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 エイキの声は震えていた。あまり感じることのない、恐怖という実体のないものに支配される感覚。


「お前程、大層な異名はねえよ。 〈血涙童子けつるいどうじ〉とか呼ばれた事はあったが」


「なっ! お前が血涙童子けつるいどうじだっていうのか。 じゃあ……」


 エイキは、サイカを見た。エイキのその目には、もう殺気はなく、恐怖に怯えるただの子供の目だった。


「サイカが 〈彼岸葬花ひがんそうか〉なんだね。 話しを聞く、ごめん。 話しを聞くし、話しを聞きたい」


 シンエイは、エイキを解放すると、何事も無かったかのようにベッドに寝転がった。サイカもベッドを整えて座り直す。


 エイキは、ベッドの上に正座をして二人の様子を伺うが、いつも通りに寛いでいる。


「ちょっと待って、僕が仕掛けたんだけどさ、僕が悪かったんだけど、何で二人ともそんなに落ち着いてるの? 何事も無かったかのようにできる意味がわからないよ。 まったくなんなんだよ君たち」


 エイキは駄々を捏ね始めた。サイカはくすりと笑う。


「エイキも、充分いつも通りだと思うけどね。 とりあえず首の消毒だけしよう」


 サイカは自分の傷を後回しにし、エイキの首の手当てを始めたが、消毒をして、促進剤と呼ばれる軟膏を塗っただけだったが、傷はもうすでに治っていた。


「サイカのは僕がやってあげる。 ねえ、二人はなんで戦場に出なかったの? たった半日であれだけの事が出来たのに」


 シンエイは、聞いているのかいないのか、反応せず、サイカが代わりに口を開いた。


「知ってたんだね。 あの時は本当に仕方なくだったし、僕たちには、選択肢も意思もなにもなかったからね。 九坂学校も楽しいし、上から指令が下らない限りは、自分たちから戦場に行くっていう選択肢はなかったかな。 だよね、シンエイ」


 シンエイは寝返りを打ち、二人に背を向け壁を見つめていた。コンクリートで囲まれた殺風景な部屋は、真夏なのにひんやりとしている。壁に手を伸ばし、爪で引っ掻くように、壁に書かれた文字をなぞる。


「三百十六人だ」


 不意に言葉を発したシンエイに、エイキはすかさず答える。

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