4.譲渡 ②

 風花ゆきは感情の高鳴りで少し息を切らせて顔を紅潮させていた。寒い風に煽られる朱莉沙ありさの背中に必死な声を掛けた。


「待って、朱莉沙さん」


 振り向いた彼女は見るからに落ち込み、これから告白をするようには見えなかった。そこで初めて、風花は親友の様子に心を痛めた。


 確かに自分の恋は大切だ。しかし親友の想いも大事にしたい。バカラの最中にもそれに気が付くべきだった。馬鹿だった。おずおずとして、


「ねえ、朱莉沙さん。少しだけ、話をしない?」


 項垂うなだれながらも同意した。二人は体育館の裏へと回った。


 人気はなくとも体育館内の熱気は聞こえて来た。しかし外壁に遮られ、窓や通気口から漏れて来るだけのそれは、その場の静けさを際立たせるだけだった。


 風花が躊躇ためらいがちに聞いた。


「ね、朱莉沙さん。あなたは、告白するつもりなの」


 軽い溜息とともに答えた。


「さあ。どうしましょう。私にはチョコレートが一個しかないし、上手く行くかどうか、分からない」


 もしも勝負で熱くなっていた時であったら止めていたに違いない。しかし、


「私は、応援する。あなたの恋が上手く行くように」


 そう言ってからしばし無言になり、それから意を決したように口を開いた。


「ごめんなさい。私、本当は、あなたの恋が上手く行って欲しくないの。あそこで賭けをしていた時も、ずっとそう思っていた。ごめんなさい。自分が勝つことよりも、あなたが負けることを願っていた。ごめんなさい」


 朱莉沙は相手を見詰めた。


「そうなの。でも、いいのよ。もう勝負は終わったのだし」


「だけど聞いて! あの時にはそう思っていたけれど、今は違う! 今は、あなたの恋も応援している。嘘じゃない。信じて」


「ありがとう。嬉しいわ。……だけど、実はね、私も同じだったの。あなたに負けて欲しかった。あなたの恋が実らないのを願っていた。ごめんね」


「そう。あなたも同じだったのね」


「ええ。私もあなたを応援するわ。だけど、あなたは私を応援してくれなくてもいい。冷たくしているんじゃないの。私にはチョコレートが一個しかないんだもの。これじゃあ気持を伝えきれない。私の想いはこんな小さなものじゃない」


 風花は相手を可哀想に思った。


「ううん、きっと上手く行く。いいえ、きっとじゃない、必ずよ。信じてる」


「ありがとう」


「だから、チョコレート、半分、あげるわ。あなたの恋が上手く行くように」


 朱莉沙は少し眉根を寄せた。


「気持は嬉しい。だけど、私はもう駄目よ。分かってるの」


「そんなことはない!」


 風花の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。


「上手く行くわよ! だって、あなたは私の親友じゃない」


「ええ。嬉しい」


「断ろうとしても無理やりにでも押し付けるわ」


「……ありがとう」


「だけど、ねえ、聞いて。チョコレートを渡す前に一つだけお願いがあるの。どうか聞いて欲しいのよ」


「もちろんよ。それにお願いならチョコレートを貰わなくたって聞くわ。だって、私はあなたの親友だものね」


「ありがとう」と、言葉を区切り、「実はね」


 と、口籠くちごもった。勇気が中々出なかった。


「どうしたの。何でも言って。私に出来ることなら何でもするわ」


「うん、だけど」


「あなたのためなら何でもするわ。大丈夫。信じて」


 風花は顔を濡らしていた。そして朱莉沙の言葉を聞いて、最後の勇気を振り絞った。


「実はね、朱莉沙さん、実はね。私が今日チョコレートをあげようと思っていたのは、告白しようと思っていたのは、私が好きな人というのはね、あなたなの。あなたに告白するために、この交換会に参加したのよ。


 どうか、お願い、私の告白を受け取って。どうか、お願い、笑わないで。変だと思わないで。どうか、お願い、受け止めて。……」


 耳まで赤くして顔を伏せる風花を、朱莉沙はまじまじと見詰めた。予想もしていなかった言葉に何も答えることが出来なかった。自分のことをそんな風に思っていただなんて知らなかった。驚きのあまりに見開かれた両目が、彼女の意志とは関わりなく、キラキラと輝いていた。


「言ったわ。これが私の気持。それじゃあ、チョコレートをあげるわね。返事は、あなたの告白の後でいい。あなたの恋の結果が出たら、それから答えて。いいえ、あなたの恋は絶対に上手く行くのだから、私は結局、振られるのね。ふふ、駄目ね。やっぱり私は、あなたの恋が失敗するのを願ってしまう」


 彼女はボストンバッグを差し出した。だが朱莉沙は微動だにせず手を伸ばそうとはしなかった。


「風花さん、これ、受け取れないわ」


「ええ、そう。そうよね。ごめんなさい。変なことを言って。ごめんなさいね。だけど、これが私の気持なのよ」


「そうじゃないの。だって、その前に私があなたに渡すものがあるんだもの。これ、このチョコレート、たった一個しかないけれど、私があげようと思っていたのは、あなたなの! あなたに、これをあげようと思って。あなたに、告白しようと思っていて……」


 風花は朱莉沙の顔を見上げた。彼女の真摯しんしな瞳に、嘘はなかった。


「お願い、受け取って」


 差し出されるチョコレートへ向かい、風花はゆっくりと手を伸ばした。互いに見詰め合う二人は春の気配に包まれた。

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