第19話


「どうも、下等人種です」


 千晴が言い放つと、ニコニコだった譲司の顔が固まった。急にうろたえ始める。


「や、やだなぁ。どうしたんだい、いきなりそんな……。もしかして、昔のことまだ根に持ってるのかい?」


 ひかりが耳打ちしてくる。千晴はそのまま言う。


「……まあ、子供にそんなふうに言ったら傷つきますよね」


 とうとう譲司の笑顔がひきつった。


「ま、まあ立ち話も何だから、中でゆっくりお茶でも飲みながら……」

「昔は家に入れてもらえなかったんですよね。門の前で追い払われて」

 

 ひかりの耳打ちは続く。

 千晴はラジコンと化して、ひかりの言葉を自分の口で言い直す。


 譲司はついに真顔になった。

 まっすぐ千晴に向き直るなり、深々と頭を下げる。


「すまない! 本当に申し訳ない! あのときの私はどうかしていた! 人の顔が札束にしか見えていなかった。正直言うと君の顔は5円玉に見えていた」

「穴空いてました僕の顔?」

「今日君を呼んだのは、ほかでもない。そのことについて謝りたかったんだ。本当にすまなかった。許してニャン」

「その車に大きめの石投げていいですか?」

「やだなぁ、そんな怖い顔しないでくれよ! ほんのジョークじゃないかHAHAHA!」

「これ反省してねえな」

 

 かたわらを振り返ると、ひかりはドン引きした顔で自分の父を見つめていた。娘の視線に気づいた譲司は、千晴に手招きをしてくる。

 

 無視していると無理やり肩に手を回してきた。ひかりに背を向けて、あさってのほうに歩きだす。


「ところでうちのひかりなんだがね……休みの日はずっと家でスーファミやってるから困ってるんだ」

「それは困りますね」

「ゲームならせめてぶつ森とかマリカーとかをやってほしいのだが……」

「そういう問題ではないのでは」

「やあしかし君、おっきくなったねぇ。もう見るからに賢そうだし、イケメンってやつなんじゃないか? あっちこっちで言われるだろう」

「絶対に裏のある露骨な褒め殺し」

「よし、二人の交際を認めよう!」

「いや待て待て待て」


 肩に乗った手を引き剥がすと、譲司はやれやれ、みたいなポーズを取った。やっと真面目な顔になる。 


「まあ冗談はさておき、だ。千晴くん。どうか昔のようにひかりと遊んでやってはくれないだろうか」

「いやあの……どこまでが冗談で本気なのかわからないんですが」

「今までの話はぜんぶ冗談だ」

「人の時間をいたずらに奪うな」

 

 譲司が眉根を寄せた。

 今のは少し強めにいきすぎたかもしれない。

 

「あ、ああ、すいません。僕ちょっと、ツッコミが……無意識に口が悪くなってしまうことがあって……」 

「いいのか? 父親の前でそんな態度を取って……娘をやるぞ?」

「そこは娘はやらん、では?」

「しかしこの私にそんな口をきくとは……よし、その度胸気に入った!」

「いやそういうのもいいから」

 

 上げてくるときはだいたい裏がある。その手には乗らない。 

 譲司はひかりの顔色を伺いつつ耳打ちしてくる。


「見たまえ、ひかりは美人だ。器量もいい。今はちょっとやさぐれてしまっているが……更生できたら超優良物件だろう」

「自分の娘を物件って言うな」

「ひかりは君のことがいたく気に入っているようだ。どういうわけか君の言うことだけは聞くようだし……」

「いえ聞きませんけど?」


 そういう話にもっていきたいようだが残念ながら普通に聞かない。


「自分の手に負えなくなったからって、人にパスしようとしてません?」

「パスを返せとは言わない。君がそのままゴールしてくれればいい。いやトライしてくれれば」

「わかりにくく例えるのやめてくれません?」

「あーごめんごめんちょっと電話かかってきちゃった」


 譲司は手早くスマホを取り出して耳当てると、無駄に大声で話しながらあさっての方へ歩いていく。口数の多さといいやかましさといいせわしない。

 千晴は憮然として立ちつくすひかりのもとに戻る。


「電話だって、やっぱ仕事が忙しいのかな?」

「キャバ嬢からの電話でしょ」

 

 譲司はスマホ片手に頭をかきながら、なにやらにやついている。たしかに仕事の電話には見えない。


「でもなんか、思ってたのと違ったな」

「ハルくんダメじゃないの、ここは思う存分ざまぁしてやらないと。あの人は口ばっかり達者で、きっとこりてないから」

「でもまあ、ひかりのこと気にかけてるみたいだったけど。いろいろと」

「最近やたら体面を気にしているの。娘一人もまともに育てられないと思われたくないようで」

「やっぱまともに育ってなかったんだ」


 肩パンされた。今のは自分で言ったのではないか。

 

「いつ電話終わるかわからないから、とりあえずうち入りましょ?」

「いや、僕はそこまで長居する気は……。あれ? そういえばメイドの人は?」

「自分の部屋じゃないの? さっきグッズ抱えて先に家の中に入っていったけど」


 雇い主とお嬢様をほっぽってグッズの整理を優先したらしい。

 屋根のついた玄関の扉は半開きになっていた。


「え、でも自分の部屋って?」

「住み込みなのあの人。まあ部屋は空いてるんだけど……父がいないあいだ、二人になったりする時があるから気まずくて」


 ひかりと譲司だけでは見るからにこの家は大きすぎる。逆に管理が大変そうだ。


「あれ、そういえばひかりのお母さんって……」


 ひかりの口ぶりからして、一緒に住んでいるわけではないようだ。

 千晴も父親とは面識はあれど、母親には会ったこともなければ話すら聞いたことがない。

 

 問いかけに対し、ひかりは何も言わずに目を伏せた。その背後から譲司が近づいてくる。 


「いやー千晴くんすまないね、待たせて。二人で何の話だい?」

「ええと、そういえばお母さんってどんな人かなって……」


 言いかけると急に譲司も押し黙った。目を伏せがちにうつむく。

 二人が静まり返ってしまい、場に謎の沈黙が走る。 


「あっ、いや、なんでもないです。全然、今のは気にしないで」


 空気を読んで質問はなかったことにした。

 母親については触れてはいけない案件なのかもしれない。


「それじゃあ中に入ろうか! ケーキも用意してるからね!」


 譲司はぱっと顔を上げると、朗らかに笑いかけてきた。

 まるで編集点でも作られたかのような切り替え方だ。やはり母親について掘るのはよそう。千晴はそう決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る