7.散開
ギャンブルで最も大切なものとは、運ではなく、知能ではなく、直感ではなく、ゲームの理解度ではなく、技術ではなく、慣れでもなく、度胸などでは全くなく、引き際だ。引き際を弁えていなければ勝てないとさえ断言していも良い。
ゲームの勝ち負けを運の流れとし資金の上下を単純な波形として仮定した場合、勝っている時に止めずに続ければいずれはマイナスの域へと突入する。一方で、負けている時には、その負け額が耐えられる程度ならば良いのだが、資金が底に触れたのならば、強制的に終わらざるを得なくなる。諦めずに続けるというのは無一文になることと同義だ。
この行事では終了時間が定められているために必ずしもそうなるとは限らないが、それでも勝っている内に、もしくは耐えられる負け額の内に、この辺りまでだろうという見当を付けて引くのが大切なのに変わりはない。
たとえば今、項垂れて体育館を出て行く
それでもその時には勝っていたのだから、そこで止めれば良かったものを、もう一度最大値を更新しようとして、また負けた。最大値まで戻ることはないと察してからは、それでは幾らまで戻ったら、そこで止めようと思ったのだが、更に負けた。
そうしてずるずると続けて行き、入場時に自分が持ち込んだ額近くにまで減ってしまった。たとえ一個であろうともプラスで帰れたのならそれは勝ちだ。しかし彼女はそんな思考を持っていなかった。そしてマイナスになってしまった。
彼女は負けを取り戻そうとした。せめて同額での撤退を望み始めた。だがその「取り戻す」という考えは最悪だ。前にも述べた通りに勝負の最中に金を数えては決していけない。この世界にはその時その時の、今眼前する勝負しか存在しない。以前にはどうであったかなど、一切、何も関係もない。
それなのに彼女は、世界にとっては無関係の、自分だけにしか通用しない金額のラインを引いてしまった。そのラインを基準に物事を考え始めていた。世界は「私」になど斟酌しない。個人の願望など何の当てにも、根拠にも、道筋にも、如何なるものにもならないと言うのに。彼女は願望に
それでも時には勝つこともあった。しかし彼女はそうなると欲が出た。これならば、もう一段上のラインまで持って行けそうだ。上手く行けばプラマイゼロまで戻せるかも?
そんなことはなかった。個人の願望など世界には無意味だ。
遂に種銭は底を着いた。彼女に賭けられるものは一つとして残されておらず、撤退せざるを得なかった。もしもこれが裏通りの賭場であったのならば、この鴨に嬉々として金を貸そうとする者が次々と現れていただろう。幸か不幸か、いや幸に違いない、彼女に銭を貸す者はいなかった。
そうして彼女はこの鉄火場を後にした。
◆◆◆◆◆◆◆◆
十時半に近付く頃、ぽつぽつと会場から出て行く女子生徒が増えて行った。満足してか、未練を残してか、それは個々によってはいたが、そろそろ切り上げるべきだと判断する者が増えて行った。
密集していた体育館の人も減り、空いている卓が目立つようになって来た。
丁半で大きく
当初の予定通り、チョコレートはボストンバッグ一杯になった。それも余裕があるのではない。隙間なく詰め込まれ、ジッパーを閉めるのも力を入れなければならず、ちょっと苦労をするくらいだった。
余りにも重いボストンバッグを両手で持ち上げて、彼女はよろけながらも、ほくほくとした表情で歩いて行った。考えているのは、今日の放課後の、恋する相手に告白をするその時のことだった。
このバッグを差し出して、彼に自分の愛を伝える。胸が高鳴った。必ず成功するだろう。だって、この交換会で大勝ちをしたのだから。そしてそれからお付き合いをして。
恋人になってからのことを想像するとついつい頬が
体育館を出るまであと十歩にもならない所まで来ると、背後から声を掛けられた。
「あら、ジョヴァンナさん。もう帰っちゃうの?」
現実に呼び戻されて振り返った。そこにいたのは、ジョヴァンナはそれを知らないが、ポーカーの卓でイカサマをしていた桐生門清華だった。
「ええ。清華さん。私は目標額まで集められたから。これでもういいわ」
「そ。残念」
清華は軽く首を振った。
「あなたの恋、上手く行くといいわね」
「ええ。ありがとう」
何てこともない会話。だが、ジョヴァンナは清華の足元に、台車に載って、膨らんだボストンバッグが三つもあるのを見てしまった。
彼女の視線が自分のバッグに吸い寄せられているのを見、清華は片頬を歪めた。
「ね、ジョヴァンナさん。せっかくのバレンタインの交換会なんだもの。もう一勝負だけ、していかない? どうせなら、彼もチョコレートをたくさん貰った方が嬉しいだろうし」
「そうね。でも、私は目標を達したのだから」
そう言いながらも彼女はバッグから目を離せずに、心は欲望に揺れていた。
「私はね」と、清華が言った。「何なら、この全部を賭ける覚悟もあるわ」
「それを全部」
「ええ。だって、彼には喜んで貰いたいもの」
「それだけ貰えるあなたの相手は幸せね」
「私もそうだと期待しているわ。だからどう? 私と、もう一勝負だけ」
「そうねえ」
悩んでいるような返事はしたが、心は既に欲望に流されてしまっていた。
「それじゃあ、もう一勝負だけ。やろうかしら」
「ありがとう! うふふ。負けないわよ」
清華はこれから取り上げるボストンバッグをポーカーの卓へと連れて行った。
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