第11話   深夜の計画

 昼間は観光客や商人たちで賑わうイシスの街も、夜ともなれば涼やかな夜風が吹く静寂な街へと変貌する。 


 昼間に露店を出している行商人たちは明日の営業のため、さっさと店仕舞いしてしまうのだ。


 そんな熱気が薄れた繁華街から少し離れた場所に、サクヤたちは宿泊していた。


 築数十年が経っていると思われる木造の趣が、何ともたまらない宿屋であった。


「まだ、痛みが引かないんだけど……」 


 シュラは赤く腫れ上がった頬を氷で冷やしながら、サクヤを睨み付ける。


「う、うるさい! 私は避けると思ったんだ」


「まあまあ、落ち着いてくださいよ、サクヤ様」


 ジェシカが、シュラとサクヤの間に入って二人をなだめている。


 外ハネになっている栗色の髪の毛。 


 物腰はあくまでも柔らかく、普段は銀製の軽甲を身につけているため目立たないが、出るところは出ている優雅な曲線。 


 肌はサクヤと同じく白雪のように白い。 


 しかし、身体からほのかに香る香水の匂いが、サクヤと違い成熟した大人の色気を感じさせる。


「そろそろ、続けてもよろしいですかな?」


 部屋の床に胡坐をかいているジンが、三人に話しかける。


 ジンの目の前には、イシスからインパルス帝国までの地形が描かれている地図が広げられていた。 


 さほど大きい地図ではないのだが、かなり細かい地形まで正確に描かれている地図だった。


「すまない。気を悪くしたか?」


 申し訳ない表情を浮かべるサクヤに、最初こそ険しい顔をしていたジンだったが、

「……まあいいでしょう、あまり気を張っていても疲れるだけです。それに、サクヤ様にはそんな顔は似合いませんぞ」


 と、すぐに表情が柔らかくなる。 


 普段からあまり怒りの感情を表に出さないのだが、これから起こす大事の前に、浮かれすぎるのは危険と判断してのことだろう。


 サクヤは、ジンの前に広げられている地図を覗き込んだ。


 自分たちが滞在しているイシスの街からインパルス帝国までの詳しい道順が、いくつも黒い線として書き記されていた。


「なるほど、ここに書かれている黒い線を選択するのだな」


 サクヤは地図に書かれている何本もの黒い線を眺めている。


「いいえ。 私たちがインパルス帝国へ向かう道は一つです」   


「どういうことだ?」


「それは……」


 サクヤの問いに答えようとしたジンより速く、シュラが口を開いた。


「ここだろ」


 シュラは、広げられている地図のある場所を人差し指で指した。


 シュラが選んだ場所は、イシスから北西の方角にある山岳地帯だった。


「おい、シュラ。 お前ふざけているのか? ここは人間が通る場所ではないぞ」


 サクヤはあきれた顔でシュラを睨み付けた。


「いいえ、サクヤ様。シュラ殿の言うとおりです」


「な?」


 呆然と口を開けたままのサクヤに、隣に座っていたジェシカが説明する。


「私も多分その場所しかないと思います。今日この街で聞いたのですが、近いうちに本格的に戦争が始まりそうなんです」


「戦争? まさか……」


「はい、インパルス帝国と〈守護同盟〉を結んだ主要国……おそらく、この数日中に何かしらの変化が起こると思います」


 サクヤは戸惑った。


 もし戦争が起きてしまえば、インパルス帝国は壊滅するかもしれない。そうなれば、シバは反逆者の汚名とともに処刑されるだろう。


 しかし――。


 サクヤはシバに復讐すると心に誓っていた。 


 だが、それよりも大事なことがあった。


 サクヤには母親がいない。 


 子供の頃に病気で亡くし肉親は父親だけだった。 


 しかし、皇宮の中にはサクヤを敬愛してくれる人間が大勢いた。 


 愛する父親は、いつも国民のことを第一に考えて国を治めてきた。 


 そんなブリタニア皇国を破滅に導いたシバに、面と向かい侵略の理由を問いただしたかった。 


「シュラ殿」  


 ジンの目線は窓の塀に腰を掛け、夜空を眺めていたシュラに向けられる。


「シュラ殿はインパルス帝国に用事があるとのことですが、どうするのですか? このままではインパルス帝国は間違いなく戦場になりますぞ」


 夜空を見上げていたシュラは、いつになく真剣な表情をしていた。


「……だからだよ」


「え?」


 ジンのみならず、サクヤとジェシカもシュラに視線を向ける。  

  

 そんな三人に、シュラは淡々と自分の考えを口にした。


「俺はインパルス帝国というか、城に用があるんでな。インパルス帝国の国王は〝超〟がつく程のマヌケだが、取り巻きの連中はけして馬鹿じゃない。普段なら城に忍び込むのは不可能に近い」 


「ま、まさか……」


 ジンの背中に冷たい汗が流れる。 


 サクヤとジェシカも、段々とシュラの考えていることがわかってきた。


「戦争になれば城内の守りなんて無に等しくなるからな。まさに絶好の機会というわけさ」


(この男は狂っている) 


 サクヤはそう思った。


 シュラの考えは、インパルス帝国が戦争により城内の警備が手薄になった所で、堂々と進入するという途方もない計画だった。


 だが、シュラの言っていることも一理ある。 


 たしかに、インパルス帝国の普段の警備は厳重だった。 


 正面から乗り込んだ所で、抵抗も虚しく捕まってしまうだろう。


「……だからここなのか」


 サクヤは目の前にある地図を確認する。


 サクヤの目線は、旅人も避けて通ると言われる山岳地帯に向けられていた。


 広大な自然や野生動物が生息するその場所は、地元の人間が聖地として崇めている場所でもあった。


 そして、その山岳地帯はインパルス帝国にまで連綿と続いていた。


 ジンは、地図の中に描かれているインパルス帝国を指した。 


「この地図ではわかりませんが、インパルス帝国の裏手まで続いている山岳地帯を抜けると、インパルス城はもう目と鼻の先です……ただ」


「ただ、なんだ?」


 不意に口を閉ざしたジンに、サクヤが訊き返した。


「はい、この場所は地元の人間が聖地として崇めているほどです。そんな場所を通って、もしサクヤ様に何かあったら……」 


 ジンの言っていることは正論だった。


 行きなれた場所や街道とは違い、人の往来が少ない自然地帯を下調べもなしに行動することは自殺に等しい行為だった。


 だが、行くのならこの道しかない。


 サクヤはそう思った。


 戦争が本格的になれば、インパルス帝国へ続くすべての街道が封鎖されるだろう。 


 そうなればインパルス帝国に近づくのも困難になってしまう。


 地図を見ながら腕を組み、頭を傾げて悩んでいるサクヤの隣で、意外なことを口にした人物がいた。


「私が案内しましょうか?」


 ジェシカは一言そう呟いた。


「ジェシカ、お前この場所を知っているのか?」


「はい。この場所は子供の頃に通ったことがあるんです。今でもあまり人間が寄りつかない場所なので、地形はそう変わってないと思いますし」


 聞けばジェシカは、子供の頃に旅芸人の一座に在籍していたことがあるらしく、インパルス帝国から北の方角にあるデプチカ共和国へ興行の途中に通ったことがあるという。


「ジェシカが旅芸人の出自だったとは知らなかったぞ」


「すみません、サクヤ様。隠していたわけではないのですが、あまり言うことではないと思いまして……」  


「何を言うジェシカ。そのおかげでインパルス帝国までの道が開けそうだ。 道案内しっかりと頼むぞ!」


「はい! お任せください!」


 話がまとまったところで、シュラが荷物を担ぎ始めた。


 荷物といっても私物しか入っていないので、ほとんど手ぶらと変わらなかった。 


「じゃあ、行くか」


 シュラのその一言で、三人は重い腰を上げた。



 

 時刻は深夜。


 野良犬の鳴き声ばかりが耳に届き、人々が夢の国へと誘われる時間である。 


 サクヤたち四人が宿を出ると、イシスから北西の山岳地帯へと向かった。


 そんな四人の上空に、一羽の光り輝く鳥が優雅に飛行していた。


「……動いたよ」


 イシスの象徴でもある時計塔の屋根に、二つの人影の姿があった。


 ゲンジロウとアリーである。


 アリーは、左手の人差し指を額に当てながら目を閉じている。


「間違いないのか?」


「うん、人数も四人組。それに、北西の方角に向かってる」


「行き先は間違いねえな」


 ゲンジロウは軽く目を細め、北西の方角を眺めた。


 昼間の賑わいが嘘のように静まり返っているイシスの街を一望していると、どこからか黄金色の光に包まれている一羽の鳥が風に乗って時計塔に飛来してきた。


 サクヤたちの上空を飛行していた光鳥であった。


 縦横無尽に風に乗って飛来してきた光鳥が、アリーの細い腕に止まった。


 すると、身体全体が閃光のように輝き消えていった。


「ふうー……」       

 

 アリーが小さなため息を漏らした。 


 月の光に照らされ青白かった肌は、いつの間にか紅潮し、うっすらと汗が滲んでいる。


「大丈夫か?」


 ゲンジロウが気遣うように声をかける。 


「平気……ただ、距離が思ったほど遠かったから少し疲れただけ……」


 アリーは胸に手を当て呼吸を整える。


「それよりも、急がないと離されるよ」


「そうだな……よっと」 


「――えっ! きゃっ!」


 ゲンジロウは片腕でアリーの身体を肩に担ぎ上げた。


 アリーの股がゲンジロウの肩に跨る形は何とも滑稽だったが、アリー本人もいつものことなのか驚いたのは最初だけで、今では落ち着いて身を任している。


「しっかり捕まってろよ!」


 そう言うとゲンジロウは、軽く後退し助走をつける。


 アリーはゲンジロウの頭を抱え込むように強く抱きしめた。 


 もちろん自分の身体を固定するためなのだが、それともう一つ理由があった。


「よっしゃあああああっ!」


 裂帛の気合いともにゲンジロウは疾走した。 


 地上数十メートルの上に吹き荒れる強風を物ともしない健脚で、巨体が宙を飛んだ。 


 とても肩に人間を一人担いでいるとは思えないほどの身体能力であった。


 ドゴオオオオンッ!


 数秒後、時計塔の広場に大地を揺るがすような地鳴りが鳴り響いた。


 近所の住人は地震かと思ったがそうでもない。


 偶然、広場を通りかかった人間が、音の正体を確かめようと時計塔の真下まで足を運んだ。


 そこには、鉄槌で叩いても割れないよう強靭に舗装されている石畳に、一つの足跡がくっきりと残されていた。

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