第12話 復讐の源泉
美しい――。
そこを訪れた者は皆そう思うだろう。
雄大な自然が長い年月を欠けて作り出した神の領域がそこにはあった。
高い山々が幾重にも連なっており、人間の進入を拒んでいるようにも感じられる。
サクヤたち一行は、インパルス帝国の国境に連なる山岳地帯の麓に辿り着いたばかりであった。
岩の間を清涼な水が涼しげな音を奏でながら流れている。
森の木々の間からは、日の光が一つの線となり地面を照らしていた。
「サクヤ様……大丈夫ですか?」
「はあっ……はあっ……だ、大丈夫だ」
常日頃から身体を鍛えているジンやジェシカは、多少のことでは疲れない。
シュラにいたっても同じだった。
息を切らさず軽い足取りで歩いている。
そんな三人の後方に、足を引きずるように歩いている人間がいた。
サクヤだ。
サクヤは貴族のお嬢様が身につけなければならない社交行事よりも、庶民の男の子が好むような遊びの方が好きだった。
サクヤにとって、皇宮内は絶好の遊び場だったからだ。
そのおかげで皇宮内に仕事を持っていた者は、一度は必ずサクヤの遊び相手をさせられた経験がある。
もちろん強制だった。
そんなサクヤたち一行が山岳地帯に足を踏み入れてから、すでに数時間が経っていた。
人一倍体力があると自負していたサクヤも、そろそろ限界だった。
日が落ちてきて、残照の眩い残り日が瞼を軽く閉じさせる。
「そろそろ休憩と致しましょう」
ジンがそう言うと、サクヤは安堵の息を漏らした。
涼しい顔をしていたジンとジェシカも、実は必死に荒くなる息を整えながら歩いていた。
慣れない場所。
それも、人の手が行き届いていない道なき道を歩くのは、それほど体力と精神力を削ってしまうのだ。
「では、私は何処か野宿できる場所を探してきますね」
そう言い残すとジェシカは、最後の力を振り絞るように上流へと消えていく。
「私も、火を熾す薪でも探しに行きましょう」
ジンもジェシカと同様に、薄暗くなりつつある森の中に消えていった。
その場にはサクヤとシュラの二人だけになった。
サクヤとシュラは食事担当ということになったのだが、食料はイシスの街で買った保存食があったので、特に準備することはない。
単に二人は留守番だった。
しかし、留守番といってもやることはある。
シュラは焚き火をする場所を適当に決めると、河原に足を運び、辺りに転がっている石を運んできては積み上げる。
サクヤは手ごろな石に腰を下ろし、体力の回復を待っている。
「……おい」
サクヤは正常になりつつある呼吸を整え、シュラに話しかけた。
「もういいのか? 喋っても」
「あ、当たり前だ!」
サクヤは自分と違い、全然疲れた様子がないシュラを見て少し憎たらしくなった。
今日だけでもかなりの距離を歩いたはずなのに、シュラは目の前で鼻歌を歌いながら焚き火の準備をしているからだ。
「お前は本当に人間か?」
「人間だよ。見ればわかるだろう」
サクヤは納得がいかない様子でシュラに尋ねた。
「じゃあ、あの力は何なんだ?」
シュラの作業の手がピタリと止まった。
「もう誤魔化すのはやめろ。今はジンもジェシカもいない……それでも話せないのか?」
「………………」
シュラはゆっくりと立ち上がった。
同じ姿勢で作業していたせいか、固まってしまった身体を軽い柔軟体操でほぐしていく。
シュラは首をコキコキと鳴らすと、サクヤの方に近づいてきて隣に座った。
「ある男を捜している」
「え?」
シュラは遠い眼差しで、薄暗くなりつつある茜色の空を見上げながら話し始めた。
「俺の故郷はベイグラント大陸から遥か東にある島国、〈ジーファン〉と呼ばれる小国だ」
シュラの意外な告白に、サクヤの目は点になった。
「お前も外陸人だったのか?」
驚いたサクヤだったが、何となくそうではないかと思っていた。
匂いというか空気というか、シュラから感じられる雰囲気があまりにも異質だったからだ。
「まあな。あいつが向かった先が、ベイグラント大陸だってことがわかったからな。 入陸する時は苦労したよ」
「あいつ?」
「ああ、俺の……俺の姉さんと師匠を殺した男だ」
その場に座っているシュラの全身からは、燃え盛る炎のような威圧感が発散された。
隣に座っていたサクヤもその威圧感に影響されたのか、身体が熱く火照ってきて汗が流れ落ちてくる。
「お前の姉と師を殺した男……」
「あいつは姉さんと結婚し、俺の義兄になるはずだった」
シュラの拳が硬く握られているのをサクヤは見逃さなかった。
握られた拳の間からは真紅の血が滴り落ちていた。
「俺はその男を追ってベイグラント大陸までやって来た。そして、似たような男がインパルス帝国・国王の側近にいるという情報を摑んだんだ」
「シュラ……」
サクヤは胸が締め付けられる感覚に襲われた。
この男は私と同じだ。
サクヤは、今まで自分がシュラに対して言葉にできない嫌悪感を抱きながら、憎めない理由がハッキリとわかった。
シュラも自分と同じ傷を心に刻んでいる。
どこか他人とは思えないほどの親近感があったのも、そうだとすれば納得がいった。
「それに……」
シュラはサクヤの顔を一度だけ見ると、恥ずかしそうに苦笑した。
「な、何だ?」
シュラの表情に触発され、サクヤも何故か恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「そっくりだったんだ。サクヤは俺の姉さんの若い頃によく似ている。だからかな。一緒にいたくなった。それが同行する理由かな」
自分の頭を掻きながら、まるで告白するかのように呟いたシュラの手に、何か熱い感触が伝わってきた。
「サクヤ?」
サクヤは自分でも気が付かないうちに、シュラの手を握り締めていた。
何故そうしたのかは、サクヤ自身わからなかった。
ただ、そうしたかった。
そんなサクヤの気持ちを感じ取ったのか、シュラもサクヤの手をそっと握り返した。
シュラの握り返してきた手は、見た目からは想像もできないほど柔らかかった。
触ったことはないが、赤ん坊の手はこんな感じがするのだろうとサクヤは思った。
「……はっ! す、すまん」
ふと我に返ったサクヤは、顔を真っ赤にさせながら手を振り解くと、両手を擦りながらシュラから背を向ける。
自分でも信じられないくらい大胆な行動に、サクヤは顔から火が出るほど恥ずかしかった。
きっと、またシュラにからかわれてしまう。
そんなことを考えながら、サクヤはシュラの顔をまともに見ることができなかった。
しかしシュラは、そんなサクヤの肩に軽く手を触れるとただ一言、
「ありがとう」
紛れもなく嘘偽りのない、サクヤに対するシュラの真実の言葉であった。
シュラからは凄まじい闘気はすっかり消え失せていた。
そのかわり、まるで春風のように身も心も清々しい気分にさせてくれるような高揚感が感じられた。
少しすると、森の中に薪や枯れ木を拾いに行ったジンが戻ってきた。
ジンは、サクヤとシュラの様子がおかしいことに気がついた。
二人ともお互いに顔も合わせず背を向けて座っている。
サクヤの方は、何故か顔を赤らめてうつむいていた。
「どうかしましたか、サクヤ様? 身体の具合でも悪いのですか?」
「い、いや……何でもない。大丈夫……だ」
ジンが不思議そうな顔をしていると、ジェシカも戻ってきた。
「ただいま帰りました!」
「おお、ジェシカ戻ったか。で、どうだ。野宿できそうな場所は見つかったか?」
ジンが待ちわびた様子でジェシカを迎える。
「ええ、もちろん。この先の川の上流に、野宿できそうな洞窟を見つけました。それに、洞窟からすぐの場所には大きな滝もあるんですよ」
「ほ、本当か?」
「はい!」
ジェシカの一言に、間髪を入れず反応したのはサクヤだった。
サクヤたちがイシスの街を出発してから丸一日が経過していた。
体力も限界に近かったが、やはり乙女には身だしなみの方が優先であった。
「よし、すぐに行こう!」
身体からほのかに香る汗の匂いを即刻落としたかったサクヤは、ジェシカの案内に引かれ足早に歩いていく。
もちろん、自分の手荷物のことは綺麗に忘れていた。
その場に取り残されたジンとシュラは、焚き火の準備が出来ている場所を眺めると、やれやれ、といった表情で女性陣の荷物を担いで後を追う。
その頃には、太陽は完全に落ちて辺りは薄暗くなっていた。
どこまでも続く森林の海。
その森林を飲み込んでしまうような暗黒の夜空。
まるで、それ自身が意志を持っているかのような圧迫感がどこまでも広がっていく。
このとき、サクヤは気付いていなかった。
広大な夜空に輝く星々に混じり、自分の頭上を旋回している一羽の鳥の存在に――。
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