第20話   神になる条件


 カルマがテンゼンに向けて突き刺すような視線で睨みつけた。


「オリティアス本人の血が必要……それは本当ですか?」


「ほ、本当じゃ」


 カルマの刺すような視線を受けて、テンゼンはぶつぶつと小声になった。 


「古文書や文献の類には、300年前の〈ベイグラント大戦〉の全貌や、敵であった異民族の詳細についてはくわしく記載されていたのだが、肝心のオリティアス本人のことがあまり書かれていなかった……書かれていたのは、ブリタニア皇国の歴史書〈ブリタニア英雄史〉に書き記されていた」


「たしか、ブリタニア皇国から部下が持ち帰った戦利品の一つでしたね」


「うむ。特殊な暗号文が組み込まれていたり、わざわざ古代文字に置き換えたりと、解読するのに苦労したが、それだけの価値はあったと思う」


「その〈ブリタニア英雄史〉には、具体的に何と記されていたのです?」


 テンゼンは顎鬚を撫で回すのを止めると、額に流れる冷たい汗を拭う。


「異民族が当時のブリタニア皇国に侵攻した際に現れた、オリティアスと呼ばれた青年。この青年は常人にはない不思議な力を使い、異民族の侵攻を食い止めたとある」


 カルマは短いため息を漏らすと、再び手の中の〈オリティアスの瞳〉に目を向ける。


「テンゼン博士。そんなことは歴史書の謎を紐解かなくても、このベイグラント大陸の歴史を少しでも学んだ人間ならば誰でも知っていることです」


「たしかに。だが、その話には続きがあったとしたらどうする? それも、他国の人間には絶対に知られてはいけないブリタニア皇国の闇の歴史だ」


 テンゼンは目を見開き、不適に微笑んだ。


「そのオリティアスが異民族を撃退したときに使用したという不思議な力……」


「ふむ。十中八九、〈闘神術〉のことじゃろう。でないと説明がつかん」


 テンゼンはうろうろとその場を歩き始めた。


「仮にオリティアスが〈闘神術〉の使い手だったとして、異民族を撃退したのは史実です。 それが隠さなければならないことなのですか?」


 テンゼンは不意に歩みを止める。


「……のうカルマ、お主に訊いておきたい。仮に万の軍勢と戦ったとして、お主は勝てるのかの?」


「無理ですね」


 カルマは即答した。


「〈闘神術〉とは、人間に隠された未知の能力を自分の意志で発動させる究極の身体操作法です。気の遠くなるような肉体と精神鍛練の果てに、選ばれた人間だけがその力を獲得できる……しかし、強力な力は常に諸刃の剣と同じく欠点がある」


「その欠点とは?」


「持続時間が短いということです。個体差にもよりますが、せいぜい四半時が限度かと。これが一対一の闘いならば問題はありませんが、万の軍勢ともなれば〈闘神術〉の持続時間が切れてしまい戦えない。だからこそオリティアスは、異民族との戦いにおいてこの魔石――〈オリティアスの瞳〉を発動させ、持続時間を無効にして完全体となった。違いますか?」


 テンゼンは納得した顔で、また顎鬚を撫で始めた。


「たしかに、オリティアスは完全体となり異民族を撃退した……いや撃退というより一方的な虐殺だったかもしれん。そして、その虐殺は異民族を退けた後も続いたそうじゃ」


「その後も?」


「うむ。オリティアスは今でこそ大陸の伝説になった人物じゃが、本当は違う。オリティアスはただの大量殺人鬼だったそうじゃ。それも、敵味方の区別なく戦場を行き歩いた魔物そのものだったらしい」


「そんな人間が何故、ベイグラント大陸の英雄になったのですか? その話が事実ならば、異民族よりもたちの悪い話ですね」


 テンゼンは宙を仰ぎ、何かを考えるような仕草を取った。 


 そして、黒衣の内側のポケットから一冊の手帳を取り出した。


「これを読んでみろ」


 取り出した一冊の手帳をカルマに手渡した。


「これは?」


 テンゼンがカルマに手渡した手帳は、表面がボロボロに黒ずんでいて、いかにも年季が入った感じの手帳であった。


 その手帳には、テンゼンがこれまでに研究した分野が一目でわかるように、色が違う印が付けてあった。


「黄色の印が付いているページを読んでみろ」


 カルマは手渡された手帳の中身を確認した。 


 古代文を翻訳するために必要な単語の羅列から始まり、動物実験の詳細、科学記号、人体における薬学の知識。 


 そして、コルタスという特殊な高山地域にのみ生息した高山植物――アルマウネの人体投与における実験の成功と失敗例などが、こと細かく書き記されていた。

 

 普通の人間が読んだら吐き気をもようすほどの悪魔の書。


〈神魔学〉という学問に魅せられた人間の本当の姿が、手帳の中身に文字として鮮明に残っていた。


「いやはや、科学者という人間の考えていることには脱帽するばかりです」


「思ってもいない世辞はどうでもいい。さっさと読め」 


 カルマは黄色の印が付いているページを見開いた。


 そのページのタイトルには、『善と悪における人間の本質と身体分離性』と書かれていた。


 しかし肝心な本文の大部分が翻訳されておらず、カルマにも詳細がわからなかったが、ページの下の部分には一部の翻訳された単語が書かれていた。


「……二人のオリティアス……封印……未知なる人間の力……受け継がれる血……」


 カルマが読めるのはこの単語だけであった。


「テンゼン博士……これは?」


「これは〈ブリタニア英雄史〉に書かれていた暗号文を翻訳したものじゃ。まだ一部しか翻訳していないが、これだけでも仮説は立てられる」


 学者という人間は、仮説を立てることで成り立つ生き物である。


 カルマは遠い昔、誰かがそんなことを言っていたことを思い出した。 


 テンゼンを見る限り、どうやら本当のことだと妙に納得してしまう。


「それで、博士なりの仮説とやらを聞かせて欲しいですね」


「うむ。よかろう」


 テンゼンは得意気な顔になり、自分の仮説を話し始める。


「オリティアスはたしかに異民族が率いる軍勢を退けた……これは間違いない。だが、このオリティアスの行為は、英雄的思想や道徳的概念などといった感情の露出からきたものではなかった。そう、単に自分の圧倒的戦闘力を誇示したかったんじゃ。万の軍勢相手にな」


 テンゼンは自分の立てた仮説に気持ちが高揚してきたのか、興奮した様子で話を続ける。


「異民族を退けた後も、オリティアスの破壊の衝動は収まらなかった。その矛先は、近くに待機していたブリタニア皇国軍に向けられた。待っていたのは異民族の時と同様、圧倒的な個人の力による虐殺じゃ……そして」


「そして?」


「オリティアス自身が二つに分離した。善と悪の感情をそれぞれ分けた二人の人間として……」


 テンゼンの仮説を聞いたカルマは、開いていた手帳をパタンと閉じた。


「それは想像の範疇ですか? それとも何か確信が?」


「その〈オリティアスの瞳〉じゃよ」


 カルマの手中に握られている〈オリティアスの瞳〉は、依然、赤い光沢を放っている。


「おそらく何かの理由で二人に分離したオリティアスは、互いの存亡を賭けた激しい死闘を演じた。後の歴史書に何も書かれていないことや、語り継がれたオリティアスの英雄伝説からみて、勝利を得たのは善の感情を持ったオリティアスの方だったんじゃろう」


 カルマは、風に揺れる優雅な銀髪を捲し上げる。


「読めてきました。勝利した善のオリティアスは、悪の自分ごと〈オリティアスの瞳〉にその身体を封印した。それに関わったのが、当時のブリタニア皇王と一部の重臣たち。そして、最後の封印を解く鍵がオリティアス本人の生き血というわけですか」


「そうじゃ」


 テンゼンは舌打ちしながら、短い足で床を蹴った。


「ワシの仮説が正しければ〈オリティアスの瞳〉の最後の封印を解くことはできん。 300年前の人間の生き血など手に入るわけがないからのう」


 カルマの顔にも懸念の表情が浮かんでくる。


 テンゼンの言うとおりであった。 


 大昔の人間の生き血など手に入るわけがない。 


(ここまで来ながら……あと一歩だというのに) 


 カルマは考えた。 


 何かまだ打つ手があるはずだ。 


 そう自分に言い聞かせながら、テンゼンとの会話を一言一句思い出していく。


「!」


 突如、カルマの脳裏にある言葉が浮かんだ。


「テンゼン博士!」


「な、なんじゃ!」


 カルマの唐突な言葉に、テンゼンの小柄な身体がピクリと反応する。


「博士は先程、〈ブリタニア英雄史〉は世間に知られてはいけない闇の歴史だと仰いましたよね?」


「ああ、それがどうした?」


「それは何故です?」


 テンゼンは、「何をいまさら」といった感じで顎鬚を撫で回している。


「決まっておろうが。ベイグラント大陸を救った英雄が、実は敵味方の分別がつかない大量殺人鬼だったからじゃ」


「では、何故それをブリタニア皇国が闇に葬ったのですか? ブリタニア皇国とオリティアスには何も接点がないはずなのに」


「なに?」


 テンゼンは、鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を見せた。


「ここからは私の仮説なのですが、オリティアスはブリタニア皇国の皇族だったのではありませんか? ……いや、もしかするとブリタニア皇王の息子だった可能性もあります。もしそうだとすれば、間違いなく世間には漏れてはいけない事実ですよね」


 カルマの独自の仮説を聞いたテンゼンは、おもわず両手を叩いた。


「そうか! 真相の漏洩を恐れた当時のブリタニア皇王は、オリテイアスを英雄にすることで真実を闇に葬ったわけか」


「もし、私の今の仮説が正しければ、最後の封印を解く鍵は同じ生き血でもオリティアスの生き血ではない。 おそらく、当時のブリタニア皇王直系の人間の血ではないかと」


 テンゼンの顎鬚を撫で回す速度が加速する。 


「たしかに、お前の言うことも一理ある。しかし、それを確かめる手段がないではないか。 ブリタニア皇王はお前自身が始末したのであろう?」


「いえ、もう一人いますよ。 直系の血筋の者が」


「誰じゃそれは?」


「サクヤ・ムーン・ブリタニアス。 ブリタニア皇王の第一息女ですよ」


「サクヤ? その娘は討伐隊まで送り込んで始末させたのではないのか? それに、ワシの実験体まで使っておったではないか」


 その場に静寂が流れた。


 どこから吹いてくるのか、肌を刺すような冷気が大広間に充満してくる。


「博士には秘密にしていましたが、サクヤ・ムーン・ブリタニアスの暗殺は悉く失敗しました。博士から渡された秘薬の実験体となったゲンジロウと名乗る男と、その男に連れ寄っていた娘の二人もです。それだけではありません。帝国近辺を監視させていた部下の情報によると、サクヤ本人が従者を連れてインパルス帝国に向かっているそうです」


「なんと、それは好都合ではないか! すぐにその娘を捕らえて実験しよう。フォフォフォフォ、腕が鳴るわい」


 喜びにふけるテンゼンの隣では、大広間に充満する冷気と呼応するように、冷たい笑みを浮かべるカルマの姿があった。


「その必要はありませんよ。 テンゼン博士」


「なに?」


 そう言うとカルマは、手帳を持っていた左手に〈気〉を込めた。


 体内から溢れ出した光の粒子が氷の結晶へと変化し、カルマの手中に収まっていた手帳を瞬時に凍結させていく。


「き、きさま! 気でも狂ったか!」


 カルマの左手の中で完全に凍結された手帳を奪い取ろうと、テンゼンが両腕を伸ばす。


「テンゼン博士。 今まで役に立ってくれて本当に感謝しています。そのお礼に安らかな死を送りますよ」


 カルマは凍結させた手帳を握り潰すと、右手の指先に〈気〉を集中させた。


「返せええええええっ!」


 テンゼンの悲痛な叫ぶも虚しく、それは放たれた。


「〈――虚空指閃――〉!」


 ビシッ!


 カルマは〈気〉を込めた指先で、何もない空間を弾いた。 


 指先に集中させた〈気〉は小さな球状の氷玉と化し、空気中を肉眼では認識不可能なほどの速度で飛来した。


 と同時に、テンゼンの身体が揺れた。 


「……さて、この調子で行くと数日中には戦争になるか。 〈守護同盟〉の王たちは馬鹿の集まりではないしな」


 カルマはこれから起こるであろう、未曾有の大惨事を心待ちにするかのような喜悦を浮かべ、大広間の入り口へと歩き出していく。


 大広間を出る時に、カルマの後ろから何かがドッと倒れる音がしたが、カルマは振り向きもせずその場を後にした。


(部下の報告にあった、サクヤ一行の中にいるという謎の男。ブリタニア皇国の人間ではないらしいが……まさかな)


 カルマの姿が闇に消えると、大広間にはむせるような血臭が充満するばかりであった。

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