第21話

「おかえり、千晴」

 

 自宅アパートの扉を開けると、すぐにエプロン姿の母親が出迎えた。

 入ってすぐキッチンという間取り。低い天井。狭いリビングは荷物で圧迫されている。先ほどまでいた黒崎邸とは天と地ほどの差だ。


「いまご飯作ってるからね」


 母の佳織はキッチンで大量のもやしと格闘していた。自称もやし料理を極めた女。別にもやし農家の娘などというわけでもなく、単純に安いからという理由である。


「今日は遅かったじゃない。どうしたの? バイトは休みだよね?」

「まあ、ちょっと寄り道してて……」

「寄り道? 学校に残ってたわけじゃなくて寄り道? 寄ったってことは、どこかお店かしら? なにか買ったの? それとも食べたの?」

「いやいや近い近い近い」


 怒涛の質問攻め。微笑を浮かべながら詰め寄ってくる。


「あら? なにかしら? その袋は」


 佳織は千晴が両手に下げている紙袋に目を留めた。

 これはおみやげと言って、譲司に無理やり押し付けられたものだ。

 

「ちょっと、友達の家に呼ばれてさ……」


 と言いかけたところで紙袋をひったくられた。急に素早い動きだ。

 佳織は中に入っていた箱を取り出し始める。

 

「こっ、これは……ち、チョコブラウニー……!?」

「事件の凶器でも発見したような顔やめて」

「よ、洋梨が入ってるぅぅぅぅ!?」

「うるさいうるさい」


 佳織は大事そうに箱をテーブルの上におくと、千晴を振り返った。腰に手をあててふんぞり返ってくる。

  

「どういうこと? 洗いざらい話しなさい。楽になるわよ」 

「犯人扱いやめてもらっていい? ……いやほら、昔仲良かった幼なじみ? の女の子が、転校してきてさ。家に呼ばれて」

「ブフッ、幼なじみの女の子なんていないじゃないの。急に何を言い出すかと思えばマンガとかに影響されたのかしら」

「バカにしたような笑いやめてもらえる? いや、うちにたまに遊びに来てたんだよね。ちょうど母さんは仕事でいないときが多かったから」

「……なにそれ? 親のいないあいだに勝手に女を連れ込んでたってこと?」

「人聞き悪い言い方」


 ひかりはちょくちょくここに遊びに来てはいたが、佳織とは面識がない。

「今日うちに誰もいない?」と言ってひかりが毎度気にしていた。当時から大人を信頼していない感があった。


 けれどあの父親ならまあ無理もないかと変に納得する。

 疑惑の目を向けていた佳織が、にっこり笑顔になる。

 

「で、いつ入籍するつもりなの?」

「いやおかしいおかしい話が飛んでる。だいたいどんな子かも知らないでしょ」

「え? 手土産に高級なお菓子をよこしてくるいいとこの家の子でしょ?」

「違う違う、もっと人柄的な話だよ」

「なに? そんなに顔がまずいの?」

「やめろやめろ」


 当時のひかりの判断は正解だった。

 会わないに越したことはない。


 千晴は会話を切り上げて奥の自分の部屋へ向かった。

 4畳半と手狭だが部屋があるだけマシだ。以前は姉が使っていたが、家を出ていくと同時に千晴が譲り受けた。


 部屋着に着替えてリビングに戻る。

 ニュースの流れているテレビはひかりの家にあったものと比べると悲しいほどにスモールサイズだ。 


 千晴は革の破れた固いソファーに腰を下ろすと、スマホを手にとった。

 交換させられた灯莉のSNSアカウントを眺める。

 

(ふーん……?)


 あれでいてそこそこに人気者らしい。 

 マンガやアニメのキャラのコスチュームに着替えた写真が上がっている。

 

「ほう……?」


 さっきは気づかなかったが意外にある。胸が。尻が。

 盛っているのか、実物よりだいぶ高身長に見える。実際会ってみたらちっちゃかった、はあるあるだ。


 ショート動画なんかも上げているらしい。

 ついスマホの画面に見入っていると、キッチンから佳織の声がした。


「千晴ー? エロ動画はダメよ、ギガがもってかれるでしょ」

「いや違うわ」


 まるでお見通しと言わんばかりの発言。

 疑われるのもシャクなので閉じようかと思っていると、画面に通知がきた。

 

『きさま! 見ているなッ!』


 灯莉からのメッセージだ。ちょっと驚く。

 少し考えてから返信する。


『実物よりかわいくてびっくりしました!』

『それ逆ゥー!』

『冗談です』


 ハートと笑顔の絵文字が返ってきた。自然と口元が緩む。

 もしひかりに見つかったら「なにをにやついているの?」と詰められること間違いなしだ。


「だから動画はダメって言ってるしょ。まったくそんなにやついて……」


 佳織がもやしを盛った皿を運んでくる。

 テーブルに料理が並ぶと、お互い面と向かって席についた。 


「ごめんね。今日もスーパーのお惣菜ともやしで」

「そんなことないよ。母さんのもやしは最高だよ」

「でしょ?」

 

 そう言っておかないと機嫌を損ねる。

 しかし自称もやしを極めし者というだけあり、味付けは絶品である。それだけでご飯が何杯もいける。

 箸を使いながら、佳織がとりとめもなく話を始める。


「新しく異動してきた店長がイケメンでね。今度ご飯でもどうですかって、デート誘われちゃった」

「息子が聞かされたくない系の話を食卓でするな」

「休みの日は朝からパチンコに並ぶんだって」

「また見えてる地雷を踏みに行く」

「わかってるんだけど、でもイケメンなんだよねぇ」

「それ大学生ぐらいのノリじゃなくて?」


 姉が就職し家を出て以来、母とはここで二人暮らしだ。 

 父とは小さい頃に死別した。運送で働いていた父は大きな玉突き事故に巻き込まれて亡くなった。


「あのね、ホントはお母さん、さっき千晴が帰ってくるまで泣いてたの。この先どうやって生きていこうって……」

「いやいやそこまで追い詰められてないでしょ」

「もし千晴がいなかったらと思うと……。千晴、生まれてきてくれてありがとう……」

「いや重い重い! 普通に帰ってきただけなのに重い!」


 いきなり頭を垂れ始めた。なんでもない夕飯時にする話ではない。

 なだめると、佳織は揚げ物を見つめてケロッとした顔でいう。

 

「あ、やっぱり醤油持ってきてくれる?」

「急に素に戻る」

「でもね、千晴がそうやってちゃんとストップかけてくれるからやれてるとこあるからね実際」

「毎度すぐ止まってくれればいいんだけどね」

  

 気を抜くとネガるのでツッコミでもしないとやってられない。

 けれどそれでお互いガス抜きにはなっている。とりあえずは場が明るくなる。二人でも会話になる。もしかするとそれが彼女なりの、息子とのコミュニケーション法なのかもしれない。

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