第1話 witch and doll and human⑭
後どれくらいの間、こうして視界が揺れ続けるのかしら?
少女の胸に大事そうに抱えられたまま、流れる景色をぼんやりと眺めながらイニは考える。いくつもの路地裏を抜け、こうしているのにもそろそろ飽きてきたなとうんざりし始めた頃、ようやく少女の足がボロボロの小屋の前で止まった。
これは……家と言うか隠れ家?
小屋の中は簡素なもので、あるのは簡易的なベッドと机、壊れかけの椅子。それから、小さな食器棚が一つあるだけだ。背後から風がびゅっと吹いて、腰まで伸びた少女の夜のように黒い髪をいたずらに揺らした。彼女は扉を勢いよくしめると、ずるずるとその場に座り込んでしまう。
何も言わず、肩で息をする少女がいつ話しかけてくるかとじっと待っていたけれど、彼女の呼吸が落ち着いても話しかけてくることはない。イニは昨日のジムとの会話を思い出し、話しかけない方がいいだろうとは思うものの、流石に痺れを切らして口を開いた。
「ねえ」
しかし、返事どころか何のアクションもない。
「ちょっとー? 寝てるー?」
それでも返事がなかったので、次は大きな声で叫んでやろうかと思い始めた頃、ようやく少女が顔を上げた。深い海を思わせる彼女の青い瞳が、イニの燃えるようなオレンジ色の瞳をじっと見つめる。しばらくそうしていたが、やがて少女はその固く閉じられていた口から、言葉をこぼした。
「キミは、妖精さんなの?」
「……はい?」
思ってもみなかった問いかけに、イニは思わず眉間に深い皺を寄せて訊き返してしまう。
「だってキミ、そんな小さな身体でしっかりとした意思があるわけでしょ? 最初はおもちゃかな? って思ったけど、そんな小さな身体に電力源を入れるなんて、到底無理だもの」
「そりゃあおもちゃじゃな――って誰がおもちゃよ! ……いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないわね。私はイニ。アンタ、名前は?」
「あたし? あたしはフィー。よろしくね」
にっこりと無邪気に笑うフィーを少し意外に思いながら、イニは言葉を返す。
「よろしく……は、しないけど。で、ここは? えーっと、フィー? の家には見えないけど」
「ん? 家だよ?」
「えっ……これが?」
「そう。家」
ことも投げに言う彼女に、イニは絶句してしまう。雨風をかろうじて防げるかどうかみたい場所を、彼女は家だと言うのか?
「変かな?」
「変かどうかはちょっと答えづらい質問ではあるんだけど……」
どう言ったもんかと思いながら、改めて彼女の容貌を見る。
肌の色は驚くほど白く、少し汚れてはいるものの不潔さは見られない。髪の毛もどちらかと言えば傷んではいるが、このような場所で暮らし、人から盗みを働くような生活をしていれば、仕方がないことだろう。それに、痩せてはいるものの、身体も特別栄養失調を疑う程ではない。それに顔も……自分には劣るけれど、かわいいかもしれない。ライがどう思うかは分からないけれど。
正直、分からないことが多い。それなら直接確かめた方が早いかと、嬉しそうに顔を近付けてくるフィーを押しやりながら訊ねてみる。
「ねぇフィー。色々訊きたいんだけど、そもそも何でスリなん――」
言いかけた言葉を遮るようにフィーは突然立ち上がると、その可愛らしい顔をキッとこわばらせた。それから、すぐに近くの食器棚の扉を開くと、その中にイニを押し込んだ。
「ごめんイニッ!」
「ね、ねぇフィー!? 突然どうしたのよ!?」
「ごめん後で!」
玄関の扉が開くのと、フィーが食器棚を閉じるのはほとんど同時だった。
「こんにちは、フィー」
落ち着いた、深い声。食器棚の扉の隙間から外を覗き込むと、眼鏡をかけ、高そうなスーツに身を包んだ初老の男性と、付き人らしいガタイのいい強面の若者が、入口に立っていた。
フィーは大丈夫だろうかと視線を上に向けると、そこには先程までの柔らかな、可愛らしい彼女はいなかった。冷え切った目をした少女が一人、二人の男を見据えている。
「何? 見て分からない? 今からご飯を食べるところなんだけど」
「カテェこと言うなよ。俺とお前の仲じゃねえか。まあ、んなことどうでもいいか。今、誰かと話してなかった?」
強面の若者はふざけたような口振りであったが、どこか言葉にはトゲがあった。しかしフィーは臆することなく、そんな男のことをフンッと小馬鹿にしたように笑ってみせた。
「別に。歌を歌ってただけよ。悪い?」
「はん。てめぇが歌ねぇ……。まあいい。仕事の話だ」
「仕事? 今月分はあれでいいって昨日言ってたじゃない」
「それは昨日の話だ、フィー」
初老の男性が、ツカツカと無遠慮に部屋へ入ってくると、そのまま椅子に腰掛ける。ギィと嫌な音を立てた椅子に、初老の男性はチッと小さく舌打ちをした。
「ねぇ、ボス。ウチの椅子に文句があるなら、ノルマを下げてくれないかしら?」
「別に文句なんてないとも。おんぼろな君にはお似合いだと思っただけさ」
ボスと呼ばれた男は薄く笑ってそう言うと、流れるように葉巻に火をつけた。煙を気持ちよさげに吐き出してから、「フィー」と再び彼女を呼んだ。
「何? 要件があるなら早くしてくれない?」
「ふむ。では、結論から言おう。今月からノルマを増やさせてもらう」
「な――ッ」
「嫌なら別に構わないさ。まあ、その時は約束通り身売りをしてもらうだけなんだからな」
その一言に、フィーが怒ったのが雰囲気で伝わってくる。しかし、彼女は何も言い返すことはなく、じっと続きの言葉を待つ。
「なぁ、フィー。どうせお前はまともには生きていけんのだ。身売り先も決まっていることだし、流れに身を任せてしまうのもいいかもしれんぞ?」
そう言って呵呵大笑するボスに呼応するかのように強面も笑う。あまりの醜悪さに、思わず声を上げてしまいそうになったが、ちらりと見えたフィーが、必死に唇を噛んで耐えている姿に、イニはなんとか言葉を飲み込む。
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