集まるウイルス

 ひたすら真っ直ぐ伸びる大通りを、大勢の人が走っている。絶えず鳴り響く足音と共に、無数の振動が地面から三人の体へと伝わる。まるで、たくさんの大太鼓をそばで激しく叩かれているようだった。


 この通りはマルテから隣のラギーナ地区へ通じる一本道で、政府要塞門へ向かうには最短のルートであった。両側には小さな商店が軒を連ね、電信柱が所々立っている。大きな会社か施設が入っているらしい高い建物も見えた。


 特に用事などない限り、この場所まで遠出することはほとんどない。代わり映えのない街並みでも、不思議と初めて見るような景色に感じられる。




「やばいね……、学校のマラソン大会みたい」とニーナが言った。息を切らせて苦しそうだったが、片腕でサッカーボールをがっちりと抱えている。


「なぁ、そもそも俺たちが向かってるナントカ門ってどんな所なんだ?」とミカイルが聞いた。


「ちょっと前の社会の授業でやったでしょ!?」とオレグが飽きれながら、政府要塞門について話し始めた。




 モグロボが大陸の大戦に敗れたのが十五年前。前の国王は戦犯として処刑され、新しい国王が就いた。その国王の指揮のもと、政府は国の復活のため、最北端のユレイラ地区に新しく国境基地を設けた。そこは政治の拠点であると同時に、北の隣国のノストワからモグロボを守るための軍事施設となった。無数の兵が待機しており、国中の武器がそこに集約されている。その国境基地とノストワの間にある大きな壁が国境。対して、南側のボレル地区との境を成す壁が政府要塞門となっている。要塞門は、主に国境基地に必要な食料や備品の出入り口の役割を果たしている。役人や軍人、または特別な許可を得た民間人しか立ち入ることはできない。




「その要塞門が今は検問所として解放されて、僕たち民間人を検査して国境基地に迎え入れる入り口になったってわけだよ」とオレグはできるだけ分かりやすく説明したが、ミカイルは「んー。まぁ、何となくわかったぜ」と曖昧な返事をした。


「ねぇ、そろそろあたしたちも歩かない?」とニーナが息を切らせながら訴える。




 始めは大勢の人が走っており、それに倣っていた。しかし体力の限界が近づいたのか、気づけばほとんどの人が歩き始めていた。


 三人は走るのをやめ、荒い呼吸を整えながら進んだ。ニーナとオレグは孤児院で出会った時からずっとバタバタしていたため、今更ながら互いに自己紹介をした。


 太陽が一番高い位置まで昇り、ギラギラと土の地面を焼きつける。絶え間なく汗が噴き出し、三人は水浴びをしたかのように全身が濡れていた。垂れ落ちる汗は、乾いて割れた土にあっさり吸い込まれていく。




「歩いて間に合うのか? ノストワは四十日くらいしか爆弾落とすのを待ってくれないんだろ?」とミカイルが聞いた。


「ギリギリってとこかな。マルテから隣のラギーナまで一週間。ラギーナは広いらしいから、たぶん二週間ちょっと掛かる。次がボレルで一週間。ボレルを抜ければ要塞門があるユレイラまですぐだけど、たぶん大勢が集まってすぐ検査を受けられないだろうから、早めに到着しなきゃかも」とオレグが計算した。


「じゃあ……」とニーナが肩で息をしながらうなだれた。


「うん、本当にギリギリ。始めは体力を残すために休憩を取った方が良いと思うけど、終盤は爆弾投下の日から逆算して、走り続けないといけないかもね」




 三人はしばらく黙って歩き続けた。前に伸びる景色はほとんど変わらない。ひたすら土をならした大通りと、その両脇に建物が続くだけだった。


 建物の間には、細い路地が続いている。そこへたまに人が入っていく。用を足しているらしかった。ミカイルとオレグも同様に済ませた。ニーナはトイレがありそうな商店を見つけては、たまに寄るようにした。


 ミカイルは窓ガラスが割れているお店を見つけた。遠目で覗いてみると、店内には野菜の切れ端や、果物の名が書かれた段ボール箱が散乱していた。どうやら前を歩く人たちが店に侵入し、食料を持ち去っていったようだ。他にもジュースや酒を販売している店や、缶詰を専門に扱う店などが標的となり、入り口が破壊されて中が荒らされている。ミカイルは「やりたい放題だな」と呟くと同時に、お腹がぐうと鳴った。




「なぁ、そろそろ飯食おうぜ」




 そう言いながらリュックを背中から胸の前に移して、中からパンを取り出して食べ始めた。オレグも思い出したかのようにリュックを開け、薬を取り出して飲み始める。




「ちょっと! もう少し間隔をあけて食べた方がいいんじゃない? この先どれだけ食料が手に入るか分かんないよ?」とニーナが口を尖らせる。


「もう腹が減ったんだからしょうがねぇだろ! 食べ物くらい何とかなるって」


「なにその言い方!? こっちはみんなのこと心配して言ってんの!」


「じゃあ食うなって言うのかよ? 腹減ったらそれこそ歩けなくなんだろ!」


「バカ! そんなこと言ってないでしょ……。もぉ、オレグも黙ってないで何か言ってよ!」


「おい、オレグ! お前薬じゃなくて先に食い物出せって!」




 二人の怒りの矛先が向けられたオレグは、いつの間にかしゃがみ込んで耳を塞いでいた。両手が振れたヘッドホンはカタカタと音を鳴らし、苦しそうに呻くオレグの声が漏れる。




「え、どうしたの?」とニーナが心配してそっと声を掛けた。


「ちょっと二人とも、声大きすぎ……。耳が痛いよ」




 オレグはヨタヨタと道の端まで歩き、建物の入り口の階段に腰掛けた。ミカイルはため息をつきながらそばに寄り、ニーナにオレグの症状のことを説明した。




「おい、大丈夫か?」とミカイルが聞く。


「うん……、ちょっと休ませて」


「そうしようか。……じゃあ、あたしも少しご飯食べようかな」とニーナがリュックを背中から降ろす。


「なんだよ、時間をあけて食べるんじゃなかったのかよ?」とミカイルが意地悪く言った。


「いいでしょ別に! あたしはちゃんと三日分くらいは持ってきたの!」




 ニーナがリュックの口を広げる。中にはたくさんのパンや缶詰、野菜や果物が入っていた。




「……野菜って、そのまま食うのか?」とミカイルがパンを頬張りながら聞いた。


「べ、別にどこかで料理すればいいでしょ!? いちいちうるさいな! ねぇ、オレグはどれくらい食べ物持ってきたの?」


「え……。うん、まぁ」とオレグは言葉を濁す。


「なんだよ、この状況で独り占めしようってんじゃねぇだろうな?」とミカイルが目を細めた。


「いや、そういうんじゃなくて……」


「なんか、怪しい。見せなさい!」




 ニーナがオレグのリュックを奪い、口をガバッと開ける。すると大量の薬が地面にこぼれ落ちた。




「ちょっと、まさか……」




 リュックの奥まで手探りしても、白い錠剤しかない。やっと別の感触がするものを見つけて引っこ抜くと、銀色に光る大きな水筒が現れた。




「定期的に鎮痛剤を飲まないと、耳が痛くなるからさ……。へへ……」とオレグが苦笑いをする。


「この役立たず!」




 ミカイルとニーナの大声が通りに響くと、近くの人たちが三人の方を振り向いていた。






* * * * * * * * * * * *






 日が落ちて暗くなり始めると、道を歩く人の数が減ってきた。一人、また一人と、大通りから脇道に逸れていく。




「なぁ、なんか人が減ってないか?」とミカイルが聞いた。


「たぶん、寝る場所を探してるんじゃない?」とニーナが脇道に目をやる。




 大通りの商店や事業用の建物の奥は、民家でずうっと埋め尽くされている。脇道に入って少し進めば、たくさんの家々で形作られた迷路のような路地が広がっている。




「そういえば、どこで寝るとか考えてなかった」とオレグが言った。


「確かに。本当はユレイラまで急がなきゃだけど」とニーナが答える。


「でも俺、夜中もずっと歩くなんて無理だわぁ~」とミカイルが気の抜けたあくびをした。




 大通りとはいえ、街灯はまばらだった。きっと夜には、足元がほぼ見えなくなるほど暗くなる。そうなる前にと、人々は脇道に入り寝床を探し始めているようだった。




「僕たちも、そろそろ寝床を探した方が良いかもな」




 オレグの提案をきっかけに、三人は近くの脇道に入っていった。路地の両側には木の塀が伸び、所々に家の玄関へ通じる入り口がある。ちょうど奥の方で、女の人たちが民家に入っていくのが見えた。




「あんな勝手に、人の家に入っちゃって大丈夫かな……」とニーナが不安を漏らす。


「どうせ家主はいないよ。この辺りに住んでた人たちは、もっと国境に近い方にいるはずだろ?」とオレグが答える。




 三人は手前の家から順に入ろうとした。鍵の閉まっている家ばかりだったが、十五件目くらいで運良く鍵の空いている家を見つけた。古そうな木造の二階建ての一軒家だ。元々空き家だったのかと思えるくらい閑散とした雰囲気を漂わせており、庭には雑草が生え散らかっていた。




「ラッキー! お邪魔しまっす!」とミカイルがドアに手をかけた。


「ちょっ、まだ人がいるかもしれないじゃん!」とニーナが注意したが、ミカイルは威勢よく引き戸を開けた。




 ガラガラガラピシャンと音を立てると、真っ暗な玄関が広がる。そして家に上がってすぐの両側に、部屋が見えた。正面の右側には奥へと続く廊下、左側には階段が二階へと伸びている。物音や人の気配は全くない。夏の夜なのにひんやりと冷たい空気に包まれる。




「……暗いね」とニーナが呟いた。


「なんだ、怖いのか?」とミカイルがおちょくった。


「はぁっ!? んなわけないでしょ!」




 ニーナが足で蹴ろうとしたが、ミカイルはそれを避けながらそばの電気をつけて、ヒョイと廊下に上がった。




「ねえ、せめて靴は脱ごうよ」とオレグも玄関に入り、鍵を閉めた。




 三人は靴を玄関で脱ぎ、家の中を見て回った。一階には居間と台所、それともう一つ小さな部屋があった。廊下の奥は風呂場だった。二階には寝室と押入れがあり、布団も入っていた。あちこちで衣類や食べ物が散らかっている。台所のシンクには、洗っていない食器が積まれていた。




「たぶん、あの放送が流れて急いで出て行ったんだろうな」とオレグが天井の明かりを見上げた。


「おぉ! やったぜ、メシがあるぞ!」とミカイルが冷蔵庫を開けて飛び上がった。




 空腹だったニーナとオレグも駆け寄って中を覗いた。細切れの鶏肉や青菜の野菜、卵が十個くらい入っている。他にも使いかけの調味料がたくさん並んでいた。古くて傷んでいる食料を除いても、今日明日を凌ぐには十分な量だった。




「あ、シンクの下の棚にお米が入ってる! これ焚こっか!」とニーナは料理の準備を始めた。




 その間、ミカイルは風呂を沸かして一番に入り、オレグは二階で布団を敷いてから風呂に入った。




「はい、できたよ」とニーナが夕食を居間の丸いちゃぶ台に並べていく。




 その前でミカイルとオレグは突っ立っていた。やがてニーナも違和感を感じた。


 いつもは一人か、年の離れた人とご飯を食べている。学校で友達がいるなら当たり前だろうが、そうではない三人にとって、同い年と食卓を囲むのは新鮮だった。やがて、ミカイルがぎこちない動きでちゃぶ台の前に座る。それに続いて、ニーナとオレグも腰を下ろした。


 夕食は鍋で焚かれた白飯。そして鶏肉と卵の炒め物、野菜のスープだった。白い湯気が上がり、美味しそうな香りが居間に広がっている。




「いただきまーす」




 先陣を切ってミカイルが食べ始めた。ニーナとオレグも箸を手に取る。




「うめぇぇぇぇ!」




 炒め物を口に入れてすぐ、ミカイルが叫んだ。




「ニーナって料理できるんだね。どこかで習ったの?」とオレグが聞いた。


「別に料理ってほどのもんじゃ……。孤児院で子供たちの世話をしてるから、そのついでに作ってただけ」とニーナは少し顔を赤らめた。


「オレグは父親がコックのくせに、全然作れな……」とミカイルが言いかけると、「あ~もう! その話はいいって!」とオレグはイライラしながら、ちゃぶ台の真ん中に置いたミカイルのラジオをつけた。




 ニュース放送のキャスターが政府要塞門の様子を話している。医療従事者がユレイラに集まり、大勢の国民の検査を受け入れる準備が進んでいるらしい。




「医療ナントカって、医者とか看護師だよな? そんなすぐ集まれるもんなのか?」とミカイルがご飯を頬張りながらモゴモゴとしゃべった。


「たぶん、車で優先的に連れていかれるんじゃないかな。政府は車をいっぱい持ってるだろ? 必要な人を先に運んでるんだよ」とオレグが答えた。


「いいな~、歩かず国境に行けるのかよ」とミカイルがゴロンと寝転んで天井を見上げる。


「そういえば、ニーナの孤児院の人たちも車で出たって言ってたよね? 車なら三日くらいの距離だから、すぐに検査を受けられそうだね」


「うん……。そうだね」とニーナは箸を置きながら答えた。




 すると、ラジオから大勢の拍手が聞こえてきた。




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「皆さん、ありがとうございます。ご紹介に預かりました、サンドラと申します」




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「あぁっ!? サンドラ!?」とミカイルが叫びながら、体をガバッと起こしラジオに食いついた。オレグが思わずヘッドホンを抑える。




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「私たちの任務は、皆さんの検査だけでなく、ウイルスの感染対策や治療薬の開発です。人員も設備も予算も限られた環境ではありますが、一刻も早く安心してモグロボの人たちが暮らせるよう、努めていきたいと思います。よろしくお願い致します」




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 サンドラはウイルス対策機関の責任者に任命され、記者の前で挨拶をしているようだった。その後、記者からの質問に答えている様子が聞こえた。




「ははっ! すげぇ、サンドラ先生だ! ナントカ機関の一番に選ばれるなんてカッコイイぜ!」とミカイルがはしゃいだ。


「あの先生……、そんなに凄い人なんだ」とニーナが驚く。


「あったり前だろ! 俺の怪我もすぐ直してくれるし、あの大きな病院の院長だぞ。政府のことは嫌いでも、みんなの命のために立ち上がる。さすがだぜ!」とミカイルは自慢気に頷きながら腕を組んだ。


「まるで、自分の親が有名人になったみたいな言い方だね」とオレグが突っ込むと、ミカイルが顔を真っ赤にして「ああん? わりぃかよ!?」とオレグに掴みかかろうとした。


「冗談だよ冗談! さぁ、もう寝ようよ。明日は早く起きて、食料をリュックに積んで出発しなきゃいけないんだし」




 オレグはそう言いながら、逃げるように階段を駆け足で上がっていった。ミカイルも追いかけるように二階へ上がる。




「ったく『ごちそうさま』も言えないガキなんだから。孤児院の小さな子だって言えるっつーの」




 ニーナはぶつぶつ言いながら食器を片付けた。そして入浴後に二階へ上がり、いびきをかいているミカイルとオレグのそばで眠りについた。






* * * * * * * * * * * *






「うおぉぉぉぉぉぉぉい! なんでだよぉぉぉぉぉっ!」




 朝方、ミカイルの声が家の隅から隅まで響き渡った。ニーナは地震か火事かと思って飛び起き、大声が聞こえた台所に降りて行った。ミカイルは口をあんぐり開けながら、冷蔵庫の三つのドアを順にパカパカと開け閉めしていた。




「……何やってんの?」


「おい、やべぇぞ! 食べ物が全部無くなってる!」


「えぇっ! あんなにたくさんあったのに!?」




 ニーナも冷蔵庫の中を覗いた。調味料やカビの生えかけたパンを除いて、食料や飲み物が跡形もなく消えている。




「ミカイル、驚くふりして全部食べちゃったんじゃないでしょうね!?」


「バカ! 一度にあんな量食えるかよ!」




 やがて、オレグもヘッドホンを抑えながら一階に降りてきた。




「もしや、夜に誰か侵入して持ってっちゃったんじゃないかな……」




 ミカイルとニーナは言い合いをやめ、ゆっくりとオレグの方を向いた。そしてミカイルは玄関の方へ走り出し、「鍵が壊されてる!」と叫んだ。ニーナとオレグも向かうと、鍵が付いていたはずの箇所に穴が開き、玄関の外が覗き見える有様になっていた。壊された鍵の部品は、内側の床に落ちている。どうやら何者かが外から鍵を壊して外し、中に入って一階を物色したようだ。




「なんで二階に来なかったんだ? 上がってきたら、俺が気づいてとっちめてやったのに!」


「たぶん靴だよ。玄関の靴で誰かがいると思ったんだ」とオレグが探偵のような口調で呟いた。


「くっそぉぉぉ……。なんで誰も気づかなかったんだよ!」とミカイルがそばの靴棚をガンッと蹴る。


「あたしたちに当たらないでよ! 自分だって起きなかったくせに!」


「だいたいオレグ、お前耳が良いんじゃねぇのか!?」


「ヘッドホンして寝てるから、小さな音は聞こえないよ! 僕が『耳が痛い』ってうるさいからずっとヘッドホンしてろ、って言ったのはミカイルだろ!」


「ったく……。ニーナも気づかなかったのかよ!? たしかお前、夜中ションベンで下に降りてったよな?」




 するとニーナが「少しはデリカシーってもんを知れぇっ!」と叫びながら、ミカイルの頭にかかと落としを食らわせた。しばらくの間、家には三人の言い争う声が鳴り響いていた。






* * * * * * * * * * * *






 ミカイルの腹の音をゴング代わりに、ケンカが終わった。もうこんな言い争いに体力を消耗している場合じゃない。三人はさっさと荷物をまとめて、家を後にした。


 大通りへ出ると、昨日と同じように多くの人が国境に向かって歩いている。パンパンに張ったリュックを背負い、重そうに足を運んでいた。きっと、たくさんの食料が詰まっている。三人はそれぞれが背負うリュックを互いに見つめた。今朝詰めるはずだった食べ物は入っておらず、悲しげにしぼんでいる。




「またどこかで探すしかないね」とオレグが呟いた。


「……おい、あそこ見てみろよ」とミカイルが大通りを挟んで向こう側の脇道を指さした。




 薄暗い路地に二十歳前後の五人の男が立っており、ミカイルたちと同い年くらいの男女二人を取り囲んでいた。何か言い争いをしている。やがて男の子が目の前の奴に拳を突き出したが、別の男に首の襟を掴まれ、地面に体を叩きつけられた。女の子は泣き叫びながら男の子を庇い、持っていた荷物を男たちに渡した。すると男たちは満足げな表情を浮かべ、荷物を背負って大通りに戻り、国境の方面へ歩き出した。路地に取り残された二人は、肩を落としてしゃがみ込んでいる。




「ひどい……」とニーナが呟いた。


「あんなことしなくても、空き家から好きなだけ取ればいいのによ」とミカイルが言った。


「たぶん食べ物が残ってる空き家を探し回るよりも、ああやって横取りする方が早いんだよ。これから当分、あんな感じでサバイバル生活なのかな……」とオレグがため息をついた。




 三人は大勢の流れに溶け込むように、国境に向かって歩き始めた。ほとんどの人が鞄を肩に掛けたり、リュックを背負っている。


 また、稀にマスクを付けている人を見かけるようになった。マスクといっても、薄い紙製の簡単な作りのものだ。もともと流通量が少なく珍しい代物だが、たまたま所持していた人は飛沫感染を恐れて付けるようになってきたらしい。




 ミカイルは前を歩く一人の男に違和感を感じた。三十歳前後の大柄な男の腕が、地べたにつくほど異常に長い。あと数センチあれば、犬のように四足歩行ができそうだった。そして背中には、可愛らしい花とウサギの刺繍入りの小柄なリュックが揺れている。どう見ても小さな女の子用で、大の男が好んで持つようなものではない。初めは子供の分を背負っているのかと思ったが、周りにそれらしき姿はなかった。しかも片手に太いパイプを持ち、パンツの後ろポケットにはナイフの柄らしきものが見え隠れしていた。目を凝らすと、パイプには血の跡らしき赤黒い染みが付着している。




「ねぇ……。あの男の人って……」とニーナが言いかけると、「しっ」とミカイルが制した。




 三人は男に気づかれないよう、徐々に離れた場所を歩くようにした。ミカイルは目を細めながら、男の首元を注意深く見た。歩調に合わせて、チラチラと襟から刻印のようなものが顔を覗かせている。




 暴力団員だ。そして、感染している。




 どの暴力団も力を誇示するため、首に掘っているのが通例だ。ミカイルが知っているデザインとは違ったが、どうやら奴もどこかの団員らしかった。恐らく感染して体が変形し、暴力団から外されたのだろう。そして一人で国境に向かう中、たまたま見つけた子供を襲ったのだ。


 もし男が集団でいたら、その女の子は人身売買の対象として連れていかれただろう。しかし一人で子供を連れて行くのは骨が折れる。それでリュックだけを奪ったのかもしれない。きっとあの中には食料、もしくは別に奪った金品が詰まっている。


 ミカイルは首の印が熱くなるのを感じながら、暴力団に襲われた時のことを思い出した。何もできないままアジトに連れ去られ、奴隷として扱われる地獄のような日々。もう二度と味わいたくない。


 そして警戒すべきは、暴力団だけではない。爆弾投下宣言により、普通の民間人の倫理観も崩壊しかけている。昨夜は見事に食べ物を奪われてしまった。こちらも準備をしないと、いつ誰に狙われるか分からない。




「なぁ、俺たち何か武器を持った方がいいんじゃないか?」とミカイルが提案した。


「さっきの路地の人みたいに、襲われるかもしれないから?」とオレグが聞いた。


「いや。むしろこっちから襲うんだ」


「なっ……、ちょっと正気!?」とニーナは小さな声で責めるように言った。


「しょうがねぇだろ! さっきオレグが言ったみたいに、もうこれはサバイバルなんだよ。食べ物には限りがある。俺たちは昨日、まんまと他の奴に食料を盗まれた。さっきの二人だって、男たちに荷物を取られた。あそこの大きなパイプ男だって……」




 そう言いかけたところで、ミカイルは急にそばの脇道に入っていった。




「どしたの?」とニーナが聞いたところで、ミカイルは自分の胸の高さまである木の棒を、重そうに抱えて戻ってきた。


「とりあえず、武器だ」




 ニーナとオレグは目を点にする。どう見ても、ミカイルが振り回せるような大きさではない。




「それ……本当に武器になるの?」とオレグが聞いた。


「これだけでかけりゃ、大の男でもひとたまりもないだろ」


「そうじゃなくて、そんな大きいの振り回せるの?」とニーナがオレグの質問の意図を訂正した。


「なんだよ、うるせぇな! これからは食べ物を奪えなきゃ、やってられないんだぞ! お前らだって何か武器を探せよ」


「そんな物そうそう転がってないし、僕らみたいな子供じゃどうせ返り討ちだよ。……そうだ!」




 オレグは思いついた作戦を二人に話し始めた。それはターゲットを待ち伏せて、隙を作り食べ物を奪うというものだった。


 まずターゲットの前に、ミカイルとニーナが現れる。ミカイルは病気がちな弟で、ニーナが姉役。ニーナは可愛そうな弟を助けてやれない哀れな姉役を演じ、ターゲットの目を引き付ける。その隙をついてオレグが食べ物を奪い、同時に二人も逃げるという筋書だった。




「はぁっ!? そんなふざけた作戦できるかよ! 俺がこの棒で戦って奪えば楽勝だろ。なんでそんな回りくどいことやるんだよ!」とミカイルが叫んだ。


「回りくどくたってやるしかないだろ! 僕たちじゃ戦えないって。頭を使わなきゃ」


「頭を使ってる!? そんなの上手くいかないよ」とニーナも反論した。


「なんだよ、じゃあ他に案があるの?」とオレグが口を尖らせる。


「そもそも奪うんじゃなくて、寝床を探すついでに食べ物も調達すればいいんじゃないの? だいたい、なんであたしがミカイルの姉役なわけ?」


「俺だってこんな姉貴ごめんだ! こんな暴力女、姉貴っていうか兄貴……」と言いかけると、ニーナがミカイルを蹴ろうとした。ミカイルはヒョイとそれを避けて逃げようとしたところで、脇道を歩いている男たちを見つけた。


「おい、お前ら見てろ。これが不良とのケンカで鍛えた俺の力だ!」




 ミカイルは勝手に路地の方へ向かっていった。ニーナが「待ちなって!」と止めようとしたが、「危ない、見つかるよ!」とオレグがニーナの肩を掴む。


 ミカイルは男たちに追いつき、前に立ちはだかった。




「おい、食べ物よこせよ。じゃなきゃ、ここを通さねぇ!」と叫びながら、持っていた木の棒をヨロヨロと振り回す。




 四人の男たちは怯えるどころか、小さな男の子の突拍子もない登場にきょとんとした。ニーナとオレグは塀の角に隠れ、ハラハラしながら様子を窺う。


 四人は見合って苦笑いをした。そしてミカイルの両側を通り抜けて、さっさと行こうとした。素通りされたミカイルは、わなわなと手を震わせながら振り返った。




「無視すんな!」




 叫びながら走り出し、棒を一人に向かって振り下ろした。しかし、男は軽々と避ける。




「おい、ぼうず。やりすぎだぞ!」




 男はミカイルの腕を掴み、棒を取り上げて仲間に渡した。ミカイルは棒を取り返そうとしたが、伸ばした手が届かない。




「ん? なんだ、背伸びして入れ墨までやってんのか」




 首の刻印に気づかれ、ミカイルはカッとなって拳を繰り出す。しかし難なくかわされ、カウンターをみぞおちにくらい、咳き込みながら膝をついた。




「やばい! あたしが隙をつくるから、オレグはあのバカを助けて!」




 ニーナが咄嗟に飛び出し、ボールを蹴って男の顔面に当てた。男はミカイルを離し、両手で顔面を


覆ってしゃがみ込む。そしてオレグが駆けつけて、倒れているミカイルを引きずって運んだ。ニーナもボールを拾って一緒に逃げる。


 幸いにも、四人は追いかけて来ない。ボールを当てられた男は、怒りが収まらず怒鳴っていた。しかし他の三人は、突然目の前で繰り広げられた寸劇に、腹をかかえて笑っていた。


 ニーナとオレグはミカイルの両脇を抱えて引きずり、空き家の裏庭に逃げ込んだ。そこで力の限界が来て、手を離した。




「痛ぇっ!」とミカイルが地面に落ちて声を上げる。


「はあっ……、はあっ……。なんか全然、追って来ないね……」とニーナが息を切らせながら膝を地面につき、両手をポケットに閉まった。


「うん……。たぶん……、大丈夫みたいだ」とオレグが仰向けに倒れ、特に確認せず呟いた。




 腹の痛みが引いてきたミカイルは、ガバッと立ち上がって叫んだ。




「なんで邪魔したんだよ! 俺がもう少しであいつらを倒せたのに!」


「バカイル! もう少しで倒されてたの間違いでしょ!? なんで勝手に飛び出したの? 作戦が台無しじゃん!」とニーナが反論する。


「いてて……。自分こそ、ミカイルの姉役なんて嫌だって言ってただろ」とオレグがヘッドホンを抑える。


「なんであたしが文句言われなきゃいけないの!? みんなを助けたのはあたしじゃん!」


「俺は助けられなくたって大丈夫だ、って言ってんだろ! だいたい、いつまで手をポケットに入れてんだよ! 手を使えばあいつらの荷物を奪えただろ!」




 するとニーナが立ち上がり、ミカイルの頭にかかと落としを食らわせた。ミカイルは声にならない悲鳴を上げ、頭を両手で押さえながら地面を転げ回る。オレグはその様子を見ながら、深いため息を吐いた。


 いつの間にか日が落ちかけている。三人は近くの空き家で夜を過ごすことにした。幸いにも、その家の冷蔵庫や台所には食料が残っていた。日持ちしそうなものをリュックに詰め、残りは夕食として食べることにする。


 居間のテーブルの真ん中にラジオを置き、ニュースを聞きながら夕食を取り始めた。検問所に大勢の人が集まり、長い行列ができているらしい。また、感染していることが判明し、検問所を通過できず絶望に打ちひしがれている人もいるようだった。中には暴れだし、無理やり検問所を抜けようとする感染者も現れた、とキャスターが話している。




「あ~、あと何日で検問所に着くんだよぉ」




 ミカイルは食べ終わった食器をそのままにして、ごろんと寝転がると、すぐにいびきをかき始めた。ニーナとオレグも眠気が頂点に達し、片付けはせずに、ラジオと部屋の明かりを消して眠りについた。






* * * * * * * * * * * *






 出発から一週間ほど経ち、三人はマルテを抜けてラギーナに入った。ラギーナはモグロボ国の中で最も広い地区で、マルテの約三倍の面積がある。マルテと同様に民家は多いが、家が密集している町同士は離れていた。その間はひたすら畑や森林、山々が続いている。戦争時に多くの畑が焼けてしまったが、今は徐々に以前の姿を取り戻しているようだ。マルテで配給される食料も、ほとんどがラギーナで採れたものらしい。




 三人はサバイバル生活に少しずつ慣れ始めた。食事を取ったら、近くの家に入って食べ物をかき集める。道が見えないほど暗くなったら、道端でも家の影でも、適当に寝床を確保して寝る。そして朝になったら、再び国境に向かってひたすら歩く。それを繰り返した。


 できれば衣類の洗濯をしたかったが、洗ったり乾くのを待つ時間の余裕は無かった。だから服や下着は空き家で自分に合うサイズの物を着て、古く汚れたものはその度に捨てて行った。初めニーナは、知らない誰かの服を身に着けることを嫌がった。しかし、汗が染み込んだ服を着ることに耐えられなくなり、やがて他人のものをこっそりもらうようになった。


 食べ物は徐々に手に入りづらくなった。民家に冷蔵庫や食料庫はあったが、中が空っぽであることが増えてきた。大勢がサバイバル生活を続けているため、空き家に残された食べ物が明らかに減ってきている。蓄えを増やすため、ミカイルは新しいリュックを民家で手に入れ、元々持っていたのと合わせて二つのリュックに食料を詰め込んだ。三人は食料が底をつきないよう、食べる量を減らしていった。


 国境に辿り着かなければ、爆弾で死んでしまう。その緊迫した事態が、人々から倫理観を奪っていた。食料も寝床も、譲り合いではなく奪い合い。食べ物を確保しても、油断すれば悪い輩に盗られてしまう。運よく空き家を見つけても、集団に襲われ追い出されることが増えてきた。




 ラギーナに入って四日目の夕方、三人は寝床となる空き家を探し始めた。しかし、ほとんどの家が先取りされてしまっている。一緒に使わせてもらおうと頼んでも、断られてばかりだった。


 ミカイルはこの辺りで家を探すのを諦め、少しでも早く国境に着くため夜中も歩こうとする。しかしオレグは耳が痛いから休みたいと言って、寝られる場所を探そうとした。ニーナも体力の限界だったが、ミカイルは譲らなかった。




「もう深夜だよ。さすがに歩くの限界だよ」とオレグが足をよろけさせる。


「はぁ? 早く国境に着かなきゃ、やばいんだぞ。少しでも進もうぜ」


「そうだけど、これじゃあ明日歩けなくなっちゃう!」とニーナも不満を漏らした。


「ったくしょうがねぇな。何で俺がペース合わせなきゃいけねんだよ……。じゃあ、あそこの小屋で寝るか」とミカイルは近くの小屋を指差した。そばには畑があり、緑色の暗闇からスズムシが夜の音を奏でている。数百メートル先には民家が並び、点々と弱々しいオレンジ色の光を放っていた。


「えぇ~、あんな汚そうな小屋に寝るの!?」とニーナが嫌がる。


「あっちの方に家も見えるよ。あそこにしようよ」とオレグが民家の方を指差した。


「あの辺はどうせもう大人が使っちまってるよ。寝られればどこだって同じだろ」




 ミカイルはさっさと小屋に向かった。ニーナとオレグも仕方なく続く。


 小屋は白いペンキで塗装されていたが、雨風にさらされたせいか、あちこち剝げている。広さは学校の教室の四分の一ほどだが、三人が寝るには十分だった。


 ミカイルはノックをせず、ドアノブに手をかけた。運よく鍵が空いており、キィィィという軋む音と共に扉が開く。灯りはないが、天井の隙間から差し込む僅かな光で、なんとか中の様子が見える。床にはたくさんの藁が敷き詰められ、壁には草かきや鍬などの農具が立てかけられていた。




「ここで寝るの? ……藁に泥がついてるし、埃っぽいな」とオレグが中を見回した。


「せめて水道無いのかな。体がベタついて気持ち悪い」とニーナが上着をつまむ。


「泥くらい我慢しろ。小屋に水道があるわけねぇだろ」




 ミカイルは足元の泥を蹴り飛ばすと、藁の上にドサッと仰向けで寝そべった。




「よくそんな簡単に寝られるね」とオレグが呟いた。


「ほんと……、無神経って幸せ」とニーナがボソッと言う。


「あぁ!? 休みたいだの、寝られないだの、文句ばっか言ってんじゃねぇ!」とミカイルが叫びながら、体をガバッと起こして二人を睨む。


「だいたいあたしたちは、早めに休もうってずっと言ってるじゃん! そうしたらお風呂のある家を見つけられたかもしれないのに」


「見つけても大人数の奴らに取られちまうだろ!」


「もっと大通りから外れた、人の少ない場所で家を探そうよ。人目につかなくて襲われにくいかも」とオレグが提案する。


「あぁ、そうかよ。じゃあお前らだけで探しにいけば?」とミカイルは再び藁に体を預けて寝ようとする。


「ダメ。さすがにもう夜遅いし、外は危ないよ。結構変な人がうろついてるみたいだし、何されるか分かんないよ」とニーナが言った。


「そんなの馬鹿力の蹴りで、一発ノックアウトだろ」とミカイルが目をつぶったままからかった。




 するとニーナは足元の藁をミカイルの顔面に目掛けて蹴り飛ばした。藁がザサァッという音と共に舞い上がり、小さな顔を覆い隠す。そして「最低の無神経!」と叫びながら、端っこの藁の上に寝そべった。


 ミカイルはゴホッゴホッと咳き込みながら、両腕をバタバタと振って藁をはたいた。そして端に寝そべる犯人を一瞥した後、さっさと眠ってしまった。オレグはヘッドホンを押さえながらため息をつき、薬を飲んでから二人の間に横たわった。






* * * * * * * * * * * *






 その日の深夜、ゴソゴソという物音でオレグは目を覚ました。リュックを背負ったニーナが小屋の扉を開けようとしている。




「何してんの?」




 ニーナがビクッと体を震わせた。そしてゆっくりとオレグの方に振り向く。




「ここ、蚤がいるみたいで痒いの。耐えられないから、外に出てどっかで体洗おうと思って」とニーナが小声で答えた。




 オレグはそう言われると、急に体のあちこちに痒みを覚え始めた。寝ている間にたくさん刺されてしまったようだ。




「……じゃあ僕も一緒に行くよ」とオレグは腕を掻きながらリュックを背負った。ミカイルは大きないびきをしながら熟睡している。しばらくは起きそうもなかった。




 音を立てないようゆっくりと扉を開き、二人は外に出た。ひんやりとした夜風が、しつこい痒みを一瞬忘れさせる。辺りは暗かったが、遠くに見える住宅街はまだ所々光っていた。


 二人は民家の方へ向かうことにした。あそこなら公共の水飲み場があるかもしれない。




「信じらんない! よくあのまま体も洗わずに寝られるよね。しかも蚤いっぱいの小屋なんて無理! ミカイルは野獣だよ」とニーナはポケットに両手を入れたまま、ボールを小さく蹴りながら文句を垂らす。


「まぁ、ずっと一人で生活してたから、お風呂に入る習慣も無かったんだよ。いつもは近くのお風呂屋さんに行ってるって聞いてたけど、お金も掛かるし毎日じゃなかったんじゃないかな。そういえば二、三回うちにお風呂に入りに来たことあったよ。お風呂屋さんの機械が壊れて、何日も入れない時とか」とオレグが笑いながら答えた。


「オレグの家に!? お父さんやお母さん、迷惑したんじゃない?」


「……母さんはいないんだ。ウイルスで死んじゃった。家には父さんだけだし、よく仕事で出かけてたから別に迷惑じゃなかったよ」


「そっか……。ごめんね、変なこと聞いちゃって」


「ううん、もうだいぶ前のことだから」


「ねぇ、オレグのお父さんて、どんな人? たしかコックさんだよね」


「なんで?」


「あたし両親いないからさ。お父さんがいるって、どんな感じかなって」


「とんでもない頑固親父だよ。うちはもともと料理屋だったんだけど、母さんがウイルスで死んじゃったから、お客さんが来なくなって店が潰れたんだ。だから父さんは弁当屋を始めてさ。でもウイルス感染の噂のせいで、全然売れなくて。僕は何度も別の仕事にしてって言ってるのに、聞かないんだ。それでずっと喧嘩してる」




 ニーナは黙って聞いていた。親子の関係というものが分からない自分にとって、それは温かみがあって楽しいものだと思い込んでいた。しかし話を聞いて、別れや衝突もあることに、今更ながら気がついた。




「僕の耳の痛みを和らげる薬も十分に買えないのに、意地になって弁当ばっかり。だから僕、早く仕事を見つけて家を出ようと思ってたんだ。もう今は、別の理由で家を出ちゃってるけど」とオレグは自嘲気味に笑った。


「でも、お父さんのことは嫌いじゃないんでしょ? 大切な家族じゃん。あたしには孤児院のみんながいるけど、やっぱり血が繋がってるって嬉しいことだと思う」


「……ニーナは孤児院が大好きなんだね。僕も両親が好きだったよ、ウイルスで母さんが死ぬまでは」


「お父さん……、オレグのこと心配してるんじゃない?」


「もういいよ、うちのことは。そっちこそ両親はなんで……」




 オレグは父親との関係を掘り下げられるのを嫌がり、無理やり話題を変えようとした。しかしその勢いで、踏み込んではいけないと思っていた話に触れてしまった。




「あぁ、いや。ごめん、なんでもない」


「あたしの両親が死んだ理由でしょ? 別にいいよ。あたしもオレグに聞いたんだし」




 ニーナがそう言うと、オレグは内心ほっとした。




「院長のソーニャ先生から聞いた話なんだけど、あたしの両親とお兄ちゃんは、感染者に殺されたんだって」


「感染した症状で亡くなったんじゃなくて……。感染者に、ってこと?」


「うん。あたしが赤ちゃんの頃だから、全然覚えてないけど。でも、大事な家族を殺した感染者は許せない。だからずっと探してるんだ。警察とか病院とか、色々行って聞いてみたの。でも駄目だった。手掛かりゼロ」


「そうなんだ……」




 しばらく沈黙が続いた。民家の点々とした明かりが、少しずつ近づいてくる。




「もし犯人が見つかったらさ。ニーナはどうするの?」




 ニーナは目を開いてオレグの方を向いた。オレグはたじろいで「あ、ごめん」とスズムシのようにか細い声で謝った。




「確かに……。あたし、どうするんだろ」




 ニーナが自問した呟きは、ビュゥッと激しい突風にかき消され、オレグの耳でも聞こえなかった。






* * * * * * * * * * * *






 十五分ほど歩き、民家が並ぶ通りに着いた。辺りは静かで、夜も遅いせいか誰も歩いていなかった。


 さらに進むと、大きな公園を見つけた。中には遊具やトイレの他、水飲み場が設置されている。そして、たくさんの人たちが寝ていた。ビニールシートの上でタオルケットにくるまったり、砂地の上でそのまま横になっている者もいた。




「あそこの水飲み場、使って大丈夫かな」とニーナが指さした。


「周りに人が寝てるけど……、静かに使えば大丈夫じゃないかな。そおっと行こう」




 オレグは忍び足で公園に入った。ニーナも転がしていたボールを拾ってそれに続く。砂地を踏むジャリ、ジャリという小さな音と、たくさんのいびきが聞こえる。


 二人は水飲み場まで辿り着いた。飲めるよう上向きに噴き出す蛇口と、手足を洗うため下に向いている蛇口がある。


 持ってきたタオルを丸め、少しずつ水を出してタオルを湿らせた。そして寒風摩擦をするように、体をゴシゴシと擦り始めた。汗でベトベトしていた肌がさらっとして、夜風に撫でられひんやりする。


 ニーナは腕と脚を拭き、ついでに土埃の付いたボールの汚れも洗い落とした。そして、胴は小屋の陰で綺麗にすることにした。しかしオレグは水をたくさん出し始め、頭を洗おうとした。排水口に落ちる水の音が、ビチャビチャと鳴る。




「ちょっと、水出し過ぎじゃない?」とニーナが小声で注意した。


「ん? これくらいなら大丈夫だよ。……ックショッ!」




 夜風で冷えたせいか、くしゃみが出てしまった。近くで寝ていた人たちが、むくりと起きる。そして懐中電灯を取り出し、二人を照らし始めた。




「おい、うるせーぞ! 何やってんだ」


「水を飲みに来たのか? いや、俺たちの食料を狙って……」


「どうしよう、あたしのご飯取られちゃった!」




 懐中電灯の光が幾重にも重なり、二人に集まる。まるで、警察に追い詰められた泥棒のようだった。皆が嫌悪の視線を向けてきたが、眩しくてよく見えない。




「違います! あたしたち、ただ体を洗いたくって……」とニーナが両腕で目を覆いながら叫んだ。


「信じられるか! じゃあ、なんであいつの食い物が無くなったんだ?」




 ここは人目につく大きな公園だ。誰がいつ出入りして、人の荷物を盗むかなんて分からない。オレグは自分たちが来る前に起きたことだと思った。




「僕たちじゃないです! そんなことしません!」


「いいから、そのリュックの中を見せて!」




 食料を取られた女が殺気立って、二人に近寄ってきた。周りの人たちも懐中電灯を持って立ち上がる。




「逃げよう!」




 ニーナの合図で、二人は駆け出して公園を出た。女とその仲間らしき三人の男が追いかけてくる。




「おい、待ちやがれ!」


「あたしの食料返しな!」




 サバイバル生活で溜まったストレスが爆発するかのように、声を荒げながら執拗に追ってくる。やがて住宅街を抜け、畑の広がる暗い道まで戻ってきた。




「やばい、このままじゃ捕まる!」とオレグが叫ぶ。


「とにかく小屋に戻ろう! ミカイルも起こさなきゃ!」




 二人は小屋に向かって全速力で走った。すると小屋の前で、ミカイルがふらふらした歩調で眠たげに近寄ってくる。




「ん……、どうしたんだお前ら。起きたらいないから、勝手に行ったかと……」


「説明は後! とにかく走って逃げて!」とニーナが叫びながら、ミカイルの頬を両手で叩いた。


「いてぇっ! なんだ急に! ……あの走ってくる奴ら誰だ?」


「僕たちを追いかけてんだ! 早く走って!」




 ミカイルが小屋に戻り、ラジオの入ったリュックを背負うと、「もうそこまで来てる!」とニーナが手で引っ張ろうとする。しかしハッとして手をポケットにしまい、代わりに肘でミカイルを突いて「早く!」と急かした。


 三人は暗い夜道を走り始めた。雲に隠れた月がぼんやりと辺りを照らすだけで、街灯はない。視界が悪く、少しでも気を抜けば道の凸凹で転びそうになる。




「おい、何で追いかけられてんだよ!?」


「公園で体を拭いてただけだよ! そしたらあの人たちが、食べ物を盗みに来たって勘違いしたんだ!」とオレグが説明した。




 四人はまだ追いかけてくる。盗まれた分を取り戻すだけでなく、新たに別の食料も横取りする魂胆のようだ。




「はぁっ!? 夜は物騒だから外へ出ない、って言ったのはニーナだろ!?」


「蚤がひどくて体を洗いたかったの! 今更しょうがないじゃん!」




 すると後ろで「痛あっ」と女の声がした。どうやら躓いて転んだらしい。男たちが心配して駆け寄る。


 その隙に三人は畑の手前にあった民家の密集地帯まで戻り、入り組んだ裏路地を進んだ。どうやら四人を振り切ったようだ。息を切らせながら地面に倒れこむ。周りは古い木造の家が建ち並ぶ、静かな場所だった。




「何とか……、逃げ切ったね……」とオレグが空を仰ぐ。


「うん……、危なかった……」とニーナが答えた。




 するとミカイルが立ち上がって怒鳴りだした。




「ふざけんな! お前らが勝手に外に行くからこうなったんだろ!」


「だけどさ……。僕たち小屋で寝たくない、ってあれだけ散々言ったよね?」とオレグが反論する。


「簡単に空き家なんて見つからないんだから、仕方ねぇだろ! 何日か体洗えないくらいで、ガタガタ抜かすな!」


「そんなの無理! ベタベタして気持ち悪い!」とニーナが不満を爆発させる。


「……もう一つのリュック、小屋に置いてきた。缶詰とか食い物がたくさん入ってたのによ。たぶん、あいつらが小屋を調べて取っちまったよ」


「また食料が残ってる家を探すしかないよ。小屋はもうごめんだけど」とオレグが皮肉を言った。




 ミカイルがオレグを睨みつける。オレグは一瞬ひるんだが、負けじと睨み返した。




「……人からもらってる物に文句ばっかだな。俺が小屋を見つけたんだ。無いよりマシだろ。いつもそうだ。ゴランのおっちゃんの稼いだ金で食ってるくせして、仕事内容に不満たらたらじゃねぇか」


「そりゃあミカイルはいいよね。母さんのこと知らないから、平気で弁当屋を手伝えて」


「知ってたのか!?」とミカイルは驚いて聞いた。ミカイルがゴランのお店で働いていたのは、オレグに内緒だったはずだ。


「……やっぱり。お手伝いさんて、ミカイルだったんだね」とオレグは興奮気味に言った。


「……かまかけやがったな」とミカイルは目をむく。


「ずっと疑ってた。でも確証がなかったし、ミカイルに聞いてもはぐらかされるし。なんで黙ってたの?」


「俺が秘密にしてたんじゃねぇ。ゴランのおっちゃんが内緒にしとけって言ったんだ。よく分かんねぇけど、俺らが仲悪くならないようにってよ」


「なんだよそれ。二人ともコソコソして気持ち悪いな!」




 するとミカイルがオレグの胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。オレグは目をつぶり、両手を前にかざす。ニーナが止めようとした時、周りの家から怒鳴り声が聞こえた。




「おい! うるせぇぞ!」


「明日も歩くんだから寝かせてよ!」




 起こされた人たちが怒りで吠える。これ以上ここで騒いだら、何をされるか分からない。


 ミカイルが「文句があるなら一人で行けよ」と吐き捨てながら、オレグの胸元を突き飛ばすように離した。




「……ごめん、言い過ぎた」とオレグは謝ったが、ミカイルは無視して走り出し、二人も続いてその場を離れた。




 しばらくあちこち空き家を探したが、疲労に負けて道路脇で寝ることにした。肌寒いのを我慢しながら、それぞれが少しずつ離れて地面に寝そべる。


 やがて、刺すような朝日と鳥のさえずりが三人を起こした。昨夜の騒ぎで、ほとんど疲れが取れていない。再び言い争う気力も残っておらず、無言でパンの欠片をかじって朝食を済ませると、国境に向かって歩き始めた。






* * * * * * * * * * * *






 ラギーナに入って十日が経ち、あちこちで火が上がっている町に辿り着いた。


 家々は倒壊し、塀まで焼けて崩れている。黒い煙が空に吸い込まれながら、空気を汚している。周りには咳き込む人や、煙が目に染みて涙を流す人もいた。まるで、そこだけ戦争直後の時間から取り残されたような景色だった。




「ひどいね……。何かあったのかな」とオレグが辺りを見回す。


「ここでも夜盗が出たんじゃないか?」とミカイルが答える。


「やだ……。あれ……」




 ニーナが目を逸らしながら、首を崩れた塀の奥の方へクイクイと振った。ミカイルとオレグが見ると、そこにはバラバラになった三、四人分の死体が転がっていた。引き裂かれた服の切れ端が、赤黒く染まった肉片にへばり付いている。その周りを野良犬が取り囲み、そのうちの一匹がボロボロの警察帽を咥えていた。死体には警官も混じっているらしい。




「物を取るにしたって、何もあそこまで……」とオレグが顔を青くして口を抑えた。




 ミカイルも思わず目を逸らした。マルテで謎の影に殺された、暴力団の息子のことを思い出す。


 ふと近くを歩く人の話し声が聞こえてきた。




「なあ、この辺りやばくないか? 暴力団とかいそうな雰囲気だぞ。あいつら好き勝手やるし」


「なんか最近、殺人鬼がいるって聞いたことあるぞ。見境なく殺してるって。あの死体もそうじゃねぇかな」


「マジかよ。爆弾の怖さで発狂したとか?」


「かもな。でも感染者かもしれねぇぜ? 変な力が宿るらしいじゃん。体も変形するみたいだし、人間じゃなくなるのかもな」


「そんな危ねえウイルスなのかよ。隣のボレルまで急がねぇと」




 すると急に、ニーナが噂話をしている男たちの方に駆け寄って話しかけた。




「あの、すみません。その噂ってどこで聞いたんですか!? 殺人鬼が今どこにいるかって知ってますか?」




 ミカイルとオレグは驚いて足を止めた。男たちも予期せぬ質問攻めに目を丸くした。




「え、いやぁ……。数日前にも、さっきみたいな死体を見てさ。その近くで噂話を聞いただけだよ」


「その人たちって、他に何を話してましたか? 殺人鬼の名前とか言ってませんでした!?」


「それは聞いてないな。名前が分かってたら、もうとっくに捕まってんじゃないか?」


「……そうですね。すみません、ありがとうございました」




 ニーナが力なくお礼を言い立ち止まると、男たちはそのまま去っていった。




「……きっと、またどこかで何か分かるよ」とオレグが気休めを言いながら近寄った。


「うん、そうだね」




 そう呟きながら、ニーナは再び歩き始めた。ミカイルとオレグは黙ったまま、後ろに続いた。






* * * * * * * * * * * *






 さらに歩いて夕方に差し掛かった頃、大きな商店が建ち並ぶ通りに入った。事務仕事で使われるような高価な機器や、性能の良い農業機械。大人の嗜好品であるお酒や、子供用のおもちゃ。マルテでは手に入らない品物が、窓ガラスの中で煌びやからに展示されている。


 やがて、たくさんの人が一つの店に群がっているのが見えた。




「なんだろ、行ってみるか」




 ミカイルがそう言って駆け出した。二人も後を追う。


 三十人ほどの群れの前には、一台のテレビが映っていた。ミカイルは人々の後ろで何度も飛び上がり、画面を見ようとする。二人も駆け寄り、つま先立ちをしながら首を伸ばして、ガラス窓の奥を覗いた。


 テレビには高い壁と、その前に列をなす大勢の人たちが映っていた。画面の右上には『政府要塞門の検問所(ユレイラ地区)』と表示されている。どうやら、ウイルス検査を受けている人々の様子らしい。




「もうあんなに人がいるのか!」とミカイルが飛び上がりながら言った。


「うん。ユレイラに着いてからも、検問までは待ちそうだね」とオレグが答えた。


「ソーニャ先生!」




 ニーナが遠くにいる人を呼び止めるように叫んだ。前に並ぶ人たちが驚いて振り返り、怪訝な目を向ける。


 テレビは検問所の列をアップで映していた。そして左下の方に、大勢の子供と一人のおばあさんの姿が見えた。




「……先生。みんなもちゃんといる。良かった、無事に車で着いたんだ……」




 ニーナは嬉しくも寂しげな、複雑な表情を浮かべた。




「今の、孤児院の人?」とオレグが聞くと、ニーナは黙ったまま何度も頷いた。




 オレグは画面に映る人をなぞるように見て、ゴランを探した。しかし、がたいの良い巨漢は見当たらなかった。


 ガラス窓越しに、キャスターの声が聞こえる。




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「このように入国の際には、ウイルス感染の検査が行われています。また、今後はさらに大勢の民間人が検問所に集まり、さらなる混雑が予想されます。では、次のニュースです。国王様は、昨日ノストワの国王と会談し……」




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 ニュースは政治の内容に切り替わった。群がっていた人たちは、早歩きで国境の方へ向かい始める。




「……あたしたちも、急ごう」




 ニーナは画面にソーニャがまだ映っているかのように、テレビを見つめながら呟いた。






* * * * * * * * * * * *






 やがて日が沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。まばらな街灯に照らされた道には、三人の他に人影は見えない。オレグが耳の痛みを理由に何度か休もうと言ったが、ニーナは少しでも国境に近づこうとして足を緩めなかった。


 するとオレグが急に立ち止まった。それに気がついた二人も足を止め、後ろを振り返る。




「おい、何やってんだ」とミカイルが言った。


「しっ! やばい、僕たち狙われてるよ」




 オレグが口の前で人差し指を立てながら、もう片方の手でヘッドホンを耳から浮かした。二人も耳をすませたが、どこからか犬の遠吠えが聞こえるだけだった。




「何も聞こえないよ。気のせいだよ、早く行こう。少しでも進まなきゃ」とニーナが急かす。


「いや、はっきりと聞こえるんだ。声を潜めて合図しながら、僕たちを囲みこもうとしてる。どこかに隠れないとやばいよ」


「もう、何言ってんの! そうやって、いつもみたいに休憩取りたいだけでしょ! だったら一人だけ残ればいいじゃん」


「何で分かってくれないんだよ! じゃあニーナが一人で行けばいいじゃないか。早く何とかって先生に会いたいんだろ。孤児院が恋しいんだろ」


「はあっ!? 親のありがたみも知らないで、ずっと喧嘩してるオレグに何が分かるの? そんなガキに孤児院のこと言われるなんて、最悪!」


「おい、待て! ほんとに囲まれてるぞ!」




 ミカイルが叫ぶと、二人も黙って辺りを見回した。暗がりから一人、また一人と影が浮かんでくる。気が付けば、自分たちを中心に弧を描くように囲まれていた。三人はじりじりと背中を寄せ合って警戒する。


 ミカイルが目で人数を数える。二、四、……八人いるようだ。


 二十歳前後の男たちはボロボロの破けた洋服を着て、珍しくマスクを付けている。何人かの額や腕には、痛々しい切り傷や青い痣が見えた。今まで、たくさん人と争ってきたようだ。きっと、あのマスクも他人から奪ったものに違いない。




「おい。そのリュックの中をよこせ。食い物だろ?」


「もし小型テレビやラジオとかもあったら出しな」




 ミカイルは「こっちだ!」と叫びながら、咄嗟にそばの建物の間の路地に逃げ始めた。二人も後を追う。




「ねぇ、こっちに行って大丈夫?」とニーナが後ろから声をかけた。


「知るかよ! とにかく逃げるしかねぇだろ!」




 しかし突き当りを右に曲がったところで、道は行き止まりだった。正面は金網のフェンス、両側はコンクリートの壁で囲われている。フェンスは足を掛ければ登れそうだったが、男たちに下から足を掴まれてしまう恐れがある。


 しばらくして、オレグが息を切らせながら追いついてきた。そのすぐ後ろには、男たちが迫っている。




「くそっ、もうやるしかねぇ!」




 ミカイルは近くに落ちていた赤レンガのブロックを拾って構えた。




「やめなって!」とニーナが止めようとする。


「なめんな! 大勢で来ようが、俺一人でやってやる!」


「大人しくしとけよ、ガキ」




 男の一人がそう言いながら、細い鉄パイプを地面に叩きつけた。バキィンという冷たく鋭い音が、コンクリートの壁の間で木霊する。オレグが「ぐうっ」と呻きながら、ヘッドホンの上から耳を押さえた。




「俺はガキじゃねぇっ!」




 ミカイルが叫びながら飛び上がり、鉄パイプの男に向かってレンガを降り下ろした。男はパイプの両端を持ち、その真ん中でレンガを受け止め防御した。金属と石の摩擦音がギリギリと鳴る。




「なんだお前。暴力団じゃ鍛えてもらえなかったのか?」と男が首の刻印を見ながら言った。


「……黙れよ」


「知ってるぜその意味。どうせまた捕まって売られちまうんだろ? その前に、俺らが荷物預かっといてやるよ」


「黙れぇっ!」




 怒りが爆発した隙を見逃さず、男がパイプを引いた。そしてバランスを崩したミカイルのわき腹を狙って、パイプを横向きに振り回す。ミカイルは咄嗟にレンガで防御したが、衝撃の重さに負けて倒れた。


 すると突然、バキィッ、バキィッという音が耳に入ってきた。とどめを刺そうとパイプを高く振り上げた男と、レンガを構えて防ごうとするミカイルが、音のする方へと振り向く。


 それは、ニーナが脚を蹴り上げ、フェンスを次々と破る音だった。金属が老朽化して脆くなっていたのか、まるでクモの巣を払うかのように、軽々と穴を開けている。




「早く! こっち!」




 ニーナは叫びながら、金網の穴をくぐった。すぐにオレグも続き、フェンスの向こう側に入る。


 ミカイルは一瞬隙を見せた男の股間を蹴り上げた。そして、悲痛の呻きがコンクリートの壁に反響している間に、二人のいる方へ逃れようとする。




「こら待てやぁっ!」




 フェンスを腰までくぐったところで、別の男がミカイルのリュックを掴んだ。足を伸ばして顔を蹴ろうとするが、男は腕で防御しながら頑として離さない。




「ミカイル! リュックを肩から外して!」とオレグが叫んだ。


「ふざけんな……、この中には大事なラジオや、食い物が入ってんだぞぉぉぉ」とミカイルは歯を食いしばる。


「何言ってんの! このままじゃ捕まるよ!」




 ニーナが叫びながら、つま先を使って無理やりリュックを肩から外した。すかさずオレグが、ミカイルを穴から引きずり出す。男は逃がすまいと、ミカイルの一つの足首を掴んだが、もう片方の足で顔面を蹴られて手を離した。




「おい、何やってんだ!」




 フェンスの向こうで怒号が飛ぶ。男は鼻を手で抑えながら、金網の穴をくぐろうとしていた。しかし、それは子供の体がぎりぎり通る大きさで、大の男の肩幅には小さすぎた。




「さっさと穴を広げろ! 女でも破れたフェンスだろうが!」


「じゃあお前がやれ! くっそ硬いんだよこれ!」




 男たちが仲間割れをしながら金網と格闘している間、三人は少しでも遠くに逃げようと走った。




「なんでリュックをやっちまったんだ!」とミカイルがニーナを責める。


「あれ以上背負ってたら、あいつに引きずり込まれてたでしょ! それに、なんでラジオにこだわるの!?」


「大事なラジオだったんだ! あいつらぁ……。国境越えた後に見つけ出して、ぶっとばして取り返してやる!」


「だから無理だって」


「あぁっ!? 俺は一人でもやれたって言ってんだろ!」


「防戦一方だったくせに! そんな小さい体で相手にできるわけないじゃん」


「そっちこそ、ボール蹴るしかできねぇじゃねぇか! 指なんか気にしてねぇで、手でも戦えよ!」


「最低っ! 助けなかったら、あんたなんか今頃……」


「それにしてもぉっ! よく金網に穴を開けられたねぇっ!」とオレグが大声で話題を変えようとする。


「なに急に……。あれは、ただの火事場の馬鹿力ってやつで……」


「いつもの馬鹿力だろ」とミカイルが目を細めた。


「やっぱり見捨てて行けば良かっ……」


「ねぇ、やばいよ! 後ろから足音が聞こえる!」とオレグが再び遮る。




 三人は走りながら振り返った。一人の男が遠くから追いかけてくる。その奥では、他の男たちがフェンスをよじ登っていた。




「ちっ。穴をくぐるの諦めて、登ってきやがった!」とミカイルが叫んだ。




 捕まるまいと全速力で走る。ニーナは助けを呼ぼうと叫んだが、大通りから離れすぎたせいか、誰一人見当たらない。




「わあっ!」




 遅れていたオレグが男に捕まった。前を走っていた二人が止まって振り返る。男がオレグを殴りつけ、リュックを無理やり引き剝がそうとした。




「このぉっ!」




 ニーナがボールを蹴り、男の顔面にぶつけた。男はリュックを落として、両手で顔を抑えて悶える。ミカイルがすかさず駆け寄り、股間を蹴り上げた。男は声にならない悲鳴を上げて、口から涎を垂らしながら、地面にひれ伏した。




「おい、早く立て!」




 ミカイルは倒れているオレグの肩を揺さぶったが、気絶しているようで目を開かない。




「やべぇ、もう背負っていくしかねぇ!」




 ミカイルはオレグの両腕を自分の肩に回した。しかし、自分より大きな体を背負って立ち上がることができない。




「おい、ニーナ! 手伝えよ!」




 ニーナは二人のもとに駆け寄った。そばに転がっていたボールをリュックの中にしまい、オレグの手を掴もうとする。しかしハッとして、手を引っ込めてポケットにしまった。




「何やってんだ! 早く!」とミカイルが怒鳴る。




 男の一人がフェンスのてっぺんまで登り、飛び降りてこちらに向かい始めた。それを見てニーナは腕に力を入れたが、どうしても躊躇して手を出せない。




「おい、そんなに……」




 ミカイルはそう言いながら、ポケットに目をやった。中でネズミが怯えているかのように、モコモコと動いている。




「そんな目で見ないで!」とニーナが俯いて叫んだ。




 こちらへ向かう足音が大きくなってきた。フェンスの方から、男たちの荒々しい声が聞こえる。




「あーもう! 俺が悪かった! 前に俺が木の棒で戦おうとした時、『いつまで両手をポケットに入れてんだ』とか言っちまった。さっきもそうだ。ニーナがそこまで気にしてるって思わなかった。悪かったよ」




 ミカイルは頭を下げた後、ニーナを見上げた。また一人、フェンスからこちら側に飛び降りた。




「……バカイル」




 ニーナはそう呟くと、ポケットから手を出して、オレグの片腕を自分の肩に回した。そして脚に力を入れると、軽々と胴体を持ち上げた。




「ほら、さっさと行くよ!」とニーナが駆け出す。




 ミカイルは半ば引きずられるように走りながらも、オレグが落ちないよう必死に体を支える。そして、ニーナの手が目に留まった。右手の親指は爪が無く短かった。右手の中指・小指、左手の人差し指・中指は、第一関節が無く親指のようだった。


 ニーナに対する今までの言動が、話で聞いていたサッカー部の先輩たちと同じであると気がついた。同調する仲間がいるのをいいことに、蔑むような言葉を平気で浴びせる。それは、暴力団員が幼い自分にしてきたことにも似ていた。


 ミカイルは自分自身を呪いたくなり、刻印を削らんばかりに掻きむしった。




 突き当りを曲がり、別の大通りに入った。それを横断し、再び狭い路地に身を隠して、息を潜める。しばらくして男たちが大通りに現れ、あちこちを見回した。幸いにも三人には気がつかず、別の方角へ散り散りになっていった。


 ミカイルとニーナは目を合わせると、建物の壁に背をもたれながら、ズリズリと座り込んだ。




「助かった……」とミカイルが呟く。


「……なんとかね」とニーナが息を切らせながら答えた。




 するとオレグが目を覚ました。ニーナが経緯を説明する。




「そうなんだ……、大変な時に気絶して、ごめん。二人に助けられたよ、ありがとう」


「ったく! ニーナが手伝ってくれなきゃ、奴らに捕まってた」


「うん。ニーナ、ありがとう」


「……別に、いいよ。それよりさ、なんであいつらに出くわす前に、あたしたちが狙われてるって気づいたの?」




 するとオレグは焦って起き上がり、少しずれたヘッドホンを両手で直した。




「いや……、ニーナと同じだよ。火事場の耳力ってやつ」




 オレグは薬を飲んでリュックを背負うと、さっさと歩き出した。二人は怪訝な顔で見合ったが、何も言わず後に続く。狭い路地は足元が見えないほど暗く、迷路のように入り組んでいた。






* * * * * * * * * * * *






 三人は大通りから外れた住宅街をさまよい、やっとの思いで空いている家を見つけた。古い木造の家だったが、中はあまり汚れておらず、荒らされた様子もなかった。




「おぉー! やったぜ、まだ食えそうなもんが結構残ってるぞ!」




 ミカイルが冷蔵庫を開けて叫ぶ。




「よし、じゃあご飯を作ってあげよう」




 ニーナが袖をめくり、冷蔵庫から野菜や肉を取り出した。台所には包丁や鍋などの調理器具や、塩や砂糖、しょう油などの調味料も残っていた。


 オレグはふすまから布団を取り出し、食後にすぐ寝られるよう準備する。台所に向かうと、ニーナがトントントンと軽快な音を鳴らしながら、野菜を切っていた。




「ニーナ、手伝うよ」


「え? いいよ、あたしがやるから。お風呂入ってきたら?」


「今はミカイルが入ってる。布団の準備もできたし、手伝うよ。何作ってるの?」


「……豚肉の野菜炒め」




 オレグはニーナの横に並んで、豚肉を切り始めた。二人の包丁の音が、まな板の上で重なる。




「結構、手際いいんだね」とニーナが言った。


「え? あぁ、一応実家が弁当屋だからね。父さんが料理してるのを見て覚えたんだ」


「でも、ミカイルが『全然料理できない』って言ってなかったっけ?」


「母さんとかウイルスのこと思い出すからさ。それに、ミカイルがうちの店を秘密で手伝ってたの、聞いただろ? それも自分が除け者みたいで嫌だったから。料理はできないし興味ない、って嘘ついてた」


「……そうなんだ。お父さんの料理、美味しかった?」


「……まぁ、味は良かったと思うよ。根っからの料理好きだから。……今もどこかで、夕食作ってるのかなぁ」


「そうかもね。あ、うちのソーニャ先生の料理も絶品だよ。鶏肉を油でカリって揚げたやつとか、最高なんだ」




 それから、しばらく沈黙が続いた。風呂場からは、桶のカポーンと鳴る音が聞こえる。 


 やがて、ニーナがフライパンを火にかけ始める。一瞬躊躇したが、バッと右手を広げて近づけ、熱さを確かめた。




「あの……。ニーナ、今日はごめん!」




 急にオレグが頭を下げた。




「どうしたの急に?」とニーナは驚き、持っていた油を落としそうになる。


「その……、『孤児院が恋しいのか』ってバカにしただろ?」




 ニーナはフライパンに目を落とした。




「ニーナにとって大切なものなのに、ひどい言い方した。サッカーやってるのも、孤児院のためだってミカイルから聞いたよ。それなのに、ごめん」




 ニーナはしばらく黙っていた。そしてコンロの火をゆっくりと止めて、オレグの方を向いた。




「あたしも……、ごめんなさい。オレグのこと、休みたいだけだって疑った。大勢に狙われてるって教えてくれたのに。あたし、国境に早く着きたくて焦ってたんだ」


「いや、いいんだ。突拍子もないことだし、誰だって疑うよ」




 ニーナは油を台所に置いた。




「オレグの言うとおりだよ。孤児院が大好き。でも、爆弾を落とす発表があった日に、あたし車に乗れなかったじゃん? 子供たちがぎゅうぎゅう詰めで仕方ないって分かってたけど、自分だけ乗れないの、本当に悲しかった。ちょうどその時、サッカー部の先輩に『院長先生に都合よく使われてる』って言われたの思い出してさ。すごいムカついた。ソーニャ先生は絶対そんな人じゃないのに。だから……、別にそれを確かめるわけじゃないけど、孤児院のみんなに早く会いたいんだ」


「……僕はその先生に会ったことはないけど、きっと良い人な気がするな。ニーナを育てたんだもん」


「恥ずかしい! やめてよ! なら、オレグのお父さんだって良い人だよ」とニーナが顔を赤らめた。


「父さんが? そんなことない、ただの料理バカだよ」とオレグは少し嬉しそうに否定した。




 風呂場からミカイルの歌声が聞こえた。たまにラジオやテレビで聞く、戦前に流行したらしい歌だった。お世辞にも上手とは言えず、やたら音程が外れている。しかし、久しぶりの風呂で気持ちが良いのか、本人は気にせず楽しそうに熱唱していた。


 二人は思わず噴き出して笑った。そして、ニーナは再びフライパンを熱して油をしき、具剤を炒め始めた。


 三人は料理をたらふく食べ、英気を養った。そして、残った食料をリュックへぱんぱんに詰め込んだ。




 その日の夜からは交代で起き、玄関で見張りをすることになった。先ほどの男たちの様に、いつどこで輩に襲われるか分からない。夜襲があっても、すぐ察知して行動を起こせるように警戒した。


 それから、ニーナは必要があれば、躊躇なく手を使うようになった。ミカイルも指のことをからかわなくなり、オレグは耳の痛みを理由に休もうと言わなくなった。






* * * * * * * * * * * *






 三人はラギーナを越えて、ボレルに入った。この地区は国境基地があるユレイラの手前に位置しているためか、戦後の経済的な回復が早いらしかった。マルテよりも住宅街は少なく、たくさんの商業ビルが建ち並んでいる。




 ここを越えればユレイラに到着する。そうすれば、国境は目の前である。




 爆弾投下の宣告から三週間が経った。誰もがほとんど口を開かず、黙々と歩いている。特にマルテから出発した者は、長旅の疲れが全身からにじみ出ていた。木の杖を使ったり、びっこを引きながら歩く人も増えている。ミカイルたちも足裏の豆の痛みに耐えながら、ペースを落とさないよう歩いていた。


 さらに、空腹が多くの人々を苦しめていた。ユレイラに近い地区の住人は、当然早く国境に向かうことができる。空き家に残された食料も比較的多い。しかしユレイラから遠くに住んでいた人ほど、道中に残された食べ物は少なくなっている。ボレルには食料品の販売店も多いようだったが、そのほとんどが既に食べ尽くされていた。三人も二日ほど何も口に入れていない。背中のリュックは空っぽで、力なく萎れている。


 道で倒れている人も増え始めた。病死なのか餓死なのか、原因は分からない。しかも一部の死体は腕や脚がもぎ取られていた。ウジが湧いており、上にはハエが踊っている。ラギーナで耳にした、殺人鬼のせいかもしれない。人々はそのような死体をあからさまに避けたり、殺人鬼の噂をしながら歩いている。異様な生臭さが鼻を突き、三人は思わず手で鼻と口を押さえた。




 太陽がてっぺんに上った頃、小さな子供が道路の脇で叫んでいるのが聞こえた。




「いやだ! やめてよ!」




 一人の男が子供を襲い、持っている食べ物とマスクを奪おうとしている。




「やめろ!」




 ニーナが駆け寄り、ボールを蹴って男の顔面にぶつけた。男は顔を抑えてよろけながら、指の隙間から片目でニーナを睨みつける。




「痛ってぇ……。ガキが、何すんだよ!」


「あんたこそ、小さい子にひどいじゃない!」


「もしや、てめぇが最近噂されてる殺人鬼か!?」とミカイルも駆け寄り、落ちていた大きな石を両手に拾って構えた。オレグは子供の前に立って庇おうとする。




 周囲の人たちもこちらに注目し始める。男は気まずくなったのか、「まさか、俺じゃねぇよ! 変な言いがかりつけんな!」と吐き捨て、そそくさと走り逃げて行った。




「怖かったね、もう大丈夫だよ。痛いところない?」




 ニーナは子供に近づいてしゃがみ、頭を撫でた。まるで孤児院の親しい子が襲われたかのように、頭のてっぺんから足のつま先まで怪我がないか確認する。


 男の子は何が起こったのか整理しきれないようで、きょとんとした顔でニーナを見つめている。端整な顔だちをした五、六歳の子で、病院の患者が着るような水色の服を身につけていた。あまりご飯を食べていないのか、袖から伸びている腕は青白く、骨の形が分かるようにか細い。脚も弱々しく、まるで鳥のようだった。




「堂々と食いもん持ってるから狙われんだぞ」とミカイルが注意した。




 小刻みに震える両腕には、魚や果物の缶詰がこぼれ落ちそうに乗っていた。男の子は涙を浮かべて、缶詰に目を落している。




「どうして一人で歩いてるの? お父さんとお母さんは?」


「……いない。ぼく一人」


「国境に向かってるの?」


「ううん。見つけた食べ物をシセツに持って帰るの」




 三人は顔を見合わせた。




「なんだろ。うちと同じ孤児院かな?」


「きっと病院だろ。この子の服、サンドラ先生の病院で患者が着てたぜ」


「ねぇ、その施設の人に頼んで、今夜はそこに泊めさせてもらおうよ! もしかしたら食べ物も分けてくれるかもしれないよ」とオレグが提案した。


「おぉ、いいな! それでいこう!」


「ねぇ。もしできたら、あたしたちをその施設に連れてってくれないかな? お姉ちゃんたち、今夜泊るお家がないんだ」とニーナが男の子の緊張を解くように、優しい口調で話しかける。




 男の子は考えた後、少し微笑んで頷いた。三人は飛び上がって喜ぶ。




「ありがとう! とっても嬉しい! ところで、お名前は?」




 ニーナが顔を覗き込むと、男の子ははにかんで答えた。




「……クルト」






* * * * * * * * * * * *






 三人はクルトに案内され、十五分ほど歩いて大きな建物に辿り着いた。


 五階建てで敷地が広い。壁や塀は赤黒い古びたレンガでできており、だいぶ昔に建てられたのか、所々欠けている。入り口は真っ黒な鉄格子で閉められ、左右にレンガの塀が伸びていた。塀に埋め込まれているひび割れた石の表札には、『感染者隔離施設』と書いてある。三人が思わず足を止めた。




「ねぇ……、ここって……?」とニーナが恐る恐るクルトに聞いた。


「カンセンしてる人たちがいるところ」とクルトは当たり前のように答えた。


「さすがに入るのは危険じゃないかな。濃厚接触しなければ大丈夫とは聞いてるけど……」とオレグもたじろぐ。




 するとクルトはポケットから鍵を取り出し、鉄格子の扉を開いた。そして入ってすぐの所に設置されている、一辺が三十センチほどの立方体をした白い木箱の蓋を開けた。中にはぎっしりとマスクが入っていた。三つを取り出して、ミカイルたちに手渡す。




「お客さん用のマスク。使っていいよ」




 マスクは薄い紙製で簡易な作りだが、それでも飛沫感染を防ぐには十分そうだった。三人はマスクを付けて、敷地の中に入った。建物の入り口へまっすぐ石畳が続いており、左右には庭が広がっている。庭といっても、綺麗にプランターなどが置いてあるわけではなく、草花が好き放題生えただけの荒れ地状態だった。クルトより一回り小さく、同じ服装をした子供たちが、駆け回って遊んでいる。


 クルトがポケットから別の鍵を取り出し、重い鉄製の玄関扉の鍵穴に差し込む。ガチャリ、ギィィィという錆の擦れる音がして、扉が開いた。それと同時に、三人が手で鼻と口を抑える。




「うっ……。なんか、くせぇな」とミカイルが眉間にしわを寄せる。


「うん、病院とはちょっと違う感じ……」とオレグはお腹からこみ上げてくるものを我慢した。


「クルト、本当に入って大丈夫なの?」




 ニーナが不安げに聞いたが、クルトは特に気にしない様子で、「大丈夫、こっちだよ」と近くの階段を上がり始めた。三人は顔を見合わせてから後に続く。内装もだいぶ痛んでいるようで、階段は汚れが酷く、ミシミシと音が鳴った。


 三階まで登ったところで、上から降りてきたおばあさんが見えた。クルトと同じ水色をしたワンピース型の服を来て、マスクを着用している。身長の割りに服が大きいせいか、裾が床について擦り切れている。脚を怪我をしているのか、おぼつかない足取りで今にも転げ落ちそうだった。ニーナとオレグが軽く会釈をする。しかし気づいていないのか、ぼうっとした表情のまま、すれ違っていった。




「感染してそうだな」とミカイルがぼそっと言った。


「たぶん……。歩くのも大変そうだったし」とニーナが心配そうに答える。




 すると一番後ろのオレグが青い顔をして震えていた。




「おいオレグ、どうかしたか?」




 オレグはゆっくりと顔を上げて、二人を見つめた。




「やだ、そんな怖い顔して見ないでよ」とニーナが怪談話に怯えるような顔をした。


「二人とも、気が付かなかったの?」


「だから、なんだよ?」とミカイルがもどかしそうに顔を近づける。




「さっきの人……、脚が三本あったよ」






* * * * * * * * * * * *






 最上階の五階まで上ると、大広間が広がっていた。老若男女問わず、大勢の感染者らしき人たちが、床に座ったり横たわったりしている。むわっとした臭気に包まれ、ミカイルはあからさまに咳き込んだ。ニーナとオレグは失礼だと思いつつも、手で鼻を強く抑えた。玄関で感じた臭いは、ここから届いているのだと分かった。


 四人は人の隙間を縫うように、中に進んでいった。そして、部屋の一番奥に座っている年老いたおじいさんに話しかけた。




「おじいさん、お願いがあるんだ。このお姉ちゃんたち、ぼくが外でいじめられているのを助けてくれたの。だから今日ね、ここに泊めさせてあげて」




 おじいさんは初め目を閉じていたが、しわしわの瞼をゆっくりと開いて、四人を順に見つめた。この施設の最年長なのかもしれない。ニーナとオレグは緊張気味に直立する。




「ほう……、そうかい。ありがとうよ、お若いの。見てのとおり感染者だらけの施設だが、こんな所で良ければ、好きに泊っていきなさい。皆マスクをしているから、感染の心配はないだろう」




 三人はお礼を言い、振り返って部屋を見渡した。確かに感染者は全員マスクをしていた。一部の人が激しく咳き込んだり、苦しそうに肩で息をしている。


 また、体が奇妙な形に変わっている者もいた。ある人は異様に長い足を使って赤ん坊をあやし、またある人は象のように伸びた鼻で背中をボリボリ搔いている。また特殊な能力なのか、手の指先を豆電球のように鈍く光らせたり、結んだ長い髪の毛を蛇のようにクネクネ動かしている人もいた。




「そっか……。階段にいたおばあさんも、ウイルスのせいで脚が三本に……」とオレグは呟きながら、丈の長い服を着ていたのは脚を隠すためだと分かった。




 ミカイルとニーナは、マルテの配給係のおばちゃんが気味の悪い姿で苦しんでいた様子や、老人が甘い物を異常に欲しがっていたのを思い出す。


 すると、おじいさんがおもむろに口を開いた。




「この施設は感染者を隔離するために、数十年前に建てられた。優しい医者や看護師の有志でできた施設だ。当時は患者が少なかったが、今は感染が広がってこの有様だよ。相当大変だっただろう。爆弾投下の宣告を受けて、皆わしらを置いて行ってしまった。無理もない。ここにいるのは全員感染者だ。連れて行ったところで、検問所を通れない。今は爆弾で塵にされちまう日を待ちながら、毎日を淡々と過ごしている。『治療薬が精製されれば爆弾投下も中止になる』と言って薬を待ち望む奴もいるが、どうだろうなぁ。開発が先か、爆弾が先か……」




 三人は返す言葉が見つからず、ただ突っ立ったまま話を聞いていた。我先にと検問所へ急ぐ人の群れで溢れる道の陰で、生き延びるすべがなく、死ぬのをじっと待つ人がいる。少し考えれば想像がつくことだった。それでも、不思議と実感が湧ききらない。


 ニーナはクルトの耳を両手でそっと塞いで、「あの……、この子も感染しているんですか?」と確認した。クルトは不思議そうに上を向いて、ニーナの顔を覗き込んだ。




「いや、医者がいた頃の最後の検査では陰性だった。今は分からんが、たぶん感染はしていない」


「じゃあ、なんでここにいるんだ?」とミカイルが聞いた。


「両親が感染者だったんだ。だがここで死んでしまった。物心がつく前だから、クルトは覚えていない。感染者の子供を引き取ってくれる所などないからな。この施設にいるしかない。もうクルトも……、そうか、いつの間にか五歳になっちまったか。他にも同じように、自身は陰性で親が陽性の子もいる。それでここに取り残された。医者たちも急な爆弾投下の宣告で慌ててたから、感染してない人のことも忘れて出ていったんだろう。陰性の子は、感染しないように注意しながら生活している。まぁ、せいぜいうがい手洗いと、マスクを付けるくらいしかできんがなぁ」




 ニーナはクルトの耳から手を離してしゃがみ、細く折れてしまいそうな体をぎゅっと抱きしめた。




「ごめん、みんな。ちょっと待ってて」




 ニーナはそう言いながら立ち上がり、次々と感染者に話しかけ始めた。しかし眠っていたり、ぼうっとして聞こえているのか分からない人ばかりだった。




「あのう……、こんにちは」


「あたしかい? はい、こんにちは」




 やっと返事を返してくれる人を見つけた。二メートルほどもある長い足を使って、赤ん坊をあやしている中年の母親だった。




「突然すみません。ちょっと聞きたいことがあるんです。この施設に、人を殺して逃げ回っている感染者が訪ねてきたことはありませんか?」


「えぇ? 人を殺した感染者……。さぁ、わたしは知らないわ。どんな人?」


「あたしより十五歳くらい年上で、三十歳前後の男です」


「他に分かっていることは?」


「十四年前はマルテにいました。でも、ずっと逃走中みたいで、捕まらないんです。名前とか外見は分かりません」


「うーん。ごめんね、心当たりがないわ」




 ニーナは礼を言いながら肩を落とした。


 それから部屋を一周するように、順に声を掛けて行った。しかし、これという手掛かりは得られなかった。そればかりか「なんだい。俺がその犯人だってのか?」と怒り出す者もいた。今更ながら、質問の内容が感染者に対して失礼であったと気がついた。そして聞くのをやめ、ミカイルたちのいる場所へ戻った。おじいさんなら知っているかもしれないと思ったが、やはり質問するのを遠慮した。




「何か分かったか?」とミカイルが小さい声で聞き、ニーナは黙ったまま首を横に振った。


「さぁ、クルト。この子たちをお客さん用の部屋に案内してあげなさい。二階の奥の部屋が空いているはずだ」とおじいさんが促した。


「あの……、すみません。僕たちに食べ物も分けてくれませんか?」とオレグが恐る恐る上目遣いをする。


「……すまんが、それはできない」


「一日分! いや、一食分だけでも頼むよ! 俺たちもう二、三日何も食ってないんだ」とミカイルが訴える。


「爆弾投下が宣告されてから、もう食料の配達は止まってしまった。今残っている食べ物にも限りがある。だからクルトや他の動ける者が、近所の残った食料を探しに出かけるんだ。それを分けてやれるほど余裕はない。腹をすかせて子供が泣き叫ぶのを聞きながら、わしら自身も飢えに苦しんで爆弾を待つのはつらすぎる。分かってくれ」


「それは、そうだけど……。でも頼むよ、じいさん! 俺たちも限界なんだ。クルトを助けてここまで来たんだぜ! そのお礼ってことで、ちょっとでも分けてくれよ!」


「この子を助けてくれたのは感謝するが、部屋を貸すだけで勘弁してくれ」




 しばらく交渉が続いたが、平行線をたどるばかりだった。


 やがてミカイルが空腹のあまり怒り出した。すると、そばに座っていたおばあさんが警戒したのか、両手を広げて十枚の爪をギュンと鋭く伸ばし、「あんたら、いいかげんにしなよ!」と怒鳴った。ニーナとオレグは慌ててミカイルの襟を引っ張り、そそくさと部屋を出て行った。






* * * * * * * * * * * *






「なんだよ! 少しくらい分けてくれても、バチ当たんねぇだろ!」




 ミカイルはまだ文句を言っている。二人は返事をする気力も失っていた。


 隣の建物で日差しを遮られた廊下には、感染者が点々と横たわって呻いている。目の焦点が合わず、口をあんぐり開けて涎を垂らしている子供。股間を汚し、鼻を突くような異臭を放つ大人。三人は目を合わさないようにしながら歩いた。




「かわいそう……」とニーナが呟く。


「うん。さっきおじいさんが『食べ物を分けないといけない』って言ってたけど、この人たち、もうご飯を口に入れることもできないんじゃないかな……」




 すると、後ろから駆け足で追いかけてくる足音が聞こえた。




「お姉ちゃんたち! こっち来て!」




 振り返ると、クルトがこちらに向かってきた。




「ごめんね、さっきは勝手に部屋を出ちゃって。あたしたちが泊まる部屋を教えてくれるの?」


「しっ! いいから、こっち」




 クルトはニーナの手を引きながら、近くの階段で一階に降りて行った。ミカイルとオレグもそれに続く。さらに廊下を走ると、草がぼうぼうに生え散らかった裏庭に出た。空気は湿っており、あちこちに蠅や蛾が飛んでいた。庭を囲う塀の上では、おびただしい数の有刺鉄線がぐるぐると渦を巻いている。




「こんなとこに何があるんだ?」とミカイルが聞く。


「あそこ」




 クルトが裏庭の奥にあるウグイス色の物置小屋を指差すと、草をバサバサと踏みつけながら近づいて行った。小屋の扉には三つの南京錠と、ダイヤル式の鍵が一つ付いている。クルトはたくさん鍵の付いた銀色のリングを、ポケットからジャラジャラと取り出した。そして、慣れた手つきでそれぞれの南京錠に合う鍵を差し込み、解錠していく。最後にダイヤルの番号を合わせると、鍵からカチっと音が鳴った。




「もしかして……」とオレグが呟く。




 それと同時に、クルトが扉を横にスライドさせて開ける。すると、たくさんの保存食が姿を現した。アワやヒエなどの穀物が詰まった麻袋や、魚や肉、果物の缶詰が山のように積まれている。




「おぉー! すげぇぇぇぇ!」




 ミカイルが宝箱を見つけたかように大声を上げると、ニーナが頭をはたきながら口をおさえた。




「バカイル! おじいさん達にバレちゃうでしょ!」


「これ……、僕たちに分けてくれるの?」とオレグが聞くと、クルトはコクッと頷いた。


「でも、施設の人に怒られない?」とニーナが心配する。


「建物の別の部屋に食べ物があって、いつもはそこを使うの。ここは全然使わないから大丈夫」




 三人は無言でガッツポーズをすると、急いで食料をリュックに詰め込み始めた。しかし、あまり多過ぎると、荷物が増えたことに気づかれる恐れがあるため、パンパンにならない程度に量を調節した。そして小屋の鍵を閉め直し、誰かから見られていないか警戒しながら、建物に戻った。




「やったなぁ、久しぶりのごちそうだ! 早く部屋に戻って食べようぜ」とミカイルが涎を垂らす。


「あんなにたくさんの食料があると思わなかったね。これできっと数日はもつよ」とオレグがリュックを撫でる。


「クルト、本当にありがとう!」




 ニーナのお礼に答えるように、クルトはくしゃっと笑った。






* * * * * * * * * * * *






 三人はクルトに案内され、二階の端にある小さな部屋に辿り着いた。ドアの上のプレートには『応接間』と書かれている。中には木製のローテーブルと、四脚の椅子が粗末に置かれている。部屋の隅では、小さいネズミが怯えた様子でウロチョロしていた。


 家具を端にどかせば、寝るスペースは確保できそうだったが、とにかく埃がひどい。すぐリュックの缶詰に手をつけたかったが、この埃の中ではさすがに食べられない。三人は奥の小窓を開けて換気をしながら、ほうきや雑巾を借りて部屋を掃除し始めた。




「たくさん人がいるのに、ひどい埃だな」とミカイルが雑巾で床を拭きながら、口を尖らせる。


「病気の人ばかりだからね。使わない部屋はほったらかしなんだよ」とオレグが咳き込みながら言った。




 しばらくの間、ニーナは口を開かず、ハタキで壁をパタパタと叩いていた。そして、床掃除を手伝ってくれているクルトに向かい、「ちょっと悪いんだけど、バケツに水を汲んできてくれるかな?」と頼んだ。クルトが頷いて部屋を出ると、ニーナはミカイルとオレグに言った。




「ねぇ、相談なんだけど……。クルトも一緒に連れて行かない?」




 二人は掃除の手を止め、立ち上がってニーナの方を見た。ぎゅっと握られたハタキの近くの壁は綺麗になっていたが、その周りは埃だらけで、クモの巣も張っていた。




「連れて行くって……。ここから国境まで、一緒に行くってことか?」とミカイルが聞く。


「うん。クルトはこの施設の人たちに保護されてるけど、大人は感染して動けないでしょ? だからこのままだと、爆弾が落ちる日までここにいて、死ぬのを待つことになる。生き延びるには国境を目指すしかないけど、五歳じゃサバイバルなんてできない。だから、あたしたちが連れて行こうよ!」




 オレグは雑巾を床に置いて、手をはたきながら言った。




「それは……、難しいんじゃないかな。僕たちが一緒とはいえ、外は危険な人でいっぱいだろ? 暴力団だっているし、最近は妙な殺人鬼も噂されてる。特に小さい子は狙われやすいから危険だよ。さっき出会った時だって襲われてただろ? それに……、リュックに詰め込んだ食料もいつまでもつか分からない。それをクルトにも分けるとなると、要塞門までもたないよ」


「もちろん外も危険だけど、ここにいたら確実に死んじゃうんだよ? 食料なら、クルトにもリュックを持ってもらって、そこに入れればいいよ。それに、今あたしたちが持ってる食料は、クルトがこっそり分けてくれたものじゃん。あの子を見捨てられないよ!」


「確かに僕たちはクルトに助けられた。それは本当に感謝してるよ。でもクルトがいると、きっと歩くペースも遅くなると思うんだ。これから順調に国境に行けるか分からないだろ。道や検問所だってきっと混雑する。爆弾だって予定より早まるかもしれない。だから、少しでも急いだ方がいいんじゃないかな」


「クルトがいたって急げるよ! なんなら、あたしがおんぶする。オレグは結局、食べ物が減るのが一番心配なんでしょ?」




 しばらく二人は言い合った。ミカイルは腕を組みながら、目をつむっている。




「なぁ、ミカイルもそう思うだろ?」




 オレグが助けを求めた時、ドアの近くでガシャンと音がした。ニーナが駆け寄ると、水の入ったバケツのそばで、クルトが気まずそうに立っている。落とした反動で、半分くらいの水が床にこぼれてしまった。




「こんなにたくさんお水運んでくれたんだ。重かったよね、ありがとう」とニーナがしゃがんで、クルトの頭を撫でた。




 その様子を見て、ミカイルが口を開いた。




「よし。クルトも連れて行こうぜ」




 ニーナが驚いて振り向く。オレグはヘッドホンを浮かして反論した。




「本気なの!? 無事に国境を渡れる可能性が減るんだよ?」


「あぁ、オレグの言いたいことは分かる。きっとペースも落ちるし、変な奴にも狙われやすくなる。でも、なんつったらいいか……。クルトは連れて行った方がいいと思うんだ」とミカイルは指先に雑巾を乗せ、クルクルと回しながら答えた。


「なんつったらいいかって……、理由はなんなのさ?」




 ミカイルはしばらく沈黙した。やがて回していた雑巾をバシッと床に投げつけた。




「えーい! 分からん! 自分でも分かんねぇよ。でもとにかく、クルトは俺たちを助けてくれた。だから今度は俺たちが助ける。それでいいだろ!」




 オレグは呆気にとられた。そして、近くの椅子へ倒れ込むようにドカッと座った。




「こうなったらミカイルは聞かないからな……。もういいよ、分かった。連れて行こう」




 ニーナは満面の笑みを浮かべ「ありがとう! やったねクルト!」と言いながら、クルトに抱きついた。喜ぶ理由が分からないまま、クルトは「やったね」と答えた。




 掃除を終えた後、ニーナとクルトは椅子に座って向かい合った。そのそばにミカイルが立ち、オレグは誰にも話を聞かれないよう、ドアの近くで見張る。


 ニーナが一緒に国境へ向かう話をすると、クルトは首を横に振った。




「そうだよね、いきなり知らない街に出ていくなんて怖いよね」とクルトの両肩を撫でる。


「ううん、怖くない。でも、みんながかわいそう」


「みんな……、さっきのおじいさんたちのこと?」


「うん。それに豆電球おじちゃんや、あしながおばさん。象の鼻のおにいちゃんとか、爪伸ばしばあちゃんもいるよ。僕だけコッキョウに行って、みんなは死んじゃうの?」


「それは……」




 ニーナは、マルテで自分だけ孤児院の車に乗れなかったことを思い出した。自分がしようとしていることは、ある意味ソーニャ先生と同じだと気づく。クルトの肩に手を置いたまま、ゆっくりと俯いた。




「お姉ちゃん?」とクルトが心配するが、ニーナは黙ったままだった。


「なぁ、クルト。お前本当に優しいんだな」とミカイルが口を開いた。


「でもな。もし逆だったらどうする?」


「ギャク?」


「あぁ。もしもだけどな、クルトが病気でもうすぐ死んじゃうとする。でも、友達は病気じゃなくて、外に行けば助かる。クルトは友達を止めるか?」




 オレグはミカイルの問いに驚いて振り向いた。ニーナが顔を上げて「ちょっと! そんな質問、答えられないよ!」と責める。


 しかしミカイルは黙ったまま、クルトの答えを待った。部屋がしんと静かになる。窓の外からは、遊んでいる子供たちの声が聞こえた。


 やがて、クルトがゆっくりと口を開いた。




「……止めない。悲しいし嫌だけど、止めたら友達がかわいそう」


「やっぱ優しいな、クルト。でもそれって、みんなもそう思うんじゃないか? 『クルトには死んでほしくないって』って。だからさ、生きようとした方がいいんじゃないか?」




 クルトは少し涙目になって、コクッと頷いた。ミカイルは小さい頭をわしゃわしゃと撫でる。




「ミカイル……、ありがとう」とニーナがか細い声で礼を言った。


「別に。サンドラ先生ならそう言うだろうな、って思っただけだ。ソーニャ先生だって、ニーナが優しいの信じてるから、先に行ったんだろ?」とミカイルは窓から庭を見下ろした。




 ニーナは唇を噛んだ。そして顔を誰にも見られないよう、クルトをぎゅっと抱きしめた。




 夜になると、建物の中は真っ暗になった。小さい部屋の天井からオレンジ色の灯りに照らされると、どこかの秘密基地にいるようだった。しかし、時々聞こえる苦しそうなうめき声が、そこが感染者の隔離施設であることを皆に思い出させる。


 三人はたくさんの缶詰を広げ、それを囲ってクルトと一緒に食べ始めた。そして、ばれないように連れ出す計画を立てた。急によそ者と行動を共にし過ぎると、怪しまれるかもしれない。今晩はとりあえず、クルトにいつもの部屋で寝てもらうことになった。


 食事が終わると、クルトは普段過ごしている部屋に戻っていった。そして三人は起きてすぐに出られる準備をして、並んで横になり、深い眠りについた。




 翌朝の四時頃、部屋にあった古い目覚まし時計で、ニーナとオレグは目を覚ました。オレグはなかなか起きないミカイルの肩を揺する。


 ニーナは子供たちが寝ている部屋にこっそりと入り、クルトを起こした。そして荷物をまとめた二人と合流し、静かに玄関を出た。しばらく歩いて振り返ったが、誰かが追ってくる様子はない。ばれることなく、無事に連れ出すことに成功した。




「良かったぁ。作戦成功!」とニーナが喜ぶ。


「誰にも気づかれないで出られたね。後で追いかけて来たりしないかな……」とオレグが心配した。


「大丈夫だろ。かわいそうだけど、あそこにいたのは動けない人ばっかだったし。にしてもまだ眠いな~」とミカイルがあくびをした。




 クルトはニーナに手を引かれ、大人しくついてきている。そして瞬きもせず、早朝の街並みを目に焼き付けていた。




「どうしたの? そんなに見て。施設の回りとそんなに変わらないでしょ?」とニーナが聞く。


「うん。でも、なんか初めて見る気がする」とクルトはキョロキョロしながら答えた。




 ニーナは爆弾投下の発表直後のことを思い出した。三人でマルテの大通りを走り始めた時、孤児院の周りとそこまで変わらないはずなのに、全く新しい世界を駆けている感覚がした。


 やがて辺りが明るくなり、朝日が地面を温め始めた。刺すような眩しさに目を細める。今日も暑くなりそうだった。




「絶対、みんなで国境を渡ろうね」




 ニーナはそう言いながら、クルトの手を強く握りしめた。






* * * * * * * * * * * *






 正午を過ぎたころ、脇道から騒ぎが聞こえた。




「いやぁぁぁっ! 何これ!? 人がバラバラになってる……」


「おい、また出たらしいぜ。例の、人を食べる殺人鬼」


「見たことがある奴に聞いたけど、夜に出没するらしいぞ」




 大勢の人でよく見えないが、腕や脚らしきものが地面に落ちているようだった。クルトが「あれなに?」と聞くと、ニーナは「きっとつまんない物だよ! 早く行こう!」と言って早足で歩き始めた。ミカイルとオレグも後ろからついていく。




「なんか、ああいう死体増えてないか?」とミカイルが小声で言った。


「うん。噂も広まってきた。見境なく人を襲ってるって」とオレグが答える。


「でも変だよな。なんであの施設の人は一人も襲われなかったんだ?」


「確かにね。あんなに大勢でじっとしていたら、恰好の標的になりそうだけど。ちょっとペースを上げた方がいいかもな……」


「ニーナ、早歩きで急ごうぜ。殺人鬼がこの辺りをうろついて、危ないみてぇだ」




 二人はペースを早め、ニーナとクルトの前を歩いた。


 しかし、しばらくすると「ねぇ、ちょっと早いよ」とニーナが声を掛けた。二人が振り返ると、クルトが息を切らしている。中学生の早歩きは、幼児にとって走るのと同じペースのようだ。




「急いだ方がいいのは分かるけど、ちょっとクルトの歩幅も考えてあげて」


「ん……、なるべく早く行きたいな。食料も限られてるし……」とオレグが懸念を漏らした。


「じゃあ、おんぶしてあげてよ」とニーナがムッとした。


「それじゃ早く歩けないよ。分かったよ、分かった。普通のペースで行こう」




 結局その日は、クルトの速度に合わせて歩くことになった。また、クルトが疲れたと言う度に、休憩を挟んだ。


 やがて辺りが暗くなり、道を歩く人の数も減ってきた。ミカイルたちはいつもどおり、空いている民家を探して中に入った。そして風呂や食事を済ませ、寝室に並んで眠りについた。






* * * * * * * * * * * *






 ニーナは夜中にふと目が覚めた。左の方から、ミカイルのいびきとオレグの寝息が聞こえる。カーテンの隙間から、星や街灯の光が差し込み、部屋の中は人や家具がはっきり見えるほど明るかった。


 右側に寝返りを打とうとすると、隣で寝ていたはずのクルトがいないことに気がつく。ガバッと上半身を起こした。すると、クルトはベランダ際の窓の前に座り、カーテンの隙間から空を眺めていた。クルトは起き上がったニーナに気がつき、振り向いた。


 ニーナは寝ている二人を起こさないよう、ゆっくりとハイハイをしてベランダに近づいた。




「どうしたの? 大丈夫?」


「……眠れない」




 クルトは夜空を眺めながら答えた。幼くつぶらな瞳は、星空の明かりを吸収して綺麗に光っていたが、どこか冷たさを感じた。孤児院で寝かしつけていた子供とは、少し違う雰囲気がある。


 眠れないのも無理はない。ずっと暮らしてきた施設を出て、知り合ったばかりの年上の人に、見たこともない街に連れてこられたのだ。


 ニーナは小学校に初めて登校する日、孤児院を離れるのが不安で泣き出し、ソーニャ先生に宥められたことを思い出した。クルトも同じくらいの年頃だ。もし自分が近所の学校どころか、全く知らない街に連れていかれたら、きっと怖くてたまらない。




「そうだ、外に出てみない? 星が綺麗だよ」


「……夜のお外は危ないって、おじいさんが言ってたよ?」


「大丈夫。ちょっと近くに行くだけのお散歩だよ」




 クルトは嬉しそうに頷いた。ニーナは頭を撫で、短い人差し指を口の前で立てた。そして冷たくか弱い手を引き、玄関を静かに抜けて外へ出た。


 すーっと息を吸い込む。夜のひんやりとした空気が肺に入ると、旅の疲れや爆弾への恐怖が薄れていく感じがした。


 二人は夜道を歩き始める。ほとんど人影がなく、たまに毛布をかぶって野宿をしている人を見かけるくらいだった。


 しばらく歩いて、小さな公園を見つけた。あるのはベンチと砂場だけで、他の遊具はなかった。公園のような公共の場所は、野宿が平気な人のたまり場になりがちだったが、ここには誰もいなかった。少し殺風景だが、ニーナは落ち着く雰囲気の場所を見つけ嬉しくなった。




「あそこに座ろっか」とニーナがベンチを指さし、クルトが頷く。




 金属製のベンチは、座るとヒヤッと冷たかった。長旅で痛む腿裏や背中を冷やすように、ベンチへ押しつけながら、ぐうっと背伸びをして空を見上げた。




「星がいっぱいで綺麗だね」


「うん。部屋の窓よりいっぱい見える」




 ニーナものんびりと星空を見上げるのは久しぶりだった。小さい頃、夜中にこっそりと寝室を抜け、孤児院の庭に出て星空を見たことがある。その美しさに感動して思わず「きれーい!」と叫び、ソーニャ先生に見つかり叱られたことを思い出した。




「なんで笑ってるの?」




 いつの間にか笑っていたらしい。「ううん、なんでもない」と言いながら、手を組んで頭を乗せる。




「ニーナお姉ちゃん」


「ん?」


「どうして、バクダンが落ちるの?」


「うーん……。色々複雑で、説明が難しいなぁ」


「フクザツ?」


「あ、ややこしいってことだよ」


「ふーん」




 ニーナは子供に何かを説明するのに苦労した孤児院での生活を懐かしく思った。小学校の入学前までは、年上の子が年下の子に、簡単な読み書きや躾などを教える。小さい子の質問の内容は単純だが、分かりやすく答えるのは意外と大変だ。それでも親がいないその子には、自分が教えてあげるしかない。きっとそれは、あの感染者隔離施設でも同じなのだろう。




「……実はあたしも親がいないんだ」


「僕と同じ?」


「そう、物心ついた時からいなかったの。悪い感染者に……、あ、それはいいや。とにかく親がいなくて、孤児院っていう施設で育ったんだ」


「施設って僕がいた所?」


「似てるけど、ちょっと違うかな。クルトがいた所は病気の人が多かったでしょ? あたしがいたのは、親がいない子供が集まる場所なんだ」


「……僕と同じ子ばっかりなの?」


「うん、そうだよ。孤児院の子供たちも、あたしもクルトと同じ。だからね、あたしクルトを助けたいと思ったんだ。これからモグロボは……、大変なことになっちゃうから、お隣のノストワっていう国にみんなで行かないといけないんだよ」


「……他の人も行けたら良かったな」


「施設にいたお友達やおじいさんたち?」


「うん」


「……そうだね。本当は一緒に助けたかった。助けなきゃいけない。でもね……、三人だけじゃ大勢を連れていけなかったの。一人がやっとだよ。だからね、あたしたちを助けてくれたクルトだけでも、連れていきたいと思ったんだ」


「お姉ちゃんを助けた?」




 ニーナは笑った。




「忘れちゃったの? ご飯を分けてくれたでしょ?」




 するとクルトが笑顔で頷いた。




「国境を渡ったら、クルトだけじゃなくて、孤児院の子供たちやソーニャ先生も助けたいんだ。あ、ソーニャ先生はあたしを育ててくれた人だよ。その人のために、サッカーの世界大会で優勝するんだ」


「なんでサッカーなの?」


「優勝したら、お金がいーっぱいもらえるんだよ! そしたら、政府のちっぽけなお金なんか頼らずに孤児院も大きくできるし、親がいない大勢の子供たちを助けられるんだ。それに……」




 ニーナは自分の両手を広げて見つめた。左右対称でない輪郭が、ぼんやりと星の光に照らされる。




「ほら、指が短いでしょ? でもサッカーなら足があればできる。だから選んだんだ」


「……指のこと聞いちゃって、ごめん」




 ニーナはクルトの頭を撫でた。




「ううん、大丈夫。ありがとう。クルトはやっぱり優しいね。きっとミカイルやオレグよりいい男になるよ」と八重歯を覗かせて、いたずらっぽく笑う。


「お姉ちゃんは二人が嫌い?」


「そんなことないよ。ムカつくことはあるし、今までも嫌っていうほどケンカしたけどね。でもやっぱり、二人に会えてなかったら、ここまで来れなかった気がする。考え方とか色々違うけど、力合わせなきゃ、あたしたちみたいな中学生が国境まで辿り着けないもん。だから……、言うのは恥ずかしいけど、ちゃんと二人にも感謝してるんだ」




 ニーナは立ち上がり、脚を宙に蹴り上げた。




「だから、サッカーもいつか部活に戻って、みっちり練習するんだ。前は一人で上手くなろうと思ってたけど、やっぱり他の人と練習しなきゃ無理みたい。あ、部活はみんなでチームになってやるものだよ」


「前はチームじゃなかったの?」


「チームから……、抜けちゃったんだ。年上の人と揉めて怪我させちゃって。だけど今度は、何があってもチームでやるって決めたの」


「じゃあ僕もお姉ちゃんと一緒にサッカーする!」




 クルトもベンチから降り、不器用に右足を蹴り上げた。ニーナは「こいつぅ、約束だぞ!」と言いながら、しゃがんで小さな体を抱きしめた。


 クルトは嬉しそうだったが、急に不安な表情を浮かべた。




「どうしたの?」


「……僕、一緒にいていいの?」


「どうしたの急に? もちろんいいよ!」


「でも……、お兄ちゃんたちとケンカしない?」




 ニーナはハッとした。クルトを連れて行きたいと言った時、オレグと言い合いになったのを聞かれていたらしい。それに今日もオレグは歩くペースを心配していた。その空気をクルトは感じ取っていたようだ。




「大丈夫、ケンカしないよ。さっきも言ったでしょ? 考えや意見が違うこともあるけど、ちゃんと力を合わせるって」


「うん!」




 ニーナはクルトのおでこにキスをした。そして立ち上がり、辺りを見回した。家々の窓の明かりが減り、暗くなってきたようだ。




「……ちょっと長居しすぎちゃった。そろそろ戻ろうか」


「僕、おしっこ」




 公園にトイレはなかった。クルトは「あそこでしてくる」と言いながら、公園に沿って並ぶ民家の間の狭い裏路地へ走っていった。


 ニーナは手を宙に伸ばしながら、再び星空を仰いだ。そして「ソーニャ先生……、早く会いたいよ」と呟いた。




「わあぁぁっ! お姉ちゃ!……」




 突然、クルトの叫び声が聞こえた。民家の方にバッと向かって裏路地を覗いたが、姿が見えない。




「クルト、返事して! クルト!」




 ニーナは何度も呼び掛けながら走った。収集されなくなったゴミ袋が、細い道を塞ぐように積まれている。その先に、突き当りを曲がり去っていく男たちの影が見えた。ニーナは追いかけたが、散り散りになってどこかへ行ってしまったようだった。


 大勢の民間人が国境へ向かう中、その混乱に乗じて身寄りのない子供をさらう集団。人身売買を糧とする暴力団以外に考えられない。


 クルトを呼ぶニーナの声が、古く寂れた家々に虚しく木霊した。






* * * * * * * * * * * *






「ねぇ! 早く起きて、お願い!」




 ニーナは家に戻り、居間で寝ている二人を激しく揺さぶる。オレグはニーナのすごい剣幕でハッと目を覚ました。ミカイルはすぐに頭が働かず、オレグに支えられたまま上半身を起こした。




「クルトが暴力団にさらわれちゃったの! 早く探して助けに行かなきゃ!」




 オレグは「しっ! 声が大きいよ!」と言いながら、ニーナを落ち着かせようとした。




「こんな時に何気にしてるの!? 一大事じゃん!」


「まだ近くに暴力団がいるかもしれないだろ! それより、なんでクルトだけさらわれたの? ここで一緒に寝てたでしょ? 暴力団が入ってきたら気づくし、僕たちのことも襲うはずだよ」




 ニーナは急に黙り込んだ。ミカイルが「……おい、何があったんだ?」と質問する。暴力団という言葉が何度も聞こえ、徐々に目が覚めてきた。オレグもニーナの言葉を待つ。




「……ごめんなさい。あたし夜中に目が覚めて、クルトも眠れなくてちょうど起きてたの。それで……、一緒に散歩しようって、外に出ちゃったんだ」


「そんな……、夜の外は危険だって分かってただろ?」




 オレグの言葉が胸に刺さり、ニーナは俯いた。しかし、すぐにバッと顔を上げる。




「お願い、一緒にクルトを探して! 今すぐ行けば、まだ間に合うかもしれない。このままじゃ、クルト何されるか分からないよ!」




 するとオレグは立ち上がった。そして声を抑えつつも、ニーナを説得するように両腕を広げた。




「何言ってんだよ! それより早く家を出なきゃいけないだろ! クルトがこの場所を話すかもしれないじゃないか。そしたらきっとここに来るよ! 暴力団に襲われたら終わりだ。荷物をまとめてすぐに逃げないと危ないって!」


「そんな……、最低! クルトがどうなってもいいの!?」


「僕たちはどうなってもいいっていうのか?」


「……そんなこと、言ってないじゃん……」


「じゃあどうやってクルトを助けて、無事に逃げるんだよ!? 前に振り切った素人の大人じゃない。プロの犯罪者なんだよ? きっと銃とか武器も持ってる。もちろん僕だってクルトが可哀そうだと思う。でも……」


「黙れ!」




 ミカイルが急な落雷のように怒鳴った。二人はビクッと体を震わせる。ミカイルは立ち上がり、オレグの正面を向いた。




「クルトが俺たちにしてくれたこと、忘れたのか? 『荷物をまとめる』って、その中の食べもんは誰にもらったんだ?」




 オレグはそばのリュックを一瞥した。そして先ほどの発言を恥じるように、表情を歪めた。




「それに……、俺は五歳の時に、暴力団に捕まった。ちょうどクルトと同じくらいの歳だ。道を歩いてたら急に後ろから口を塞がれて、車に押し込まれて運ばれた。毎日少ない食いもんだけもらって、朝から晩まで掃除や食事の用意をさせられる。しかも意味もなく殴られたり、もっと……、酷いことだってされる。奴らは子供を人じゃなく、物として扱うんだ。そんなの、ほっとけない」




 ミカイルは首元の刻印を触った。オレグはその様子を見て「……分かったよ。探しに行こう」と渋々呟いた。ニーナは「ありがとう」と言い、小さく鼻をすすった。




 街灯の光はまばらにしか見えず、辺りはとても暗かった。野良犬の遠吠えが微かに聞こえるだけで、人の気配は近くに感じられない。


 急がないと、すぐにクルトが遠くへ連れ去られてしまう。一緒に行動するのは効率が悪いため、三人は分かれて探すことにした。もし見つけても一人では深追いせず、互いに知らせて、三人集まってから助けに向かう。




「この場所に、三十分後くらいに戻るんだ。みんな気をつけろよ」




 ミカイルの合図で、三人はそれぞれ別の方向へ走り始めた。ミカイルは要塞門のあるユレイラの方へ向かう。


 今は深夜の一時くらいで、道を歩いている人は少ない。もし子供が大勢で歩いていたら、夜中に活動することの多い暴力団である可能性が高い。




 ミカイルは探し回りながら、暴力団に捕らわれていた頃を思い出した。


 アジトを移すため、夜中に突然たたき起こされ、連れていかれることが稀にある。一般的な暴力団にはある程度の資金があり、何台か車も所有している。しかし、それは幹部が乗るためのものだった。手下や捕らわれた子供たちは、自分の足で移動しなければならない。大人のペースに合わせ、何時間も歩き続ける。眠気や空腹を訴えても、黙るまで殴られ続けるだけだった。クルトも今、それと同じような苦痛と恐怖に襲われているに違いない。




 探し始めて十分後、ミカイルは遠くの方から、かすかに泣き声が聞こえたような気がした。近くの家の塀に隠れ、僅かに顔を出して、声のする方向を確認する。


 うっすらと、たくさんの人影が見えた。大人からしたら、もどかしくなるような遅いペースだ。連れている子供たちがぐずって、思うように歩いてくれないからだろう。再び泣き声が聞こえた。




 きっとあの中にクルトもいる……。




 二人に知らせるため、ミカイルは集合場所に戻ろうと振り返った。するとその瞬間、みぞおちに強い衝撃と痛みが走った。涎を垂らしながら、腹を抱えて両ひざを地面につく。そしてゴツゴツした獣のような手で、乱暴に髪を掴まれた。




「おらぁ、立てや!」




 ミカイルは無理やり立たされ、咳き込みながら周りを確認した。十人くらいの男が、自分を取り囲んでいる。全員が濁った眼をして、睨んだり不気味な笑みを浮かべている。銃や鉄パイプを持っている者もいた。


 間違いない、暴力団だ。先ほど遠くに見えた集団とは違い、子供たちを連れてはいないが、恐らく同じ団員だろう。




「なんだこいつ。売りもんの印あるじゃねぇか」




 ミカイルは手で刻印を隠そうとした。しかし無理やり手を引っ張られ、首元の印が団員たちの目にさらされた。




「マジかよ。また売りもんになるために戻ってきたのか?」と一人が笑う。


「おい、お前一人じゃないよな? ダチがいるはずだ。そいつらのこと教えろ」




 目の前の団員がそう言うと、大きな拳でミカイルの頬を殴りつけた。あまりの痛みで涙が滲む。それでも歯を食いしばり、団員を睨みつけた。




「……ダチなんて、いねぇ」


「なにガンくれてんだよ。クソガキがぁ」




 団員は殴り始めた。ミカイルは目をつむりながら、ニーナとオレグの顔を思い浮かべた。もし集合場所のことを話したら、二人も暴力団に捕まる。そうしたら人身売買の商品になり、一生消えない印が体に焼かれる。そして国境を越えたとしても、奴隷のような生活を送ることになる。




 それだけは、絶対に嫌だ。




 頭や頬、胸や腕に、赤紫の痣が増えていく。一人が疲れると、次の男が殴り始めた。




「いい加減に吐けや! 近くに仲間がいんだろ?」




 ミカイルは目の前の男を睨みつけた。




「……だから、いねえって。それよりてめぇが、クルト……、小さい子供たちの居場所を教えろ……」




 男がポケットから銃を取り出し、握る部分の角をミカイルの頭にぶつけた。温かい感触が脳天から額に伝う。傷から血が出ているようだ。しかし、だんだんと痛みが薄れていく。視界も焦点が合わなくなってきた。




「おい、もうそれくらいにしとけ。これ以上もたもたしてると、あいつらに合流できなくなっちまう。そいつを縛って連れて行くぞ。まだ小学生だから、ノストワで高く売れるはずだ。あんまり殴って傷物にするな」




 やはり国境を越えて、人身売買を続けるつもりらしい。男がミカイルの腕を後ろに組ませ、わら縄で縛り始めた。




 また、暴力団の商品になるんだ。




 小さい頃の記憶が蘇る。真っ暗な汚れた部屋で過ごす時間。まずくて量が少ない飯。男たちに体を弄ばれる痛み。




 爆弾ですぐ死んだ方が楽だ。




 そう思った時、「ぎぐあぁっ」と奥の方で男の声が聞こえ、ドサッと何かが倒れる音がした。近くの男たちが振り返る。


 暗くてよく分からない。ただ、一人の男の影と、その足元で倒れている別の男の影がうっすらと見えた。立っている男は木の枝のような物体の両端を手で持ち、むしゃぶりついている。その全体は赤黒く、中からは白く硬そうなものが飛び出していた。下側からは、ポタポタと液体が滴り落ちている。やがて、ほんのりと生臭い匂いが鼻を突いた。




 人の……腕?




 すると、後ろで腕を縛ろうとしていた男が急に叫んだ。




「殺人鬼だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」






* * * * * * * * * * * *






 団員たちが必死の形相で逃げ回る。中には、腰を抜かして足をばたつかせる者もいた。殺人鬼と呼ばれたその男は、素早い動きで団員たちを捕らえ、次々と首の骨を折っていった。屍となった体は、力なく地面に崩れ落ちていく。


 遠のいていたミカイルの意識が、目の前の惨劇によって呼び戻されていく。すぐに鼓動が激しくなる。尻もちをついた状態で、ゆっくりと手足を動かし、後ずさりを始めた。殺人鬼に気づかれないよう、荒くなる呼吸を必死に抑える。




 以前マルテで見かけた、暴力団の息子を食べていた人影。ビルの屋上で、腕や首を引きちぎりながら、肉を食べて血を吸っていた。あれは……、きっとこいつだ。




 殺人鬼が男の脚にかぶりつきながら、ちらっと横目でミカイルを捉えた。地面を這っていた腕と脚、そして呼吸も止まる。


 殺されると思ったミカイルは、まだかろうじて動く目と首を使って、自分を守る手段がないか探した。


 そばに引き裂かれた洋服が落ちている。食べるために殺人鬼が破り捨てた男の服だ。そのポケットに、黒い光沢を放つものが見えた。


 それは、どうやら銃だった。使ったことはないが、人が撃っているのを見たことはある。ミカイルは震える手を伸ばして、銃を掴んだ。思ったよりも、ずしりと重い。両手で構え、殺人鬼に向けた。


 殺人鬼は持っていた死体を降ろし、こちらに向かって歩き始めた。ミカイルは胸を狙って引き金を引く。




 バンッ。




 撃った反動で銃が上を向き、ミカイルはその勢いで後ろに倒れた。まるで自分の手が撃たれたかのような痛みを感じる。




 殺人鬼はどうなった?




 ミカイルは仰向けに倒れたまま首を起こした。殺人鬼は胸を手で抑えている。そして顔を歪ませながら、手を胸に押し込み、勢いよく引き離した。手先でつまんでいるものが、銅色に光っている。




 さっき撃った、銃弾?




 殺人鬼はそれを捨て、再び近づいてきた。先ほどと様子は変わらず、血も流していない。ミカイルの手足はもう動かなかった。助けを呼ぶ声も出ない。


 殺人鬼が目の前に立つ。辺りが暗くて、うっすらとしか分からないが、冷淡な表情で見下ろしている。全身を覆う黒革のジャケットやパンツは、内側の筋肉に押されパンパンに張り、所々破けて汚れている。口の周りには、食べた男たちの血がべったりとついている。


 なんとか銃を再び向けようと、腕を動かす。しかし、殺人鬼が銃を素早く奪い、真ん中から半分にバキッと折って捨てた。そして右手でミカイルの頭、左手で胸元を押さえつけ、口を首元に近づける。


 恐怖から逃れるように目をつぶる。瞼の裏には、サンドラの顔が映った。


 すると、殺人鬼の背後から女の声がした。




「レヴォリ、その子は食べないで」




 声に呼応するように、反射的に目が開いた。考えてみれば当たり前のはずなのに、殺人鬼が人の名前を持つことに驚いた。


 レヴォリはミカイルの首元から口を離し、立ち上がって振り返る。そこには二十歳くらいの、長い黒髪で細い体をした女が立っていた。レヴォリと同じような服装をしている。


 ミカイルは後ずさりしながら、得体の知れない女を警戒した。二人は仲間だろうか。




「なぜだ?」とレヴォリが女に聞いた。




 初めてレヴォリの声を聞いた。普通にしゃべれることにも驚いた。先ほどの惨劇の張本人とは思えないほど冷静で、冷たく尖ったような声色だった。


 女は何も言わず、ミカイルに目線を移す。レヴォリも同じように目をやった。ふと何かに気がついたようだったが、黙ったまま女の方に振り返った。




「逃げて行った奴らを食べに行く。タチアナ、すぐに追いつけよ」




 レヴォリは国境がある方角に足を向け、ものすごい脚力で飛んで行った。足をついた地面はひび割れ、十数メートルごとにその跡を残し、弧を描いて去っていく。




 タチアナと呼ばれた女は「大丈夫?」と座り込んでいるミカイルに近づいてきた。レヴォリが去った安心感で放心していたが、声を掛けられハッと我に返る。




「なんだお前! 来るな!」とそばの石ころを掴み、投げつけようと構える。しかし腕の傷が痛み、呻きながら石を落とした。


「ほら見なさい、そんな痣だらけで強がらないで。あたしは、ただ治してあげるだけ」




 タチアナがそばにしゃがんで、顔を覗き込んでくる。端整な顔立ちだったが、縫ったような傷跡が所々目立つ。『治してあげる』という優しい言葉とは裏腹に、人を寄せつけないような冷たい眼をしていた。


 そして首元には、見覚えのある黒い入れ墨があった。矢印で形作られた、憎たらしい星印。心臓を握られるような苦しさに襲われ、再び全身から汗が噴き出す。ミカイルが同じ印をつけた人を見るのは、サンドラに助けられて以来初めてだった。


 タチアナが右手をゆっくりと肩に伸ばしてくる。




「やめろ!」とミカイルが身をよじりながら叫ぶ。


「約束する。傷つけないから、少しじっとして」




 か細い手が肩に触れた。初めは凍ったように冷たかったが、徐々に温かくなっていった。そして熱が肩から全身にじんわりと広がるのを感じた。まるで、お湯のない風呂に浸かっているようだ。警戒心で強張っていた体も、内側から緊張が溶けていく。


 五分ほど経って、タチアナが手を離す。徐々に全身の熱が冷めていった。気がつくと、傷の痛みが消えていた。自分の体ではなくなったかのような錯覚を覚える。




「どう? 楽になったでしょ」




 ミカイルはタチアナを見た。そして黙ったまま、自分の顔や上半身を手で触りながら確認した。確かに傷が癒えている。切れていた唇からは血が出ていない。腕や腹の痣も消えていた。




「あぁ……。ありがとう」


「この先でも暴力団がお金集めのために、子供に目を光らせてるかも。国境に向かうなら、気をつけた方がいいわ」




 タチアナはレヴォリが消えていった方角を眺めながら言った。黒く長い髪が風で揺れている。




「……あんた、何者なんだ? どうやって傷を治したんだ?」


「あたしは元々、ウイルスの感染者だったの。その時に身についた特殊能力が、人を治癒する力で、今も奇跡的に使えているだけよ」




 感染者数の増加については、ラジオで何度も耳にしていた。でも、治った人がいるという話は聞いたことがない。




「……なんであのレヴォリって奴といるんだ?」




 タチアナはミカイルを見た。話すのを躊躇する素振りを見せたが、やがて口を開いた。




「……あたしは小さい頃に暴力団にさらわれたの。治癒する能力に目をつけられたのよ。当時は医者も少なかったし、何より犯罪者に協力する医者なんていないしね。それで、暴力団から暴力団へ次々と売られていったの。普通の人が一生働いても稼げない値段でね。その間……、何度も好き放題遊ばれた。隙を見て、一度抜け出したこともあった。でも警察に行っても、身寄りのないあたしは保護してもらえなかった。それでまた、別の暴力団に捕まったの」




 ミカイルは昔味わった苦痛を思い出した。一部の男たちが欲求を発散させるはけ口として、自分の体が屈辱的に弄ばれる恐怖。当時は幼くて、なぜそれが起きているのか分からなかった。だが今は理解できる。そしてタチアナも、同じように悲痛な想いをしてきた被害者だった。




「でも、レヴォリが助けてくれたの。まぁ、あたしを助けたというよりは、レヴォリがたまたま人肉を欲しがって、団員を襲っただけなんだけど。それでも、とにかく救われた」


「でも、あいつは人を食う感染者だろ? なんで今も一緒にいるんだ?」


「レヴォリは戦うために、治癒の能力を必要としている。あたしも自分を守ってくれる強い力が必要。だから一緒にいるだけよ。協力して国境も越えないといけないしね」


「……そうかもしれねぇけど。人を食うって……、犯罪だろ」


「思ったより正しい事を言う子なのね。でもね、正しいだけじゃ生きられない。どこかで自分を優先しなければいけないの。あたしは襲ってきた暴力団、守ってくれなかった社会、救ってくれたレヴォリからそれを学んだ!」




 急に強まった語気に驚き、ミカイルは中腰になって警戒した。しかしタチアナは地面を睨み、荒い息で肩を弾ませるだけだった。熱いようで冷たくもありそうな呼吸の音が、一定の間隔で鼓膜を震わせる。


 タチアナの呼吸はすぐに落ち着いた。ミカイルは恐る恐る、ずっと引っかかっていた疑問をぶつけた。




「……じゃあ、なんで俺を治したんだ?」




 タチアナはミカイルをじっと見た。刺すような目線は、目ではなく首元の印を捉えている。そして問いには答えないまま振り返り、レヴォリを追って走り去った。






* * * * * * * * * * * *






 ミカイルはしばらく呆然として、タチアナが向かった方を眺めていた。もうレヴォリと合流したのだろうか。激しい物音や叫び声は聞こえない。先ほどの争いが噓のようだった。


 まだ全身が小刻みに震えている。人が次々と襲われて食べられる光景。血生臭い空気。死んだのが自分や子供たちを襲った暴力団とはいえ、それが同じ人間と思うと、胃からこみ上げてきそうなものを感じた。


 十分ほどして、ニーナが駆けつけた。時間になっても集合場所にミカイルの姿が見えず、辺りを探していたようだ。一度荷物を取りに戻ったらしく、リュックを背負っている。




「大丈夫!? 何があったの?」


「悪い……。クルト、助けてやれなかった」




 ニーナは黙ったまま辺りを見回した。そしてボールを地面に置いて、リュックからタオルを取り出し、血や埃がついているミカイルの顔や体を拭き始めた。やがて、息を切らしながら残りの荷物も背負ったオレグが合流した。


 ミカイルはニーナからもらった水を飲むと、先ほどの出来事をゆっくりと思い出すように話し始めた。想像よりも恐ろしい内容に、ニーナは顔を青くし、オレグはヘッドホンの上から耳を塞ぐように聞いていた。




「……でも、とにかく無事でよかった。クルトや子供たちは、残念だけど……」とオレグはタチアナが消えた方角へ目をやった。




 すると、ニーナがもどかしそうに叫んだ。




「ねぇ、今からでもクルトを探しに行かない!?」




 二人は目を丸くしてニーナを見た。ニーナは顔を赤くして、目に涙を浮かべていた。




「もちろん危ないのは分かってる。だけどこのままじゃ可愛そうだよ!」


「それはそうだけど、どうやって探すのさ? 暴力団はどこに逃げたか分からないんだよ?」とオレグが落ち着かせようとする。


「大声で呼びながら探せば見つかるよ! あたし、責任取らなくちゃ。あたしがクルトを外に連れて行っちゃったから、その隙にさらわれたんだ」




 ニーナは自分に言い聞かせるように叫び、あてもなく走り出そうとした。するとミカイルが反射的に立ち上がり、ニーナの腕を掴んだ。




「もう遠くに行っちまった! それにニーナが死んじまうぞ!」


「やめて、離して!」とニーナがバッと腕を引き離し、手を振りかざした。




 ミカイルは思わず手を見つめた。出会った頃よりも、明らかに指が短くなっている。右手の親指は第一関節がなくなり、爪くらいの長さに縮んでいる。右手の中指・小指と、左手の人差し指・中指も、関節がなくなっている。もう指というよりは、掌から生えた一センチほどの突起物になっていた。


 ニーナは急に静かになり、両手をポケットに閉まった。小刻みに震えながら俯いている。前髪で表情が見えない。一滴の雫が顎を伝って落ちたが、汗か涙か分からなかった。




「……急に腕掴んで、わりぃ。俺も暴力団を逃がしておいて、偉そうに言えねぇけどさ。でも、もう国境に向かった方が良いと思う。爆弾が落ちるのも、そんなに先じゃない」




 ニーナはしばらくして、黙ってコクッと頷いた。




「……助けてやれなくて、すまん」


「ううん、あたしが悪いよ。ミカイルは必死に助けようとして、死ぬところだったのに。そのこと考えずに、また追いかけようなんて。……あたし、どうかしてる。孤児院の子たちを思い出して、守らなきゃって熱くなってた。さっきも、わがまま言ってごめん」




 ニーナは地面のボールを拾い、ユレイラの方へ歩き始めた。二人もそれに続く。




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「どこかで自分を優先しなければいけないの」




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 ミカイルは歩きながら、ふとタチアナの言葉を思い出した。






* * * * * * * * * * * *






 それから三人は黙々と歩き続けた。クルトにもらったマスクは、擦り切れて使えなくなり、途中で捨てた。食べ物はあまり残っておらず、空腹状態が続いたが、早く検問所に行きたいという思いが、脚の筋肉に鞭を打った。


 他の人も長旅で疲れているのか、言葉を発さず、ひたすら脚を前に運んでいる。誰も気力が残っていないのか、今まであちこちで起きていた暴動や争いも見られなくなった。それでも念のため、夜は交代で見張りを続けた。




 やがて、民家が密集していた地域を抜けた。辺りは草木も生えず閑散としていて、遠くでは砂嵐が舞っていた。それまで静かだった周りの人たちが、急に騒ぎ始める。


 オレグは耳を塞ぎながら、辺りを見渡した。ミカイルとニーナも地面をなぞるように下を向いて歩いていたが、また争いか何かと思い、ハッとして顔をあげた。すると『ボレル地区 ⇔ ユレイラ地区』と書かれた看板が見えた。




「ユレイラ……。やっと……、着いた」とオレグが声を漏らす。


「ねぇ、見て。あれ!」




 ニーナが遠くの前方を指さした。テレビで見たことのある高い壁が、左右にひたすら伸びている。




「やった……。やったぜ。検問所に着いたぞ!」




 ミカイルが叫んで飛び上がった。そして着地すると同時に、三人は力をふり絞って、高々とハイタッチをした。パンッという乾いた音が、砂埃とともに辺りに広がった。

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