3.対決
負けられない勝負だった。いや、参加者の多くは負けられない勝負をしているが、それでもこの卓で対峙する二人は決して相手には負けられなかった。
清水谷優馬は将棋の奨励会に入っており、学校も休みがちだった。高校に進学したこと自体が彼を知る者からすれば意外だった。中学を卒業してすぐに将棋に専念するつもりだったのが、それでもせめて高校くらいは、という両親の願いに応えた。
高校進学は飽くまでも両親への義理であり、進級が出来る最低限の日数しか登校していなかった。授業中も堂々と棋譜を読み漁っていた。学業を放棄しているとはいえ、彼は入学当初に三年分の教科書と参考書を一読し、それで試験も毎度満点を取っていた。
他の学校生活にも無関心だった。友人と呼べる者もほとんどおらず、行事にも参加せず、ぼうっと考え事をしているか、将棋の研究をしているかのどちらかだった。彼のそうした超然とした態度に惹かれる女生徒は大勢いた。
しかしそうした女生徒達の内に、彼女ら二人が含まれていたのは不運なことだった。小春と美奈は親友だった。交換会の直前に互いに好きな人を告白し合った。そこで初めて彼女達は、親友が決して相容れぬライバルであると知ったのだ。
卓上に色彩鮮やかな花札が並べられていた。二人は各々の手札を睨み、場にある札と見比べて、それから相手をちらちらと窺った。
小春が紅葉に鹿の札を出した。紅葉のカス札を取って手元に寄せた。ここで行われているのは、こいこいだった。山札を捲って出たのは松のカス札。何も取れずに場に残された。彼女が獲得しているのは、今のものを含めてタネが三枚にカスが五枚。まだ役は出来そうにない。
対する美奈の手元には、桜に幕と、タネが一枚、短冊が二枚、カスが四枚。こちらもまだ掛かりそうだった。
しかし美奈は頬を笑ませた。松へ対して鶴を出した。手元へ寄せて、光が二枚。あと一枚で三光が出来る。山札から出たのは萩に猪、萩のカスと合わせて取った。
小春はグッとなった。彼女の手札には蝶があった。最初の手札に鹿と蝶があり、猪さえ取れれば猪鹿蝶の完成だった。それを目指しつつ、タネも集めて行く作戦だった。ところがここで猪を取られ、第一プランは破綻した。手札には自分の役へと向かう、ろくな札は残っていない。だから急いでタネ札を集めてタネでこの局を流す作戦へ変更した。
鶯を出して赤短を取った。山札からは菖蒲のカス、菖蒲の短冊を取った。タネが四枚。これで次の順番にタネを取れれば上がることが出来る。
美奈の手順、彼女は何も取れなかった。焦りながらも山札を捲れば出たのは道風。嬉々として柳を取って手元へ加えた。これで何かの光札を取れば四光になる。
小春は菊のカスを出し、菊の青短を取った。山札からは鳳凰が出た。場の桐と一緒に取りつつ彼女は哄笑した。美奈は睨み、そして思った。
(これで五光にはならないし、四光成立の確率も下がった。だけどそんなに馬鹿笑いをすることかよ)
彼女は知らなかった、月は小春の手札にあった。美奈の四光はもう成らない。
小春は改めて相手の取った札を眺めた。光札が二枚と道風、タネが二枚、短冊が二枚、カスが六枚。タネや短冊やカスを急いで集めようとも、自分のタネの成立までには間に合わないだろう。
手札から桜のカスを出して場の桜の赤短を取った。これでカスも九枚。後一枚でカスでも上がれる。そして山札からは、梅のカス。場にも梅が残っていた。その二枚を取り、十一枚のカスが成立した。
先ずは安心し、タネではなくカスではあったが、第二プランの通りにここで終わらせようとも思った。だが、彼女は美奈の手元を見て考え直した。
(あれではまだ役が出来るのに時間が掛かるだろう。もう少し粘るべきでは?)
だが相手の手元にある桜に幕が気に掛かった。
(自分の手札にもなく場にもない。彼女が持っているだろうか。いや、持っていたのならば既に出しているはずだ。そちらにもないはずだ)
事実、美奈は盃を持っていなかった。
(成立したのはカスであり、タネだって後一枚。いつでもまた役が出来、上がれる。稼げるだけ稼いでおくべきか)
小春はここで、これまでの対局を思い出した。この局になるまでは美奈の方が勝っていた。彼女の方が多くのチョコを取っていた。小春の方が損をしていた。苦々しく思う。
(勝てる時に勝ち、出来るだけ取り返すべき、いや、取り上げるべき。ではこの局で勝って、どれくらいまで取れるだろうか。いや、だが、こちらの次の役が出来上がる前に盃が出る可能性を考えれば、一先ず切り上げておくべきか)
金勘定をし、また同時に続けるかどうかについても迷った。押し黙って考え込む彼女に美奈はイライラした。
「どうするの。早く言いなさいよ。上がるの、続けるの」
「あなたの方がまだトータルでは勝っているんだから、そう短気にならないで」
そう口にした途端、この自らの言葉で意志が決まった。
(そうだ、私は未だ負けている。そもそもの話、カス十一枚では二点にしかならない。これではチョコを取り返すなど到底無理に決まっている。どうせ点を取るのなら、やはり五点くらいは欲しい)
小春は美奈を真っ直ぐに見据え、
「そうね、続けるわ。こいこいよ」
(それに次に成立し得る役を考えれば、まだこちらが優勢だ。盃を取るか、一気に四枚のカスを取るか。現実的に考えればこちらの方が先に次の役を作れる。すぐに上がるにしても次の番にすればいい、カスの一枚くらいは取れるだろう)
美奈は場を睨んでいた。手札を睨み、諦めた。彼女には出せる札がなかった。そうして山札に手を伸ばしたのを見て小春は片頬を上げた。まだ点数を伸ばせる。続けて正解だった。
山札の一番上にあった札を美奈はやや投げやりに場へ放った。が、そこに描かれていた絵柄を見て、二人はあっと声を上げた。
そこにあったのは正に、菊に盃だったのだ。
美奈は手を叩き付けるようにして札を取り、
「花見! 上がりよ!」
「こいこいは!」
「しないわ! 上がりよ!」
「私はしたのに!」
「それはあなたの判断でしょう。私は上がり!」
小春は
「さ。五点ね」
促され、小春はレートに則った五点分のチョコレートを差し出さざるを得なかった。悔しくて
(勝てるチャンスはあったのに!)
悔やんでも悔やみきれなかった。恋しい人への告白のチャンスが遠退いた絶望と、美奈が彼の恋人になってしまうかも知れない焦燥とを感じていた。それと同時に負けた理由を考えようともした。次の局では勝てるように。
だが、敗因はこの彼女には掴めぬところにあった。悪かったのは決断ではない。負けたのは結果論だ。勝つ確率を考えたのは良い。どれだけ勝ちを伸ばせるかを考えたのも、論拠があるならば、良い。
負けたのは
勝負の席において金を数えては決していけない。その思考は欲を呼び、目を曇らせる。判断力を鈍らせる。ただ純粋にどうすれば勝てるかのみしか考えてはいけない。願望は事実を歪ませる。金を数えればそれを考えるべき時に、願望が混じり、目にする事実が歪み、するべき計算も狂っていく。
勝負に集中するべき意識が欲望で濁らされたからこそ小春は負けたのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
隣の卓ではそんな彼女とは対照的な人物が勝負をしていた。
華麗な花札が乱れ舞う様に
しかし、彼女は最後には自分が勝つと信じていた。
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