名物の石橋。その欄干の上に座るライアンの腹の音がその中に紛れ込むように、虚しく響いた。


「あー腹減ったぁ……」


 ライアンの格好は先程の借り物のスーツ姿ではなく、いつも通りのラフな格好に戻っている。

 ポケットを探ると、二十五に僅かに満たないエルが入っている。昼に身につけていた、昨日の夜に廃材で作ったアクセサリーを売って得たお金だ。


「これで食ってもいいんだろうけど、流石にちょっとは返さないとジムさん家に入れてくれないよなあ……イニはどう思う?」


 いくら待っても返事がなくて、そう言えばイニは今いないのだと思い出す。


「まあ、イニは大丈夫だろうから一旦考えなくていいとして、とりあえず今は俺の問題か。ってかマジで景色見て腹膨れるような方法ないかな」


 はぁと大きなため息をついて、視界の先にある夕暮れに照らされているボルト山を眺める。


「なんか昨日も同じことしてたな……まあ、気のせいだろうけど」


 何だか無性に虚しくなって、もう何度目かのため息を吐き出す。視線を感じてそちらに目を向けると、一人の女性が真っ青な顔をしてこちらを見ていた。おや? と思うよりも早く、彼女が叫ぶ。


「何してるの危ないわよ!?」


 その声に、ようやくその人物がホップルウェルであることに気がつく。私服姿であったことや、髪を下ろしていてすぐに気が付けなかった。


「あっホップルウェル巡査。どうも」

「あ、はいどうも……じゃなくて! 危ないから降りなさいって言ってるの!」

「危ない?」


 チラッと下を見ると、地面は遥か彼方にあって、もし落ちたりしたら怪我だけでは済まないだろう。


「分かった」


 ライアンはそう言ってこくりと頷くと、素直に石橋の欄干から降りる。その様子に、ホップルウェルは安心したようにふぅと息を吐き出した。


「そこで何してたの? そんなところに座って、落ちたらどうするのよ」

「別に落ちないって」

「落ちないって……そんなの分からないでしょ? イニちゃんも何か言って……あれ? イニちゃんは?」

「あーあいつはちょっとね。多分もうすぐ戻ってくるよ」

「戻ってくるって……昨日ロドニー巡査部長も言ってたけど、あんまり治安がいいところじゃないわよ、ここ?」

「それは身をもって知ったよ」


 ライアンが肩をすくめて言うと、ホップルウェルも何かを察したのか口を押さえて「ごめんなさい」と謝ってくれる。


「財布の件は不注意だった俺も悪かったから、ある意味諦めはついてるかな。まあ、これからのことは不安だけど、何とかやるさ」

「そ、そう……?」

「あぁ。だから、今はこれからのことを考えて、こうしてぼーっと景色を見てたってわけ」


 ホップルウェルはライアンの隣にやって来ると、ライアンがそうしているのと同じように、欄干に肘をついて景色を眺め始めた。


「何を見てたの?」

「ん? あぁ、あれだよ」


 そう言ってライアンがボルト山を指差すのを見て、彼女は「なるほどね」と笑った。


「ここからだと本当によく見えるもんね。そうだ。カーライルくんはここに来るまでにも沢山の場所を旅して来たの?」

「そんな沢山じゃないけどね。一応いくつかの街は見てきたかな」

「そっかあ……いいなあ。私はこの町から出たことがないから、ちょっと羨ましい」

「ホップルウェル巡査はここが故郷なの?」

「えぇ。私はこの町で生まれて、この町で生きてきた。だから、他の場所は知らないの。外からこの町に来た人があの山を見て、故郷からも見えるんだって話をされる度に、少しだけ羨ましく思っちゃうのよね」

「それはここ以外からボルト山を見てみたいってこと?」

「うーん、ちょっと違うかな。どちらかと言えば、私は本当にこの町にしか知らないんだなって気持ちの方が強いかも。でも、私は生まれ育ったこの町が好き。だから、この町に少しでも恩返しできたらなって今は考えてるわ。まぁ、これはロドニー巡査部長の受け売りなんだけどね」


 そう言ってどこか照れくさそうに笑う彼女につられるように、ライアンもふっと小さく笑った。


「なんかいいね。そう言うの」

「そうかしら?」

「俺はそう思うよ。と言うか、ジムさんもこの町出身なんだ」

「えぇ。昔はとんでもない悪ガキだったらしいわよ」

「あーなんか想像できるかも」

「でしょ?」


 そう言って笑うホップルウェルの表情は大人の女性なのに、どこかあどけない。それが知っている人と被って見えて、少しだけ胸の奥をチリチリと焼いた。


「そう言えばホップルウェル巡査は何してたの? 今日は非番か何か?」

「私はさっき業務が終わったところよ。署長に無駄な仕事を押し付けられなかったらもう少し早く帰れてたんだけどね」

「へーそれはお疲れ様だね。じゃあ、これからどっか行くの?」


 ライアンの言葉に、ホップルウェルが一瞬びくりと震えた。それはとても微かなものだったけれど、ライアンからすればそれだけで充分な答えだった。


「当たり?」

「えっと……」


 ライアンの問いかけに対し、ホップルウェルは露骨に視線をキョロキョロとさせたかと思うと、やがて観念したようにその黒い瞳でライアンの緑色の目を見つめる。


「そうね。それじゃあ食事でも行きましょうか。話があるの」

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