第34話 Nina project 始動


 目が覚めると、空中に人が浮かんでいた。


「うわっ!?」


 驚いて尻餅をつく。


 とても異様な光景だった。

見渡す限りの白い空間の中に俺は居て、その目の前に年老いた女性が磔にされたように両手を広げて宙に浮いている。


 目を背けたいところだったが、しかし、よく見ると見知った人物であったことに気付く。


「……ニナ、のお母さん?」


 立ち上がり、近寄って顔を間近で観察する。

対面するのは小学生……いや、中学生のとき以来だが、たしかにニナのお母さんだ。


 ニナの葬式で会ったときと同じような、疲弊しきった表情をしている。

いや、あのころよりも顔の皺が増えているか……?


 ふと、隣にも人間が浮かんでいることに気付く。


 ……アキラだ、それも変身した姿の。


「お、おい、アキラ……」


 話かけてみるが、返事はない。

アルファベットのTのようなポーズで黙っている。


 それどころか身動き一つしない。


「マナブ」


 突然、自分の名を呼ばれてビックリしてしまう。

声の方向、背後へ振り返ると、そこにはタケシが居て、あぐらをかいて座り込んでいた。


「タケシ! 無事なのか!?」


「それはどうかなぁ」


 俺はタケシへと駆け寄った。


「ここはどこなんだ!?」


「VR空間」


「はっ?」


「ゲームの中に居ると思えば良い」


 ゲームの中って……。

俺にだってVRの意味ぐらいは知ってる……ってことは、ここは仮想現実の中ってことか!?


 思わず顔に手を当てる。


「VRゴーグルなんて質素なもんじゃない。 五感や意識全てを仮想現実の中に囚われている」


 俺の様子を見て、タケシがそんなことを言った。


「ど、どうやって?」


「オネイロスという最新VR装置……らしい。 とにかく俺たちは仮想現実にフルダイブしているんだ」


「オネ……? なんだよそれ?」


「そういうのがあるんだよ。 とにかくここは現実じゃない。 ためしに思い切り頬をつねってみろ」


 半信半疑で自分の頬をつねってみる。


 ……あれ? 痛くないぞ?

全力で指に力を込めて見ても、まったく痛みはない。


「この空間では痛覚が設定されていないんだろう。 ある種のバックヤードなのかもな」


 痛覚? 設定?

タケシの言葉の意味は理解できないが、とにかくここが現実じゃないことは十分に理解できた。


「ど、どうやってここから出る?」


「知らねーよ。 俺だって誘拐された身だ」


「誘拐って……」


 そうか、俺は誘拐されたのか。

そうでなきゃ、こんな仮想現実の世界に居るわけがない。


 しかし……その理由は?

身代金を期待できるような裕福な家庭じゃないぞ?


「どうして誘拐されたんだろう……?」


「ニナのことだろ」


「そ、そうだ! ニナ! あのなタケシ! あの! ニナが……!」


 俺は、俺が目にしたニナじゃないニナの存在を伝えようとして、焦って、しどろもどろになっていると、タケシが素っ気なく言った。


「あのニナはクローンAIだ」


「……く、くろーんえーあい?」


「なんと言ったらいいかな……お前にわかりやすく…………そうだな、たとえば俺が、お前が生まれた瞬間にタイムワープしたとする」


 はあ? なにを言い出すんだ?


「で、お前と同じ血液型で日本人の、別の赤ん坊と、お前を取り換える。 で、未来に戻ると……別の顔をした『吉村マナブ』が居るわけだ」


「……それが?」


「その別の顔をした吉村マナブは、今のお前とまったく同じ人生を辿るわけだ。 そういうことにする。 そうなると吉村マナブという『人格』はDNAなどに左右されないということだ。 まぁ実際には違うかもしれんが……」


「何が言いたいんだよ?」


 たまらず俺は口を挟んだ。


「お前の好きなゲームで例えよう。 大作RPGだ。 主人公が居て、長いドラマチックな旅路を経て、ラスボスを倒し感動的なエンディングに至る。 もしその主人公が赤ん坊のときからゲームが始まったとして、様々なイベントでキャラクター性が定まるのなら、DNAだとかいうミクロな差異は必要ないはずだ、わかるか?」


 ……ううん、まぁ、わからなくもない。

そもそも赤ん坊から始まるRPGなんて滅多に無い、ということは置いといて。


 まったく同じ人生を歩むなら、実際に血縁関係が無くても『俺』は『俺』として……赤ん坊を取り換えたとしても『吉村マナブ』として育つ……ということが言いたいのだろう。


「ニナにも同じことが言える。 ニナの人生、そこで起きたイベントを全て網羅したゲーム……つまりは仮想現実を作り出す。 その中で無垢なAI……赤ん坊ぐらいの知能しかないAIを育てたら、どうなる?」


 どうなる……って、まさか。


「…………ミナのことを覚えているか?」


「あ、ああ」


 ミナ……ニナの動きをトレースさせて、ニナそっくりのAIになるための存在。


「あれは仮想現実上の存在だったが……ニナはミナと同じようなものだ。 ミナがニナの仕草などを模倣して『ニナもどき』になろうとしたように、あのニナも『ニナが実際に辿った人生』を追体験して『ニナそのもの』になろうとしてた」


「そのものって……でもニナは…………中学のときに」


「ああ、死んだらしいな」


「でも、その……科学部でのことは」


 あれは存在しない記憶、体験……『実際には無かった高校生活』だったはずだ。


「そこらへんの意図はわからん。 ニナのクローンAIを作る場合、なおかつ俺たちを利用する場合……仮想現実の舞台は『小学生時代』にすべきだった。 それをしなかったのは……俺たちがあまりにも成長してしまったからか?」


 ……たしかに、小学生のときよりは高校時代の方が記憶に新しいが。

いわゆる『人格』というものだって、あのときよりずっと大人びているはずだ。


「とにかく、俺たちが接してきたのはクローンAIのニナだ」


「クローンAI……」


「ま、ようは仮想現実上でもニナを蘇らせたかったヤツが居たというわけだ」


「……誰だよ、それは」


 ……俺だって、叶うのならばニナを生き返らせたいけど。

俺以外にも、そう思う人物が?

思い当たるのは……タケシ、アキラ、そしてニナのお母さんぐらいだが……。


 いや、もう一人居る……?


「花村秀隆。 ニナの父親だ」


「……ニナのお父さん?」


 何度か、会ったことはあるが……。


「そして科学者でもある。 このオネイロス……ああつまり、この仮想現実を作るVR装置を作った人だよ」


「え……じゃあ、その人が俺たちを?」


「そう、誘拐した」


 ……仮想現実上に、ニナを……ニナのような『何か』を作るために、俺たちを?

そこまでして……あの人は……。


「……で、これからどうする? ここから出るには?」


 俺たちがVRの中に囚われている理由は何となくわかった。

だったら、あとは現実世界に戻る方法を探すだけだが……。


「俺が知るわけないだろ」


 タケシの返答はあっけなかった。


「そんな……じゃあ、俺たちはここで一生を過ごすのか!?」


「……そう心配することもないかもしれん」


 なに!? タケシはここから出れる方法を知っているのか!?

いや、でもさっきは知らないと言っていたし……じゃあ、今の言葉はどういう意味なんだ!?


 すると、そのとき、視界が一瞬だけ歪んだ。


 これはなんだ、と思う間もなく、更に瞬間的な歪みが一つ、二つ……連続的に起こり始めた。


 まるで映像が乱れたかのようだ。


「おい、見えてるか?」


 このことだろうか、タケシが問いかけてきた。


「あ、ああ……なんだこれ?」


 そう言っている合間にも、歪みが散発的に、感覚が短くなっていく。


「そろそろって感じだな」


「そろそろ?」


「ああ、そろそろ、この世界の終わりが近づいてきている」


「終わりって……!?」


 その意味深な言葉を聞いて俺は震えあがった。


「ああ、終わりだ。 その先にあるのは『生還』か『死』か……」


「怖いこと言うなって!」


「はは、悪い悪い――――」


 タケシの言葉が最後まで続くことは無かった。


 


 ――――白い世界が一瞬にして緑色に染まり、そしてゆらゆらと波打っていた。


 目が痛い、染み込むようだ。


 思わず起き上がった。

水が跳ねる音が聞こえ、灰色のコンクリートの壁が目に入る。


 ふと口元に違和感を覚え、触ってみると何かが装着されている。

吸盤のように吸いついているソレをはずすと、重病の患者に用いるような呼吸器のような形をしていた。


 そのとき、自分が風呂のようなものに浸かっていることに気付く。

それは透明な水ではなく半透明の緑色をしていて、ぬるぬるとした感触もあった。


 また、お尻にも何かが付いていることに気付く。

それも吸盤のようになっていて、かつ局部から肛門にかけて覆うようにフィットするような形をしていた。


 間近で見ていると、なんか臭い。

液体の中に放り込んだ。


 緑色の風呂から出ようとするが、立ち上がれなかった。

今さらながら気が付いたが、身体がとても疲労している。


 ひどい脱力感が身体中に纏わりついていた。


「よお、マナブ……」


 声が聞こえる。

隣を見ると、俺と同じような風呂……緑色の液体に満ちた、透明な長方形の箱に入った全裸のタケシが居た。


 身体中に緑色の液体の雫が流れている。


「生還、できたようだな……」


 弱弱しい声のタケシ。

どうやらあいつも弱っているらしい。


 ――――そのとき、悲鳴が聞こえた。


 乾いた連発音も聞こえだす。

もしかして銃声だろうか?


 その二つが連続して、または同時に、遠くの方から聞こえてくる。


「なにかトラブルらしいな。 その相手が、俺たちの味方ならいいが……」


 タケシが箱の中から這いずるように出てくる。

そしてそのまま、這うようにして俺の元へと近寄る。


「今のうちに逃げたいところだが……立てるか?」


 それどころか、箱の外へも出れそうにない。


「まずいな……肩を貸してやりたいところだが、力が入らん。 どれだけ仮想現実の中に囚われていたことやら……」


 ――――瞬間、大きな音が室内に響き渡った。


 見ると、扉らしきものが地面に倒れ伏していた。


 それを蹴破ったらしき人物がゆっくりと片足を地面に降ろす。


 大男だった。

ガスマスクとヘルメット、そして厚手の黒いコートを身にまとっている。

肩にはベルトが掛けられていて、その先には嘘みたいに巨大なマシンガンがあった。


 危険の象徴のような出で立ちの人間があらわれた。

なのに、逃げ出そうにも身体がうまく動かない。


 ここで終わりか――――と思った瞬間。


「グワラララッ! グルルルゥ!!」


 その大男に何かが飛び掛かった。

それは灰色の肌をしていて、異様に長く鋭い爪がコートを突き刺し、伸びた尻尾が大男のマシンガンをしっかりと掴み銃口を下げさせていた。


 ギザギザに割れた口が咆哮しながら、今にも噛みつかんとばかりに大きく開いている。


「ちょっとぉ! 待ってよン!」


 野太く、しかし甲高い声が。

その声の持ち主は、他の誰でもなく大男だった。


「あたしよン! アキラちゃん!」


 その言葉に、変身したアキラが咆哮を止め、大人しくなった。


「……あ、姉貴?」


 冷静さを取り戻したアキラが……いや待て、いま何と言った?


「やっと気付いたン?」


 アキラが大男の身体から離れる。

そして大男はアキラの頭を一撫ですると、俺とタケシに近づいてきて、こう言った。


「久しぶりネン、マナブちゃんとタケシちゃん!」


 随分と親し気に話しかけてくる。


 ……どうやら、敵ではなさそうだ。

そのことに安心した俺は、そのせいか急に意識が遠くなり始めた。


 薄くなっていく意識の中、俺は思った。

まさかアキラに男のお姉さんが居たなんて…………。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る