8.敗北

 この交換会で同じ卓に着くのは大抵の場合、同じ立場の女生徒同士だ。これから告白に臨む者と、既に恋人がいる者。その二種類で分けられていた。そうしたルールがあるのではない。何となくそうなってしまうのだ。


 それと言うのも熱量が違い過ぎるからだ。恋人がいる者からすれば告白する者は真剣すぎて勝てる気がせず、また怖い。告白する者からすれば恋人持ちはふわふわしていて調子が狂い、また熟慮をしない判断は読みにくい。


 こうして両者が交わるのは余りないのだが、十時半を過ぎてしまえば参加者も減り、ゲームをしたければ止むを得ず同じ卓に着いてしまうこともある。


 この卓でもそうだった。一方には恋人がおり、もう一人には恋人がいない。持明院じみょういん玲奈と難波なんば美礼。ブラックジャックをしていた。


 美礼が親だった。開けられている札は6。対する玲奈は恋人持ちの余裕からか、5とJの二枚を前にして、頬杖を突きながらだらだらと喋っていた。


「美礼さんはチョコレートを集めて誰かに告白するの?」


 その質問に彼女は答えようとはしなかった。


「私はね、芝山くんにあげるつもり。彼氏だからね」


 美礼は変わらず黙っていた。


「彼ってね、結構、甘いものが好きなのよ。だからこれをあげたら必ず喜ぶわ」


 無言のままだ。


「ね、無視をしないで。そんなに必死になることないじゃない。あなたは親で、何もすることがないのだし。ねえ、鏡を貸しましょうか? 凄い顔をしているわよ」


「黙ってカードを足すのかどうか決めなさいよ」


「だってねえ、迷っちゃうもの。芝山くんにあげるものを左右するのだから。彼ってね、表情豊かなタイプなの。だからいっぱい喜ばせたくてね。美礼さん、彼が感情に素直な人だって、知ってた?」


「知ってるわよ!」


 大声を上げて睨み付けた。だが玲奈は眉一つ動かしもせずに、


「そうよね。彼が自分の感情に従った結果、あなたは振られたんだものね」


「あなたが奪ったんでしょう!」


「彼の気持よ」


 この会話の通り、美礼は以前には話題となっている芝山佑亮と付き合っており、振られた。そして彼は玲奈と付き合い始めた。


 この二人が対決しているのは偶然だ。それぞれ別のグループで勝負をしていたのだが解散し、次の相手を探そうと彷徨さまよっている内に出逢ってしまった。はっきりと目が合い、今更気付かなかった振りも出来ずに、近くにあったこのブラックジャックの卓に座った。


 美礼としては彼女との確執はなかったことにして、ただそうすることになってしまっただけの対戦者として相手をしたかった。それなのに玲奈の方が、わざわざこうして話をしてくるのだ。


 この卓に着くまで、美礼は芝山のことは吹っ切ったつもりでいた。今回この交換会に参加したのも彼とは別の男子、飛鳥井あすかい俊也へのプレゼントを集めるためだった。だが玲奈が芝山の惚気のろけ話をする度に、奪われた当時の怒りがふつふつと湧き上がってくるのだった。


(私はまだ芝山くんに未練があるのか? いや、そんなことはない。ムカついているのはこの女だからだ。それだけだ)


 玲奈はのんびりと、


「ううん、そうねえ。ま、やめておくわ。この手で勝負する」


 ここでカードを追加しないのは、おかしなことも何もない普通の判断だ。定石的には玲奈のした通り、親のバーストを願ってこのままにしておく場面。しかし美礼は相手のやる気のない調子に腹が立った。


 親側の伏せられていた札を開けると7。合計13。美礼は山札から一枚を引いた。その札は6。合計19。上がり。親である美礼の勝ちだ。


「あら、負けちゃった」


 玲奈はあっさりとチョコを渡した。負けたというのに悔しがりもしないその態度に、逆に美礼がカチンと来た。奪い取るようにチョコを手元に掻き寄せると、玲奈の目元に嘲笑が浮かんだ。


「なによ!」


「次は私が親ね」


 彼女はだらだらとカードを集めて、ゆっくりと切り始めた。そのちんたらしている仕草に美礼の神経は一層逆撫でされた。


 パサ、パサ、とカードの擦れる音と共に、玲奈がまた喋り始めた。


「ね、あなたの次のお相手は誰なの。こっそり教えて。誰にも言わないから」


 美礼は敵意をもって睨み付けた。延々とカードを切りながら玲奈が言った。


「ああ、そう言えば、最近あなたは飛鳥井くんとやけに仲がいいわねえ。もしかして彼? うん、いいと思うわよ。彼」


「馬鹿にしているの?」


「いいえ。いいと思う、と言ってるじゃない。変な勘繰りはやめてよ。もう」


 ようやく彼女は二枚ずつの札を配った。親側は一枚が伏せられてもう一枚は3、美礼の側にはAと6。


 玲奈は薄ぼんやりとして、


「足すんでしょう?」


「何であなたが決めようとしてるのよ!」


「怒らないでよ。だってその手は7か17。4以下が出れば儲けものだし、10が出たって多くても17。普通なら足すじゃない」


 美礼は睨み付けた。ここで足すかどうかは判断の分かれるところではあるが、美礼としては追加するつもりでいた。だが玲奈がこの場の主導権を握ろうとしているのが気に食わなかった。どうしても相手を打ち負かしてやりたい気持を抑え切れなかった。


「ダブルダウン!」


 彼女は卓上のチョコを倍にした。これを宣言すればもう一枚が追加され、そしてそれ以降は足せないが、賭け金を倍に出来る。一気に叩ける。


 対する玲奈はそれを聞いても冷静だった。焦りも興奮もなく、ただ無感動に「へえ」と言っただけだった。


 のんびりとしてカードを渡さぬ彼女に美礼は苛立ち、指先で卓を強く叩いた。ようやく玲奈は山札から一枚のカードを滑らせた。


 それに記されていた数字は、3。合計20。これならば、ほぼ勝ちだろう。美礼は興奮して命令した。


「さあ、そちらも開けなさい」


「はいはい」


 玲奈は気の抜けた調子でホールドカードを表にした。数字は5。合計8。


 山札から一枚引いた。4だった。合計12。もう一枚引いた。2。合計14。更に一枚。2。合計16。


 どうであっても引くのは次が最後だ。


(5でさえなければ私の勝ちだ!)


 4ならば引き分けだったが、美礼は手に汗を握り、玲奈の指が触れる山札のトップを真剣に見詰めた。しかも今回は賭け金を倍にしている。負けられなかった。5だけではないことを心の底から祈り願った。


 そして出た数字は、9。合計は25。


「バーストね!」


 美礼は拳を握り締めた。この勝利は、この日に行ったあらゆる勝負の中で最も彼女を高揚させた。玲奈から差し出されるチョコレートを奪い取り、


「さあ! 次の勝負よ!」


 意気込んで声を上げた。が、玲奈は小さな溜息を吐き、


「いいえ。もう止めておくわ」


「何でよ!」


「だって、だいぶ負けちゃったもの。これ以上減ったら芝山くんに渡す分がなくなっちゃう」


「それを増やそうとは思わないの!」


「いえいえ、結構。このくらい渡せれば充分よ」


 静かに立ち上がって自分のバッグを手に取った。椅子を戻して背を向けようとするところへ、


「逃げるの!」


 美礼が叫んだ。


「終わるの」


 淡々とした答えに美礼は憤った。それに追い打ちを掛けるように玲奈は、


「あなたとの勝負、面白かったわ」


「何を! 負けた癖に! 負け犬! 負け惜しみ!」


「そうね」


 肩を竦めてきびすを返した。一歩、二歩と去り行く彼女の背中を美礼は睨んだ。と、玲奈がふっと振り返り、


「そうだ。美礼さん。飛鳥井くんとよろしくね」


 それだけ言って立ち去った。


 美礼は拳を卓に叩き付けた。最後の言葉を発した際の、玲奈の目端に嘲りが浮かんでいたのを見たからだ。


 勝負に勝った彼女の方が、敗北感に襲われていた。


 どうであっても玲奈を叩きのめしてやらなければ気が済まない。


 美礼は今日のチョコレートを、飛鳥井ではなく、芝山に渡すと決意した。



◆◆◆◆◆◆◆◆



 同時刻、会場の反対側では秋津宮雅が、自分に負けた対戦者が唇を噛みながらチョコレートを差し出すのを見詰めていた。雅の目には悲しさが浮かんでいた。


「ねえ、あなたは一条くんにプレゼントをするつもりだって言ってたわね。彼に相応しいのは自分だって。彼はこの学園の生徒会長で、将来は国の政治的なトップに立つでしょう。その時には歴史に名を残す偉大な政治家になるのが分かっている。


 そしてあなたはご実家で言っても、学業で言っても、その他学校生活での活動で言っても申し分はない。彼の妻になれば良いパートナーになるでしょう。また彼もあなたの良いパートナーに。


 だけどね、あなたは彼を愛しているの? 私には、そうは見えなかった……。彼の肩書や将来性、才能に近付こうとしているだけにしか見えなかった。トロフィーとして獲得しようとしているようにしか見えなかった……。


 ごめんなさい。だけどそう感じられたのよ。だからあなたは負けてしまった……。


 これは愛の勝負なの。打算なんかでは勝てはしない。愛こそが全て。だから、私が、愛する人を愛している私が、勝った。


 愛こそが強さなの。愛する者が勝利するのよ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る