2.策略

 ポーカーの卓に着いて手札を睨んでいる勧修寺かじゅうじ美空の想い人とは、サッカー部でセンターバックを務めている愛宕良典だった。


 一年生の内からレギュラーの座を獲得しており、既に幾つかのクラブからアプローチを掛けられている。卒業後には大学へ行かずにサッカーに専念するつもりだが、日本で活躍するのは五年もあればいい方だろう。いずれはラ・リーガへ行くことが自他ともに認める既定路線だった。彼を求めるクラブもそれを知った上で勧誘していた。


 彼は決してミスをしない。そしてまた、あらゆる展開を想定し、どのような、他人には予想外に思えた、試合運びになったとしても、必ず最適な動きをした。そのためには尽くせる全ての手を尽くしていた。やれることは全てやった上での周到な働きをした。攻守ともに完璧だった。


 今はまだ二年であり卒業までは時間があるが、美空の方が三年生だった。同じ学園に通い日常生活を共に出来る時間は限られていた。気軽に話し掛けられるのは、後もう一ヶ月と少しだけだった。


 彼女は彼へ、運動部であっても食べきれない程のチョコレートをプレゼントし、年上の女性の大らかな魅力を見せたかった。


 やれることは全てやる。取れる手段は全て取る、彼から学んだことだった。だから彼女はこの勝負でもイカサマをしていた。


 手先の器用さには自信があった。彼女は筝曲部の部長をしていた。生田いくた流を学んでおり、お免状を貰うのももう間もなくのことだろう。指の運びは繊細であると同時に力強く、ビンビンと高らかに鳴り響く絃の音は山田流の名手をもしのぐほどだった。


 そのことつちかった指さばきをここでも活かしていた。もっとも、余人が気付くことなどなかったが。


 卓に着いて最初の頃は勝ったり負けたりチョコが増えたり減ったりしていた。しかしそれはどうでも良かった。まずはカードに触ることが目的だった。


 配られたカードを握る度に、その全てに、指先のほんの小さな動きだけで、爪の傷を付けていった。現在ではもう殆ど全ての札に彼女の爪痕が刻まれていた。


 勝てる勝負では大きく張り、負ける勝負では小さく張った。そうして損は小さく利は大きくの原則通りにチョコレートを増やしていった。


 だが今現在、この回での対戦相手はただ一人、華道部部長の桐生門きりゅうもん清華だけだった。差しでの勝負となっていた。他の者が少しずつ抜けて行った結果、こうなった。


 それというのもこの清華は妙に勝負が強かったからだ。それで余人は諦めて去った。だが美空だけはイカサマから来る自信から、抜けようとはしなかった。


 それでも矢張やはり負けは多い。負ける時には額を小さくしているとは言え、積み重なっていく負け額は、もう、大分だいぶ膨らんでいた。


 しかし、いい。勝つ時に大きく取り返せばいいからだ。


 そう思ってもまた負けた。


 では何故、清華はポーカーが強かったのか。それは簡単な話だ。彼女もまたイカサマをしていた。


 配られた札に手を伸ばす瞬間、彼女は袖口から仕込んでおいた札を出した。手に取り図柄を確認する瞬間、いらない札を袖口へと滑り落とした。今は二月、誰もが長袖を着ていた。季節も良かった。


 怪しむ者などいなかった。皆、呑気に、強いな、と思うだけだった。


 時折は負けたが、それも飽くまで演出だった。彼女は演出力に長けていた。何せ華道部である。空間の演出はお手の物だ。


 そしてイカサマを成立させるだけの繊細な指捌きにおいても筝曲部に引けは取らなかった。また、いざそれをする際の瞬時の決断力も、活花を切るのに必須の能力だった。精神を集中させて、それでも淡々として、イカサマを続けた。


 美空でさえもイカサマには気が付いていなかった。刻んだ印が見えなくとも、他のカードに重なって隠れているか、光や影の加減で見えなくなっていると思っただけだった。


 美空の行っているイカサマの特性上、余りじろじろとカードを見続けることは出来ない。さっと見て、見付からなければ諦めなければならなかった。それでも、マークが殆ど見付けられないのに焦りは感じ始めていた。


 この「交換会」では執行委員や風紀委員が見回りをしたり審判をしている。この卓でも風紀委員がディーラーをしていた。その彼女もまた、清華は運がいいな、という単純な感想を抱いているだけだった。


 そしてこの回のショーダウン。スリーカードとフラッシュ。清華の勝ちだった。


 だが、この結果を見て美空が遂に大声を上げた。


「イカサマ!」


 風紀委員も清華も彼女へ鋭い視線を送った。


「こんな、こんなに勝ち続けるなんておかしいでしょう! 何かをやっているのね!」


「何か、とは何を?」


 落ち着き払った清華の問いに興奮して答えた。 


「知るわけがないでしょう! でも、おかしい!」


 幾らカードの重なりや角度の悪さがあったからと言って、余りにもマークが見付からないのは、流石におかしいとも思い始めていた。


 清華は肩を竦めて風紀委員を見た。彼女も冷ややかだった。


「美空さん、大声を出さないで。何かがあったなら教えてちょうだい」


「何か、そんなものは分からない! でも、おかしいでしょう」


「イカサマをしていると言ったじゃない。どんなことをやっていたの? それとも、変なものを見た?」


「それは、ないけれど……」


 自分の付けたマークが中々見付からないとは言えなかった。


「でも、おかしいじゃない!」


 彼女のそんな様子に、清華は瞼を半ば落としつつ、つまらなそうに言った。


「ねえ、負けているからって癇癪を起さないで」


「癇癪!」


「そう。癇癪。駄々っ子よ、あなたは」


「よくもそんな!」


 それに対して清華は溜息を洩らした。そしてうんざりしたように、


「分かった。それじゃあ教えてあげる」


 と、静かに語った。


「美空さん、あなたはね、ポーカーというものを、いえ、ギャンブルというものを勘違いしている。ギャンブルは運否天賦のものじゃない。ギャンブルというのは勝つ確率を上げるゲームよ。運に任せるのはやれることをやり切った後の、本当に最後の瞬間だけ。


 いい? 私はね、今日のこの日のために確率論を勉強したし、オカルト染みたアノマリーだって学んだ。本気なのよ。それらの知識を動員して、勝てる確率を可能な限り上げているだけ。


 そしてそうした一つ一つの積み重ねが実った結果、私は勝っている。運任せにしているのではなく、自分の意志で行っているのだから、私の勝利は必然なのよ」


 いけしゃあしゃあと言い切った。美空は肩を震わせて相手を睨んだ。そんな彼女に風紀委員は、


「美空さん、これ以上揉めるようでしたら出て行ってもらいます」


 それで彼女はようやく座った。


 このちょっとした言い争いを周りの人々は誰も見てはいなかった。負けが込んだ側が騒ぎ立てるのはよくあることだ。ゴシップにもならずにこの場は治められた。


「美空さん、どうしますか。続けますか」


「続ける! 続けるわよ! 勝てばいいんでしょう。要は勝てば!」


 頭に血が上っていた。自分はマークを付けたのだ、ちゃんと見れば、必ず、勝てる!


 それから風紀委員は何事もなかったかのようにカードを集めてシャッフルを始めた。結果として美空の言い分は認められなかったが、それでも風紀委員は清華の所作をそれとなく観察するようになった。


(確かに少し、勝ち過ぎているかも知れない。でも、何かをやっていたとしても仕方のないことだ)


 もしもこの後に風紀委員が清華のイカサマに気が付いたとしても、きっと何もしないであろう。対戦相手が指摘をしなければ勝負は有効であり、また両者が合意をする限り続けられる。ディーラーはしているが、不正があったとしても彼女は決して口を出さない。


 何故ならこの行事は飽くまでも「交換会」だからだ。チョコレートをやり取りする場でしかない。だからどのように交換しようとも、主催者側としては何の問題もない。揉め事が起きたらそれで初めて仲裁をするだけだ。


 言ってしまえば、この賭場では騒ぎにならない限りにおいてイカサマは認められていた。


 だからと言って清華が他人にバレるようなことはしないが。ルール上は問題がなくてもチョコレートを渡す相手に悪印象を与えてしまう。


 生徒会長の一条妙義はこうした不正を嫌うだろう。彼に告白するためにチョコレートを集めているのに嫌われてしまったら元も子もない。


 彼女は見破られぬよう細心の注意を払いながらイカサマを続けた。告白を成功させるためにチョコレートを積み重ねて行った。美空が降りない限りは彼女のチョコを奪い続けるつもりだった。

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