バレンタインの乙女達 ~チョコレート博徒~
小鷹竹叢
1.開場
二月十四日、バレンタインデーは日本で最もチョコレートがやり取りされる日である。
それはこの私立
ここは全国の上流階級出身者が集まる学園であり、政治家や高級官僚、また財界の重鎮や、学術や芸能やスポーツなどの世界で名を残す人々の子女が入学した。
卒業生もまた各々があらゆる分野で世界的歴史的な成果を出し、ここを卒業すること、また在学していることが一流の証拠として扱われた。
たとえ中退した者にさえ、あのAI業界の覇者であるT.T.が挙げられる。ほんの僅かであってもここに在籍したという事実は、栄耀栄華へと続く道標だと見做された。
将来の成功が約束された生徒達ではあるが、それでも彼らは青春の只中にあった。そして青春の花の中でも最も煌びやかなものとは、やはり恋である。生徒達はそれぞれが、大輪の、もしくは細やかであっても可憐な、花を咲かせていた。
そしてバレンタインデーにチョコレートを貰う男子とは、いくらエリートといえども高校生である。まさに食べ盛り。だから彼らはどうせ食べ物を貰うのであれば沢山であるほど嬉しがった。
また彼らは庶民には想像も及ばない富裕層である。だから超高級チョコレートを貰っても、普段から食べているものだから、さほど感動はせず、やはり質より量を喜んだ。
実際のところはどうか知らないが、少なくとも女子生徒らはそうであろうと考えた。それで彼女らは恋しい相手に沢山のチョコレートを渡すためにそれを集める工夫を考えて、いつしかチョコレートを対象とした賭博が始まった。
恋にルールは通用しない。それで規律の厳しいこの学園であっても授業中にすら賭博に昂じる女子生徒も現れて、教師達を悩ませた。
そこで生徒会は一つの提案をした。バレンタインデー当日の午前中は授業をなくして体育館を開放し、生徒達にはそこで「交換会」をしてもらおう、と。当時の学生自治の時流もあって学園側はこれを承諾した。約半世紀ほど前のことだった。
そうしてこの「交換会」は、由緒ある学園の伝統的な行事となった。
これはそんな彼女達の愛の花々が情熱に燃え上がる日の物語である。
◆◆◆◆◆◆◆◆
今年もその日がやって来た。開場三十分前の六時半の時点で体育館の前には黒山の人だかりが押し寄せ、
七時、開場。彼女らは一斉に駈け込んだ。中に入ると互いに牽制し合い、距離を取って散った。
三十分後、正面の壇上に
生徒会長、一条妙義は特に下級生から絶大な人気を誇っていた。眉目の秀でたることは語るまでもない。学業の成績は常に五指に入り、スポーツでも運動部に引けを取らなかった。芸術の才能もその道に進んでいれば歴史に名を刻むことになっただろう。しかし何よりもリーダーシップがあり、人を惹き付ける魅力があり、理知的で機知に富んでいた。ここで取り交わされるチョコレートの最終的な行先の大本命だった。
挨拶が終わり、ついに開始の合図がなされた。七時三十五分。ここから閉場の十二時までの約四時間半、この体育館は鉄火場となる。
乙女達は
◆◆◆◆◆◆◆◆
まだ八時にもなっていない。まだ始まって三十分も経っていない。それなのに
一年生である彼女は初参加であり、立ち回り方を知らず、緊張もしていた。賭け事をしたことがなく、度胸や観察力もなかった。博打特有の思考法など身に付けるどころか存在することも知らなかった。博打の完全な素人であり、それを自分でも分かっていた。
だから技術の存在しない博打であるチンチロリンに参加した。
この博戯は運だけだ。だから勝ったり負けたりして、運が良ければ勝ち、悪ければ負けるだけだった。
それなのにずっと負けが続き、親が一巡すらしない内に、彼女の
負けるわけには行かなかった。絶対に負けてはならなかった。彼女は必ず大量のチョコレートを獲得し、隣の席の
勝負の強さの一つは資金力だ。それは彼女も分かっていた。だからチマチマ稼ぐのではなく、一度大きく勝たなければいけないと思った。
このゲームで大きく勝つにはやはり親の番が回って来た時が重要だ。それまでに種を集めておかなければ。
親になる直前の回で桜は手持を全て賭けた。ここで勝ち、親の番で更に増やす。それしかないと考えた。覚悟を決めた。
そのためには、まずはここで勝つ。それが前提条件だった。まずはこの第一段階を突破する必要があった。ここを越えなければ何にもならない。これが絶対だ。第一段階をクリアしなければ何も始まらない。まずは、ここで、必ず、勝つ。
賽を振る手に力が入った。梅花の候に汗が滲んだ。
丼の中で賽が転がった。三つの賽が、カラカラと音を立てて転がり、動きを鈍め、そして止まった。
結果としてはブタだった。振り直してもブタだった。
運は彼女に味方しなかった。桜は負けた。全ての
濡れそぼる顔を片腕で隠して、失恋の悲しみでしゃくり上げながら、彼女は体育館を後にした。
◆◆◆◆◆◆◆◆
藤波ジョヴァンナ。彼女の母の系譜を尋ねればイタリアの薬種商に行き着いた。歴史的名家の血を引いていた。
どれほど名門な学園であろうとも自分には及ぶまい。彼女にはその自負があった。だからこの程度の行事など児戯に過ぎぬと思っていた。
事実として彼女は勝っていた。賭博が合法な国でも出来るゲームには飽き飽きして、せっかくだからと映画でも見る丁半に参加していた。ほぼ当てて、当てることが当たり前となっており、たまに外すと舌打ちした。
この私が負けることなど世界の法則に反している!
こうした威風に同じ卓に着いている参加者達は吞まれていた。
筒に賽が投げ込まれた。その瞬間の賽の傾きをジョヴァンナは見ていた。振られる筒の中でどのように転がっているかを脳内で再現した。伏せられ、回され、筒の動きが止まった。彼女の視線は鋭く、まるで筒を透過して中が見えているかのようだった。
参加者はそれぞれ勘を働かせ、思い思いに半か丁かを宣言した。
「丁!」
ジョヴァンナの声がその場を支配した。
筒は開けられた。出目は、二、四。丁だった。参加者はどよめき、溜息も漏れた。
彼女は自分の取り分をボストンバッグに仕舞い込み、片頬を上げてにやりとした。当然の結果であろうともチョコレートを得るのは嬉しかった。
博打とは別の高揚で彼女の胸は波打っていた。
待っていてね、五辻くん。
彼女はチョコレートの詰まったボストンバッグを差し出して、彼に告白するつもりだった。放課後に呼び出すためのラブレターは既に下駄箱に入れていた。
頬を赤らめていた。彼女もまた恋する乙女だった。
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