第8話

 1985年 1月 兼平知毅より宗形薫へ。


 手紙拝読。

 つらつら思い出すに、君から手紙をもらったことはあったかな。カードは何度か。年賀状も何度か。しかしこんなに長々と、文字で君に話しかけられたことは、かつてなかった気がする。

 手紙そのものは、タイプライターで作成したもののようだけど。封筒の宛名は、奔放にして麗しい、君の手だった。その宛名を見たときには、少しばかり驚いた。

 

 あの二人の婚約のことは、カズから聞いた。婚姻届の証人欄には、俺と龍が署名することになっている。まだ少し先になりそうだけどね。

 さっさと入籍することを、俺もカズに薦めたさ。どちらに進むのか、気持ちが固まってから身を固めたい。気難しい顔で、あいつはそう言った。彼女に苦労をお願いするのは、あいつにとって、かなりの覚悟がいることのようだ。だから俺はもう、この婚約について、あいつにあれこれ言う気はない。

 あいつに説得されたことはあっても、あいつを説得できたことは、これまでに一度もないしね。


 君の言う通り。彼女は子供を産むことを、漠然と望んでいるのかもしれない。そして女性が妊娠できる年齢には限界がある。だけどあいつの求婚に応じたのは彼女で、待つことも彼女が承知した。子供を産むことを優先して考えるなら、もう待てないと、彼女から言うはずだ。

 彼女はおっとりと淑やかで、己をあからさまに主張しない人だが、自分の望みは押し通せる人だ。今の彼女は、昔よりさらに強い。おかしな遠慮をするとは思えない。

 カズが振られた女に、縋りつくとも思えない。もう待てないと言われた時、あのプライドの高い男が、彼女をぐだぐだと引き留めると思うか。

 大丈夫だよ。あの二人はそのうち結婚して、良い夫婦になる。どちらかが一緒にやっていけないと思えば、綺麗に別れる。


 昔、俺の彼女にしたことは乱暴だと、君に言われたね。当時の俺は、何を言われているのか、まるでわからなかったが。今はわかった気もしている。

 俺が身を退けば、龍と彼女が結婚する。俺は単純にそう考えていたが。結局あの二人は結ばれなかった。時間が経つにつれて、彼女への罪悪感が湧いてきた。だけどどうすればよかったんだと、そう思っていた。去年まではね。

 龍は、俺にもチカにも何も言わず、チカと楽しそうに暮らしながら、チカの決断を何年も待っていた。チカが決断できず、俺からも龍からも、離れようとする気配を感じて、あいつは離婚を切り出したんだと思う。チカは龍に腹を立てていたが、今もあの二人は親密だ。龍の決断は、正解だったということだ。

 去年、龍のあの引き際を見せられてわかった。俺は恰好良く譲ったつもりだったが。結局彼女が俺を選んでくれなかったことに腹を立て、彼女の気持ちを考えずに、やけくそで振ってしまっただけだとね。

 同じことをするにしても、もっと時機を見るべきだった。あの頃の俺に、そうできたかはわからないがな。

 カズは俺より、人をよく気遣える男だ。女の気持ちも、俺よりずっとよくわかる。彼女の繊細な心に、良く寄り添うことができるはずだ。女を守る責任感も情も知恵も強さも、十分持っている。

 あの二人の関係が、どう展開するにせよ、彼女にとってあいつは、悪い男じゃない。

  

 君は俺よりカズに、親しみを感じているだろ。君らはずっと仲良くやってきた。あの二人の結婚を危ぶんでいるのは、どうしてかな。

 あいつは彼女と、どういう結婚をするつもりなのか。そう書いてあったが。

 人の結婚したいという思いも、様々なのかもしれないが。あいつが望む結婚と、俺が望む結婚が、まるで異なるものとは思えない。

 あいつは少しばかり変わった男だが、根本のところは、俺と同じく、保守的な日本の男だと思う。あいつが望んでいる家庭は、俺の望む家庭と、同じようなものだと思うよ。

 もしかして、君が気にしているのは、あいつとあの恩師の関係だろうか。

 俺もあれには戸惑ったが、しかしこの年になって考えると、ああいうのも、旧式の師弟関係というか、珍しいことではない気もする。

 俺の叔父にも、お稚児さんがいたらしい。戦争で死んでしまった、この若かりし日の思い人の写真を、叔父から借りた本のなかに、俺は見つけた。この叔父は、静かで長閑な、見ていて気持ちの良い家庭を、叔母と築いている。

 あいつは、たしかに女に手厳しいが。あれは尊敬の裏返しだ。

 玲瓏玉の如しお姫様と、男勝りでいなせな、働く町の女。あいつの二人のご母堂について、どちらも時代劇でよく見かけるタイプで、男が大好きなヒロインタイプだと、君は昔そう言ったね。

 なるほど。男にとっては、どこか懐かしいような、魅力を持った人たちだ。そんな母親二人を見て育ったせいかな。あいつは俺より、女性に憧れを持っている気がする。だから女に親切だが、手厳しいんだ。


 君は俺たち、俺とあいつの関係も、龍とカズの関係も、俺と龍の関係さえ勘ぐっている節があるけどね。俺はあいつとも龍とも、やりたいと思ったことはないぜ(失礼)。

 二人とも、俺は本当に好きだ。寝ても覚めても、その顔が浮かぶ。どちらの時も、知り合ってしばらくの間は、そんな状態だった。

 それに、子供の頃の蓮實一天はすみかずたかは、時々おかしな気分になってくるような、たいした美少年だった。あいつをはじめて見た時は、目を見張ったもんだ。今もあいつといると、昔憧れていた女子といるような気分になる。そこは認める。

 しかし。距離を詰めた同性の友人への、ぼんやりした恋心のようなものは、珍しいものじゃないだろ。

 アメリカ人は、男同士の仲の良さに神経質で、すぐにホモじゃないかと勘繰る。LAで暮らしていた頃、俺はそのことに驚いた。これじゃあ、男が男の友人と仲良くするのは難しいだろうなと思ったが。日本もこの頃。そうなりつつある気がする。何だろうな。

 俺とあいつも、龍とカズも、龍と俺も、友だちだ。たまに付き合うだけの、オトモダチじゃない。いささか照れ臭いが、ほんとうの友だちなんだ。それだけだ。


 三人旅行はどんな様子だろう。

 龍は成田で君を見て、かなり戸惑っていた。久世と二人の旅行だと思っていたらしい。俺にそう言ったぞ。結婚したばかりなのに、君らはてんでばらばら、一緒にいる様子がまるでない。そんなおかしな夫婦の旅行に、同行を強引に求められたら、俺も随分戸惑うだろうな。

 龍が久世に誘われて、そっちに向かったのは、君が言う通り、怜於から逃げるためだろう。

 龍が怜於を可愛がる気持ちがどんなものなのか。ずっと判然としない思いだったが。もしかしたら、あいつは怜於の求愛に、俺よりぐらついていたのか。この頃はそんな気もしてきた。

 龍は理性が勝った、俺より意志が強い男だ。かなりぐらついていても、そうすべきじゃないと思えば、怜於に引きずられたりしないだろうが。

 怜於は今、龍しか見ていない。チカとは別れたことだし。あの子犬を夫として引き受ける気は、龍には全くないのかな。君はどう見る?


 龍の子犬はマリッコを抱いて、公爵と一緒に、龍を毎日待っているようだ。その様子を見ると、いささか可哀想になる。

 俺も君らがいないと淋しい。それに俺は、龍が傍にいないと、だんだん心配になってくるんだ。どこかで酷い目にあっていないか。悪い奴に引っかかってないかってさ。

 できれば、早々にご帰還を願う。


 追伸

 ワープロの購入は、もう少し待つべきだ。かなり価格を落としての発売が、今年たぶんはじまるはずだ。

 カズと彼女のこれからより、君とあの男のこれからのほうが、俺は心配だ。君に呼ばれたら、すぐに駆け付ける。そのことを、覚えておいてほしい。

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