壱日目
正直、禁煙をしていても煙草を吸いたいという気持ちにはならない。というのも、もともと煙草に対しては「おいしい」だとか「香りがいい」という感想を抱いていなかったためである。それでもなんで吸っていたのかを言葉にするのならば、喫煙後に来る重たい気だるさと目の眩み、俗にいう「ヤニクラ」というものを求めて吸っていたからである。
昨日から禁煙をしており、それでようやくカウントを一日進めることができたけれど、そこに関しては特に苦労なくやれることは事前から考えていた。私の吸い方の場合に問題になるのは、ニコチンが完全に抜けた後、「今吸ってしまったらどんなヤニクラが来るのだろう」という誘惑であり、それに抗うことが毎回できなかったりする。
一月の時にも禁煙したことがあるのだが、この禁煙が良くない経験だったように思う。三日かそこらまで禁煙は続いた後、今喫煙をしたらどうなるのだろう。そんな誘惑が働いてしまった。その誘惑に負けるというか、従うようにすると、いつも感じているだけでは収まらないほどのヤニクラが意識を覆った。あらゆるすべてが遠ざかり、目の筋肉の入れ方が定かではなくなり、指先が震える感覚。止め処なく続く酩酊のような気分に、「自分はこのために煙草を吸っているのではないか」と錯覚してしまいそうになるほどに、それは気持ちが良かった。その快楽を覚えてからは、一日に吸う本数を少なくしたり、あえて短めの禁煙を繰り返したりした。だから、現在に至るまで吸いたい気持ちにならないのは、その三日目を求めてしまっているからだという節がある。下品な言葉で表現するのならば、オナ禁をしてから行う自慰行為は最高に近いというものに似ているかもしれない。
だから、初日については特に何か苦労することはない。なんならいつも通りでしかないのだ。この場合に怖いのは三日目を迎えることであり、ニコチンを完全に失ったといえる身体がどのようにニコチンを求めてしまうか、どういったヤニクラが頭にやってくるのかを考えることが一番怖いかもしれない。
もともと欲望に対して弱い側面がある。自分を苦しめることに対する過程について長続きしたことはない。喘息の発作が苦しいというのはあるが、それ以上の苦しさ、もしくは快楽としての喫煙が目の前にあることが、これからしんどくなることが予想される。
もし、この状況で煙草を吸ったら、きちんと〇日目という表記はゼロに戻す。そこは壱じゃないのか、と野暮なツッコミをする人もいるかもしれないが、物差しで長さを測る際に一から測る人間はいない。だからきちんと零日目から表記をするつもりである。
一応、この日記については禁煙を主体としたものであるために、今日はこのあたりにしておく。生活についての日記はブログなどで更新するので、そこは留意していただきたい。
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