第2話「雨の帳」
強い雨が道を閉ざすように降り注いでいる。
「ご、ごめんね、宗治?」
「別に謝るもんでもないだろ。今回は俺が付いていくって言って付いてきたんだ。流石にそこまで暴君じゃないよ。」
今日は暇だったからと、俺が明日葉の散歩に付き合ったのだが、目的地である郊外の方まで出てきた瞬間、急に雲行きが怪しくなった為、近くの廃ビルに雨宿りする形となったのだ。
「でも………」
「天気予報でも雨じゃなかったろ?勝手に付いてきたんだから、明日葉が気に病む事なんてないだろ?」
そう言って明日葉の頭を撫でると
「分かった……」と言って納得してくれたので苦笑する。
知らない人が見るとよく驚かれるのだが、別に俺と明日葉は仲は悪くないどころか、普通に仲が良い。
ああやって定期的にお説教するのも、相手が明日葉だからやるのであって、どうでもいい相手が似たような事をやらかそうものなら、笑顔で
「頑張って。」と声をかけて放置する。
仲が良い相手だからこそやるのであって、その裏返しの様な物だ。
そんな事を今更考えながら、俺は軒下から空を見上げる。
通り雨かとも思ったが、どうやら違うようだ。
コンビニの類も近くにない場所なので、傘を買うのも大変どころか、コンビニに辿り着く頃には濡れ鼠もいいところだろう。
郊外とは行ったが、実際は田舎に近い位置なのだから。
「すこし休もうよ。暫く止みそうにないし、
そう言って、ジャケットを脱いで埃を被ったソファーに掛けて明日葉を座らせてから、明日葉の母親の優里に事情をメッセージで送っておく。帰ろうと思う頃には止んでくれるだろう。
「ジャケット、汚れちゃってるけどいいの?」
「どうせシャツごと洗濯機にぶち込むんだ。ホコリ塗れになってもいいよ。」
そう言って、その辺の柱に背中を預けるように床に座ってから、背負ってたカバンからお茶の入ってるペットボトルを明日葉に投げ渡して、自分もリュックの中から一本出して口を開けて軽く飲む。
「もうちょっと学校でもこれくらい優しければいいのに……」
「それなら俺は、頼むから面倒ごと持ってこないでくれ、ってお願いするよ。変な事ばかり起きて奏に毎回頭下げたくないしね。」
そう明日葉に返す。
まあ、肝心の奏は女子校に行っていて居ないのだが。
誰もいなくなってしまったビルの古びた静けさと、激しい雨の格子は、俺達を寂しい静寂で包んでいた。
◆◆◆
しばらくの間、2人揃って無言で外を見ていた時だ。
カツン、カツン、とビルの奥。恐らく上階からだろう。靴音がこちらに向かってくるのが分かった。
明日葉も気付いたらしい。
俺は明日葉を立たせた後、ビルの入口を背にしてから、明日葉を後ろに立たせる。
不審者ならば最悪この雨でも逃げなければならない。一応、その構えだ。
ホームレスならもしかしたら雨宿りしてるだけだ、と言えばトラブルにならないかもしれないが、柄の悪い不良とかだと面倒事になりかねない。
足音が遂に自分達の部屋の前で止まるので、明日葉を守るように横に手を広げて構えるが……
「おや、君達は?」
◆◆◆
「すいません。無断で入ってしまって。」
「ははは、構わないよ。この雨で天気予報も外れたんだろう?気にせず、こんな廃ビルでロクな物も無いが、止むなり弱まるなりするまで、好きにするといいよ。」
「ありがとうございます、瀬名さん。アタシ達も本当に困ってて……」
あの後、俺達の前に出てきたのはスーツを着た物腰柔らかな初老の男性、瀬名さんだった。
何でも、用事があってここに顔を出した従業員の方らしい。社員証まで見せてくれたので、嘘ではないのだろう。
小さな卸売り業の会社らしいのだが、時代の波に呑まれ、畳むことになったらしい。
「すまないね、本当はお茶なんかも出したいが、全て持ってった後でね。」
「お心遣い、ありがとうございます。ですが、飲み物と食べ物は持ってきてるので、大丈夫ですよ。よろしければ、コレ、どうですか?」
そう言って俺は笑うと、リュックから余ってるお茶のペットボトルと饅頭を出すと、瀬名さんは一瞬驚いたあと、ふわっと穏やかな笑みを浮かべてそれを受け取った。
「…ありがとう、優しい子だね。そうだ、傘くらいなら社長室を探せばあるかもしれないから、探してこよう。君達はここで、待っててくれるかい?」
「…………。」
「……宗治?」
「っ、ああ。失礼しました。本当に申し訳ありませんが、よろしければお借りしてもよろしいでしょうか?後日、必ずここにお礼に向かいますので。」
そう言って瀬名さんは俺達に背を向けて2階へと消えていった。
そんな背中を、俺は複雑な表情で眺めた。
それに気付いたのだろう。
「ねえ、さっきから少し様子おかしいよ?体調悪い?」
「ん?……ああ。なんでもないよ、ありがとう。明日葉。」
「ん?」
「たぶん……あの人、降りてこないからさ。俺達から訪ねに行こう。勝手に入ったのに何も言わずに雨宿りさせてくれたお礼もちゃんと言いたいからさ。」
そう、俺は明日葉に寂しげな笑顔を浮かべた。
◆◆◆
俺と明日葉は、廃ビルの2階を歩いて、瀬名さんが行ったという社長室を探している。
思った通り、瀬名さんは帰ってこなかったのだ。
「ねえ、宗治さっきから本当にどうしたの?普段ならこんなの、絶対に怪しんで近寄らないじゃん。何なら瀬名さんに挨拶したあと、意地でも帰ろうとするでしょ?」
普段の宗治らしくない、と言われたので
「ん、まあ、ね。」と曖昧な表情で笑う。
たしかに普段なら、どんな理由があれ、適当な理由をつけて雨宿りを止めてずぶ濡れになってでも傘を買いに行くだろう。
だが、あの人から不思議なくらい悪意という物を感じなかったし、それに、大丈夫だと確信を持てたのだ。
それを知らない明日葉はそれが不思議でたまらないのだろう。
「十中八九、俺の予想通りだと思うんだけどさ。あの人は悪さなんて、きっと出来ない人なんだと思う。」
そう言って、社長室と書かれた扉を見つける。
誰も開けた形跡が無いほど、ドアノブにも埃が溜まっていた。
明日葉はそれを見て「え?え?」と少し青ざめている。
正直、ほんの少しだけ怖いから気持ちは分かる。
先程瀬名さんにお茶と饅頭を渡した時、瀬名さんの手は驚くほど冷たかった。
だが、それも失礼だろうと、そんな感情も押し込めて、ノックをしたあと
「失礼します。」と言って躊躇いなく中に入る。明日葉は怯えながらもそれに続いて、社長室の机を見て固まる。
社長室の机には手入れされた綺麗な紳士傘2つ立て掛けられ、机の上には空のペットボトルと、綺麗に畳まれた饅頭の包み紙が置いてあった。
そして、少しだけ壁の上の方を見る。
俺の見る方を明日葉も見ると、口元を押さえて
「あ。」と小さい声を上げて口元を隠す。
壁には写真が額縁に飾られていて、一番古い写真には先程の男性、瀬名さんが上品で優しい笑顔で微笑んでいた。
『お茶とおいしいお饅頭、それと…少しだけだが、話もありがとう。それは私が使っていた傘なんだ。大切にしてくれると嬉しい。』
どこからともなく、先程話してくれた優しい
横を見ると、明日葉は少しだけ泣きそうな顔をしている。
「こちらこそ、雨宿りをさせていただき、短い時間ですが話をしたり、傘まで貸していただいて、本当にありがとうございました。大切に使わせていただきますし、必ずまたお礼に伺います。」
「あ、あたしもありがとうございます。少しだけ怖がって、ごめんなさい!傘も、ちゃんと手入れして大切にします!」
そう言った明日葉と2人で、お辞儀をして社長室を出た。もちろん、瀬名さんが召し上がられた空のペットボトルと包み紙も回収して。
そうして俺達は一階の入口まで戻ってきた。
「なあ、明日葉。明日、学校終わったらお礼のお菓子たくさん買って、お茶も持っていこう。こんな大切な物、戴いたんだからさ。」
「うん、明日行って、そのままここに来よう!」
「ああ。」と頷いて2人で傘を差して、雨に包まれた道を2人で歩む。
俺達が家に着く頃には既に夜になっていて、雨の帳は遠い三日月の下、静かに消えていった。
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