第1話 witch and doll and human⑮

 なんでスリをするのか? 答えは単純だった。彼女は生きるために、そうするしかなかったんだと、ようやく理解した。自分自身を守るために、人から物を盗んで生きることしかできなかったんだ。


「なあ、ボス。そろそろこいつ味見していいだろ?」


 強面がペロリと舌で唇を舐めながら、フィーの身体を舐め回すように見ながら言った。表情こそ変わっていなかったが、その視線から逃げるように、フィーが身体をひねる。


「あぁ? いいわけねえだろうがマヌケ。こいつの身請け先はもう決まってるんだ。それに、向こうは綺麗な”身体“を御所望だ。商品価値を勝手に下げるようなバカなこと二度と言うんじゃねえぞ」


 ボスが苛立たしげに言うと、強面は明らかに不満そうに口を尖らせる。


「どうせ分かるわけねえんだし、別によくねえか? それに綺麗な身体っつてもよ、こいつの身体には――」

「それとこれとは別だ。それに、もしバレた時、貴様は責任が取れるのか? お前の首が勝手に飛ぶ分には好きにすればいいが、消し飛ぶのがこの町だってことを忘れるなバカタレ」


 ボスは苛立たしげにまだ真新しい葉巻を机に押し付け、強面を睨む。強面は不満そうであったがそれ以上何も言わず、降参というように両手を上にした。


「分かったよボス。俺が悪かった」

「分かればいいんだマヌケ」


 ボスがそう言いながら立ち上がると、じっとその様子を睨むようにして見ていたフィーの前にやってくる。それから、ちらりと食器棚を見た気がして、イニは急いで身体を縮こませた。


「次、ノルマを逃したら、分かっているな? これ以上は待てん」


 ボスはそう言うと、フィーのその細い肩を軽く叩いた。


「正直、お前のような盗みの才があるものを手渡すのは惜しいが……これもビジネスだ。諦めろフィー」


 それからフンッと鼻で笑ってから、「おい」と後ろの強面を呼ぶ。


「行くぞ。今夜はスポンサー様の接待だ。準備はできてるんだろうな?」

「あん? 俺の仕事かそれ?」

「……だからお前に仕事を任せるのは嫌なんだ」


 そんな会話をしながら、振り返ることもなく二人は家を後にする。

 声が遠くなっていき、やがて聞こえなくなった時、ようやくフィーが長い長い息を吐き出した。それから、疲れ切った顔で、食器棚の扉を開いてくれる。


「ごめんね、イニ」


 今にも泣き出してしまいそうだけれど、それでも涙だけは見せまいと、フィーは笑う。それから、イニを宝物のように持ち上げると、そっと机の上に置いてくれた。椅子に座った彼女の顔は、心なしか最初に見た時よりも遥かに白く見えた。


「……フィー?」

「あははっ、笑えるでしょ? あたしはね、スリでもしないと生きてけないの。でも、それでも周りの人みたいにフツーには生きられないんだけどさ」

「そんなこと……」

「ううん。そんなことあるの。本当になんでこんなことになっちゃったのかなあ」


 震える声で、ぽつりと呟くようにフィーが言った。イニが彼女の手に触れると、大丈夫だよと言うようにイニの小さな手を握り返してくれる。


「イニ。あたし、あたしね。本当はスリなんてしたくないんだぁ」

「え?」

「あたしさ、ここに来るまでの記憶が曖昧なの」

「記憶が?」

「うん。気が付けばこの町にいて、他の子がするみたいに、路地にうずくまってたんだ。そしたらね、ボスがあたしを拾ってくれて、そこで盗みを教えられてさ。それがいいことか悪いことか理解するよりも前に、あたしにとってはそれが当たり前になっちゃった」

「なっちゃったって……やめられないの?」


 イニの問いかけを、フィーは緩く頭を振って否定する。


「そんなこと、ボスは絶対に許してくれないもん。昔ね、あたしが警察から物を盗んだことがあるんだけど、その時の人があたしに人からモノを盗むことは悪いことだって教えてくれたんだ。人からモノを盗むのが当たり前だったし、そんなこと考えたこともなかったから、あたしびっくりしちゃって。それでね、ボスにもうこんなこと辞めたいって、普通に生きたい言ったら、もう戻れるわけないだろって言われて……それで……」


 きゅっと、フィーが自身の細い腕を握る。よく見ると腕にはいくつものアザが浮かんでいたり、切り傷のような痕も見える。


「言ったら?」

「……ううん。何でもないや。ごめんね、今日会ったばっかりなのにこんな話して」

「いや、会ったばかりと言うか何と言うかだけど、フィーは今のままでいいの?」

「いいわけないよ。いいわけない、けど……あたしはこの生活から逃げられないから、考えたって仕方ないよね」


 悲しく笑うフィーに、イニは何も言えずにただ唇を噛む。痛みなどはなくとも、無意識にそうしていた。


「さっ、そんなことは一回置いといてご飯食べ行くよ。ねえ、キミのこと、あたしに教えてよ」


 取り繕うように笑う彼女に、イニは何も言葉をかけることができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る