第19話   最強の武人の最後

 アズベルトは、自分の横を一瞬で通り過ぎた閃光に視界を奪われた。 


「グアアアアアアアアアッ!」 


 突如、アズベルトの目の前からは、大気を震わす悲鳴が大広間全体に響き渡った。


 アズベルトは一瞬だけ閉じた瞼を見開くと、人狼と化したシバの胸元を見て驚愕した。


 目の前を通り過ぎた光の正体は、青白い光の粒子で構成された光槍であった。 


 その光槍は人狼と化したシバの胸元に深々と突き刺さっている。


 人狼と化したシバは、その逞しい獣腕で光槍を抜こうとした。 


 その瞬間、胸に深々と突き刺さっている光槍は、その行為を否定するかのように凍結していく。


「ギャアアアアアアアッ!」


 人狼と化したシバは、絶叫を上げながら地面にのた打ち回った。


 しかしその間にも、光槍から広がっていく氷の波紋の勢いは止まらない。


「シバ国王!」


 アズベルトの声も虚しく、その場には人狼と化したシバの氷の彫刻が出来上がっていた。


 やがてその氷の彫刻は、光槍の消滅と同時に全身に亀裂が走り粉々に砕け散った。


「くっ……」 


 アズベルトは肋骨から全身に走る強い痛みを堪えながら、シバが存在していた場所にまで足を運んだ。


 その場には何も無かった。


 それは、この世にシバという男の存在が完全に無くなったことを意味していた。


「そんな……そんな馬鹿な……うおおおおおおっ!」


 アズベルトは大粒の涙を流し……泣いた。


 両膝をガクリと床につけ、無念の思いを腕に込めながら地面に叩きつける。 


 その姿からは、とても一国の将とは思えない様子ではあったが、それもしかたないことだった。 


 他国の人間からは愚王と中傷されていたシバも、アズベルトにとっては命を懸けて守ると誓った人間だったからだ。


 その人間が今では、跡形もなく消滅してしまった。


 アズベルトは体を震わせながら、地面に転がっていた剣を手に取った。 


 怒りの矛先を剣の切っ先に合わせ、勢いよく振り向いた。


 アズベルトの眼下に佇むカルマは、両腕を組みながら何事もなかったかのようにくつろいでいた。


「最後のお別れは済みましたか? アズベルト殿」


「この悪魔め!」


 アズベルトは頬を流れる雫を拭おうとせず、剣を構えた。


 右足を前に出し、両足を前後に大きく開く。 


 そして、構えた剣は顔面右横ではなく、まるで天を衝くように高々と掲げている。


「ほう、それが二之太刀いらずと呼ばれた、ジゲン流〈真・トンボ〉の構えですか」


 大トカゲを斬り伏せた時の構えは、どちらかというと正確さと速さに重視を置いた構えだった。 


 それに対して、今のアズベルトの構えは相手の反撃を考えず、全身全霊で敵を斬る。 


 ただ、この一点に的を絞った構えだった。


「キエエエエエイッ!」


 猿叫と呼ばれる裂帛の気合とともに、アズベルトは疾走した。


 構えを一切崩さず大階段を駆け下りていく。 


 膨大な剣気を放出しながら暴風を身に纏ったアズベルトは、まさしく剣鬼と化していた。


 本来ならば〈トンボ斬り〉とは、このまま相手に突進し、袈裟斬りにする剣技である。


 しかしアズベルトは、床と大階段の手すりを足かけに天高く跳躍した。


「くらえ、カルマ!」


 上空から放たれるアズベルトの剣が、カルマの頭上目掛けて流星の如く降り注いだ。


 カルマは組んでいた両腕を解くと、おもむろに右手を上空にかざした。 


 そして、何もない空間を掌で円を描くように動かした。


 パキーン! 


 カルマが円を描いた空間にアズベルトの剣が接触した瞬間、アズベルトの剣が粉々に砕け散った。 


「なに!」


 それは分厚い氷を斬ったような感触であった。 


「その常人を遥かに超えた精神力、卓越した身体能力と剣技……じつに惜しい。 こんなところで出会わなければ、〈闘神術〉の領域に足を踏み込めたものを……」


 カルマは瞬時に身体を移動させ、アズベルトの首をワシ摑みにした。


 その動作は決して速くはなかった。 


 むしろ遅いと言っていいほどの速度だった。 


 だが、予備動作や気配を完全に消していたため、アズベルトにはカルマの兆しがまったく読めなかった。


「ぐっ……かっ……ごあっ」


 アズベルトは、自分の首を締め上げるカルマの腕を振り解こうと、両腕に力を込める。 


 しかし、カルマの腕に込められている万力のような力が、アズベルトの首を真綿のように締め上げて離さない。


「どうです、アズベルト殿。私とともに新たな世界を作りませんか? 貴方にはその資格があります」


 アズベルトの首を絞めながら不敵に笑うカルマの瞳は、もはや人間の瞳ではなかった。


「ふ、ふざ……ける……な……誰が……」


 アズベルトは最後の力を振り絞り、懐に隠してあった短剣を抜こうとした。


 しかし――。


「……そうですか。 残念です」


 グキィ!


 耳の奥に響いた何かが砕ける音。


 それは、アズベルトが聞いたこの世で最後の音だった。


 凄まじい力で頸骨をへし折られ、首があらぬ方向に曲がっているアズベルトを、カルマは無造作に床に投げ捨てる。


「非常に残念ですよ、アズベルト殿。 貴方なら良い手駒になってくれたのに」


『だったら〈操獣兵〉にでもすればよかったのではないか?』


 カルマがゆっくりと大階段に視線を移した。


 その先には誰もいない。


 だが、カルマは何もない空間に向かって話しかける。


「〈操獣兵〉にしてしまっては勿体無いと思いましてね……ところで、相変わらず盗み聞きの癖がおありですか? テンゼン博士」


 突如、大階段に黒い霧がかかった。


 空間が異様に歪み、漆黒の暗幕が大階段の一部を覆いつくす。


『フォフォフォフォッ……』


 その声の持ち主は、闇とともに現れた老人であった。


 光沢が感じられる禿頭。 


 唯一、色を残す白髪の顎鬚を胸まで伸び生やしていた。 


 この闇から現れた老人は研究者か科学者のようだが、着用している服は白衣ならぬ黒衣だった。 


 一見小柄で人畜無害な老人にも見られるが、瞳の奥底では野望という名の炎が延々と燃え盛っているのが感じられる。


「本当に勿体無いのう。〈操獣兵〉にすれば信じられない働きをしたかもしれんぞ」


 テンゼンは女性のように細く骨張った手で、胸まで到達している顎鬚を無造作に撫で回していた。


「〈操獣兵〉にしてしまっては知能も低下して、身体能力も落ちる。なにしろ、博士の命令しか聞かなくなるではありませんか」


「当然じゃ、ワシの玩具じゃからのう。しかし、変形すればその戦闘能力は一般の兵士などとは比較にならんくらいに上昇する。お前の命令無視も愛嬌じゃわい、フォフォフォフォフォッ」


 下卑た笑い声を上げるテンゼンを横目に、カルマは冷ややかな視線を送る。


「わざわざ、そんなことを言うためにここに?」 


「馬鹿を言うな、そんな暇人ではないわ。ほれ」


 テンゼンは、黒衣の内側のポケットに入っていた物をカルマに投げ渡した。


 カルマは自分に向かって投げられた物を、音も立てずに摘み取る。


「素晴らしい……」


 カルマの手中には、赤く光沢を放つ石が握られていた。


 その石は自らが意志を持っているかのように、艶やかに光り輝いている。


「さすが、テンゼン博士。これぞまさしく〈オリティアスの瞳〉」


 その〈オリティアスの瞳〉は、以前より形状が変わっていた。


 灰色だったはずの石が今では宝石のような紅い光沢を放っており、歪だった形は綺麗な円形になっていた。 


 そして、石の表面には何やら文字のようなものが刻まれていた。


「苦労したわい。人体実験や古代の文献を頼りに、ここまで復元できたのは奇跡じゃった。なにせ、以前の状態は完全に封印されていたからのう」


「では、どうやって封印を解いたのですか?」


 カルマは〈オリティアスの瞳〉を眺めながら、歪んだ笑みを浮かべる。


「血じゃよ。それも大量のな」


「血?」


 テンゼンは相変わらず顎鬚を遊ばせながら、得意気な表情になる。


「そうじゃ。その〈オリティアスの瞳〉は大量の血が結晶化したものと考えていい。 だからといって、単に血を固まらせたものではない。そこで〈神魔学〉の出番となったわけだ」


「〈神魔学〉……」  


 テンゼンはインパルス帝国・国王シバの主治医となっていたが、裏では〈神魔学〉と呼ばれる古の学問の研究に勤しんでいた。


 その内容は、人間に隠された未知の領域を解き明かすこと。 


 それに魅せられたテンゼンは数十年もの間、この狂気とも呼べる学問にすべてを費やしてきた。


 カルマと手を組んだのも、自分の野望のためともう一つ理由があった。 


 それは、カルマが使う〈闘神術〉である。


 テンゼンが研究する〈神魔学〉が、実験や薬物の服用を経て、人間の隠された力を呼び起こす学問ならば、カルマが使用する〈闘神術〉は、自分の意志と肉体でその力を自在に操る技術である。


 いわば〈闘神術〉は、〈神魔学〉が目指す理想の極致ともいっていいほどの存在であった。


 テンゼンは機会さえあれば、カルマ自身を媒体に実験してみたいと密かに思っている。

「なるほど。博士ご自慢の〈神魔学〉の研究が実を結んだというわけですか」


「フォフォフォッ! 実験材料にこの国の人間を多少は使ったが、まあ、それも研究のためには致し方ないことじゃろうて」


「多少……ですか」


 近年におけるインパルス帝国内の猟奇事件は、すべてテンゼンの実験材料にされてきた人たちであった。


 それでもまだ、一般の犯罪に見え隠れしていた程度だったのだが、カルマがブリタニア皇国から持ち帰った〈オリティアスの瞳〉の謎を解くために、テンゼンの実験回数が大幅に増加した。 


 それに比例して帝国内における被害者の数も増大したため、インパルス帝国は〈魔都〉と呼ばれ、恐れられるようにまでなってしまった。


 もちろん、カルマは黙認している。


 アズベルトを襲った〈操獣兵〉と呼ばれる異形な者たちも、テンゼンの研究の過程で生まれた、いわば失敗作の成れの果てであった。


「一般人にいくら被害が出ようとも一向に構いません。こうして完成された〈オリティアスの瞳〉が、私の手中にあるのですから」


 表情こそ少ないが、カルマには喜びの感情がたしかに浮き出ていた。


「ふむ、ただな……」


 喜びにふけるカルマを横目に、テンゼンが怪訝な表情を浮かべた。 


 自分の実験が成功したというのに暗い表情を見せるテンゼンを、カルマは見逃さなかった。 


「ただ、なんです?」


 態度が豹変したテンゼンに、カルマがゆっくりと視線を移した。


「いやな、古文書や文献を頼りにある程度の復元はできたんじゃが……どうやら完全に封印を解くためには、あと一つ決定的なモノが足らんらしい」


 喜びの笑みが消えたカルマが、真剣な表情を見せる。


「テンゼン博士。その決定的なモノとは?」


「血が足らん。それも、ただの人間の血ではない。オリティアス本人の生き血じゃ」


 

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