6.緩和

 随所ずいしょから異様な熱気が噴き上げている。が、しかし、それらに比べれば穏やかな雰囲気の漂っている卓もあった。


 そうした場所に着いている者の多くは既に恋人がいる女子生徒だった。惚れた相手を喜ばすためにチョコレートを集めているのに違いはないものの、これから告白に臨む者に比べれば呑気なものだった。


 本人達としては頑張っている。それでも矢張やは弛緩しかんしていた。和気藹々わきあいあいとゲームそのものも楽しんでいた。


「やった! 勝った!」


「ああ、負けちゃった」


 ものを賭けるのはゲームをより面白くさせるスパイスだ。単なるババ抜きに過ぎないにしても、ここでのゲームは普段よりも格別に面白かった。


 楽しい遊び、楽しいゲームを無邪気に楽しんでいた。


 とは言うものの、勝負事に熱くなる性質の生徒はいる。たとえばこの卓で手持のカードを一心に見詰めている高松美波がそうだった。七並べをやっていて、スペードの6とダイヤの9のどちらを出すか真剣に悩んでいた。


 自分はスペードの5も持っている。だからこちらを出せば次の番にも出せるだろうが、それより小さなスペードの数字は持っていない。後には続かない。


 ダイヤの側は、QとKを持っている。この間の二枚が出れば大きく勝ちに近付くが、そうなるかどうかは運任せだ。確実性がない。


 眉間に皴を寄せるほど考え込んでいる様子に、同席している堀河皐月は苦笑いをしてしまった。


「美波さん、どうするの。パス?」


「いえ、もうちょっとだけ待って」


 皐月は他の参加者達に向かって肩を竦めて見せた。皆も苦笑した。その中の一人の柳原莉子がちょっと揶揄からかってやろうという気になった。本人は意識していないが、彼女も熱くなるタイプだった。それで少しイライラしていたのかも知れない。


「美波さんも、やっぱり優柔不断なのね」


「も、やっぱり?」


 手札から目を離さずに何気なく聞き返しただけだった。


「付き合う彼氏と似ているってこと。清岡くんって物事をバシッと決めないとこあるじゃない?」


 一瞬、場が凍り付いた。彼の曖昧さは女子全員が感じていることだった。いい人ではあるのだが、それについての陰口を叩かれていた。


 美波がカードを卓に叩き付けた。付き合う前にはその陰口を一緒になって言いもしたし、付き合ってから友人に愚痴ったこともある。それでも自分の男の悪口など到底とうてい許せるようなものではない。


 鋭い眼光に射竦いすくめられて、莉子はうっかり口が滑って一線を越えてしまったことに気が付いた。冷汗が流れそうだった。しかし、もう遅い。


「莉子さん、よくもそんなことが言えたわね」


「つい。ごめんなさい」


「いいえ。ごめんなさいだなんて謝る必要はないわ。だって、しょうもない男としか付き合えないあなたの境遇には同情するもの。もてないからって平松くんとはね。可哀想に。つらいのよね。分かるわ」


 莉子の顔色が変わった。


「どういう意味」


「そのままよ。よりにもよって、彼、なのだからね。あの人が皆からどう思われてるのかは知っているでしょう?」


「どう思われてるって言うのよ!」


「知らないの? 分からないの? 恋は盲目って本当ね。怖いわね」


「すっとろい男に惚れている癖に」


「物事を決めるのに時間を掛けるのなんて、平松くんを思えば短所にもならないわ」


「恋は盲目というやつね」


 睨み合う二人の間に憎悪が湧き上がり、敵愾心てきがいしんが渦巻いた。ただの七並べが、負けてはいけない勝負になった。



◆◆◆◆◆◆◆◆



 恋人がいるのでもなければ告白する相手がいるのでもないのに、この会に参加している者もいる。大勢でゲームをする行事を純粋に楽しもうというわけだ。滋野井しげのい茜はその種類の女子であるように振る舞っていた。


 彼女には本当は付き合っている男がいる。阿野司。彼との交際は秘密だった。恥ずかしいからと言われて人目のある場所ではただの知り合いとして接していた。堂々としていて華やかな印象もある彼がそんなことを言うのは意外でもあり、可愛い、とも思った。


 今日のチョコレートも下校してからこっそりとプレゼントしてあげるつもりだった。


 トランプを三セット使った神経衰弱をしていた。種類と数字の両方が一致していなければ取れない。そして最終的には一セット余ることになる。


「ううん。難しいわね」


 一枚目はクラブの3だった。その図柄のもう二枚の内の一つはさっき開かれていたのだが、普通のものよりも量が多い分だけ覚えるのが大変だった。それで違うカードを開けてしまった。


 二枚を伏せて、彼女の次の、石山由嘉理の順番になった。


「クラブの3。もう一枚はどこだったかしら」


 ただのゲームだ。そこまで必死になって覚えようとはしていなかった。


「ねえ、茜さん、覚えてる?」


「ちょっと、ズルしちゃ駄目よ」


 二人は笑った。


「それに私が覚えてるなら自分で取ってるわ」


「それもそうね。ふふ」


 和やかな空気が流れていた。由嘉理は適当にカードを捲り、まだ出て来ていない図柄であったので、また適当に一枚をめくり、外してしまった。


「図柄が全く同じじゃないといけないし、量も多いし、これは中々大変ね」


「ね。本当に大変」


 雑談交じりに遊んでいた。この二人はこれまでは友達というのではなく、顔見知り程度であったのだが、一緒に遊んでいる内に少しずつ仲良くなっていった。こうして親睦を深めるのもこの交換会の建前の一つだ。


 他の人の順番になっている間に二人はまたお喋りをした。


「茜さんはチョコレートを誰かにあげるの?」


「特にあげる人はいないかなあ。折角だから参加してみただけ。由嘉理さんは?」


「私も別に」


「あげる人がいればもっと楽しいんでしょうにね」


「独り身は寂しいわねえ」


「そうね。ふふ」


 ちょっとした優越感に浸っていると、茜の番が回って来て、また何も取れずに終わった。由嘉理も同じだった。


「最後にチョコレートがいっぱい取れてたら、由嘉理さん、それ、どうする?」


「どうしよ。考えてなかったな」


 それを聞いて茜は少し分けて貰えないかと聞こうかと思った。が、そんなことをすれば本当は男がいるとバレる切っ掛けになるかも知れず、やっぱり止めた。恥ずかしがり屋の彼のために出来るだけ隠しておかなければ。


「茜さんはどうするの?」


「私は、そうね。全部食べちゃう!」


「食いしん坊!」


「うふふ」


「ね、どうせ一人で食べちゃうなら、終わった時に勝ってたら少しだけ分けてくれない?」


「ええぇ、美味しいものは独り占めしたいからなあ」


「それもそうねえ」


「由嘉理さん、あげる人はいないだなんて言っていたけれど、本当はいるんじゃないの?」


「それが本当は……、いないのよ! とても悲しい」


「由嘉理さん可哀想……」


「あなたも同じでしょ!」


「ふふふ、本当。全くね」


「私も甘いものは好きだから、たくさんチョコレートを食べたいな。だから頑張らなきゃ」


 由嘉理は嘘を吐いていた。彼女にも隠している恋人がいる。彼との交際は秘密だった。その相手とは阿野司。茜と同じ男だった。


 朗らかに笑い合い、和気藹々と神経衰弱にこうじる彼女らは、自分達が五股を掛けられていることをまだ知らない。

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