蒲公英と向日葵は交わらない

義為

本編

 私は、ライオンじゃない。

 あの雄ライオンのようなたてがみは、私には無い。まあ、雌ライオンにもないけれど。

 彼は、そう。真夏の向日葵サンフラワーだ。日の差す岩の上で、その雄姿を人間たちに見せつける。

 百獣の王、太陽の花、このサファリパーク監獄にて、最も自由な動物囚人

 私は、人間のように、彼に焦がれる。

 並び立つ資格は無いとしても。

 この想いを秘める資格はあるだろう。


 

 ※※


 

 僕は、虎じゃない。

 彼女あの雌の虎のような、鮮やかな美しさは僕には無い。

 彼女は、そう。春の蒲公英ダンデライオン。その躰が草むらにあろうとも、空を目指すその眼が、人間たちを魅了する。

 森の女王、春を告げる一輪の花、このサファリパーク監獄にて、最も美しい動物囚人

 僕は、人間のように、彼女に惹かれる。

 寄り添う資格は無いとしても。

 この想いを秘める資格はあるだろう。


 

 ※※


 

「この動物園、トラとライオンがにらみ合いをするのが一番の見どころなんだって」

「へ~やっぱりやっぱり、ライオンの方が強いのかな?」

「いや、トラの方が脚が太いから強いよ。テレビで言ってた!」

「いやいや、雄ライオンでしょ?同族と命がけで戦う戦士が、負けるはずない!」

 こどもの日に相応しく、サファリバスの窓際に陣取る小学生たちが、好き勝手に論争を繰り広げる。サファリパークの動物はおなか一杯なので、争う必要が全くないのだ。まあ、笑い話としては悪くないだろう。

「ふふ......。戦うことはないだろうけど、面白いテーマだ。男子なら通る道......」

 君の視線は遠い中空を漂っていた。失言を悟る。

「ええと、出発前だし、やっぱり降りて別のコーナーに行こうか?ほら、爬虫類とか」

 びくりとしてこちらを見上げる君。水平に40 cm、垂直に30 cm、つまりは直角三角形の斜辺50 cmが彼我の、公共の場での最短距離。それは、これまで一緒に過ごした誰より遠い。だからこそ、視線が通じる感覚が心地いい。近くて遠い君の瞳は、ただただ驚きの色だった。

「ううん、ただ、発想が新鮮で......」

 新鮮。俺が20年前に通った道は、君にとっては未知の世界なのか。

「はは、男の子は強いものが何故か好きになるのさ」

「女の子だって戦うよ?ここのトラも女の子だし」

 小さくファイティングポーズを取って言う。そうだ。日曜朝に変身して戦う少女たち。始まりの彼女たちの背を見て育った世代が、俺と同い年の君だった。

「なーんだ、分かるじゃないか少年!」

「誰が少年!?背ばっかりのひょろひょろ坊やが!」

 振り子のように重力によって振られた君の左裏拳うらけんが僕の脇腹に刺さる。肋骨と骨盤の間、腹斜筋を貫通して内臓が揺れる。

「うお……」

「あ……ごめん……」

「いや、びっくりしちゃっただけ。大丈夫」

 ガイドのアナウンスが響き、バスが発車する。

 なんだか気まずいサファリライドの始まりだ。



 バスはグラグラと左右に揺れながら進み、森林ゾーンとサファリゾーンの境目、ライオンと虎が睨みあう名所にたどり着いた。

 バスガイドのアナウンスによると、二頭の獣の間にあるのは敵意ではなく、好意なのだという。

「ねえ、どっちが強いかなんかより素敵じゃない?」

「いや......交雑種は長生きできないし、手放しでは喜べないかな......」

 君はむすっとして視線を地面と平行にする。そうすれば、俺と目を合わせることがなくなるからだ。

「......それでも、本能を超えた想いが通じ合うのなら、それは祝福すべきことだよ」

 これは、本心だ。断じて、ご機嫌取りではない。俺の言葉は、いつも一言『足りない』だけなのだ。

 きゅっと左袖を掴む君。しかし、その視線は俺ではなく、外へ……二頭の獣に釘付けであった。



 ※※



『貴方は、私のことをどう思っているの……?』

 初夏の日差しに誘われて、私はついになわばりから出て来てしまった。もう勢いに任せるしかないと、彼に問う。

『それは……』

 後ずさる彼。……どうして?そんなの、貴方じゃない。焦がれていた、向日葵サンフラワーの君じゃない。

『言えないなら、いいわ』

 踵を返す。幸せな夢はこれで終わり。私たちは、別の生き物だったんだから。



 ※※



 吠える。忘れていた本能、それが僕の頭蓋で反響し、血を巡り、筋肉を動かす。

 眼の前には一匹の雌が立ち止まる。

 惹かれていた、一輪の蒲公英ダンデライオン

 行かないで。

 そこにいて。

 どうか、手が届かないままで、その森にいて。

『君は、僕では相応しくない』

 その声より疾く、君は爪を振りかざす……!



 ※※



 私の目と鼻の先で、互いの気持ちを探り合うように見えた恋人たちは、ライオンの咆哮を皮切りに、激しく爪と牙を突き立て合っていた。

 大気を震わすけだものたちの声、大地を揺るがす爪牙の応酬。

 それは、サファリバスが静かに遠ざかることで尚更体に響く。あまりの出来事、視界から外れることで恐ろしさを増す。にわかに車内が困惑の声で満ち始めた頃、震える私の耳元に、彼の囁き声。

「大丈夫」

 私より30 cm背の高い彼の顔が、私のすぐ右にあった。

「大丈夫」

 低い地声に柔らかに混ざる高音がよく通る。

「そんなの……分からないよ」

「だからこそ、大丈夫なんだ」

 絞り出した答えに、即答。

「分からないから、あの2頭の将来を信じることが大事なんだ」

 いつの間にか彼のシャツの袖を握っていた右手がそっと包まれる。

「帰ろう。甘いものでも食べてさ」

 甘いものに釣られる訳じゃない。不器用な優しさに応えるために、私は頷いた。



 ※※



『名物カップル ライオンとトラ、破局』

『発情期のズレから争いに』

『それぞれ個別展示エリアに再配置』

『動物園経営陣は謝罪』

『近縁異種の同一エリア展示に倫理的問題の声』



 ※※


 

 嗚呼、僕が蒲公英ダンデライオンだったなら。



 ※※



 嗚呼、私が向日葵サンフラワーであったなら。



 ※※



『同じ空に、飛んでいけたのに』

『同じ太陽を、眺められたのに』



 ※※



「ねえ、ライオンのダンデとトラのサン、残念だったね」

 走り梅雨の朝、スマホでニュースを見ながら君が言う。

「そうかな?別の場所で生きてるんだから、幸せなんじゃないか?」

「生きてるだけじゃない」

「生きてるのは大事さ」

 むぅ、と口を閉ざす君。

 今日も一言足りなかったみたいだ。少し遠くを見て、言葉を足す。

「生きているなら、生きてきた過去は消えない。終わりが悲劇だからといって、幸せな日々の全てを否定したくはないんだ」

 目線を下げると、ぶつかった。君の視線がまっすぐと俺の目を刺す。

「もう、いつも一言足りないんだから」

「分かっちゃいるけど、ね……」

 やれやれと両手を振る君の姿が愛おしい。

 それに引き換え、俺は情けなくて、首を横に振った。



 ※※



「私たちとあの子たち、何が違ったのかな」

「ほとんど同じだよ。違いは……そうだな……」

 君は右手で顎をさすって考え込む。剃ったばかりの滑らかさは、朝だけのものだと私は最近知った。

「いや、おんなじだわ」

 また言葉が足りてない。それじゃあ、私は爪を立てて噛みつかなきゃいけない。毎朝毎晩。思わずため息が漏れる。

「ライオンとトラ、交配は出来る。体格差は個体差の範囲内。コミュニケーションが1回、少し荒れただけのこと。ほら、君と俺そっくりだ」

「私が牙と爪をむき出しにしてるってこと?」

 う……と君は視線を泳がせる。違う。私に合わせることを止めた、自然な位置に戻っただけ。やっぱり、30 cmの身長差は大きい。と。君の視線が帰ってきた。

「そうさ。でも、今日行くのは動物園じゃなくて、植物園だから……」

「綺麗な薔薇には棘があるって?」

 やっと通じたと、君の顔が喜びに染まる。全然上手くないのに、その様は花開く黄色い薔薇のようで、私も笑った。

 蒲公英ダンデライオン向日葵サンフラワーの間の季節を彩る黄色い花を、私たちは見に行く。


 

 二人で、同じ未来を探して。

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蒲公英と向日葵は交わらない 義為 @ghithewriter

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