5章 カタツムリ、地底へ行く

122.禁断を求めて

「やめるんだ、イエナ!」


 ルームに緊迫したカナタの声が響く。


「カナタ……でも、私……」


 イエナは力なく首を振る。その表情は今にも泣き出しそうだった。


「気持ちはわかる。でも、それに手を出しちゃダメだ! ……本当はわかっているんだろう?」


「でも……でもっ……!」


 優しく諭すような声に、イエナは胸元に抱え込んでいたものをギュウと握りしめた。


「イエナ、いい子だからそれを置くんだ。まだ間に合う。誘惑に負けちゃいけない」


「カナタはどうして平静でいられるの……」


 イエナが悲痛な声で呟く。


「あの禁断の味を知っているのに、なんで平気なの!? 私はもう我慢できない!」


「イエナはそれの危険性を十分にわかっているはずだ。やめよう、かわいいモフモフたちのためにも」


「……ずるいよ、もっふぃーたちのことを出してくるなんて」


 そうい言ってイエナはがくりと崩れ落ちた。その拍子に、抱え込んでいたものが床に広がる。


「だって! 再現したかったんだもの! あの暖炉の前の美味しいアイスの味を!!」


 うわーん、とイエナは床に泣き伏した。その手元に広がっているのは、不思議な模様が描かれた布。要するに例の効果があるブツである。

 イエナはどうしても暖炉の前で食べるアイスの味が忘れられなかったのだ。まず、ご丁寧にあの食堂で使われていた暖炉とそっくり同じ形のミニチュア版を作った。そして、スケールを小さくした分の火力不足は、アタタマモリ布を使って空間を区切ることで補おうと考えた。つまり、以前モフモフたちに作った簡易テントのアタタマモリ版だ。その簡易テントの中でミニ暖炉を使うことにより、炎踊る熱を再現しようという寸法だった。

 ただし、火の魔石ではなく本物の薪を燃やすので、当然ながら大量の酸素が必要になる。しかも、テント内での使用なので、一応形だけは取り付けた煙突も全く役に立たない。その結果がどうなるか、火を見るよりも明らかだろう。


「イエナ、気持ちはわかるよ。でもそれはやっちゃいけない。ガチで、死に至るぞ」


「ちょっとの間だけなら大丈夫だと思ったの。アイス食べるほんの数分ならーー!!」


「絶対ダメ! 正直火の魔石でも絶対安全とは言い切れないんだからな」


 カナタからほぼ初めてと言っていいくらいの絶対的NGを食らって、イエナはしょんぼりとうなだれる。


「あーん……もう一度味わいたかった」


「しょうがないよ。あのままペチュンの街に滞在して『で? 雪女(仮)さんとの関係は?』なんて突っ込まれようもんならなんて言っていいかわからないし」


 しょげかえるイエナにカナタの声が労るように柔らかくなる。

 イエナに禁断の味を知らしめたペチュンの街からは夜逃げするように飛び出してきた。何故なら、カナタの言った通り追及から逃れるためだ。別にやましいことはしていないつもりだが、ミコトとの関係なんかは当然聞かれるだろう。そこを「転生者」やそれに類する言葉ナシに説明するのは非常に苦しい。

 万が一ミコトの昔の身分が露見したら、国同士の問題に発展する可能性だってある。そうなればイエナもカナタもただでは済むまい。どう考えても逃げ出す以外の選択肢は見つからなかった。


「まぁ、しょうがないのはわかってるよ~。いつか再現してやるんだから」


「イエナの技術をもってしても再現が難しいことってあるんだなぁと実感した」


「なによ~。私なんてまだまだ不可能の塊よ? まぁでもミコトさんの遺してくれた魔法図案は研究のし甲斐あるし、いつかね。できるはずよ」


「じゃあまぁそれまではご当地の味ってことで」


 そういえばカナタも大好物の海鮮丼をしばらく食べていないことに思い至る。


「旅っていろんな人に会えて美味しい物も食べられて初めて見るものもあって……すっごく楽しいけど、必ずお別れしなきゃならないのよねぇ。……ヨクルさんたちは大丈夫かなぁ」


 暫くお世話になった最北の街ペチュン。そこで出会った自警団員のヨクル。そして、スノースライムのフロスティと銀狼のルプス。

 彼らはこれから「魔物使い」というジョブに新しい役目を与える……というと少々大げさだが、まぁそんな感じになっているはずだ。ペチュンを離れたイエナたちは、彼らが何事もなく過ごせていることを願うしかない。


「きっと大丈夫。なんてったってレベルカンストの銀狼がついてるんだから」


 かんすととはなんぞや? と思わなくもないが、いつもの異世界用語だと思ってスルーだ。きっと褒めているんだろうし。


「素敵な手触りだったわ……」


「もしやとは思うけど素材と思ってはいないよな? な?」


 カナタの疑わし気な目線に胡乱な目を返す。流石のイエナだってそんなことは思っていない。ちょっとしか。


「当然じゃないの、失礼な……ところで次の街は? どんな美味しいモノあるのかしら?」


「ゲンキンだな。まぁいいか。次の街の話もせずに飛び出してきたし、ちゃんと相談しようか」


 そう言ってカナタはテーブルの上に地図を広げた。


「今がペチュンを出てこの辺り。一旦大きな街に寄って色々と情報収集したいところなんだよな」


「じゃあヴァナに戻る?」


 商業都市ヴァナはここに来る前に寄った場所だ。商業都市という名前通り、様々なモノが流通している。情報だって手に入れやすそうだ。


「んー……でも旅的にそれ楽しくない気がしないか? 折角だから知らない土地に行きたいじゃん」


「まぁ私はそうだけど、カナタはいいの?」


「俺としてもヴァナに寄らない方がいいかな。ちょっと遠回りになるから。いくらゲンたちがいるとしてもさ」


「あ、なるほどね」


「なので、ルートとしてはこう」


 カナタが地図の上に長い指を滑らす。北からツーっと西へ。一度真っ直ぐな線をひいて、通るルートをしめしてから、タンととある地点を指さした。


「こんな感じで向かうルートにすると、次に目指すのはワタタ街かな。ある程度大きいみたいだし、情報も集めやすそうだ」


「はーい。美味しいモノあるといいねぇ。どんな街なのかは知ってる?」


「一応な。でも現実では結構違う場合もあるし……実際、地名も変わってたしさ。あと、俺国のこととかは全然わからないから」


「あ、ミコトさんの手記のやつね。でも普通に過ごしてたら自国の名前なんか知らなくても生きていけるからなぁ……。今住んでる街と隣町くらい知っておけばオッケー、みたいな」


 かくいうイエナも実は喋りながら生まれ育った街が所属する国の名前を頑張って思い出しているところである。


「こっちの世界ではそんな感覚なんだな」


「そもそも旅に出るって発想がクラフタージョブはあんまりないからなぁ。冒険者になる人だけだと思う。それにしたって世界中飛び回るっていうのはないんじゃないかな? 普通はほら、移動費に宿代にご飯代かかるし、それに装備代修理代……」


「あ~~~~~~」


 イエナとカナタの旅は、今挙げた費用がほぼかからない。

 移動は可愛い癒しのペットたちが担ってくれている。冒険者の大半は徒歩で移動だ。当然移動速度は遅く、その分野営の回数も危険も増える。路銀に余裕があれば乗合馬車を使う者もいるだろう。速度も上がるし危険も減るが、路線が決まっているため移動先が限られるのが難点だ。馬を買う者もいるが、それなりの出費は覚悟しなければならない上に、当然ながら生き物としての維持費がかかる。割に合うかどうかは当人の考え方次第だ。

 宿代は街中に泊まるとき以外はルームでタダ。流石に街に入れば他人の目があるので宿をとるが、そうすると何故か宿代以上の臨時収入を稼げてしまう不思議現象が毎度起きていたりする。

 ご飯代はカナタの強運スキルの恩恵でほぼかからない。街に入ればその土地ならではの味を求めて食堂に行ったりもするが、それも何故か食事代以上の――以下同文。装備代修理代は材料さえあればイエナがまとめて面倒をみる。

 普通の冒険者が聞いたらブチギレるくらいのローコストだ。


「マジでイエナとの出会いに感謝」


「私も感謝感謝。そもそもカナタに出会わなかったらこんなにあちこち行けないしね」


 カナタが拝んできたので、イエナも負けじと拝み返す。なんだろう、この図は。

 顔を見合わせて笑い合う。


「じゃあ、今後もこの恩恵を有難がりつつ、安全に旅を続けような」


「おっけー。このあとってドンドン南に向かうことになるのよね? だったらうちの子たちにヒエヒエマモリ作らないと」


「……なんて?」


「ヒエヒエマモリ」


「……そうか」


 悟りを得た修行僧のような笑みを浮かべるカナタ。いつもの他愛のないやりとりである。

 だが、それもいつまでも続くわけではない。ワタタ街を経由して、ドワーフたちが住む場所へと向かう。そこで、カナタの最終武器に必要な素材を手に入れる。

 そうしたら次は、いよいよ最終目的地へと進むのだ。

 旅に別れがあるように、この日常にもいつか終わりが来る。そのことをしっかりと認識しながら、イエナは努めて楽しく明るく、今の幸せを噛みしめるのだった。

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