第32話 雛鳥研究所 退所


 ピピピと電子音が鳴った。

まるで俺の家にある目覚まし時計のような音だった。


「そろそろ時間か」


 博士がそう言うと、音はピタリと止まった。

声に反応して止まるアラームだったのだろうか?


「さて、そろそろ最後の話をしよう」


「最後の話、ですか?」


 今ので話は終わりだと思っていた。


 博士は高性能なAIを作り、その優秀さから人類の次の支配者になると確信した。

やがて地球さえ捨て宇宙へと旅立つ我が子のような存在に対し、自ら『醜いエゴ』と称した思いをAIに与えようとした。


 それがクローンAIという技術。


 最初は博士だって我が子たるAIと共に生きようと思ったはず。

そのため自分を不老不死にすべく、HALOやクローン……それに伴う人体実験まで行った。


 だが、それが不可能だと悟ると、考えを変えてクローン技術という発想に至った。

『人間らしさ』を持つAIを生み出すために……。


 今まで博士の話をまとめると、そんなところか。


「クローンAIについてだが」


 博士がそう切り出した。


「儂の目的の一つとして、儂のクローンAIを生み出して、彼らの仲間として受け入れてもらおうとしたのだ」


 彼らというのはAIのことか。


「しかし、受け入れてもらえるかは分からなかったし、そもそも『人間らしさ』をAIに押し付けることさえ、儂は迷った。 なので一旦、クローンAIという技術を実際に現実化しようとするのは押しとどまった」


「はあ……」


 まぁ、そもそもAI自体がそこまで進化していないからな。

博士の話は何もかも未来的すぎる。


「だが、助手がな…………」


 …………助手?

高名な雛鳥博士だ、助手くらいは何人も居るだろうが……。


「助手の一人がクローンAIの技術を外部に持ち出してしまったのだ」


「…………それは、まずいですね」


 と、なんとなく言ってはみたものの、あまりピンとは来なかった。

いや、研究段階の技術を盗み出されるのは一大事だが、別に超危険な虐殺兵器というわけではないしな。


 そりゃ、大変ですね……という感想しか出てこない。


「その助手はクローンAIで何をしたと思う?」


 急に質問されたので、しばし考えてみる。


「ううん、アインシュタインではなくてニールス・ボーアを蘇らせようとした?」


「面白いジョークだ」


 と、ニコリともせず博士は言った。


「だが違う。 正解は死人を蘇らせようとしたのだ」


「ニールス・ボーアも故人ですが」


「もっと身近な死人だよ。 つまり助手……彼の子供だ」


 子供……か。

若造で独身な俺だが、子を失った親の悲しみは想像を絶するものだと理解している。


 時には気が変になってしまい、人形を我が子に見立てて可愛がる……なんて話も聞いたことがある。


 それと同じような理由でクローンAI技術を盗み出し、仮想現実空間に我が子を蘇らせようとしたのだろうか?


 親なら子供のことを何でも知っているだろうし、かなり再現度の高いものが作れそうではある。


「その助手なんだが、クローンAI技術に大きな貢献をした。 とあるアイデアを持ち込んでくれたのだ。 それによって理論上ではあるがクローンAIの作成にあたり高い再現性が見込めるようになった」


「はあ、それはどのような?」


「実際の人間を実験材料にするのだ」


 おいおい、また人体実験の話になるのか?

嫌悪感を覚える反面、やはりどうしても内容が気になる。


「実際の人間をどうするんです?」


「まず思い浮かべてみたまえ、君の人格形成に一役買った人物を。 つまり君を親しくしてくれた人たちを血縁関係問わずな」


 ふーむ……まぁ両親は絶対だな。

あとは…………小学生時代の友達は思い出深い。

それと、今の学校の友人たち、ぐらいか?


「思い浮かべたか?」


「はい」


「では、それらを全員拉致する」


「……そりゃ重大な犯罪ですな」


 一旦、倫理観は捨てて、この話を聞くべきか?


「そして『オネイロス』へと接続させる」


 …………オネイロス?

聞いたことのない単語だ。


「君が知らなくても無理はない。 『オネイロス』は世に発表されていない装置だからな」


「装置、ですか?」


「ああ。 催眠型VR装置だ」


 催眠型……VR装置?


 なぜだろうか、忘れていた耳鳴りが再び聞こえ始めた。


「画像を出そう。 ミチル」


 真っ暗な画面になって機能していなかったスクリーンが動き出した。


 そこに映しだされたものは、一見して花びらのようなものだった。


 中央に丸い輪郭があり、そこから放射状にコードが伸びていって、先には長方形の箱がある。

その箱の中には人型のシルエットが横たわっていた。

真上から見ている構図なのだろうか?


「まず箱の中に人間を入れる。 中は特殊な液体が入っていて、健康を保持することができる。 口と局部にはホースが繋がれていて食事と排泄が自動的に行われる。 こうするのは被験者の意識が現実空間に無いからだ」


 耳鳴りが若干、強くなった。

なんだろう、どこかで同じような話を……俺自身がしたような。


「被験者の意識はここにある」


 博士が中央の丸い輪郭を指差した。


「これが本体の『オネイロス』だ。 周りの装置は生命維持装置にしか過ぎない。 そしてオネイロスの機能だが、これは被験者に催眠効果を与えることで記憶を改変する」


 記憶を……改変……?


「そう、記憶を改変した上で、被験者の意識を仮想現実空間に送り込む。 その被験者は仮想現実を仮想と見抜けない」


 現実か、非現実か……。


「そして外部からの操作によって、あらゆるシチュエーションを被験者に体験させる。 たとえばそう、既に成人しているのにも関わらず『仮想の高校生活』を体験させたりね」


 耳鳴りが突然、いっそう酷くなった。

頭痛さえ感じるほどに。


「な、なんのために、これを……」


 痛みに耐えつつ、俺は聞いた。

……聞かなければならない。


「当初の開発目的は犯罪捜査だった。 容疑者に使用すれば犯罪を告白させることも容易だからだ。 しかし倫理的に問題があるとされ中止となったが、助手は秘密裏に完成させた」


 助手……我が子を失った親……。


「そしてクローンAI技術に転用した。 なんのために? それはもちろん、よりリアルな仮想現実を作り出すためにだ」


「より、リアルな?」


「クローンAIの育成、とある個人との同一性を求める場合、大切なのは場所より他者だ。 言い換えればドラマのキャスト、その再現性……。 ならばオネイロスで同一人物をキャストにすれば、より再現性は高まる」


 耳鳴りが、耳鳴りが大きくなって、博士の言葉が聞き取り辛くなっている。

それでも俺は必死に博士の言葉に集中する。


「無垢なAIが存在する仮想現実空間に、その同じ空間に同一人物を放り込めば――――」


 例えば俺だったら。

両親はもちろん、小学生のときの友達。

吉村マナブ、森巣アキラ、そして――――。


「助手の名前は花村秀隆」



 ――――花村ニナ。



「君は――今――――だ――」


 耳鳴りが俺の聴覚を支配した。

我慢ならなくなって、救いを求めるように後ろへと振り返る。


 そこには――――誰も居ない。


 そして空間が途切れている。

一直線にラインを引いたように床が途切れていた、見渡す限りの暗黒が広がっている。


 正面へと向き直る。

いつのまにか雛鳥博士が目前まで近づいていた。


 痩せ細った手が俺の胸を突き飛ばす。

真っ逆さまに落ちる浮遊感に恐怖して目を閉じる。




 来たるべき衝撃が来ないので目を開けると、俺は夕暮れの真下に居た。

左手に巨大な建物が有って、右手にはフェンス越しの道路がある。


 目の前には二人の少年少女が向かい合って立っていた。


 どことなく見覚えのある風景で、しかし見たことのない視点だった。


 少年が喋り出す。


「……俺、ニナのことが好きだ」


 そうだ、あの少女はニナ……昔のニナだ。


「…………ごめん」


 少年の告白を断るニナ。

しかし少年は、その答えがわかっていたかのようだった。


「……俺こそ、ごめん」


「……え? どうして?」


「だって知ってるもん。 あいつのことが好きなんだよな?」


「…………」


「だから、ごめん、でも…………」


 続く言葉を出せずに、ついに少年は駆けだした、俺の方へと向かって。


 少年は俺のことなど見えていないかのように、そのまま横を通り過ぎた。

その目には涙が溜まっていて、俺のすぐそばで一粒が流れ落ち、地面に小さな染みを作っていた。


 ――――俺は、ああ、俺は……少年が口に出せなかった続く言葉を知っている。


 『だから、ごめん、でも…………』


 ――――でも……俺、俺は…………。


 『もうすぐ海外に行っちゃうから』


 だから、ニナがあいつのことを好きなのを知ってて、でも、最後の日に告白したんだ。


 そして、そのまま両親の都合で海外に引っ越して。

失恋のショックを勉強に打ち込むことで解消して、そのおかげで進学校に入学できて。


 科学の面白さに目覚めて、有名な私立大学に入って…………。




 一度も日本には帰っていない。

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