第22話 尊き犠牲
インパルス城の中は無音だった。
三人は警備の人間に見つからないように注意しながら、通路の奥へと歩いていく。
灯りがないため、壁を頼りに手探りで進んでいたが、すぐに目が闇に慣れてきた。
「暗いですね」
「あまり声を出すな。自分の居場所を敵に知らせるようなものだぞ」
先頭を歩いているジンが、ジェシカを叱り付ける。
三人は細長い通路を歩いていくと、目の前には二階へと続く階段が見えた。
横幅が成人男性五人分くらいの広さで、上の階が霞んで見えるほど長い階段だ。
もちろん薄暗かったせいもあるが、普通に考えても長すぎる階段であった。
「たぶん、王の間は最上階ですね」
ジェシカが軽い足取りで階段を上がっていく。
「どうぞ、サクヤ様。後方は私が守ります」
今まで先頭を歩いていたジンは、サクヤの手を取りながら真ん中の位置に移動させた。
狭い階段で挟み撃ちになった場合、サクヤが中心にいてくれたほうが、攻守とともに安定するからだ。
「ああ、わかった……ん?」
サクヤが不意に天井を見上げると、二つの光が怪しく輝いていた。
「どうかしましたか? サクヤ様」
「い、いや……」
サクヤはジンの顔を見た後に再び天井を見上げた。
しかし、二つの光が見えた場所には、暗闇が広がっているばかりであった。
(気のせいか?)
その二つの光は、闇夜に怪しく輝く動物の両眼にも見えた。
しかし、城内に動物を飼い慣らしているはずもなく、サクヤは首を傾げてジェシカの背中を追っていく。
三人はインパルス城の五階の位置まで来ただろうか。
城外から見た城の高さからすると、もうじき最上階である。
三人は一階ごとに慎重な足取りで上がり、気配と息を殺しながら警備の人間との遭遇を回避していく。
三人の足取りが六階でピタリと止まった。
眼前には所々にひびや汚れが目立つ壁が、無言でこれ以上の進入を阻んでいた。
階段はこの階で止まっていたが、その横には先へと続く通路があった。
三人は目の前の通路からは見えない位置に隠れて、通路の奥の様子を確認する。
「ずいぶんお粗末な警備体制ですね。 皆さんお休みでしょうか?」
通路の背にもたれながら、ジェシカが目の前の通路を注視する。
「先に行ったシュラ殿が警備の人間を倒したのでは?」
「ああ……だが」
サクヤの言葉が途切れた。
ジンの言う通り、シュラが警備の人間を倒すのは簡単だろう。
だが、今までに一人も警備の人間や城で働く召使いの人間と出会わないということがあるのだろうか。
「どうやら、この階にも人の気配がありませんな」
ジンが壁から身を乗り出すと、通路にその五体を晒した。
通路は他の場所と同様に灯りがなく、肌に絡みつくような闇に支配されていた。
どこからか風が漏れているのだろう。
髪をかすかに揺らす程度の微風が、三人の身体を駆け抜けていく。
通路の壁を手掛かりに闇の中を歩いていくと、先頭を進んでいたジンの身体が急に歩みを止めた。
「うっぷ!」
サクヤの視界が急に暗くなり、顔には大きくて柔らかい感触が一面に広がった。
三人はほぼ密着しながら歩いていたため、中心を歩いていたサクヤの顔が、ジンの背中に埋もれた体勢で立ち止まったのだ。
「急に立ち止まるな!」
サクヤは顔を抑えながら、ジンの背中の肉を力強く叩いた。
「シッ! サクヤ様、何か聞こえませんか?」
ジンの緊張した様子に気付いたサクヤは、耳に手を当て聴覚を研ぎ澄ました。
キキィ……キキ……
サクヤの耳に動物のような鳴き声が聞こえてきた。
その甲高い独特な鳴き声に、サクヤは聞き覚えがあった。
かつて、父親が外陸から持ち帰った哺乳動物の鳴き声にそっくりだった。
「サクヤ様!」
目の前にいたジンが、いきなり腰の剣を抜剣した。
瞬時に戦闘体制を取ったジンの行動に、サクヤは驚いてその場に転倒してしまう。 後ろにいたジェシカは咄嗟にサクヤを抱きかかえた。
ギィン!
ジンが上空に向かって剣を薙ぎ払った瞬間、白銀の刀身から火の粉が噴出した。
その衝撃でジンの巨体が大きくバランスを崩す。
突如、サクヤたちの上空から降ってきた黒い物体は、ジンの剣に薙ぎ払われるように後方に飛翔した。
その黒い物体は無音で床に着地する。
「何だ、こいつは?」
その場にうずくまっていた黒い物体が、ゆっくりと立ち上がった。
インパルス帝国の鎧を身に纏った細身の身体。
そして、異常に長い二つの手には、ボロボロに刃が欠けた短剣が持たれていた。
インパルスの兵士? そう思った三人だったが、相手の顔を見て驚愕した。
整えていないボサボサな白髪。
人間に近いようで、そうでない顔の輪郭。
口を尖らせて威嚇のような行動にでる仕草。
人間の兵士の格好をした胴体から上の部分――つまり首から上は人間の顔ではなく、外陸産の貴重種である〝猿〟と呼ばれる哺乳動物の顔が乗っていた。
「キキッ! キィ! キイイ!」
目の前に現れた猿人は、獲物を見つけた嬉しさからか、両手に持っていた二つの短剣をガチャガチャと叩いて狂喜している。
一見、無邪気にも見えるその行動も、三人にとっては脅威であった。
以前ブリタニア皇王は、外陸から輸入した珍しい種類の動物を、部下たちに披露してくれた時があった。
極彩色の綺麗な声で鳴く鳥類や、子供の握り拳ほどの小動物。
その外陸の動物たちの来訪に、サクヤや部下のジンとジェシカも大いに楽しんだ。
その中でも〝猿〟と呼ばれた動物には心底驚いた。
外見からは想像もできない凶暴性と瞬発力を兼ね備えたこの動物は、人間の子供くらいの大きさでも凄まじい戦闘力を有していたからだ。
しかし、眼前に仁王立ちしている猿人の体格は、ブリタニア皇国でも大柄な部類のジンと同程度の背丈があった。
先程の気配を感じさせない凄まじい急襲といい、この猿人が信じられない戦闘力を有していることは、対峙していれば嫌でもわかった。
まともに戦えば――おそらく死ぬ。
「ジェシカ! サクヤ様を連れて先に行け! ここは私が食い止める!」
初太刀を弾かれた衝撃で震える手を、ジンは強烈な意志の力で押さえつけた。
ジンは二人の盾になるつもりなのだ。
「しかし……」
「行くんだ!」
サクヤの小柄な身体を抱きかかえていたジェシカは、ジンの言葉で自分のすべきことを瞬時に理解した。
ジェシカはサクヤの手を取ると、そのまま通路の奥へと走り出した。
ジェシカの細腕から伝わる力強さがサクヤにも影響したのか、無意識のうちにサクヤの足も走り出した。
「待つんだ、ジェシカ! まだジンが……」
「隊長なら大丈夫です! それよりも、一刻も早くこの場を離れなければ」
二人は無我夢中で疾走した。
二人の肌にはじんわりと汗が滲み、加速する心臓の鼓動が全身に響いてくる。
サクヤは振り向かなかった。
自分たちが遠ざかるにつれ、後方では凶悪化した野生の咆哮が轟き、激しい金属音が鳴り響いてくる。
それでもサクヤは振り向かなかった。
ジンの強さは子供の頃から誰よりもよく知っていたからだ。
サクヤはジンの無事を祈りながら、闇の奥へと突き進んだ。
全力疾走したサクヤとジェシカが辿り着いた先は、社交場にも使えそうな大広間だった。
高価そうな蜀台には灯りこそ点いていなかったが、天井がステンドグラスになっているため、月の光が灯りのかわりになっていた。
「はあ……はあ……」
サクヤは心臓の位置を手で押さえながら、荒い呼吸を必死で整えていた。
「大丈夫ですか? サクヤ様」
ある程度長い距離を一緒に全力疾走したはずのジェシカは、もう何事も無かったかのように平然とした態度でサクヤを心配している。
「はあ……それにしても」
サクヤは呼吸を整えながら、天を見上げた。
天井のステンドグラスには天使と悪魔の姿が描かれていた。
月の光を通しながら彩を変えるガラス片の結晶体。
本来ならばその高度な建築技術に驚嘆するのだが、この場所は何かが違っていた。
出口のない迷宮に入り込んだような孤独感と恐怖感が、重圧となって身体に纏わりついてくる。
二人は警戒しながら石柱の影に隠れ、一定の距離を保って奥に進んでいった。
「サクヤ様、奥に階段が見えますよ」
軽く数百人は収納できる造りになっている大広間の奥には、たしかに階段が見えた。
周りを注意深く警戒しながら進んでいるが、この大広間には警備の兵士や化け物の姿は見当たらない。
「サクヤ様。私が少し様子を見てきますね」
そう言ったジェシカは、石柱から身を乗り出した。
――その時である。
サクヤの身体が激しく振動した。
まるで、脳天から足の爪先まで一気に電撃が走り抜けたような感覚に襲われた。
――出て行ったら駄目だ!
サクヤの脳裏にそう浮かんだ。
「待て! ジェシカ……」
「え?」
「〈――虚空破動閃――〉!」
ゴオオオオオォォォォォ――――ッ!
大気を振るわせる轟音と肌を焦がす強烈な熱風が、巨大な光の塊ともにサクヤの眼前を駆け抜けていった。
その直後、大広間全体が激しく振動した。
立ってもいられないほどの衝撃に、サクヤがその場に転倒する。
駆け抜けた光の衝撃波が、強震のように大広間を襲ったのである。
しかしそれよりも、サクヤには目の前の現実の方が受け入れられなかった。
その巨大な光が駆け抜けた場所にはジェシカがいたのだ。
たしかに、自分に向かって振り返ったジェシカがいたのだ。
サクヤはよろよろと立ち上がり、ジェシカを探した。
誰もいない?
誰もいない。
誰もいない!
その現実を直視した時、サクヤの全身から血の気が引き潮のように引いていった。
視界が狭まり気分が悪くなる。
サクヤは食道から喉にまで込み上げてくるモノを、必死で堪えた。
気が付くと、霞んでいく視界に男の姿が見えた。
威風堂々とした銀髪の男である。
銀髪の男?
サクヤの脳裏にシュラの姿が浮かんだ。
銀髪の男は何か喋っている。
「死というものは、この世に生きるすべての人間たちが行き着く最後の楽園だと思いませんか? 飢餓、闘争、病気、孤独、絶望、人間は形こそ違え死を望んでいる。死んだ人間は幸せです。この世のすべての不条理から解き放たれたのですから」
勝手な言い草だ。
死にたい人間なんて世の中にいるわけがない。
銀髪の男の話は続いている。
「特に自分でも気付かないうちに死んだ人間は幸せでしょうね。そう思いませんか? サクヤ・ムーン・ブリタニアス」
突如、サクヤは強烈な目眩に襲われた。
頭の中が割れるように痛み、激しい耳鳴りが身体の平衡感覚を欠いていく。
サクヤは耐え切れず膝から崩れ落ちた。
「貴方は幸せです。下賤な人間に訪れる下等な死ではなく、この世を無にする闘神の生贄となって死ねるのですから」
サクヤは薄れていく意識の中ですべてを理解し、そのまま昏倒した。
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